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レインバラッド ──木漏れ日は暖まるには弱過ぎる──③前編
しおりを挟む『レインバラッド』
それは宇佐木光矢にとってとても不可思議で、今までの人生で感じたことの無い瞬間の連続だった。
奇妙と言ってもいい。現実感が希薄でどこか不出来なコメディ映画を観ているような辻褄合わせのご都合主義な展開ばかりが訪れる。
あまりにも突拍子のない幸運だったり悲運だったりが連続し、時としてとんでもない偶然がドミノ倒しで毎日起こっていればいくら宇佐木とて早々に気がついた。
──俺は今、誰かに狙われているのか。
可笑しなことに直接的な危害は今のところありはしない。だが、このままでいいはずがなかった。
どうにかしないと──どうにかなりそうだった。
「あら、先生ではありませんか」
びくりと宇佐木の体が震えて思わず手に持っていた画材道具一式を落としてしまった。ガラガラと派手な音をたててパレットやペイントブラシ、絵の具とペインティングナイフが散らばった。
「うふふ、なにを慌てているのかしらね先生は」
夕日の差し込む茜色の校舎でその少女は悠然と佇んで今しがた先生と呼んだ男を見下ろしていた。
生徒はほとんど帰宅している。それもそのはずで今はテスト期間中。部活も活動休止しているから辺りに生徒達の気配はほとんどない。彼女は勿論それを知っていた。
「周りに生徒がいないのがそんなに気になりますか? 先生? ふふふ」
「……九川……お前最近おかしいぞ」
「何をおっしゃっているのか分かりませんわ。せ・ん・せ・い」
九川礼子──妖艶なる美女。恍惚にして加虐心溢れる瞳で宇佐木を捕捉していた。
彼女は漆黒の制服と足まで届く程の長い黒髪を垂らして、宇佐木の落とした画材道具をしゃがんで集めていた。真っ白の顔に桜色の艶かしい唇が美しく映えていた。
この高校の冬の制服は全身が黒尽くめなセーラー服だった。珍しく昔ながらの開校当時から型の変わらない伝統ある制服と、それに対して夏服は今風の爽やかな白にリニューアルが施されたもので、古き良きものと新しき風も取り入れているのを校風と銘打っている。
今は三月の終わり──もう春もそこまで来ているが彼女が白くなるのはまだまだもう少し先だろう。
宇佐木光矢はここ最近思っていた。その白い制服が見られるまで俺は生きていられるのだろうか──と。
「ふふふ。一体何を怖がっているのかしらね先生は」
人の心が読める彼女は何が可笑しいのかくすくすと笑い宇佐木を楽しげに眺めている。
おでこの真ん中辺りで切り揃えられた前髪。その下の怪しい赤い瞳に捉えられて目が離せなくなる。宇佐木は視線を逸らして、画材道具を受け取ってすぐさまその場から離れようと彼女に背を向けた。
「──っ」
途端、背中に感じる凶悪な柔らかさと鼻孔を刺激する抗い難い程の女性特有の香り。宇佐木は脳が痺れたのを感じた。腰に回された九川礼子の手は怪しく動いて宇佐木の胸の方まで移動して何やらごそごそと動いている。さわさわと動く九川の長い指が這う度にゾクゾクとしたものが背筋を昇っていく。
「お、お、おいっ。……お、前本当にどうかしているんじゃねぇのかっ!?」
後ろから九川礼子に抱きつかれていた。
九川は生徒で自分は教師だ。この関係すらも今はとてつもなく蠱惑的で宇佐木の頭は混乱し胸は早鐘を打ち鳴らしまくっている。堪らず宇佐木は声を張り上げた。
「そもそもお前っ! こんなところ石原に見られたらどうするんだよ!?」
そうだ。こいつは。九川礼子は石原秋子一筋だったはずで、男の俺のことなどゴミ程度にしか思っていなかったはずだ。
「アキちゃんはアキちゃんです。先生は先生じゃありませんか」
「どういう意味だよ……?」
宇佐木は振り向こうとしたが、背中に感じる凶悪な膨らみが彼の動きを硬直させた。少しでも動くとその柔らかい二つの塊の感触を今や全神経が集中した背中越しに感じてしまいそうだからである。
「あら、存分に味わってくれていいのですよ先生?」
「……っ」
九川の右手が宇佐木の首筋を蛇のように這っていく。今の今まで気がついてはいなかったが左手は宇佐木のベルトをカチャカチャと外しにかかっていたところだった。
ヤバイ──犯される。どうして校内で女子高生に襲われなきゃならんのだ。今すぐに泣きながら走り出したい衝動に駆られた宇佐木はそこで初めて気がついた。
「か……体が……動かない……」
「ふふふ。今ごろ気がつきましたか宇佐木先生。先生が女の子みたいに泣き叫んで、もうやめてーっ言うまで私はこの術を解く気はありません」
「もう完全にこれレイプだよね!?」
古の最強の術者。役小角の魂と記憶が宿る少女、九川礼子にとって相手の動きを止めることなど朝ご飯のシリアルに牛乳を入れるくらいに簡単なことだった。
「あっ……く、九川。てめぇっ……」
「ふふふっ……。先生、美味しそうで食べてしまいたいですわ」
ゾクッと一際大きい波が宇佐木の体を襲った。一瞬、意識をもっていかれそうな程の快感の渦。九川が宇佐木の首筋に舌をはわせた。それだけのことで堕ちかけてしまう。
──……まず過ぎる!
宇佐木はなんとかそれに抗うべく意識をしっかりと保って萎えまくることで脳内を埋め尽くす。
はあああああああああ! 心で叫びながら宇佐木光矢は全身全霊で念をこめた。
──宇佐木、一緒にお風呂に入りましょう。
──あなたは犬みたいにコロコロして可愛いですね。
宇佐木はソーリスとの気持ちの悪い過去を思い出して劣情を抑え込むことに成功していた。
その心模様を読んだ九川はげんなりとした顔で問うた。
「……何故、興奮を抑える時にソーリス先生のことを考えるんですか?」
「わからん! いいからやめろ九川! お前本当にどうかしてるぞ! っていうかお前だけじゃなくて……なんかここ最近、皆オカシイぞ!」
「何がオカシイというのですか先生?」
「──……」
そう言った九川礼子の赤く輝く眼は今までの彼女にはない異常さがあった。九川礼子は異常な存在ではあるのは間違いないが、これは『そうではない』──存在そのものは確かに今までの彼女ではあるのだが──絶対的に何かがオカシかった。いや、ズレていると言うべきか。
「ちょっとあなた達何をやっているの!!」
突如、薄暗くなり始めた廊下に女性の大声が響いた。この声は同僚の四野見先生の声だなと宇佐木は少しホッとした気持ちになった。それでも九川の手の進攻が止まりはしないのが気にかかるがとにかく助かった。なにせ彼女は真面目が服を着て歩いているというべき模範人間。同い年ぐらいで宇佐木を気にかけてくれる後輩思いで話が長いのが玉に瑕の先輩教師だった。
「九川さん……あなた宇佐木先生に何を……?」
「あらあら誰かと思えば絶賛、宇佐木先生に片想い中の四野見先生じゃありませんか。まあ、あなたが来るのは視てたから知ってましたが」
「うほおおおい! く、九川さん! な、なあああああにを言ってるのかねぇ! キミは!?」
「まあまあ宇佐木先生以外は皆知ってますから大丈夫ですよ」
九川の言葉に猫のような奇妙な飛び跳ね方で驚いた四野見先生はベルトが外されてシャツも胸のところまでたくし上げられている宇佐木の破廉恥な格好に生唾を飲み込んだ。
「ふふふ、四野見先生もご一緒にいかがかしら?」
「──」
一体なにが起こっているのだろう。
きっと四野見先生は九川を止めて助けてくれるだろう。
あろうことかそんな希望はすぐさま打ち破られた。上気したように赤くなった頬で四野見先生はよろりと体勢を崩して膝をついて言った。
「はぁ……はぁ……いいのかしら? いいのかしら? こんなこと?」
止めに入ってきたはずの四野見先生が硬直している宇佐木の前に座り込んでベルトを緩めてズボンを下げて下着に手をかけている。
「ねぇ……九川さん私が先に食べてもいいのかしら?」
「ええ。構いませんわ。私はあとでたっぷりいただきますから」
「おおおーい! 四野見先生!? いやいやいや止めて!? これ、ちょ、ちょっとおおおお! だれかぁぁぁぁ! 二人の痴女にレイプされようとしてるんだけどおお! 誰かああああああ!!!」
「ああもう! うるさいですわ宇佐木先生。私も萎えたらどうしてくれるおつもりですか?」
「……っむ、ご、おお!?」
宇佐木は急に言葉が話せなくなっていた。それも九川の術だった。絶体絶命の宇佐木は二人の女性に為すすべもなく蹂躙されるしかなかった。
宇佐木は死のうと思った。これが終わったら速やかに誰にも知られずに死のうと思ったのだ。もう俺の威厳は尽き、南極の氷は溶け太陽は地平線に沈んだのだ。何故だか心は詩人になっていた。
「それじゃあ、いただきまーーす」
四野見が宇佐木を捕食する寸前に見計らったかのように声が飛んだ。
「待ちなさい!!!!」
ややこしいので絶対的に今登場してほしくない友人──ソーリス神父だった。
手の平を前方に掲げてキメ顔で「ふっふっふっふ」と意味も無げに呟いていた。
「ソーリス先生じゃありませんか。……ずっと廊下の曲がり角から興奮した面持ちでこちらを見ていたのは気がついてましたわよ」
九川の言葉に煌びやかな金髪の麗しい神父ソーリスは不敵に鼻を鳴らした。
「ふふ。それはそうでしょう。なにせあなたは千里眼持ちなのですから。……私が隠れていたのも興奮していたのもお見通しでしょう!」
興奮してたんかい!
「しかしそれは宇佐木の前に絶好のタイミングで現れるためです!」
「あら、では今がその絶好のタイミングというわけですわね」
グッとソーリスは拳を握って嘘臭い険しい顔でドヤーと言い続ける。
「ええ、そうです! ……女子二人に今まさに襲われてんとしているその時! 今日のこの瞬間までは気の合う友人くらいにしか思っていなかった私に助けられ、これを期に二人の距離は一気に縮まるのです……! あぁ……完璧な作戦でしょう?」
「流れはとても素晴らしく悪くはありませんね。ですが──ソーリス先生が私に勝てるとでも?」
「……はっ!? そ、そうだった! 私ではあなたに勝てない! ……し、しまったあああ!」
ガーンと頭を抱えて激しく衝撃を受けるソーリス。
「…………」
宇佐木は言葉が出なかった。どの道、九川の術で口を開けはしないが例えそうでなくともソーリスのアホな発言に開いた口が塞がらなかっただろう。
「万策尽きましたわねソーリス先生」
「くっ……! やりますね九川礼子っ……!」
一歩前へと歩みでた九川と、焦り顔で後ずさる神父を見て宇佐木は思った。
──もう帰らせてくれ──と。
「では、せっかくなんでソーリス先生も一緒に楽しみますか?」
さも最適な提案とでもいうようにポンと手を打ち言う九川。
「ええ、勿論ですよ九川。──というか私の心を読んで初めから私がそのつもりなの知っていたでしょうに」
ギョッとして宇佐木は硬直した体をさらに縮みあげた。
「ふふふ。先生がボケたがっていたので仕方ありませんわ」
「はっはっは。心が読めるあなたと漫才でも始めたら上手くいきそうです」
「ふふふ。徹底的にお断りいたしますわ」
九川とソーリスの二人のぬめりとした視線が一点に注がれる。微動だにできぬ獲物──宇佐木光矢へと。
「ちょ、ちょっと私も忘れないでねっ」
四野見がそこに加わり宇佐木を見てワクワクとした様子で目を輝かせた。
う、うわっ……や、やめっ……やめてくれええええええええええ──叫びたくとも声は出なかった。
そして──地獄へといたる。
「はっ……!」
次に感じたのは暖かく柔らかい人肌の温もり。
「…………」
自分はどうしてしまったのだろう。いや、世界はどうしてしまったのだろう。
ここ最近の宇佐木光矢はこのようにひどく混乱していた。
朝の起き抜けの瞬間でここはまさしく自分の安らげる空間の一つである自室のはずで、だというのに一日の始まりは異常からのスタートなのだった。
今、見ていた夢のことではない。いつも意味不明なことをする仲間達だが、ああもわけのわからないことはさすがにしてはこない。
──校舎で犯されかけるなど……そんなことはあのタチの悪い二人でもさすがにするわけがない。
……だというのに、どうしてだろう。ここ最近ではそんなことが平然と起こってしまいそうな何か、妙な『気配』──いや、雰囲気のようなものを宇佐木は感じていた。
今の目の前の光景にしてもそうなのだと自信を持って言える。
「アンジェリン……。起きろよ」
なんでこいつが俺の布団で寝ているんだ?
「うーん……」
と言いながら目を擦り人の布団でまだまだ惰眠が貪り足りないのか、もそもそと動く金髪美女がいた。パジャマの胸元がはだけてかなりボリュームのある胸が半分程見えてしまい宇佐木は慌てて布団から飛び出した。
「おいっ! アンジェリンが俺の布団に入ってんだけど!?」
宇佐木は同じ部屋にいるであろう二人、ブレッドとフレネに声をかけた。しかし返事はない。
「…………いないのか?」
「ふあ~……。光矢ー。おはよう~」
むくりと起き上がったアンジェリンはまだまだ眠そうにぼんやりとした目で笑顔を向けてくる。
「おはようじゃねぇよ。なんでお前が俺の布団にいるんだよ」
「……えー、忘れたのー光矢ぁ……むぅ………………」
「寝るな!」
アンジェリンは話そうとしてまた布団をかけてすぐに寝てしまった。
宇佐木は布団をひっぺがして、カーテン素早く開けて窓を全開にして冬の空気を室内に呼び込んだ。
パジャマ一枚のアンジェリンに容赦なく冷たい空気が襲いかかる。
「ひぃぃぃ、光矢の人でなし~………………ねむねむねむねむねむ」
「って寝るんかいっ!」
そこで宇佐木はもうアンジェリンが何故ここにいるかを本人に問うことは諦めた。そして壁の時計を見た。時刻は六時五十分。目覚ましは七時半にセットしていたので、まあまあの早起きになってしまっていた。朝からチクショウ……という気分になる。
誰かさんのせいで二度寝する気は無くなってしまった宇佐木は仕方がないので仕事に行く準備をとてもゆっくりとすることにした。
いつも観ているというわけではないのだが、とりあえず彼は起きたらすぐにテレビをつけた。音を聴きながら、色々支度をしていると脳の目覚めが僅かに助けられているような気になるからだ。
「あ、私コーヒーでいいよ~」
「うるせぇよ」
布団で横になったまま声をあげたアンジェリンの要望を聞く気は全くなかった。
宇佐木はいつものように前日炊いていた白米を茶碗によそい上から生卵と醤油をかけた。次にこれも前日の作り置きだが味噌汁も温めて椀に入れる。その二つをかっ込むように食べてからデザートのつもりなのかバナナとヨーグルトを食べる。考えるのが面倒なので彼は常に朝同じものを摂取していた。それでも必ず朝食は摂るようになった。今の仕事を始めてから食べておかないと保たなくなってしまったのが原因だ。以前の宇佐木は朝ご飯など食べたことはなかった。
以前の──強盗殺人犯である時の宇佐木は。
──別に屍肉を食らって生きていたわけじゃない──が、食べたい時に食べて寝て、殺した。
「…………」
「光矢~私の朝ご飯わー?」
「……」
その時だった何やら急にテレビが騒々しい音をたてた気がした。今の今まで気にもならない音量だったのに急に大音量で流れ始めたのだ。
「──っ! ──! ──っ!」
よく聴き取れないがマイクを持った男が大きな声を張り上げて何かを言っていた。
宇佐木は慌ててテレビのリモコンを探した。コタツの横にあった。すぐに音量を下げるが、表示はいつもとさして変わらない。
「あれ? おかしいな……」
どれだけ音量を下げてもテレビの喧しい声は鳴り続けていた。耳が痛くなる程の鋭く不愉快な声でだんだんと苛々として宇佐木は面倒になってテレビの電源を切った。
「──……」
しんと静かになってホッとしたのも束の間、背後からむにゅりとした感触が覆いかぶさってきた。
「こーうーやー、私のごーはーん」
腹を空かせたアンジェリンはゾンビの如くしな垂れかかっていた。夢の中の九川の弾力が思い出されて妙なゾクゾクとしたものが駆け上がっていく。はだけたパジャマの肩口から白く艶かしい首筋と胸元が覗き、まぶしいのに目が離せない。宇佐木は堪らず振り解き叫んだ。
「ああ! わかった! わかったよ! 作りゃあいいんだろ!」
ヤケクソ気味に答えてしっかりと目玉焼きとコーヒーとトーストを作ってやるのだった。
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相も変わらず俺はこんなことをしている。
一体全体、どうして自分がそんな立ち位置にいるかなど考えたくもない。だがどうしてだか成り行き上そうなってしまったのだ。何もかも失った自分は今はそうするしかない。どこか自暴自棄になりつつも目の前のタスクを全うするしかないのだと男はそんな風に気持ちを纏めていた。
彼は煙草の煙と溜息を同時に吐きながら呟いた。
「だが、まあ──悪くはねぇ……」
楽しくないわけはない。そして彼はまだ決して『夢』を諦めたわけではないのだ。
木島組の再建──佐能響(サノウヒビキ)はそれだけを願っているのだから。
ここはあるマンションの一階の入り口で、元々はどこかの学習塾として使われていたテナントだった。塾の名を覆い隠すように広げられたのぼり旗には依頼者の名前が臆面もなくでかでかと載っていた。
建物の中からは威勢の良い男性の掛け声が何度か上がっていて、佐能は天気のとても良い早朝から皆様ご苦労さんなことで──と思いながら煙草をふかしていた。
彼はオールバックに逆立てた髪を撫であげながら、吸い終えた煙草を足元に落として踏みつける。すぐさま後ろから舌打ちが聞こえた。
「おい、お前ここで吸うなと言っただろう!?」
「……ああー? ああ……議員さんのお付きの……」
ボソボソと言い頭を撫でながら気怠げに返した佐能は肩幅の広い背広の男の目を真っ直ぐに見た。厳つい四角顎の大柄の男。ああコイツか。射抜くような目で流し見た佐能はすぐに視線を外して鼻で笑った。
「……っ」
それだけでばつが悪そうに顔をしかめた男は視線を外して苛立たしげに言う。
「議員候補の、な! 何故、お前のようなヤクザみたいなのがここにいるんだ!?」
「……っ」
佐能はヤクザみたいと言われて吹き出しそうになるの堪えた。それはあまりにも笑えるジョークである。何故なら彼は本職のヤクザだ。しかし目の前の大柄の男がそう言ったのも無理はなく、佐能は知らない人間の誰が見てもまさしくヤクザである風貌と風格を有していた。
堅気ではない雰囲気というのはオールバックにした髪や着ているスーツやその目つきの一体どれから感じるのだろうかと問われたらそれは誰にも分からない。ただ全体的に佐能は誰が見ても、どう見てもヤクザにしか見えないのだ。そうとしか見えないのだからそれはもうヤクザそのものだ。
「今は……堅気だぁ。へっへへ。だいたい俺を呼んだのはそっちだろうぅ」
妙に癖のある余韻を残す話し方。それが佐能の特徴だった。本人は普通に話しているつもりだ。
「ああ、そうだ! だがボディーガードは雇いはしたが、お前みたいに指示を無視して煙草吸ってるサボりは雇ったつもりはない!」
「指示……? 指示ですかい?」
佐能の目が大柄の男に向けられ、それだけで男は一歩後ずさった。佐能はまたも鼻で笑いながら構わず続けた。
「依頼されたのはあんたのとこのボスを守るってことだけだぁ。煙草を吸うなとも、指示された通りに動けとも言われてねぇ。依頼内容に不備不満があるのなら直接クライアントに言いなボウズぅ」
「……お、お前はっ」
「直接、あんたんとこのボスから言われたならぁこっちのボスに確認とってから従う必要があるなら従うさ。……だが、今はそこまでの指定、指示はねぇ。ガキみてぇにテメェの常識押しつけようとするのはどこのどいつだぁ? へっへへ」
「……っ。……調子に乗るなよっ。ヤクザが……!」
「だからぁ今は堅気だ。沈めるぞぉてめぇ」
「……ちっ……」
佐能の啖呵に今度こそ言葉が出なくなった男はそれでも一度は何か言いたげにしてから、建物の中へと入って行った。
「へっへへ」
たわいねーなと口元を釣り上げて笑ってから、彼はまた手持ち無沙汰になって青い空をぼんやりと眺めていた。数分と保たず無意識なのか、また胸ポケットの煙草を取り出してライターで火をつける。この繰り返しで、佐能の足元はここに来て十数分で吸殻だらけになっていた。
「さっさと出てきてくれねぇと退屈でいけねぇ」
そう佐能が独りごちたと同時にテナントのガラス戸が開き、中から頭に鉢巻きを巻いた血気盛んなスーツ姿の中年男性とそして若い女性が数人が出てきた。こちらは黄色いティーシャツ姿で同じく鉢巻きを巻いていた。冬の真っ只中でその姿はやる気や気持ちなどでカバーできるものだろうか、そんな風に思いながら佐能はその女性達を見て思わず身震いした。その組み合わせが何セットかわらわらと出てきた。そして十人程の殿に控えた男はスーツに他の者とは違う黄色い大きなタスキを斜めがけていた。
タスキには佐能が守らねばならぬ人物の名がこれ見よがしに書かれている。
柵屋川誠実(さくやがわなるみ)──佐能も高身長の方だが、この柵屋川という男はさらに背が高く、先程佐能に注意をしにきた男も隣にいて比べると横に大柄だったがこの中では一番背は低かった。柵屋川は今風に言うならばイケメンと言っても過言ではない整った顔立ちと、肩幅は広いが全体的に華奢でひょろりとしていた。短めに整えられた髪は綺麗に七三に分けられていてその下にはっきりとした眉と二重の目が自信ありげに光っていた。ふいに佐能と目が合い彼は柔和な笑みを作った。
「ああ、佐能さん。今から朝立ちに行くところなんです。やはり出勤前のサラリーマンとかが狙い目なのでね」
「へっへへ。その朝立ちってのはなんですかいぃ。いきなり下ネタですかい?」
「選挙用語だ!」
すぐさま横の大柄の四角顎の男が訂正する。佐能は実はそんなことは一般常識として知っていたので単にボケてみただけのことであった。
「へいへい。朝も早くからご苦労さんですな。では、俺もついて行きましょうか。それがお仕事なんでねぇ」
首をコキコキと鳴らしながら佐能は柵屋川の後に続いた。
「ああ、心配しなくても一般人からは見えないところで待機してますよ」
そんな佐能の言葉に柵屋川は急に大声で笑い出した。低くて腹の底に響く好感の持てる声色。そしてやけに通る声で、それだけでも政治屋としての素質がありそうだと佐能は会った瞬間に思っていた。
「はっはっは。無用な気遣いは結構だよ佐能響。君のような強面のボディーガードが近くにいる方が私の大物感が増すというもの! 是非、衆目の面前に立ちネットなどで話題になってもらいたい。はははは! バズらせようとも!」
「そういう……目立ち方はどうもねぇ……」
佐能は堅気になったとは言え、まだまだ裏稼業に身を置いている。その置いている場所が佐能にとっては新鮮でまだ慣れないのだが。──特にその上司がまだ慣れない。元々知った仲であっただけに、いや、というかそもそも敵同士の間柄ですらあったというのに縁というのは不思議なものだ──とそんなことを考えていたからか絶妙なタイミングで尻のポケットに入れてある佐能の携帯電話が鳴った。すぐに四角顎が「切っとけ馬鹿者」と言うが佐能は構わずに電話に出た。
「へぇーい。なんだよ上司様よぉ」
『あーら、ヤダ。あなたから上司だなんて呼ばれる日が来るなんてビックリよー。どういう風の吹き回しかしら』
巫山戯た野郎だといつも佐能はこの男──いやオカマと話す時は常に思っていた。自分の話し方も人に言わせれば癖があるらしくよく巫山戯ているのかと言われるがこいつのはその比ではないはずだ。
「うるせぇよ。用件を言えよ千条ぉ。こちとら今から議員候補様とぉ朝立ちだぁ」
『あらあら、やめてよいきなり下ネタあ~?』
「俺とぉ同じボケをするんじゃねぇやい」
博識な千条光が知らぬわけがない。
『あははっ。あんたに先越されるとはアタシも焼きがまわったわね。……とまあ、そんなことより、あんたが電話でてくれてしかもちゃんと依頼人の近くにいてくれてアタシは安心したわ~』
「……なんでぇ。信じてなかったのかいぃ」
『あっはは。いえいえ、あんたのことは信用に足るとは思ってはいるしぃーアタシも昔からあんたのことは、よ~く知ってはいたけどねぇ。こういう仕事は始めてでしょう? だからちょっと心配になってね?』
「アホかい。用心棒は初めてじゃねぇよ」
『違うわよぅ。用心棒じゃなくて、堅気に依頼された仕事よぉ。……言っとくけど銃なんかぶっ放さないでよぉ。いくらあんたの能力があんなだからって今回はナシだから。分かってるわね!?』
佐能響の能力。それは銃弾を無限に装填し続けることができる無限弾だ。まるで魔法のようなその能力だがそれは魔法ではない。どのような原理でそうなっているかなど誰にも分からない。
「…………」
堅気に依頼された仕事──か。なるほど言われてみれば初めてだ。
それで千条の奴は心配になって朝一から電話してきたわけか。
「……まったく心配性な野郎だ。あの鳥羽とかいう兄ちゃんに同情するぜ。あんたとはもう七、八年もやってんだってな」
『もう、まだ満月とはヤッてないわよう!』
「…………切るぜぇ」
問答無用で佐能は電話を切った。切るしか選択肢がなかったのだ。仕方がない。
やはりあの千条光という男は──オカマは恐ろしい奴だ。佐能響はそう再認識したのだった。
千条光は元大ヤクザの若頭だった男で今は裏世界の『なんでも屋』を営んでいる。
佐能はとある事件で瀕死になったのをなんでも屋の鳥羽満月に助けられた。そして千条光が佐能と旧知の仲であるとのことで佐能は今回の話を持ちかけられたのだ。旧知と言っても元々はヤクザ同士の対立で敵同士に近い間柄の千条と佐能だったが今となっては関係がない。
──あんた、やることないならアタシ達を手伝わない!? アタシ達についてくればこの間の首謀者といずれかち合うことになるわよ──
そう言われれば頷くしかなかった。この間の首謀者、それは──。
自分にとって大切だったあの人を死なせちまった野郎だ。
「清継ぼっちゃん……」
「なにか言ったか佐能?」
柵屋川が訝しげに電話機をしまった佐能を腕を組みながら眺めていた。
「すいやせん。待たせてましたね。行きましょうか」
「ははは! 誰にでもプライベートはある! 私の改革はそういうところも大事にするからね! 佐能、君も是非私に一票入れてくれよ!」
「へっへへ……」
いつの間にかさん付けも無くなりタメ口の柵屋川は年齢不詳のにこにことした笑顔を見せて、四角顎と佐能を両脇に従え、その前方には寒そうなティーシャツ姿のウグイス嬢を含めた十数人の協力者を連れてそれぞれワンボックスの街宣車に乗り込んだ。よくある二階建ての上がお立ち台になっている選挙カーだった。それが五台あり、佐能は柵屋川の資金の潤沢さを理解した。おそらく他の候補者よりそこは抜きん出ているだろう。なにせ柵屋川は家柄からして特別な存在だ。父も官僚で年の離れた兄は警視監で彼本人の肩書きも貿易会社の社長ときている。今回の選挙でもかなりの大物で多くの人間の期待を集めているといえるだろう。
「いやー、演説は何度やっても緊張するよ」
などと車に乗り込んでから柵屋川かなり涼しい顔で言ってみせた。柵屋川はウグイス嬢二人を両脇に座らせて終始笑顔で絶え間なく口が動いていた。とにかく話すのが好きなのだろう。彼が低めの良い声で話す度に両隣の女性二人がうっとりしているのが誰が見ても分かった。
四人がけで向かい合わせで座れる広い車内では佐能は四角顎の隣だった。四角顎はムスッとして女二人とイチャイチャしている柵屋川を終始睨んでいた。
程なくして駅前の広場に車が停車して、街頭演説のための準備が始められていく。いよいよもって佐能は暇を持て余して、とりあえず辺りの様子を探り始めた。
朝の通勤時間。駅前には賑やかに登校する学生達や眠たそうなサラリーマン。それを追い越して早足で歩いていく女性に散歩で犬を連れた老人など様々な人が行き交っていた。
「平日朝の八時。天気は良好。気温は寒ぅい。人通りは割と多いなぁ」
楽しげに独り言を言いながら佐能はコートの襟をたたせた。三月も終わりだというのにまだまだ寒い。こんななかでもアイツはタンクトップかティーシャツ一枚なのだろうと佐能は筋肉ダルマな自分の舎弟のことを考えていた。
舎弟の名は貝崎。今は別行動で木島組の後始末を任してある。本来であれば組長候補が戻ってきて組の再建を目論んでいた佐能と貝崎だったが、前回の事件でそれは水泡と消えた。貝崎にはその時に声をかけていた仲間や関係先のアフターフォローを命じていた。それが終われば、貝崎も鳥羽満月と千条光の元で自分と同じく雇われた傭兵の如く働くのだろう。自分達のようなヤクザを受け入れてくれるところなど裏の世界の稼業以外にはありはしないのだから。
それでも佐能の目的は変わりはしない。いずれ必ず木島組を再建させる。それが今は亡き組長との約束なのだから。
「おい。用心棒しっかり見張れよ」
四角顎が忌々しそうに釘をさした。佐能は「へいへーい」と明後日の方向を見ながら返して引き続き辺りを見渡していた。
柵屋川はマイクを片手に肩からタスキをかけて丁度、公衆の面前に向かって演説を始めていたところだった。
「皆さま」
キーンと一度マイクがハウリングして、そこでもう一度、柵屋川はよく通る声で駅を行き交う人々に訴えかけるように話し始めた。
「どうも柵屋川誠実です。誠実(せいじつ)と書いてなるみと読みます。どうか名前だけでも覚えていってください! ……さて、今日皆さまに一番にお伝えしたいこと──それは、今の日本であなたは楽しく生きられていますか? ということです。えー……近頃、大きな事件もありました。前代未聞の世界的なテロがこの日本、いや、この街で起こってしまった。……しかし、いつまでも下を向いていてはいけない! 我々は前を向かねばならない。楽しまねばならない! 亡くなった者達の分もです! いかがでしょう? 皆さまは今が楽しいですか? この日本では様々な政策が今まで行われてきましたが……それが成功したか失敗したか。そんなことは重要ではない。もう一度、問います。あなたは今を楽しく生きていられてますか?」
──楽しく生きてるか。それがこの柵屋川の政策のメッツセージらしかった。
柵屋川誠実のタスキや選挙カーには『日本を楽しく。あなたも楽しく。柵屋川誠実』と書かれていた。
「俺ぁ楽しいのはぁ好きだがねぇ」
またも佐能は独り言を言いながら、柵屋川と辺りを警戒していた。煙草をふかしながらではあるがこれでも仕事中だという自覚はさすがにあった。
そこからは日本の出生率だとか高齢化社会に伴っての福祉だとか様々な話で庶民にゴマをするような流れで話していたが、ある時を境にまたも始めの楽しく生きられているかに話が戻ってきていた。途端、柵屋川誠実の語調が強まる。
「楽しく生きられていますか!? 無理をしていないですか!? 私は放っておけない! こんな日本を! 今の若者の死亡理由の自殺がどれだけの割合を占めているかここにいる皆様はご存知でしょうか!? なんと自殺が二十パーセント超えにまでなっています。事故などではないのです。自殺なのです。……驚異的な数字です。何故、この社会に、世界に絶望してしまうのか!? 私は──悲しい!!」
一瞬、駅前の広場が静寂に包まれたような気がした。誰も彼もがハッとしてその「悲しい」と言った人物に目をやった。
柵屋川はボロボロと大泣きしながら切に話していたのだ。
「私は、私などが、力になれるかは分からない……でも、もう誰も死なせたくない! 本当にこの間のようなテロを私は許さない! 許すわけにはいかない! だから私は声をあげた! 皆様が楽しく生きられるように! 毎日をわくわくと生きられるように! 柵屋川誠実! 柵屋川誠実をどうか!! お願いします! あなた達を助けたい!」
「……」
助けたい。こういう手法もありか。それにしてもなんとも印象に残ってしまう声だなと。佐能はその柵屋川の語りを聞いてそう思っていた。感情的で内容が希薄な演説はどうも声の方に強い印象が残ってしまう。心地良いまではいかなくとも語りに嫌な気がしない。これこそが才能なのだろうと。ただただ辺りの気配に気を遣いながら佐能はそう感じていた。
どうにもここ最近、妙だ。
佐能響。彼もそれは感じていた。宇佐木光矢とはまた違う感じだが、それでも異常という点では酷似していた。
佐能が感じているそれは──。
突如、柵屋川の声を遮るように若い女性の悲鳴がかぶさった。柵屋川も思わず演説を中断して声のした方向に目を向け、辺りにいる人々もその視線に釣られるようにしてそれに気がついた。
駅前の人だかりの只中、柵屋川からは十メートル程の対角線にその異様は現れていた。
これだ──佐能は目を見開いてそれを見た。
一人の黒いコートの男が鼻息荒く包丁を持った片手をまるで周囲に見せつけるように掲げていて、その隣では中年の女性が尻餅をついている。よく見ると左手にも刃が長い刺身包丁のようなものを持っていた。
「……!」
佐能が煙草を人差し指で弾いて捨てるのと辺りに恐慌の気配が満ちるのは同時だった。悲鳴や怒号が飛び交い一気に日常は色を変えた。男へと駆け寄ろうとする佐能──男の周囲から蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う人々の波に阻まれてなかなか前へと進めない。
「くそっ……どけやっ! てめえらぁっ……!」
そう言ったところで恐怖に駆られた人々の動きを抑制することは不可能だった。そんなことをしているうちにも包丁男はゆったりとした動作で両の手を広げて笑顔で柵屋川へと近づいていく。
やはり、狙いは柵屋川か。佐能は改めて自分が彼の護衛を頼まれた意味を理解した。
「おいっ!! どけやぁぁぁ!」
このままではと強行突破して佐能は向かいくる人波を弾き飛ばしながら進むが、すでに包丁男は柵屋川の目の前まで迫っていた。
「柵屋川ぁ! 逃げろぉ!!」
佐能の声が聴こえていないのか彼は無表情で向かいくる包丁男をつまらなさそうに見下ろしていた。ちなみに周りのウグイス嬢も付き人もとっくに逃げている。あろうことかあの四角顎の姿もない。
せめてお前は逃げろよと佐能は駆けながら柵屋川を睨んだ。
「────」
柵屋川誠実は笑みを零した。
「……っ」
その笑顔に足を止めたのは佐能だけではなく、包丁男も同じだった。
そして柵屋川の口から言葉が紡がれる。下ろされていたマイクはしっかりと口元に添えられていた。
「はじめまして。私に何か用かな?」
この男──佐能は柵屋川に対しての認識を改めた。どこから見てもその姿には余裕さしか感じ得なかったからだ。
「どうかしたのか。そんな包丁を両手に持って何事かね」
静かな口調だった。笑みを絶やさず包丁男に視線を注いで彼は言った。
「街中でそんなものを持っていては不審がられてしまうぞ。あなたは警察に職務質問をされて捕まってしまうかもしれない。今すぐにその包丁をしまい家に帰りなさい」
「……」
馬鹿かこいつは!佐能は足元に倒れた男を踏みつけながらもやっと二人の間近まで近づいた。柵屋川は尚も不敵に笑う。
「ふふ、その包丁は私を殺すために買ったのかい? はははっ」
「何がおかしい! 俺はお前を殺すぞ柵屋川ぁ!!」
柵屋川の笑いに怒りで返す男。止めていた足を動かしかけて──。
「ふむ。その、なんだ──」
またそこに柵屋川のついつい聴き入ってしまう声が届く。佐能は思う。この声でなければもうこの男は殺されているのではないかと。
「君は現状が楽しくない。だから私を殺そうというわけだ。違うかい?」
その言葉に男は包丁を狙いを定めるように柵屋川へと向けて叫んだ。
「楽しいわけなんかあるか! 日々日々っ……ただただっ……地獄だ!」
「そうかい。で、私を殺す理由は? 私はそんな君達のつまらない日常を変えようとしている存在だというのに」
マイク越しに男にそう語りかける柵屋川の声は優しささえ感じる声色だった。包丁を向けられても尚、笑顔は絶やさない。佐能はついに男の後ろ二メートル程にまで辿り着いた。ここならば男が柵屋川を殺そうと動けばいつでも確保できる射程距離だ。だからだろうか。もう少しこの二人の会話を聞こうなどとボディガードにあるまじきことを思ってしまっていた。
「ふふ。佐能止めないでくれると助かる。私はこの方ともう少し話したい」
だというのに、それを見た柵屋川本人からそんなことを言われてしまう始末だ。
「正気ですかいぃ……」
息を整えながら佐能は辺りを見渡した。人垣の合間で倒れてジタバタとしている四角顎がいる。全く役にたたねぇ奴だ。──それよりも。この状況だ。どうする。目の前の男を止めるか?
いや、俺はこの男。柵屋川がどうするかを見てみたいと思い始めている。佐能は息を呑んだ。
包丁男は唾を飛ばしながら捲し立てるように叫んだ。
「うるさいうるさいうるさい! 俺がつまらないのも人生がうまくいかないのもこの日本が悪いんだ! お前を殺せばニュースで俺が何に悩んでいてどれだけ不幸だったか世間に知らしめることができる! 俺は母も父もいない。仕事もしていない。友人もいない。金もない!! だから……死ねばいいんだよお前なんか!」
「私はまだ死ぬわけにはいかない!!」
あまりの声量でマイクがキィィンと音割れした。大音量だった。大声選手権なんてものがあったら間違いなく優勝しているだろうと佐能は思った。しかもそれがマイクで拡声されているのだ。そんな柵屋川の声に辺りは水を打ったように一瞬静まり返った。包丁男も顔を強張らせていたが、怪訝な顔でハッとしてから言葉を発した。
「……命乞いかっ。もう遅い!」
「違う!!君がどれだけ苦しんでいたのか!! 私は聞きたい!! だからまだ死ねないんだ!!」
「──……っ」
今度こそ包丁男は言葉を詰まらせた。そこに柵屋川は畳み掛けるように続けた。
「教えてくれ……! 君の悩みを聞きたい。君の苦しみを聞きたい! 私は君のような苦しむ若者を一人残らず救済したいんだ。日々に生きる喜びと楽しみを感じ、幸せだという実感を皆に与えたいんだ! どうすればいい!? わからないんだ!!」
「わからない……?」
包丁男は反芻した──わからない。この男はそう言った。
「だから、私と一緒に考えないか!? どうすれば『楽しい』かを!!」
「…………」
カランカランと両手の包丁が落ちる音がした。
「君の気持ちを私は解りたいんだ。君の友人になりたい。……名を教えてくれないか? ……ああ、すまない。こちらから名乗らねばな。私は柵屋川誠実だ。皆を楽しくさせたい。それだけを考えている男だ」
「友達?」
「友達だ。当たり前だろ? 同じ楽しさを探求する仲なのだから」
その言葉で男は膝を折った。もうそこに狂気の気配はなかった。佐能はゆっくり近づいて包丁を拾いあげた。なんとか立ち上がってやっとのこと柵屋川の目の前まで駆けてきた四角顎に佐能は包丁を手渡した。
「ほれ。片付けとけ」
「……っ。そんな場合か! その男をっ……」
「その必要はないよ上畑」
ウエハタというのが四角顎の名らしかった。柵屋川はゆっくり膝をついた男の前までいき肩に手を置いて言う。
「私と一緒に来なさい。今日のことは私が仕向けた自作自演の質の悪いデモンストレーションということにしようじゃないか。……マスコミが不謹慎だとか、まあ騒ぐだろう。どうでもいいさ。君が犯罪者で捕まるよりはね。なに、こんなことで私の票が下がることなどない。安心したまえ」
ひとたび悪評のレッテルやケチがついたら落ちるとこまで落ちてしまうこの現在の情報社会で、ここまで清々しく自信を持てるものだろうか。特に選挙戦はまさしく印象やイメージがものを言う。というかそれが全てである。だというのに柵屋川は目の前の男をそうまでして助けようとしていた。
「ああ……なんなんだよアンタ……なんでっ……ここまで……俺にしてくれる?」
男の目からは涙が溢れていた。それどころか柵屋川も号泣していた。
「馬鹿! 私たちは友達だと言っただろう……! 君の気持ちを私は理解したい! だからこれは当然のことだ!」
「────」
男の声はあとはもう言葉にならなかった。ただただ蹲って地面に向かって嗚咽混じりに喚くだけだった。数分後、柵屋川は男を立ち上がらせて選挙カーに乗せた。丁度警察のパトカーがサイレンを鳴らしながら近づいてきたが、それよりも早くに柵屋川達は車を発進させてしまっていた。
柵屋川は鼻歌を唄いながら携帯をいじっている。たった今まで通り魔に狙われていたとは思えない程に陽気だ。
「いいんですかい? 警察に説明しなくても?」
どこか楽しそうな佐能の言葉に柵屋川は頷き真顔で言う。
「何も事件などなかったのだから説明もなにもないさ」
「へっへへ……強気だねぇ」
柵屋川の家族には警察関係者のトップに近い人間がいる。こんなことなどどうとでもなってしまうのかもしれない。いや、しかしそうだとしてもこの今回の行動は柵屋川誠実にとっては大きなマイナスのはずだ。しかし──。
「それよりも、だ」
楽しそうな柵屋川はスマートフォンを操作しながら「はっはは、はははは!」と急に大いにウケた。何事かと皆が注目するとスマホの画面を皆に観せながら満面の笑みで彼は言った。
「いやーバズったね! ほらもうネットにこんなに! ははははははは」
佐能は目を細めて薄っすらと笑みを浮かべた。
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宇佐木光矢は徒歩通勤の最中、数台ものパトカーが駅方面へと向かっていくのを眠気の残った目でぼんやりと眺めていた。
「駅の方で何かあったんかね」
隣の存在を無視しながら呟いた独り言だったのだが、その無視された存在は物事を常にポジティブに考えるタイプだったためしっかりと返事をしていた。
「ほんとだね~。最近、物騒だから気をつけないとねー。でも光矢は私が守るから大丈夫だよ~」
「いいから擦り寄るな!」
宇佐木はまとわりつく金髪美女をハエでも払うようにシッシッと追い払った。
「っつーかお前最近くっつき過ぎな!」
「えー、ケチー」
不貞腐れてそう言ったアンジェリンは口を漫画みたいにぷーと膨らませた。このアクションは万国共通なのだろうかと宇佐木は思った。
そんなことよりもだ……。現在、宇佐木を悩ませていることがあった。道路に宇佐木が教鞭をとる学校の生徒達がちらほらと通校し始めていたことだ。朝から謎の金髪美女と歩いているところなど生徒に目撃されたら──なんとからかわれるだろう。考えるだけでも恐ろしい。ちなみに、いつもはアンジェリンだけではなく、あと二人ガラの悪いのと小さい子供風悪魔が着いてきているので特に何も思うことはなかったが、どうにもアンジェリンだけだと何故だか変に見られてしまうかもしれないことに宇佐木は先程気がついてしまった。
「……なあ。もうお前らさ、俺の護衛なんてしなくていいんじゃないか? フレネとブレッドもどっか行ってるならアンジェリンもたまには休めばいいんじゃ」
「駄目だよおぉ!」
かなり食い気味にしかも大声でいきなり否定されて宇佐木は思わずびくぅと体を引いた。そこに畳み掛けるようにビシッと人差し指を宇佐木に向けながらアンジェリンが捲し立てる。
「もうっ、光矢は今や私達の組織の超、超超超ぉぉ重要っ人物なんだよ! この間の事件の時だって光矢も狙われてたし敵の情報だってまだ何にも分かんないんだよ!? いいの光矢? 急に敵が現れて拉致監禁された挙句に色々されて変なポーズさせられて写真とか撮られてネットで拡散されるかもしれないんだよ!?」
「……それは……死ぬより怖ぇーな」
「でしょ!? 私はその拡散にイイネ!するよ!」
「するなよ!?」
宇佐木は思わず頭を抑えた。
彼女と話しているとたまに精神年齢が同程度まで下げられてしまう現象に陥る。宇佐木自身も精神が学生の時から全く成長しているつもりはないが、アンジェリンはそれよりも中身の年齢が下の印象だ。ぱっと見大人の女性にしか見えないし、外行きの顔は澄ましていて宇佐木が初めて会った時も知的な印象があったのだが……どうも素の彼女の中身は結構というかかなり子供っぽい。
──それに対して見た目子供の癖に中身が成熟したエゲツない奴もいるけどなあ。と宇佐木はぶかぶかの服を着た性悪少年フレネを思い出していた。もう一人のブレッドはただのヤンキーだ。
アンジェリン。それが彼女の本名なのかどうかさえ分からない。白のロングコートに白のセーターと細身のジーンズをお洒落に着こなしている。フランス人形のようなさらさらとした金髪は周囲の視線を釘付けにする程に目立っていた。白人の美しい女性──しかし年齢も出身も不詳。尋ねればもしかしたら教えてくれるのかもしれないが、宇佐木は『彼ら』にそのような個人としての情報を聞いたことはなかった。
『彼ら』アンジェリン、ブレッド、フレネはある組織の一員だという。なんでも人類の敵を秘密裏に排除するための組織であり、宇佐木の友人であるソーリス神父もその一員で役職だか階級だかは神父の方が三人よりは少し上だということは前の事件で知った。
そう。彼らに初めて出会ったのは、とある事件でのことだった。
すべての始まり──今や訳の分からない縁だが自分の生徒である役小角(えんのおずの)九川礼子が鬼を使い、石原秋子の寿命を伸ばすため多くの人を殺めてしまっていたのが数ヶ月前の事件だ。ソーリスは鬼を探し抹殺するためにこの日本に派遣される。そこで宇佐木と出会い、鬼の手がかりを掴むために二人は教師として潜伏していた。九川礼子の強大な力を前にソーリスは組織に増援を要請し、その助っ人として派遣されたのがアンジェリン達。なんやかんや色々あって九川も石原も無事に学校生活をおくっており、宇佐木もソーリスも教師という役目を続けていた。
そして第二の事件。ソーリス達の組織とついでに宇佐木を狙う謎の能力集団が現れた。
『ロスト・カラーズ』
世界の色を綺麗さっぱり同じ色にしてしまおう──そのメッセージとともに宇佐木達の顔写真を載せた地図を世界中にばら撒き、まるでゲームでもするかのように彼らの命を狙う。九川も仲間に加わり、ソーリス達は何度か敵を退けはしたが街と人命に多くの犠牲を与えてしまった。
ロスト・カラーズの起こした事件は世界的な規模で報道され、日本では数百人の犠牲者を出した前代未聞のテロとして歴史に刻まれた。メディアやネットでは様々な憶測や動画が流れて何ヶ月経った今でもワイドショーなどを騒がせている──がどこも真実は語ってはいないのだった。それほどまでにソーリス達の機関や政府が情報規制を敷いているのだろう。
敵の目的も宇佐木を狙う理由もまだ明確ではない。だから戦闘能力皆無の一般人たる宇佐木はこうしてアンジェリン達を護衛につけているのだった。
「……分かったよ……。って、言ってる間に腕を組むなよっ!」
しかしどうもここ最近のアンジェリンはおかしい。妙にベタベタと接してくる。いや、おかしいのはアンジェリンのみならず宇佐木光矢の周りで起こる全ての事象なのだが、それが夢で見た如く女性に顕著に現れるのだ。
わかりやすく言えば──どうも皆、宇佐木光矢にやたらとスキンシップを求めてくるのだ。
以前では有り得なかった距離感──いつからだろう? アンジェリンや九川、石原がこうも急に抱きついたり顔を近づけてくるようになったのは?
鈍感な宇佐木とてやたらと好意を向けられているのは察している。ただアンジェリンのそれはどうも小動物とかに向けるような愛情に見受けられるのでどうにも複雑な気分だ。
「もうー宇佐木なんでそんなに距離とるのよー。守れないじゃない~」
彼女はそう言いつつまたも擦り寄ってくる。どうやっても宇佐木は白いセーターのふくよかに盛り上がった胸に目がいってしまう自分を抑えつけられない。
くそう。なんだかやたらとくやしい──……。そう思う宇佐木ではあったがアンジェリンのスタイルの良さは健全な男子であればどうにかなってしまいそうなものであるので仕方がない。
「まったく朝っぱらからなにを発情しているのかしらね先生は」
「……っ。九川──」
氷の矢のように冷たい言葉。振り向くと、そこにはまるでゴミでも眺めるかのような冷徹な視線。彼女のその眼にドキドキしてしまう男子もいるらしいが宇佐木はそうではない。ただただ傷つくのだ。
九川礼子と石原秋子。
宇佐木の最も近しい二人の生徒だった。
毎日この辺で出くわしいるので、そろそろだとは思っていたが……宇佐木は二人になんとか作り笑顔を向けた。
「発情なんてしてねぇよ」
冷静を装い──心を読む九川には全く無意味ではあるのだが──宇佐木は不機嫌な口調で返して、彼女の隣にいる大人しそうな生徒に笑顔を向けた。
「おはよう石原。今日も九川と一緒に仲良く登校かよ」
「……おはよう先生。知っているでしょ。私と九川さんは仲良いから毎日一緒だよ。……ところで先生の隣の人は……いつも朝一緒の人……だよね。今日は二人なんだね……」
「……あ、ああっ。あとの二人がちょっと用事ができてなっ」
大人しそうな見た目だがいきなり鋭いことを聞いてきたのは九川礼子の溺愛する女生徒、石原秋子だった。九川によって半鬼化させられ寿命が数百年に伸びている以外は全く普通の女子だ。無意識に胸だけは普通サイズではないと心の中で続けてしまった宇佐木は頭をぶんぶんと振って邪念を消そうと努めた。
いつから俺はこんなことばかり考えるようになった?本当にどうかしている。
対して九川は眠気も飛ばし尽くすような美貌に、威圧感とも呼べるオーラのような何かを纏っている超人だ。それもそのはずで彼女は古の最強の術者、役小角(えんのおずの)の記憶がその精神に目覚めてしまっている。現在進行形で地上最強の存在であった。
二人は宇佐木の大切な生徒で、ほとんど二つの事件の関係者ではあるが、石原秋子にはアンジェリン達の存在は伝えていない──というよりも九川がそれを許さなかった。石原秋子、彼女は九川によって過保護なまでに守られている。故に事件のことはなにも知らされていないのだ。彼女にはずっと今まで通りの『普通』でいてほしい。それが九川の願いでもあった。──というわけなので石原秋子が朝っぱらから宇佐木にベタベタとひっついて一緒に登校するアンジェリンを見て訝しく思わないわけがない。なにせ石原秋子はこんな妙な事態になる前から宇佐木に好意に近いものを抱いているからだ。
「宇佐木先生……その人とはどういう関係なんですか?」
「え? いや、いつも朝にい、いるだろ? 一緒に……そ、そのなんだ……」
「どうしてそんなに『近い』んですか?」
石原は大人しそうに見えるが実は意思の強さと固さは筋金入りだと、そう認識している宇佐木は、この問いからは逃れられないと確信した。
組織の用意したアンジェリン達の肩書きというか設定は確か……外国人留学生で校内を自由に見学していい存在だという。一体何ヶ月見学して自由にしているというのか。
……設定がガバガバ過ぎだ!
今更ながら宇佐木はソーリスの組織に文句を言いたくなった。
「光矢とは仲良しだよ~えへへへ」
空気を読まずにそんなことを言いながら宇佐木を後ろから抱きしめるアンジェリンに、石原の目が怒りでカッと見開いた。
「先生に聞いてるんです!!」
「ひぃっ……」
あれ──俺こんな情けない声をあげるキャラだったろうか。ギラギラした瞳で不敵に笑うスカヴェンジャーなどと言われていた殺人犯であった宇佐木はどこへいったのだろうと彼は麻痺しかけた頭で思っていた。宇佐木はまたもなんとか脳内をソーリスの気持ちの悪い想像でリフレッシュさせて石原の問いに答えた。
「石原。この人は俺の護衛なんだ」
とにかく真実を言おうと宇佐木は思った。
「……護衛?」
さらにアンジェリンを不審げに下から上まで観察する石原秋子。ひょっとすると石原は怒らせるとかなり怖いタイプではないだろうか。普段は大人しいが実は意思の強い人間。そういう者が稀に見せる怒り──もしかしたらこの恐ろしさは九川に匹敵するかもしれない。宇佐木は身震いした。
「ふふふっ」
九川が宇佐木の思考を読んでか薄く笑った。
「護衛ってなんですか? どうしてこんな美人な人に宇佐木先生が守ってもらわなきゃいけないんですか?」
──……もっともな問いである。美人な人というところが凄く力がこもっていてなんだがとても怖い。
「話せば長くなるが」
と言いながら九川に助け舟の目線をおくるが彼女はただただ意地の悪い笑みでニヤニヤとしていた。
石原には嘘をつきたくない。彼女を危険には巻き込みたくはない。だが、嘘をつきたくはないのも本音だ。
「……俺は、その、ちょっと今狙われてる。この人はこんな感じだけど……とても強いんだ。よくわかんない組織のなんか凄いのなんだよ石原」
もはや自分でもう何を言っているのか宇佐木は分からなかった。
「……先生が狙われてるって……絵の関係ですか?」
「絵……? え……?」
「だって先生の書く絵って凄いから狙っている悪い人達が!」
「……ま、まあそんな感じだよ。俺の力を狙ってるんだよ」
よく分からんが──そういうことにしよう。力を狙っているというのは……嘘は言っていない。
「そう……なんですか。でも確かにスパイとかって美人の人多いし……」
「それは映画の中だけの話ですよアキちゃん」
「そ、そうなの!? じゃあこれはたまたまなんだね九川さん!?」
「ふふふ、どうかしら? そもそもアキちゃんは今の宇佐木先生の話を信じたのかしら? この人が宇佐木先生の恋人かもしれないのを隠しているかもしれないのに?」
「こぉ……恋人……」
言いながらかなりのショックを受けてビシっと固まってしまった石原秋子。宇佐木はすぐさま訂正する。
「ち、違うからな!! 石原! こいつはただの護衛だから!!」
「ええーひどい光矢ー! 今日も一緒に寝てたのにー」
「ね、寝てた……?」
さらにズガガガーンと石になる石原秋子。
「ち、ちがあああああああああああああう!!!」
宇佐木光矢の絶叫がこだまし、ただただ全てを知る九川礼子は楽しそうに笑って言う。
「ああ、これだから現世はやめられませんわ」
校内では朝のチャイムが鳴り響き、生徒達が教室に集い朝のホームルーム開始まで五分手前という少しの時間。宇佐木は同僚であるソーリスと共に職員室から出てきたところだった。今の今まで行われていた職員室での朝礼の内容はもはや宇佐木の頭の片隅にも残ってはいない。なにせそれどころではない。隣にいる司祭服を纏った友人が部屋を出た途端に堪えきれず吹き出した。
「ははは! すみませんすみませんっ……。あはは、宇佐木あなたは朝から笑わせてくれますね。くくく……」
すみませんというのは別の教師に謝っているもので神父のくせに拝み手なんてしている。そんなソーリス神父は余程ツボに入ったのか綺麗な青い瞳は少し涙目になっていた。それに対し宇佐木はノイローゼ気味に返す。
「まったく朝からひどい目にあったぜ……」
勿論、登校時の九川達との出来事だ。
「あっはははは! それは災難でしたね宇佐木。あははははは!」
宇佐木の登校時のショートストーリーを朝礼中に聞くや否や爆笑が止まらないソーリス。周りの教師の目も気にせずにいるものだから宇佐木の方が慌ててしまった。そんな薄情な友人にはもう慣れっこになっていた宇佐木は溜息をつき愚痴りながら美術室へと歩いていた。ソーリスも途中までは一緒だった。
「笑い事じゃねぇよ。一体どうなってんだよ? ……なあ、前から言っている『異常』なんだけど……本当にお前は心当たりねぇのかよソーリス」
宇佐木はここ最近の違和感についてはソーリスにすでに何度か相談はしていた。
説明が難しいがどうも妙な雰囲気を感じること。
周りの人間──特に女性達の行動がおかしいこと。
「うーん……前にも言いましたが私には特に……。ただ……」
「ただ……?」
そこでソーリスは神妙な顔をして顎に手をやり、少しの間を置いて言う。
「確かに宇佐木が私よりモテるのはおかしいですね」
「そこかよっ」
「ええ勿論です。宇佐木は確かに魅力的ですが、あなたはほんの一部に熱烈なファンができるタイプです。本来なら多くの女性にモテるのは私のような美貌の大人ですからね。ああ、勿論宇佐木の絵のファンは除いての話です」
「美貌の大人ねぇ。……けっ」
ソーリスは自分でそう言っても嘘にはならない程に美しい。校舎の窓ガラスから差し込む太陽の光を受けて場違いで非現実的な煌めきを放つ金髪。その側頭部にいくつか光る白いもの──白髪は通常であれば老けの証明に他ならないのだが、この男はその白髪さえも綺麗なものに見せてしまう。凛とした真っすぐな眉の真下には人形のような蒼玉の瞳。日本人とはかけ離れた小顔に華奢な体に高身長──これだけ揃っていてさらには男なのに美しいという言葉が似合うのだ。宇佐木は自分とソーリスを比べてしまうといつもどこかふて腐れた気分になった。宇佐木も髪は金だが染めたものなので頭頂部はもう黒くなってきていてどこか汚らしい。
「あはは、拗ねない拗ねない。宇佐木だって可愛いですよ」
「うるせーよ。そのうち老けてジジイになったら、昔はカッコ良かったのになって言ってやるよ」
「いやいや、こう見えても気をつけてるので老けるのもあなたが先ですよ宇佐木」
「くー! ムカつく。っつーかお前本当の歳いくつなんだよ」
だいたいは口では勝てない宇佐木がソーリスにいじられっぱなしで会話が進行していく。宇佐木はツッコミもしくは否定ばかりで周りから見たら喧嘩しているように見えることもあるが、これが彼らの通常のコミュニケーションなのだ。
「あなたよりは十いくつは上ですよ。三十……あれ? いくつでしたかね? あはは今度本部に確認してみますよ」
「いっつもその逃げ方じゃねぇかよ……ってあー、もうここかよ。んじゃ、また夜にさっきの話の続き聞いてくれよ」
「ええ。ですがそんなに心配することではないと思いますよ宇佐木」
「へいへい……」
校舎一階の隅に位置する両開きの扉は大きく開け放たれていて、そこからグラウンドが見えていた。宇佐木はここから外に出て渡り廊下を歩いて美術室に行き、ソーリスは扉手前の階段で二階へと上がっていく。実のところソーリスにとっては遠回りだったのだが毎朝、職員室からここまで宇佐木と話したいがために同行していた。
「ええ、じゃあ久しぶりに飲みながらでも聞きますよ。私はあなたの心配事の話よりも女性関係の方が気になりますがね」
ソーリスはかなりの酒好きで毎日飲まないと生きていけない人種だった。
「女性関係とか言うな……。あと二日前にも飲みに行ったから久しぶりじゃない! はぁ……。じゃあまた後でな」
「はっはっは。ええ、また後で」
どこかくたびれた宇佐木の背中を笑いながら見送った神父は少し考えていた。
──異常か。
思い起こされるのは前回の事件。多くの犠牲者をだしてしまい全世界に大々的に報道され、ソーリスのいる組織は各国からの非難も浴びることとなり大きな痛手を与えられた忌まわしき奴らとの初戦。
ロスト・カラーズ。奴らは今までの人類の敵とは違う──そう組織は考えていた。
組織的に計画性をもって動いていること。
それぞれ一人一人が異なった謎の能力を秘めていること。
大きく挙げるとすればこの二つだろう。
ただその末端部分は単に駒として使われているだけで捕えたとしても敵の本体へとたどり着くことはできない。現に妙な能力を保持した者をソーリス達は三人招き入れているが、彼らからは敵の正体は毛程も掴めはしなかった。
一塚春(いちづかはる)、佐能響(さのうひびき)、貝崎(かいざき)この三人を招き入れたのは鳥羽満月という探偵でソーリスの組織の上層部の人間とは既知の仲であるという。
ともかく前回の事件では街からは多くの死傷者をだしたし、この学校から少し離れた場所にもまだまだ整地が追いついておらず瓦礫が積み上がっているところもある程だ。
だからだろうかソーリスは異常といえばまず前回の事件が脳裏に浮かんだ。それは彼だけではなくこの日本に住んでいるものならば全員が一様に同じ考えだろう。
「皆さん。おはようございます」
ソーリスは開け放たれていた教室の入り口に入るなり、まるで太陽がバーゲンセールでも始めたかのような笑顔でにこやかに挨拶した。中にはきちんと着席した高校一年の生徒達がソーリスに視線を向けていた。クラスのよっては先生が入ってきても着席していないような生徒もいるにはいるがソーリスの授業では大半がきっちりとしていた。なぜならソーリスは怒る時は怒る。社会的な模範になろうとしてではなく、単に子供に舐められるのはソーリスは好きではなかった。その怒り方はとても理性的できっちりと相手の目を見てじっくりとかなりしつこく会話するというものでしかなかったのだが、怒られた生徒は二度とふざけた態度ができなくなる程であった。
「今日も皆さんきちんと着席できて偉いですね」
まるで飼い犬がお座りできたことを褒めるような口調に一度怒られたことのある生徒は鼓動をつい早めてしまう。
「では──今日もまず黙祷から」
ソーリスはクラスの真ん中あたりにポッカリと空いた空席を見てから目を瞑った。
──あの日、休日ではなかったので大半の生徒は登校していたが、冬で風邪なども流行っている時期なので勿論休みの生徒もいた。その中で運悪く事件に巻き込まれてしまった者がいたのだ。この学校だけでも六人もの生徒が犠牲となった。クラスの空席もその中の一人で、いつもならば風邪などで休むことはない程に元気な男の子だった。たまたま、あの日、彼は熱をだして──。
願わくば眠るように逝けていればいいのですが。そしてその魂よ安らかに。ソーリスは黙祷の時にいつもそう願わずにはいられなかった。
朝の一分間の黙祷。クラスのどこからかすすり泣きが未だに聴こえてくる。
「皆さんの声がきっと届いたでしょう。では、授業を始めましょう」
宇佐木光矢はただただ筆をキャンバスに向かって走らせる。赤色の上に青を滲ませ左右からベタベタと適当に塗っているだけに見えるがそのグラデーションにどこか立体感が生まれてくる。
今日の一時間目は授業の割り当てがなかった。美術室で次の授業の用意をする時間だったが宇佐木はそんなものはそっちのけで、今は何故だか無性に絵が描きたかった。
ただ、思うがままに、いや何も考えずにか──。
こうして絵を描いていると思い出す。
あの日、俺はあの青年の本当の色を取り戻してやった。前回の事件の首謀者……いや、違う彼は犠牲者だ。彼は無色の気味の悪いのっぺりとした鎧で覆われていた。宇佐木の手はそれを消すことができた。丁度この筆を動かして色を塗っていくのと同じように。そうして現れた彼の真の色を見て宇佐木は理解した。この青年は悪い人間ではない、と。だから、あれから無性に宇佐木はやるせ無かった。多くの人が犠牲となったあの日のこと、一体誰を恨めばいいのか分からない。
ロスト・カラーズ。そんな奴ら本当にいるっていうのかよ。
考えたところで何も分りはしない。
だが前回の事件で宇佐木は知った。
今までは人や物に纏わりつく色が見えているだけだったというのに、自分は色にも干渉できると。人差し指と中指の二本でこう撫であげるようにすれば色を断ち切ることも消すこともできたのだ。これが一体何を意味するというのか。
「…………」
ただ今は何も考えずに絵を描いていたかった。ここ最近の妙な出来事も、この間の事件ももう何もかも頭の中から追い出してやりたかった。
────その時。
またこの感じだ。絵に集中して無視する。無視したい。しかし、できない。
ざわつく。内側からなにか。燃やされる。
「……っ」
堪らず宇佐木は筆を止めた。深呼吸してゆっくり目を閉じてから、嫌な倦怠感を感じて息を吐くと同時に顔を上げた。目を開ける。そこには自分の絵。やたらめったらと描く感情の渦。そう今回のタイトルは『感情』だった。自分の中のものをごっそりここに描き溜めようとしている。
宇佐木の目はその絵に宿る真の『色』を見た。
「……っ!」
宇佐木は堪らず目を背けた。その色が写すものそれは。
穢れた魂では絵は描けない。
***********************
「うぅー、さぁぶいさぶい。今年の冬は長くていけねぇ」
「あらぁ、冬の長さは変わらないわよ佐能」
「げげのげぇっ」
ネオン輝く街の中。夜の帳も落ちきり仕事帰りのサラリーマンなどもいなくなり始めた頃。この辺りではもう酔っ払いや夜を生業としている人間しかいなくなっていた。
そんな中で佐能はまるで電撃であびたかのようにオカマボイスに恐れおののいていた。目の前に現れた存在の衝撃はなかなかに何度見ても慣れるものではない。
急に出てくると心臓に悪いなぁこいつは……。
現在の上司になんとも不敬なことを思ってしまう佐能であった。
「リアクション古っ。ってこんなこと言ってくれるのも同年代のアタシくらいよぉ。しかも……独り言って、アンタ。なんかだいぶオッサンらしくなったわねー。っていうかその上のコートもブランドものだけどダサくない?」
「うるせぇよ千条ぉ。なんだよてっきり先にやってるかと思ったぜぇ」
「あらぁ、一日中仕事してきた仲間を置いて先に始めたりなんてしないわよぅ。しかも今日はあんたの歓迎会も兼ねてなんだし」
「歓迎会だとかぁ、そんなんはぁどうにも遠慮したいんだぁがな」
佐能響の今や上司となった、いや、なってしまったというべきか。目の前の男、千条光(せんじょうひかる)。いや男ではない。
麗しのオカマは逆立てた白に近い真っ金金の頭でマスカラをつけたまつ毛はなんだかロールしており、口紅はかなりキツイ紫色をしていた。そしてやけにファーだらけの印象の真っ黒なコートと真白なふわふわモコモコのマフラーと蛇柄の白いテカテカパンツにワニ皮の革靴を履いていた。全身濃いだけのもので彩られているようにしか思えなかった。
「てめぇは相手の目を潰そうと、それか、なんだ……その印象で焼き殺そうとでもしてんのかぁ?」
「はいぃ? どういう意味よ。わけわかんない。早く上に行きましょうよ寒いわぁ」
ブルブルと寒そうな仕草をして千条光は雑居ビルの上に目をやった。
「そうだなぁ。なんだぁ待ってたのか。てめぇらしくもねぇ」
「そんな健気じゃないわよぅ。あんたが歩いてくるのが窓から見えたから出てきただけよ」
「へっ。新しい親分は優しいこって」
「もう、堅気なんだから親分じゃないわよ佐能」
なんてことをエレベーターの中で話しているうちにすぐにピンと音がして扉が開いた。
蒼い光に彩られた店内。エレベーター直結で店が展開していて、数歩先にはすぐにカウンターと奥にオマケのように一つだけ丸テーブルが置いてあった。
「なんだぁ洒落たバーだな」
思わず口をついた佐能に千条が「でしょう」と嬉しそうに返す。
奥には二人の人間がいた。まずはバーテンダー。オールバックの髪に顔は整ってはいるが目の細さが際立った男だった。
そしてもう一人は──。
「鳥羽満月(とばみつき)の兄さんか。こんばんはご機嫌はいかがですかい」
佐能がそういうと思わず飲んだコーヒーを吹き出しそうになる鳥羽満月。栗色の髪の毛にグレーのコートの若い男──という印象。爽やかさと裏腹にその瞳はすべてを見てきたかのように深い。前回の事件ではソーリス達の力になり九川とソーリスの命を助けた恩人でもある。
「ごほっ……兄さんはやめてくれ佐能……」
「命の恩人にでかい態度はぁとれねぇ」
妙に義理堅い佐能は鳥羽に頭を下げて隣へと移動した。
しかし鳥羽が座れと言うまで座らなかった。そんな佐能を見て鳥羽満月は言いにくそうに口を開く。
「あのな……佐能一つ言いたいんだが……」
瀕死の佐能を助けたのは鳥羽満月ではない。彼の『青き光』は古より伝わる力でオーラとも呼ばれ、その拳はとんでもない力を発揮したり、その光で対象を癒したりできる。だがその時の佐能は鳥羽満月の青き光のヒーリングでは間に合わなかった。佐能の傷を癒したのは九川礼子だった。彼女でなければあそこまで絶命寸前の彼を助けることはできなかっただろう。佐能は深い刀傷が首から腹の下まである状態で、二十数キロある重たい機関銃を二キロ程運んで血液が半分以上無くなっており、もはや根性だけで立っている状態と言っても過言ではなかった。
「お前の傷を癒したのは俺じゃなくて前に言った九川って子でさ……」
「でも運んで面倒を見てくれたのは満月さんじゃありやせんか」
「……い、いやそうなんだけどさ」
パンッと小気味のいい音が響き皆がそちらへと目を向ける。手を鳴らしたのは千条光。万面の笑みで彼は──彼女は言う。
「まあまあ、それぞれ言いたいことはあるでしょうけどっ! とりあえず始めましょうか。佐能と一塚ちゃんの歓迎祝いを」
「一塚ぁ?」
佐能が辺りを見渡した。鳥羽満月の隣には赤い着物を着た少女。よく鳥羽満月の家にいた少女だ。佐能は興味がないのか特に気にもしていない。他にはあとばバーテンダーと千条光しかいない。
「おい、まさかこのバーテンかぁ? 一塚ってのは」
佐能が胡散臭そうにそう言うとバーテンダーはグラスを洗う手を止めて頭を軽く下げた。
「どうも一塚春です。……本日はご来店ありがとうございます。カクテルでもなんでも言ってください。……あ、あとコーヒーも最近始めました」
「……なんだぁ、こいつは?」
指差しながら千条光に尋ねる佐能。千条光も佐能の隣に座るとすぐに「マティーニ」とオーダーを入れてから佐能に言葉を返す。
「一塚ちゃんよー。あんたと同じで今回の例の奴らに能力を貰った子よ。……結構強力な能力だから舐めてたらやばいわよー佐能。でもいい子だから安心していいわよ」
「なんでぇ。俺と同じ境遇かよ。……どういう能力なんだよ兄ちゃん? えぇ?」
試すように佐能は言った。一塚はそれに営業スマイルで返した。
「つまらない能力です。……満月さんや皆さんと比べたらね。佐能さんでしたか。お好きなお酒は?」
「焼酎だ。芋だ」
「かしこまりました」
「あるんかいぃ」
嬉しいのとげんなり半分の声を出す佐能。
「無論です」
さも当たり前のように返したバーテンダーはこの店にはどこか似つかわしくない芋焼酎を足元から出してきてグラスへと注ぐ。
「場所柄、必要がありましてね」
様々な店が軒を連ねる夜の街での営業なので、お洒落なバーを気取ってはいるが、一応日本酒から何から何まで置いてはあった。まさかコーヒーまで置くことになるとは思いもしなかったがと一塚は思った。
「ロックで?」
鼻で笑って佐能は言う。
「ストレートじゃいボケ」
「ほうら、いい子でしょう?」
ニマニマと言う千条に佐能は目を細めて鳥羽と一塚を交互に見てから言う。
「……まあ俺が一番この中では後なんでね。文句は言わんですよ」
「うわー、そういうとこ凄いヤクザっぽいわ佐能ちゃん」
「ちゃん言うな殺すぞ」
「うわん、アタシにだけなんかキツくない?」
「お前とは十数年の仲やろが」
グラスに注がれた焼酎を眺めて、佐能は言う。
「──で乾杯は? 一番年配の千条がやるか?」
「いえいえ、一番の年長にやってもらいましょう。お願いね琴葉ちゃん」
は?と思った佐能は皆の視線が集まる鳥羽満月の隣に目をやった。そこには無言で座る赤い着物の少女が飲めない(物理的に)ミルクの入ったグラスを前に座っていた。一塚の手がガチガチと大きく震えだし、持っていたカップをテーブルに置こうとして震えからかなかなか置けずにいる。
「……いい加減慣れろよ一塚……」
言う鳥羽に一塚は申し訳なさそうに言う。
「頭では分かってるんですが……どうにもまだ……すいません」
パリンと置き損ねたグラスが一塚の足元で割れる音が響いた。
「すみません……。気にせずにどうぞ。……こ、こ、こ、こ、こおおお、こと、琴葉はははは、さんっ」
「無理しないでねー。一塚ちゃんー」
千条光がやれやれと落ちたグラスを一緒に片付けてやっている。
「やれやれじゃな」
溜息を吐きながら琴葉と呼ばれた少女は「うんしょ」などと言いながらバーの不安定な椅子の上に立って手を掲げた。まるでグラスを掲げているような仕草ではあるがその手にグラスはない。すぅーと息を吸い(動作だけではあるが)少女は続ける。
「今日はうちの満月のために皆集まってくれて有難う! 新参者の二人はよぉく聞いておけ。この満月という男は聖人であるようなふりは見せてはおるがその実とんでもない男じゃ。やることに容赦がないのじゃ。ロリコンじゃし。わしなんて今日は映画を見せてやるなどと言われたのに連れてこられたのはこんなところじゃぞ!」
「いや……それは……すまん手違いで……」
モゴモゴ言う鳥羽満月に佐能は歓喜の声をあげる。
「おおっ、やっぱ兄さんはえげつないのぉ! え? ロリコン?」
佐能は聞き慣れない単語に首を傾げる。
「ロリコンではない! いいから乾杯言えよ琴葉」
断固として否定し鳥羽満月はコーヒーカップを掲げた。琴葉はそれに下劣なものを見る視線を向ける。
「コーヒーでなにが乾杯じゃ。おぬしも酒を飲むがいい。……なんじゃ? 前のように一塚の前で骨抜きになるのが怖いのか?」
「……いいだろう。酒くらい飲める。一塚キツイのよこせ」
「かしこまりました。では満月さんにも佐能さんと同じ焼酎をストレートで」
とくとくと注がれてそれを手に取る満月は琴葉は見てニヤリと笑みを作る。
「俺が操られてなきゃどれだけ普通に飲めるかを見てろよ琴葉」
「おうおう酒の飲み方もろくに知らんくせによう言うたの満月。おぬしは家で寂しく一人でコーヒー飲んでるほうが似合っておるぞ根暗め」
「……乾杯言えよ。後悔させてやる琴葉」
「ふふふ、酔ったおぬしに色々されるのかの? 確かにおぬしならわしに触れるからの」
「するか! 早く言え!」
「わかった。わかった。……全くせっかちじゃのう」
ふぅーと溜息いを吐いて琴葉は手を再度掲げた。そして辺りを見渡した。
「ここに集う者どもよく聞け。我らが鳥羽満月は新たな仲間を二人手に入れた」
「え……?」
なにこれ、と思う一塚と佐能を余所に琴葉の語りは続く。
「光は実に良い智将じゃ! 彼女の言うことをよく聞き働くのじゃぞ二人とも! さあ宴じゃ! かんぱーい!」
「かんぱーい!」
一応全員でそう応える。
琴葉はなにも持っていないエアグラスを千条の手にインさせてすり抜けてしまいそれを見た一塚はまた「ひぃぃ」と情けない高い声を上げた。幽霊嫌いなのだから仕方がない。
「一塚はほんに臆病じゃのぉ。くくく……いじめたくなるのぉ」
「やめたれ……」
加虐心溢れる琴葉の笑みに思わず満月はジト目でツッコミをいれた。
「まあ、よくわからんがぁとにかく飲むか」
佐能はグビグビととりあえず飲み、千条もマイペースだった。
一塚も「では私も失礼して」と自分で酒を入れて何かしら飲む始末だ。おそらく琴葉を目の前にしてもう飲まねば平静を保てないのだ。今日は貸し切りだというので別に構いはしないのだろう。
「にしても……満月私思うんだけど」
徐に千条光が言う。
「なんだよ光」
「前回のことといい、これからのことなんだけどぉ、あの神父の連中とリーゼさん達ともう少し連携とっといた方がいいとおもうわけよ。たぶんこれからもヤバイと思うわアタシは」
「うわ……飲みの席で仕事の話とか嫌な上司だなーおい」
「仕事なんて遊びのつもりでやってるくせによく言うわね満月」
もう鳥羽満月と千条光は長い。何度も共に死線をくぐり抜けてきている。お互い長所と短所ががっちりとでこぼこに噛み合う二人だからこそ、ここまでやってこられた。そういう意味ではスペシャルなベストパートナーだった。そこに趣味や思想は一切、含まれない。
グラスの酒を飲み干し言った光に鳥羽満月は鼻で笑い「まあ、それもそうか」などと悪びれもなく言ってから続ける。
「なら光の方で彼らに連絡とっといてくれよ。なんなら上層部の連中の方がいいかもしれないぜ。リーゼさんとか」
満月の言ったリーゼとはソーリスの組織のトップに近い人物のことだった。
その満月の言葉には少し気まずそうに光はポリポリと頬を掻いた。
「うーん、そうなるとアタシ達は全面的に協会に協力するってことでいいわけ? 満月? その辺、うまくやっておかないと駒みたいに使われた挙句、人類最優先で切り捨てられることもあるかもよーん」
「……まあ、そういう組織だからなぁ」
人類を守ること。それを最も優先する組織。逆に言うとその他のことはどうなろうが厭わないということに他ならない。満月達も何度か彼らのそういう場面には出くわしている。この間の九川を殺そうとしていたシーンが脳裏にちらついた。
「アタシは現状口約束だけでソーリス神父や例の三人組との協力体制に留めておいた方がいいと思うわ」
「判断は光に任せるよ。俺はそういうの向いてない」
「もう、相変わらずコミュ障ねー。あ、そうそう九川さんって例の子も前もって声かけてたほうがいいわね」
「あいつは……大丈夫だろ」
──なにせ千里眼持ちだ。何かあれば必ず俺らの危機には来てくれる。
鳥羽満月は彼女を、九川礼子を信じていた。
満月はくいっと焼酎のグラスをあおった。喉に焼けるような刺激が刺さる。なかなかにキツイなぁと感じてから、そういえば焼酎は初めてだと気がついた。
「満月さん焼酎はあまり?」
酒を飲んだ後の表情を見てか一塚がそんなことを言い、満月はグラスを置いて言葉を返した。
「あ、いや……どうだろう。前、お前に飲まされたのよりは全然キツくないんだけどな……慣れがいるのか? まだよく分からないな」
「焼酎は確かに飲み慣れはあるかもしれませんね。満月さんはもう少し色んなお酒を飲まれた方がいいかもしれませんね。……これなどはどうでしょうか?」
「いやいやっ、また前みたいにたくさん飲ませる気か!? 今日は少しだけだぞっ」
「なんじゃ満月。もう怖気づいたのかのぉ。……この佐能とかいうのはもう焼酎をグラスで四杯めじゃぞ」
気がつけば佐能の空になったグラスにすぐに一塚がなみなみとついでいた。佐能はいつの間にか上機嫌だった。
「おっとと、またなみなみ入れてくれるたぁ。へっへへー、にいちゃん、てめえ、へっへへー」
もう、まあまあ出来上がっていた。
「佐能さんはお酒の飲み方を知ってますね。まさに酔うために飲んでいる」
「へっへへー。当たり前だろうぉがぁ。酒はぁ酔うぅぅために飲むぅぅ」
やはり、一塚の酒を飲ませる能力というか、力は技を使っていなくともそれなりに発揮されてしまっているのか。ただ単に佐能が普段からこうなのか。そんなどうでもいいことを思いながら満月はため息をつき、諦めて次の酒を口に含んだ。先程よりも透き通ったという表現がしっくりくる飲みごたえで飲みやすく感じた。ただ顔に出してしまうとまた一塚が何かしら言ってきそうなのでポーカーフェイスを決めた。そんな満月の様子に光がくすりと笑う。
「まあたまにはいいじゃないの満月。こうして仲間内でワイワイやるのは久しぶりじゃない。姫子ちゃんと千夏ちゃんが海外に行って寂しいでしょう?」
「……寂しかねぇよ」
「嘘をつくでないぞ満月。よく遊びに来ていた女子高生二人が急に来なくなって寂しがらぬ男はいないっ──と、この間、光が言っておったぞ」
着物の少女琴葉がニヤニヤとしながらわざとらしく、女子高生、を強調して言った。
「……女子高生……」
ポツリとどこか不審そうに言う一塚。
「あー、一塚も佐能もこの琴葉の言うことはあまり間に受けないようにな。それに姫子と千夏はもう大学生だっ。……光、琴葉に余計なこと言うなよ」
「なによぉ。最近、あんた暗いし本当に仕事人間になっちゃったからアタシも心配してるのよー」
「余計な心配だからなそれ」
それに仕事人間になって何が悪いのか。
鳥羽満月。裏の世界で『なんでも屋』と呼ばれ、一般人達の知り及ぶところにはないような事件などを請け負い解決に導いている。ソーリス達の組織との繋がりもある。光がここ最近、「なんでも屋」って響きよりもとりあえず表向きは普通の会社っぽくカモフラージュしましょなんて言いだして、なんでも屋から『探偵』と言った肩書きに変えてしまった。それから実際、鳥羽満月への依頼は増えに増えたのだからその判断は正解であったのだ。とんでもないオカマの千条光に対して満月が頭が上がらないのもこの手腕があるからだった。
酒はどこか豊潤な香りがした。日本酒か?にしては甘ったるいような感じがした。
「日本酒で生酒と呼ばれる部類のやつです。白ワインのような飲みやすさと濃厚な味わいが特徴です。もともとは火を通す前の」
「解説ありがとう」
満月は一塚の説明が長くなりそうだったので強制的に感謝して口をつけた。
これは美味い──が顔に出すとまた一塚が何かしら言ってきそうだったので、満月はさらにポーカーフェイスを決めこみ話題を酒から変えることにした。
「そういえば佐能。例の選挙の護衛はどうだったんだ? 光はもう報告聞いたのか?」
佐能響が受けた柵屋川誠実からの依頼。
「ええ、夕方に電話では聞いたわよ。……アタシもそのことで佐能から率直な感想を聞きたいんだけど?」
「あぁ? 感想ぅ?」
「朝の事件のことよ。ニュースにまでなってたのよ。勿論、満月は」
「知らん」
「よねー! あんたテレビくらい見なさいよ! っていうかスマホのニュースくらいは見なさいよ」
「へいへい……」
ポケットのスマホは常にサイレントか電源オフだ。いちいち人からの連絡で自身の思考を断絶させられることが彼はどこか気に入らなかった。面倒臭そうに返事を返した満月はキーっとなっている光の追及を逃れるべく佐能に問う。
「で、どうだったんだ佐能」
佐能は口元にまで持っていこうとしていたグラスを手もとに戻して「うーん」と言いながら顎を撫でた。胸ポケットから煙草を取り出そうとして、周りの人間がそういえば吸ってないなとほろ酔いながらも思い至り、また仕舞い込んでから言う。
「そもそもぉ、なんですがね。奴を……柵屋川は何故、護衛を依頼してきたんで? その辺を新参者の俺ぁ知らされてないもんなんでね。正直、今朝の事件は出来過ぎですわ。……本当に奴のデモンストレーションなんじゃないかと思ったくらいだぜ?」
千条光は首を振った。
「それはないでしょう。柵屋川にとっては今朝の駅前の事件はマイナスでしかないはずよ。この大切な選挙戦では大きな痛手よ」
「だがぁなー、しかも奴ぁその自分を殺そうとした男を匿ってる。明日からは選挙カーで一緒に周らなきゃいけねぇんですぜ俺は。柵屋川だけじゃなくてその男にまで気をまわさなくちゃならねぇ。今回の依頼はそもそも柵屋川の事務所から? 奴らはなんで依頼を?」
千条光は「まあ隠していたわけじゃないんだけどね」と前置きしてから続ける。
「柵屋川には毎日、殺人予告の電話や手紙が届いているのよ。一度、爆発物なんかも届いたようよ」
「爆発物だぁ!?」
佐能が素っ頓狂な声をあげてから手元の焼酎を一気にあおってグラスを強めに置いて言う。
「じゃあっ、俺ぁそんな危険な奴を護衛する依頼をいきなし押しつけられてんのかよっ。てめぇ千条せめてそいつを言っとけよっ」
「まあまあ佐能落ち着いて。もともと今日言うつもりだったわよぉ。……初日はなんの色眼鏡もかけてない状態で柵屋川を見てほしかったのよ。狙われてるなんて知ったらあんた柵屋川にもどこか後ろめたいことがあるなんて思って変に探りとかいれそうだからよ」
この辺の微妙な判断が千条光の上手いところでもあった。
「まず、あなたには柵屋川からは気に入られてほしかったのよ。辺に探りを入れる姿勢では厄介者扱いされかねないじゃない?」
「……厄介者扱いねぇ」
佐能は反芻しながらあの四角顎の上畑を思い出していた。奴には煙たがられていたが、柵屋川にはどうだろう?やけに気に入られていたように思う。
「……まあ今のところは良好な関係といえばそうかもなぁ」
「やるじゃない佐能。あんたは明日からも柵屋川のガードよ。満月は今は前回の事件の連中を探すので手一杯だからね。あんたには周りで起こっている不審なことを片付けてもらうわけよ」
「しかも報酬もたっぷりだからだろ光?」
鳥羽満月の言葉に千条光はパチンと指を鳴らした。
「当然よっ。柵屋川の事務所からはたんまりいただいたわ! 前金だけでもたいしたものだったんだから! あんたはそれだけ期待されてるってことなのよぉ」
バンバンと佐能の背中を叩く千条に佐能はそれを鬱陶しそうに払い除ける。
「よせやい。……前回の事件のこと詳しく分かったら俺にも教えてくれ。満月さんも頼みます」
再度、頭を下げてそのまま佐能は少し鼻をすすりながら続ける。酔いのせいで少し涙脆くなっているのかもしれない。
「俺ぁ、清継ぼっちゃんをあんなにした奴を許せねぇっ……。俺らの気持ちや組の連中の思いを踏みにじりやがった奴らを生かしちゃおけねぇっ」
「復讐だってんなら手伝わない」
鳥羽満月はぴしゃりとそう言い、ただその後は佐能の目を真っすぐ見た。
「だが、奴らと戦う時には佐能にも助けてもらうからな。……だから今は頭を冷やしてろ」
「……面目ねーこってす」
ふーと息を吐いて顔をあげて佐能はやはり胸ポケットから煙草を取り出した。誰も止めはせず、一塚が灰皿を前に差し出した。
千条光はまるで話のテーマで区切りを打つかのように告げる。
「ロスト・カラーズ」
その言葉に琴葉以外の者が全員光に注目する。琴葉はそろそろ飽きてきたのか、カウンターの中に入って色んな酒瓶を眺めながら「ほうほう」などと言い、一塚は彼女が浮遊する度に常に一定の距離を保っていた。
「そろそろ動きがありそうなものよね。以前のゲームはまだ継続中なのかしら? アタシ達の知らないところでまだソーリス達の組織は狙われているのかしら?」
「思うんだけどよ」
「何よ満月。今までずっと黙って一言も話さず日本酒飲んでたくせに」
「少し前に喋っただろ俺!? ちょっとカッコいいこと言ってただろ!? ……ふー」
千条光の軽口に付き合ってたら話が前に進まない。深呼吸で息を整える。俺は菩薩!菩薩──オカマの言葉は一切気にならない──と満月は頭でよく分からない呪文を呟く。
「今回の事件、分からないことが多すぎないか? 敵の正体も不明。俺らやソーリス達、その組織の人間全員が狙われる理由も不明。そもそも佐能や一塚の能力はなんなんだよ? リーゼさん達が使ってた魔法とかとも違うみたいだし。探すにしても結局は組織の情報待ちじゃないか? 俺はまた今日みたいに妙な能力を持った人間がいないか地道に噂や依頼を頼りに探していくしかないのか?」
「あんたにしては珍しくボヤくわね満月ぃ」
光がニヤリと口元を吊り上げる。こういう時の千条光はだいたい上等ねボウヤと思っている。
「……怖い顔すんなよ。別にお前の方針に文句を言っているわけじゃない。だが、当面は能力者を探してそいつからロスト・カラーズの情報を得るっていうことしかできないんだろ? どうもに無謀というか……この一塚や佐能を見ているとなんとなく思うんだよ。……それじゃ辿り着けないってな」
「──首謀者に辿り着く糸はどこにもないということですね」
一塚はウィスキーを飲みきり、次をすぐに注ぎ入れる。トクトクという音とグラスがカランと鳴る音が妙に心地い。熟練者が注ぐだけでも味が変わるのではないかとさえ思わせる手際だ。一塚は自身の過去を思い起こした。
「私の時もそうでしたね。……満月さん達の写真が貼られたメッセージ付きの地図が机に置かれていただけ──誰がなんのために? いや、言っていましたね。『バラバラの色ばかりの世界を綺麗さっぱり同じにしてやろう』彼らの目的はそれなのでしょうか」
「馬鹿馬鹿しいっ」
佐能が声を荒げた。
「奴らの目的は満月さん達なんだろぅ? そのうち目の前にでてくるぅそん時にぶっ殺して」
「だから目の前に現れるのは能力者達で黒幕じゃないのよ。下手したら前の事件の時のような犠牲者かもしれないのよ?」
「────」
千条光の言葉にすぐに自分の大切な人を思い出した佐能は言葉を失った。
守野清継──彼もまたロスト・カラーズに能力を与えられたがために破滅への道を進んだ一人だ。彼が悪かったのか? 復讐という選択をしてしまったことは過ちであっただろう。だがそれが死ぬ程までの悪徳だろうか? 操られた挙句に世界的な大量虐殺犯に仕立てあげられる程のものか──。
「それならやはり九川礼子に助力を頼んでみてはどうじゃ? 彼女は無敵じゃろ? わしの時代でさえもあんな強力な術者はなかなかにおらんかったぞ」
カウンターの上で眠たそうに目を擦りながら赤い着物の少女琴葉は言った。幽霊なのに眠たそうになるのかと佐能と一塚は眉間に皺を寄せた。
「それは……」
満月はばつが悪そうに日本酒のグラスを眺める。それを催促と受け取った一塚が次を上から注ぎ足し入れる。
「……」
諦めてとりあえず一口飲んで鳥羽満月は首を振った。
「九川礼子は中身は普通の女の子だ。……彼女には普通に生きてほしい。宇佐木にも、な。元々奴らは戦う理由がない」
中身も普通ではないぞとここに宇佐木とソーリスがいたならば確実にツッコミを入れていただろう。
「もう満月。そんなこと九川さんや宇佐木って子の前で言っちゃ駄目よ。……彼女らはとっくにもう戦う理由くらいはあるわよ」
「光それは──俺らが決めることじゃない。九川には頼まない。……詭弁かもしれにが彼女が俺達を助けたいと思うなら、それは助かるが……自分でも言っていて何を言っているか分からないけど」
九川礼子の千里眼を使えば、確かに何かを掴めるかもしれない。対象を目の前にすればその者の過去などもある程度見ることができるという。黒幕の正体を探るにはもってこいの人材だ。
そんな満月の言葉に琴葉はどうでも良さそうに返す。
「ほんに面倒臭い男じゃのおぬしはー。まあそのうち向こうから力を貸したいと言ってくるじゃろう。……まあわしならさっさとリーゼ達に来てもらうがの。彼女らの見解は? 事件の後に連絡があったのじゃろ?」
琴葉の目が光を捉える。基本的に組織の上層部と連絡を取れるのは千条光と、あとは満月の知り合いの富豪の娘の父親だけだ。
「琴葉ちゃん、リーゼ達も忙しいのよ。今回の日本で起きたような事件が世界各地で起きているのよ。……全てが彼らの仕業かは分からないし今回の日本の被害程、甚大ではないけどね」
「彼女らはなんと?」
「……いずれ時がくればとね。大丈夫よ琴葉ちゃん。なんだかんだでいつも助けてくれるじゃない?」
光が優しい笑顔で琴葉にウィンクをする。この二人は非常に仲がいい。
「……どうにも、おぬしらは楽観的じゃのう。死んどるわしに言われとるんじゃから相当じゃぞ。もっと危機感をもったほうがいいのではないか?」
「……危機感って言ってもなここ最近何もないじゃないか」
言う満月にハアーと溜息を漏らして琴葉はやれやれと着物の袖をパタパタと振った。
「敵がすでにおぬしらに狙いを定めて念密な計画を練っとるかもしれんぞ? なにせ、何もわからんのじゃ。敵の能力もな。そうそう透視能力だとかでもうすでにここも覗かれてるかもしれんぞ」
「へっへへー。怖いこと言うなや嬢ちゃん。……変に気ぃ張っててもしゃーないやろが」
へらへらと言う佐能に琴葉は顔を真っ赤にした。
「あーもう!! なんで分からんのかこのスカポンたんども! このわしが心配してやっとるのじゃぞ! おぬしらは甘ーい! 殺されるぞ!」
「こ、琴葉ちゃん……?」
千条光がヒく程に琴葉は急に爆発した。
「やっと仲間が増えたと思えば陽気なヤクザとサイコパスバーテンダーじゃぞっ。このメンバーの中で危機感を感じられるのは、わしだけじゃっ。だから言ってやってるというのに! ……おぬしらときたら……あーもう! 勝手にくたばるがよい!」
「琴葉ちゃんっ……」
光が手を伸ばすが琴葉はバーカウンターの上から泳ぐように宙をすぅーと移動して窓ガラスを通り抜けて夜空へとすぐに消えていってしまった。
「なんだ……あいつ……」
鳥羽満月はげんなりして溜息を吐いた。琴葉の言うことも分かる。冷静に考えれば不安であるのは当たり前だ。自分達を殺そうとする輩が確かにいて、しかも未知の能力を備えているのだ。さらに正体が分からず一人では太刀打ちできない程に強力な敵。ネガティブに考えれば考える程、身動きが取れなくなりそうな程に恐ろしい。
だが、しかし──だからといって。
「弱気になんぞなってどうするんじゃ」
佐能の言う通りだと満月は思う。だが、琴葉の言うことも分かる。常に最悪のことも想像、想定していなければ勝てない。彼女はそう言いたいのだろう。俺達は本当にでこぼこでお互いがお互いを支え合うようになっているんだ。琴葉、お前がいるから俺達はここまでやってこれてるんだ。鳥羽満月は再度、幽霊の親友に感謝した。
「佐能の言うことも最もだ。そして琴葉の言うことも」
「満月さん……」
「佐能、俺達は最悪のことも想定しなくちゃいけない。敵はそれ程までにヤバイ奴らだ。……佐能には選挙を護衛してもらってるがそれもこのロスト・カラーズと無関係ってことじゃないんだぜ?」
「無関係じゃない? ってー、どういうこったぁ?」
「──あなたも、そう思うわけね満月」
首を傾げる佐能に光が大きく頷いた。
「ああ、光。……ここ最近感じるんだ。人心が乱れてるってな。あんな大きなテロがあったんだ。それをトリガーとして様々な犯罪が起こっている。……知っているか佐能? 今の日本ではまだ今年始まってからまだそう経っていないってのに、もう去年の犯罪件数を超えてしまったんだぜ? 政府は隠してる。マスコミは嗅ぎ付けて、まだしょうもない週刊誌にしか載ってないけどな。そのうち公になるだろう。……とにかくこの選挙はちゃんと行われないといけない。議員が選ばれて日本が通常運転で回らなきゃいけないんだ。そのために今回の最有力候補である柵屋川は守り通さなきゃならない。……まずいことにすでに狙われている。頼んだぜ佐能」
「……そこまで考えてのことだったんですかい」
「アタシらだって馬鹿じゃないわよぅ。金を稼ぐのは勿論だけど……満月はマジでヒーローぶってるから。日本どころか世界も全ての人間を救うつもりよ」
「やめろよ光。……俺はヒーローじゃない」
「でも目指しているんでしょう? それにアタシはあんたを見て率直に思ったことを言ってるだけよ。別に個人としての感想よ。自由でしょ? アタシから見ればあなたはヒーローしてるわよ」
「……俺は……」
自分が楽しむために輝くために。虹色の世界をずっと見ていたい。だから世界を救う。
誰も死なせたくないのも結局は自分のためなんだ。だから──そんな人間じゃない。
「生きるのも楽しむのもどういう理由でもいいと満月さんに教わりました。俺は今もまだ分かりません。それでも楽しみを探すってことを理由にして生きていきます」
一塚がそう独り言のように呟いた。
「──実際に満月さんに救われた人間がここに二人もいるわけですぜ」
佐能がそう言い、一塚と二人で真っすぐに笑みを向けてきていた。それだけで満月はどこか救われた気分になった。
「……ありがとう。……まあ、とにかく全員でロスト・カラーズって奴らを阻止しよう。もう誰も死なせない。この間のような事件は絶対に起こさせない! そして俺達はチームだ。絶対に誰も欠けることはことは許さない。……っていうか俺だけじゃなんにもできねぇんだから頼むぜ」
最後は少し冗談交じりに言った満月だった。
鳥羽満月を中心に組まれたこの集まり──元々は『なんでも屋』と呼ばれており裏の世界で名を轟かせていた鳥羽と千条。最初は鳥羽満月一人だった。
まだ若かった彼は気持ちだけが先行して空回りだけで何も為せず悔しい日々が数年続いていた。そんな時に鳥羽満月はある依頼で千条光と出会い──何でも屋の力は確実なものとなった。
普通ではない出会い方をした二人。そして彼ら自身もまた普通ではなかった。
鳥羽満月の『青き光』は拳に古の力を宿らせ力を発揮する。それは銃弾も防ぎ、とんでもない速度で移動することも可能となるほどのもので、さらには治癒能力もあった。
千条光、元々ヤクザ の若頭。その広いネットワークとさらに類稀なる先見の眼を持っている。性格やらなにやらが破綻しているが、それをも払拭──はできはしないがともかく満月にとってはなくてはならない存在だった。
そこに新たな二人、バーテンダーの一塚春。酒を飲ませた相手を行動不能の状態に陥らせる恐ろしい技の持ち主。一塚が敵の首謀者ならここで全員死んでいると言っても過言ではない。
そして佐能響。どんな銃でも弾が込められているものならば弾数を無限にしてしまえる能力を持っている。本人命名はそのまんまで『無限弾』。
この二人とあと満月達には守護天使(本人による自称)がいる。千年以上幽霊を続けているという琴葉だ。とある理由があり鳥羽満月を幼少の頃から見守っていた。彼女も歴とした仲間である。なにせ彼女がいなければ全員全滅していたなどという事態もあったのだ。
何より鳥羽満月にとっては──とても大切な存在と言えた。
「……琴葉を探さなきゃな。あいつまたむくれるから……」
「いいわよ。満月。アタシらはここで適当にやってるから、気が済むまで探してきたら? 見つけたら戻ってきなさいな」
「嫌だよ。その頃、たぶん光ベロベロだからな。巻き添え食いたくない」
「あーもう、アタシの恐ろしさを二人にネタバレしちゃ駄目よう満月」
「え? なんだってぇ?」
佐能が聞こえなかったのか首を傾げた。幸せな奴め。これからなにが起こるかわかっていないなと満月は思った。素面の時は落ち着いて酒を飲んでいる光だが、一度スイッチが入ればヤバイ。過去に何度も犠牲になっている光の子分の従属達(ヤクザの時の子分達で今は光の手伝いをしていて給料も適当に渡している連中)を知っている。満月は元々程よいところで逃げるつもりだった。なにせ光は飲み過ぎると──男だろうが男だろうが特に男に手当たり次第だ。
ご愁傷様。一塚、佐能。満月は心の中でそう呟いて椅子を降りた。コートをはためかせてエレベーターに乗り込んだ。
扉が閉まる前に一塚に言った。
「美味かったよ一塚! またウチでコーヒーいれてやるなっ」
「いい加減、お酒にハマってくださいよ満月さん! 気をつけてっ」
佐能と千条光に視線を送り頷いたと同時にエレベーターの扉が閉まる。
──仲間を得たことで頼もしいとも感じている。しかし──この拭いようのない不安感はなんだ。全体的に社会全てがどうにもきな臭い。人々の心もどこか落ち着かず、またこの間のテロのようなことが起こるのではないかという気持ちが心の底に芽生えている。
「──?」
妙なグラつきを感じた。脳震盪? いや酒の飲み過ぎか。強いのを一気に行き過ぎた。
にしても琴葉の奴どこに行っているのだろうか。また映画館だろうか。前にいなくなった時は一人でナイトシアターを観ていた。恋愛モノのしょうもないやつだった。それでもやはりあいつは泣いていた、どんなものでもすぐに泣いてしまう。あいつが一番弱くて誰よりもとても心配性で誰よりも全てを愛しているのは知っている。……もう死んでるくせに。
──だから彼女のことはなによりも放っておけない。鳥羽満月の最も大切にする少女。
エレベーターが地上に着き、扉が開いた時。
鳥羽満月は開戦の狼煙を見た。
もう、彼には裏付けなどなにも必要がない。
直感で分かる。
夜空に煌々と輝く赤い光とその恐慌と地獄の気配。
「あの時と同じだ──」
鳥羽満月が狼煙を見た時刻より少し前。
いつもの居酒屋。いつもの時間の彼らだったがどこかいつもとは違う雰囲気を醸し出してた。それは彼らよりもいつも顔を付き合わしている周りの常連客の方が感じていた。
──なんだあの美人は?
どいつもこいつも宇佐木とソーリスよりもそちらの彼女に視線を向けていた。
白いセータに浮き上がる大きめの起伏と流れる金髪と細身のジーンズに腰のくびれ──男達はそれだけを見ていた。
場末の居酒屋──宇佐木とソーリスにとっては学校から少しだけ歩けばすぐ着き、酒も飯も美味しくコスパに優れていて注文を頼めばすぐに持ってくるし店員も愛想がよく(女性スタッフ一人がソーリスに片思い中)サービスも充実している優良店という認識。
もはや顔馴染みとなった彼らの聖地ですらあった。
初めは金髪でガラの悪い宇佐木と司祭服の美形外国人のソーリスの組み合わせは異様に浮いていたが、今やこの店ではありふれた日常の一コマであり誰も不思議がりはせず、それどころか常連客と顔見知りになり挨拶する仲になっている。
鳥羽満月達が飲み始めるよりもちょっと前に彼らは始めていた。飲み始めてまだそんなにだが宇佐木はもう割とほろ酔い、酒豪であるソーリスはまだまだ素面。
あとの一人は──。
「どうしました宇佐木? 今日は少し飲むペースが早いじゃないですか」
「……いやぁ、どうしてかなぁ。ストレスかなぁ」
ソーリスにそう聞かれて少し酔った宇佐木はジト目で同席しているアンジェリンを睨んだ。
「なーにぃ光矢ぁ、そんなに見つめないでよー。あはははは」
アンジェリンはレモンチューハイをずっと飲み、宇佐木とソーリスの話を聞きながらただただニコニコとしていた。話に入ってくるわけでもなく、ただただ聞き入っていた。レモンチューハイに至っては、かれこれ七杯目程だった。どう見ても顔は真っ赤でベロベロに酔っているように見える。それでも七杯目を飲み切りさらに次をオーダーした。
「まさか宇佐木が彼女を連れてくるとは思いませんでしたよ」
アンジェリンを呆れて見ていたソーリスが言うと宇佐木は焼き鳥をガジガジと齧りながら不貞腐れて言う。
「彼女ってそういう意味じゃないよな? こいつ朝からずっと監視してくるから……学校出てダッシュで逃げてきたんだけどな……」
「あははは、光矢超遅かったよーブレッドの言った通りだったよー」
「……っ」
さすがに額に血管を浮かび上がらせている宇佐木を見てソーリスはマズイと感じたのか彼はアンジェリンに釘を刺すように言う。
「アンジェ、あなたは確かに宇佐木を護衛する任務は任されていますが……私がいる時くらいは休みなさい。今は宇佐木もプライベートですし」
「光矢は私が守るの!」
ドンッとレモンチューハイのグラスを机に置き、いつになく強い口調で言うアンジェリン。
その様子に首を傾げてどこか訝しげにソーリス神父はお猪口に日本酒を入れながら尋ねた。
「……宇佐木の言った通り……どこかいつものアンジェとは違うようですね? 酔いのせいですかね? ……アンジェは気がついてますか?」
「なんのことー? 今はフレネもブレッドもいないんだから私が一人で守らないと」
ぐっと右腕で力こぶを作ってアンジェリンはにこりと言った。周りの酔っ払い達から「ひゅー」とよく分からない声援が飛んだ。彼女が何かしらアクションをする度に先程からこの調子だ。
思い出したようにソーリスはハッとしてアンジェリンに問う。
「そういえば……フレネとブレッドの『修行』はどうなのですか? 上手くいっているのですか?」
「知らなーい」
「…………」
アンジェリンのその言葉にさすがのソーリスも額に血管を浮き上がらせてしまった。それを見かねて宇佐木が話を繋ぐ。
「ははは……ソーリス落ち着けよ。……っていうか、フレネとブレッドは修行? なんだ? 初耳なんだがアンジェリン詳しく教えてくれよ」
「いいよー光矢ぁ。えへへへ」
「──」
アンジェリンの腕が宇佐木の腕に絡みつく。二つの柔らかい膨らみが腕に当てられた宇佐木は思わず息を止めた。
「これは……宇佐木には強烈ですね。大丈夫ですか?」
「ソーリス……言ったろ? ……やっと……信じてくれる……?」
「……どうして、あなたの方がモテるのでしょうか! ああ、信じられない宇佐木!」
「信じろよ! っていうかそういうことじゃない! 異常だろこれは!」
「ねぇー光矢、フレネとブレッドのこと知りたいんだよねー?」
「……ああ」
「二人はね。今はうちの師匠さん達に鍛え直されてるんだよー。あの二人はまだまだ伸びるからねーって。だから私は居残りーえへへ……えへへ……」
とそこでレモンチューハイのジョッキを一気飲みしてアンジェリンは続ける。
「なによぉ! 私はもう強くなれないとか!! もうひどくない!!??」
アンジェリンはとどのつまり荒れていた。
「なるほど。鍛え直すというと、うちのイース師匠か……リーゼさんかブレイゼンさんですかね……。にしても、そういうことなら私にも教えてほしいところですね」
「ソーリスには言うなってそう言えばイースさんから言われてたんだったー忘れてたーえへへへ」
「……師匠達が私に隠す理由はなんでしょうかね?」
「お前嫌われてんじゃね?」
宇佐木がニマニマとからかうように言った。
「……それは否定できませんね。……え? ひどくないですか?」
「ひどいでしょうー!! なんで私達だけ除け者なのよー私だって強くなれるのにー!!」
「その通りですねアンジェ……これは抗議すべきですね! ……師匠めっ。私に暗示をかけたのがバレたのが気まずいとみました!」
「そんなだからお前らハブられたんだよ……」
宇佐木は面倒臭いコンビを眺めてグビリとビールを飲んだ。
「しかし、あの二人を鍛えなおすということは、うちの組織もかなり本気のようですね」
「本気?」
問う宇佐木にソーリスは髪をかけあげながら頷いた。
「ええ、現状の戦力では不足ということです。前回の事件の時に私にも連絡がきましたよ。現在、戦力増強中とね。その必要があるということです」
「……つまり前回の敵がそれだけ強かったってことか」
役小角、九川礼子と吸血鬼化したソーリスでやっとのこと抑えたあの青年を宇佐木は思い出していた。
「……」
宇佐木は彼の最期を見届けた。
──彼は絶対にああなるべきではなかった。それだけは分かる。あの後、彼の死体がどうなったかも一般人の知り及ぶところにはない。
「まあ、とりあえず今は楽しもうよ~。ねー光矢ぁもっと、飲まないのぉ? えへへへ」
にこにことしたアンジェリンが頬っぺたを宇佐木に擦り合わせる。なんなのだろうこれは。俺は何故こいつにこれほど好かれているのだろうと宇佐木は不思議で仕方がなかった。一体、いつからだ。あの二人がいなくなってから? いや、もう少し前からだ。一体なんだというんだ。
もうよく分からない宇佐木は酔いに任せて聞いてみることにした。もしかしたらしっかりとした理由があるかもしれないからだ。
「なあ……アンジェリンはその、なんだ。ここ最近やたらと俺に構うというか……なんか俺のことばっかり気にしてないか?」
「だって光矢のことが大好きだから仕方ないよー」
うおおおおおおおおおおお、と居酒屋のどこからか雄叫びが聞こえた。その後に続いて「ひゅー」だとか口笛が響いた。結局全員が出歯亀の如く聞いていた。
「これはこれは……えらくあっさりした告白ですねー。天然女子高生と天然美人に狙われる宇佐木! ああそこを横から私が掻っ攫う! あぁ!」
「ソーリス……その妄想は、妄想の中だけにしとけよ……。っつーかやっぱりこれおかしくないか!?」
後半は小声で耳打ちでソーリスに伝えた。ソーリスもさすがに真面目に「そうですね」と答えた。
「人の恋愛とは急だったりするものですが……アンジェリンがあなたにここまで恋愛感情を抱くことはどこか不思議というか……なにかそれまで仲が良くなるようなことはありましたか?」
フルフルと首を大きく振る宇佐木。
「……ですか。ではやはり、別の想像をしてみたほうがいいかもしれませんね。……まあ考えたところで今はわかりませんのでとりあえず飲みましょう」
「って問題先送りにして酒飲むのやめようね!!」
「あはははっ! 光矢のツッコミ面白いね~。あはははは!」
レモンチューハイ十杯目を飲みながらアンジェリンは爆笑していた。
「……これおかしいだろ……これおかしいだろ」
ぶつぶつと呟きながら頭を抱える宇佐木にソーリスを肩を抱いて言う。
「宇佐木、大丈夫大丈夫。なんでもないんですよ。私がいますから心配しないでくださいね。怖いことなんて何もないんです。私だけがあなたに優しいですからね。大丈夫……大丈夫……」
「ちょっ、なんか、俺が頭おかしくなってみたいな対応やめろよ! あー、もうなんなんだよー! 面倒臭ぇ! 今日は飲むぞソーリス!!」
「ふふ、あなたは元気な方が合ってますよ宇佐木。付き合います。そして酔い潰れたあなたに、ふふふふふふ」
「絶対に酔い潰れる前に帰るからな!!」
「その頑な意識や良し!」
グッと親指をたてるエロ神父。
「むー、なんか二人仲良過ぎてムカつくー。ソーリス死ねばいいのにー」
「あははは、まあまあアンジェも一緒にですよー。もっと飲みましょうーレモンサワーでしたかね?」
「レモンチューハイ! サワーはなんか弱い」
「あー、そうでしたか。お姉さん、この子にレモンチューハイを」
彼らの夜はこれから長くなりそうだった。
──本来であれば。
ズシンという地響きがした──気がした。
宇佐木の手元のグラスが1センチほど動いた。後は遠くで何かが重たい音が響いていた。
「──ん? 地震か……?」
宇佐木は飲み過ぎたかと思いながら手前にグラスを引き寄せた。
「宇佐木。出ましょう」
ソーリスが口につけかけていたグラスをすぐさま置いて立ち上がった。そしてアンジェリンに向けて言う。
「あなたが宇佐木を守ると言うのなら見せてもらいましょうかアンジェ」
「当たり前だよー。任せてよ」
アンジェリンも立ち上がり、かけていたコートを羽織り始めた。追加の飲み物を持ってきていた女性店員があたふたとしていたので宇佐木が声をかける。
「すまん急用で出ることになったんだ。その分は払うから、皆で飲んどいてくれ」
ソーリスとアンジェリンの雰囲気を汲み取って宇佐木は多少ふらつきながらもソーリスとアンジェリンについていく。
……くそう。こいつら全然普通に歩いてやがる。
やはり宇佐木が一番酒に弱かった。
店の外に出て、すぐさま目に入ったのは立ち昇る大きな煙。どこか遠くから地響きのような音が響いている。冷たい外気にあてられた火照った体。酔いのせいか突然の事態か宇佐木は現実感を感じるのにまだ時間が必要だった。
しかし現実は否応なく網膜にそれを焼きつけてくる。
真夜中だというのに街の灯りに照らされるでもなくそれは大きな赤い光となって輝いていた。
「……ソーリス。なにかあったのか?」
「……とりあえず今日は二人とも私のホテルに来てもらいます。上の指示を確認し、あと個人的にですが鳥羽満月さんに連絡を取りたいと思います。……向こうは嫌がるかもしれませんが……」
「そんなことはないと思うぞソーリス」
宇佐木の言葉にソーリスは頷いた。
「そうですね……あの人は……そういう人なのでしょう。こういう時、あなたのその純粋さが羨ましいですよ宇佐木」
「…………」
真っ赤に輝く光と立ち昇る大きな煙。すぐにパトカーのサイレンの音が耳に届いてくる。
三人はすぐにソーリスの泊まるホテルにやってきていた。歩いてそうかからず到着するが、その間にも煙の方へと向かっていくパトカーや救急車を多く見かけた。
「やはり何かあったようですね。とにかく情報を集めながら待機します」
そう言ったソーリスは足早にどんどん歩き、宇佐木は足がもつれそうになりながらも何とかついて行った。
「光矢、おんぶしてあげよっか?」
足取りはしっかりしているものの顔が真っ赤なアンジェリンが言った。
「また電柱に頭ぶつけられるのはゴメンだ」
「もう~またそんな過去のこと持ち出してー。もうしないってー……たぶん」
「そこは自信持てよな!?」
そうこうしているうちにすぐにホテルに到着した。ホテル暮らしで、しかも割と高級なレベルときたら普通の人間ならば多少は嫉妬してもおかしくないのだが、毎日知らない奴と顔を合わせるの面倒だなとフロントを通りながら宇佐木は思っていた。
ソーリスは八つほど並ぶエレベーターを通り過ぎて奥の非常扉を開けた。一気に暖房のかかっていない空間からの冷たい風が中に吹き込んできた。
「酔ってるとこ申し訳ですが宇佐木。異常事態に備えてエレベーターを使わずに階段を使います」
「構わないけど……何階だ」
「三十六階です」
「吐くわ絶対」
「でしょうね。……ですので私かアンジェリンどちらに運ばれたいですか?」
「…………えぇ」
どんな二択だよ。腕を広げてハグを受けんとするアンジェリンと、ニヤニヤとしながら「ふっ」と言い髪を掻きげるソーリス。
宇佐木は吐いた方がマシだと思った。
「自分で登る!」
もう問答無用で宇佐木はペース配分など糞食らえで全速力で階段を駆け上っていった。
「「えええええええーーー!!」」
ソーリスとアンジェリンの驚きの声がホテル一階にこだました。
十二階でうずくまっている宇佐木を発見したのはその後のことだった。
「大丈夫ですか宇佐木? まさか三度連続で吐くとは思いませんでしたよ」
「…………全部、出た…………」
蚊の鳴くような声でそう言った宇佐木は顔面蒼白でソファーで寝ていた。宇佐木の目の上にアンジェリンが蒸しタオルを置いた。
「あー、暖かいー……」
「飲み過ぎた時これ気持ちいいよねー」
お母さんかお前は。と宇佐木は思いながらも、あまりの気持ち良さにしばらくそうしていて、十数分後少し気分が良くなってから、なんとか体を起こした。蒸しタオルを肩にのっけて窓辺のソーリスを見た。
ソーリスは冷たい眼差しで遠くの景色を眺めているようだった。あの煙の方角だろうか。
「ソーリス……何か見えるか? 煙は?」
「宇佐木。煙はまだ上がっています。……それよりもあなたが眠っている間にテレビでとんでもないものが……」
ソーリスはベッドの上のリモコンでテレビをつけた。
音が煩かった。テレビはついた瞬間に様々な音を大音響で耳に届けた。
何かが崩れる音。
人々の悲鳴。
サイレンの音。
ヘリの音。
緊張感を感じさせる声色で慌てて早口で実況放送をするレポーターの声。
ただ「下がってください」と大声で連呼する声。
「……音が大きい」
耳を押さえてそう言った宇佐木にソーリスはすぐに音量を下げてやった。宇佐木は音や光にどこか敏感だとソーリスは感じていた。まるで犬みたいです。とも思っていた。
「ああ、まだライブでやってますね。……映るでしょうか」
「……なにがだ?」
ああ。何故だろう。観たくないなと宇佐木は顔を逸らしそうになった。
これはトラウマだ。自分だけではない。この街、いや今の日本に住うものならばこの音や映像で思い起こされるものはただ一つ。
前回の事件。未曾有の災害になってしまった守野清継の起こしたあの事件。
「ソーリスなにがあった? これは? あの煙の先か? ……何か燃えているのか?」
ソーリスの蒼い瞳がテレビから宇佐木に移された。宇佐木は無意識にソーリスの色を感じとっていた。
どこか落ち着かないような色をまとっている。──困惑?
「爆破ですよ宇佐木。ビル一つが破壊されました。人為的なもののようです」
「……爆破? ……誰かがやったって? なんで分かったんだ?」
宇佐木はソーリスの言葉を聞きながら、テレビの映像が心の奥底にじわりじわろ侵食してくるのを感じていた。
あの時と同じ。あの時と同じ。あの時と同じ。
またたくさん人が死ぬ。またたくさん人が死んだ。
「メッセージですよ。宇佐木。……どうやら、私達はまたあのゲームにつき合わなきゃいけないようですね」
ソーリスがそう言った時、映し出されテレビでレポータが一際大きな声を上げた。
『皆さん見えますか! ここに書かれた文字を! 一体、どういう意味なのでしょうか!? ……これが犯人からのメッセージなのでしょうか!?』
崩れたコンクリート片やらひっくり返った車を映しながらカメラは、だんだんとアップになりそれを捉えた。まるで見せつけるかのように赤いペンキのようなもので書かれた大きな文字。その壁にレポータは手を向けて大声を張り上げていた。
『地図の写真の者達とは一体なんでしょうか!? また爆破するとは、これは脅迫でしょうか!?』」
赤い大きな文字が嫌に目につく。
宇佐木は。
もう胃の中にはなにも残っていないというにまた吐き気がした。
──地図の写真の者達。名乗り出ろ。
さもなくばまた爆破する。
政府はそいつらを見つけ公表しろ。
奴らは前回のテロの首謀者だ。
***********************
「ふんふーんふーん、ふふーん」
柵屋川誠実は陽気に鼻歌を歌いながら鏡を見ながらネクタイを締めていた。
まだ薄暗い早朝であったが彼はとても気分が良くて何故だか早めに目が覚めてしまった。気分がいいのはまだベッドで寝ているとびきりの美女二人と昨晩楽しめたからというわけではない。複数で楽しむことなど彼には珍しくもない。
部屋は眠る彼女達を気遣ってか電気は点けておらずテレビはつけてはいるが音量はゼロだった。
睡眠は少し少ないが頭ははっきりしているし、コンディションは悪くはない。
ぐう、と腹が大きく鳴った。柵屋川は鼻で笑い昨日ちょっとはりきり過ぎたかなとベッドの彼女達を見た。できればもう一戦交えたいところだが今朝はまた街頭演説がある。彼女達もそこのウグイス嬢だが、起きるのはあと二時間先でも問題はないだろう。自分は色々と用意やらがある。といっても別段あと一時間以上は寝ても問題なかったのだが、とにかく心がどこかはりきっていて起きてしまったのだ。
「武士は食わねど高楊枝とは言え……朝は抜かない主義だ」
独り言を言いながら思案する。こんな朝早くやっているのは近くのチェーンの牛丼屋くらいだな。と思い彼はすぐに革靴を履いて外に出た。
柵屋川の自宅はとてつもなく大きかった。豪邸と言っても差し支えない。白壁と自然光を取入れるためのガラスばりの高すぎる天井。
車で帰宅してガレージすぐ横の扉を開ければベッドルーム直結なのは女を連れ込んだ時に直行しやすいからだ。好き者の彼としてはその利便性は家を建てる時の設計で断固として譲らなかった。ガレージもとても広く車が五台置いてある。すべて高級車。だいたいの女は嫌がってもこれを見てからはベッドルームまでは大人しくなった。昨日の彼女達はむしろ喧しくて仕方がなかったが。
冬の早朝はまだ薄暗い。もう数十分すれば朝日が完全に登るだろう。穢れなき朝一番の空気をすぅと肺に吸い込んでホウホウと鳴く鳩の鳴き声を聴きながら柵屋川は歩き始めた。
庶民の味は全く素晴らしい。
彼は今から向かうチェーン店の味に思いを馳せながら思った。
彼はその生活を愛していた。
完璧な自分。完璧な癒しと潤い。
自分に関わる全ての人を幸福にしたい。
この快楽と幸せと充足をすべての人間が感じるにはどうしたらいい。
満ち足りたすべてを得るために私は自分の時間を浪費する。
それも、また時間の使い方としては素晴らしい。
──そういえば、昨日やけに外が騒がしかったな。
何かあったのか?
昨日の夜から見ていなかった自分のスマホを見ると着信が二十数件もあった。メールも届いてた。柵屋川は店に向かいながら見てみた。
着信に加えて『すぐに連絡をください。緊急事態です』という同じメールが五件入っていた。上畑……何が起こったかくらい書けないかなー。というか何かあったのか?柵屋川はそう思いながらも面倒だから食事をしてから返そうとしたところに急に着信音が鳴った。
「やれやれ……はい。おはよう上畑」
『音は常につけておいてくださいと言ってあったはずですが』
「ああ、すまないね。昨日は音楽を大音量で聴きながらお友達と楽しんでいたものでね」
『……こんな時に……』
「で、なにかあったのか上畑?」
『ええ。テロです柵屋川さん。あなたの安否確認のために連絡をとっていたんですよ。……もうすぐ私は今あなたの自宅に着きますが……今はどちらに……?』
「家の近くの牛丼屋さ。テロと言ったが一体どんなものだったんだ?」
『……テレビを見たほうが早いかもしれません』
「ははっ。確かにお前の説明よりはテレビの方がいいか! 後でなっ上畑」
言うなり電話を切って柵屋川は牛丼屋に入った。
若い女性客が一人だけいたので、他のすべての席は空いていたがその隣に腰をかけて柵屋川は店員よりも女性にすぐに声をかけた。
「おはよう。昨日なにかあったの? ああ、教えてくれたら奢るよ。良かったら少し話てくれないか? 君と話したい」
見た目は悪くない。美人というより可愛いという表現の方がいい。細身だが体のラインを見せつけるような服と、お洒落に着飾っているが目元などの化粧が崩れている。おそらく夜の仕事帰りなのだろうと柵屋川は思った。
「……朝っぱらからナンパですか」
味噌汁をすすっていた女性は柵屋川の笑顔を見て少しヒいていたが、柵屋川は構わずに綺麗な顔で笑顔を向けて白い歯を光らせた。
「……なんかどこかで見たことある顔……」
女性が寝ぼけた頭でそんな事を言ったがそれもそうだろう。今や町中のいたる所に柵屋川誠実の選挙ポスターが貼られているのだ。こんなところで朝食を摂ろうとしているのがどうかしている。
「ははっ。日本を楽しく。あなたも楽しく。柵屋川誠実!! よろしくお願いします!」
大声で隠しもせずに言うので女性も店員もぎょっとして完全に動きを止めてしまった。
「ああ、店員さん! 私には牛丼の大盛りでお願いします! 生卵も!」
「……さ、柵屋川誠実?」
女性にそう言われて「ええっ」と返してから柵屋川はズイと顔を近づけて笑顔でもう一度問う。
「昨日なにかありました? 友人はテレビを観ろと言いましたがね。私のスマホは海外製でね。テレビがついていない。君のは日本製だ。ワンセグだかフルセグはあるか?」
「え? あ、あるけど……けど……観る? 昨日の事件知らないの?」
「いやあ! 昨日は美しい女性達とセックスしまくっていたからね!」
「…………は?」
女性の手が今の言葉で停止してしまったので柵屋川は勝手に女性のスマホのテレビと表示されていたアプリを押して起動させた。
すぐにニュースが映しだされた。どこか廃墟の街のようだった。
「なんだこれは? この間のテロ?」
「違うよ。昨日起こったことだって」
柵屋川の言葉をすぐに女性が訂正した。
柵屋川はテレビの映像を凝視しながら、コメンテーターの言葉を聞き漏らさないようにインプットしていく。
「なるほど。テロか。……これはなんだ? 爆破? 爆破されたというのか? この日本で爆破テロだと? ……メッセージ? ははは……はははははっはは!!」
地図の写真の者──? なんだそれは?
前回の事件の首謀者?
無差別テロではないのか。
「ああ、ありがとう。君。助かったよ。約束通り今日は奢ろう」
「……え、まじで?」
「ああ、助かったよ。これ知らなかったら死ぬ程説明下手な奴から聞くところだったからね。……それより、君今晩空いてる? 夜ご飯ここの百倍くらいの値段のご飯食べたくないかい?」
「………………いいの? いくら私でも今はそういうのダメなんじゃないかなって思うけど?」
選挙中の柵屋川が若い女性と遊び耽っているなどいいスキャンダルだ。
「心配ない。私はそういう男だ。なにもやましいことはない。そういう男だ!」
変な気迫以外は全く何も伝わらなかったが女性はとりあえず損得勘定ですぐに承諾した。彼女からしたら断る理由は皆無だったからだ。
「ああ、ありがとう!」
柵屋川は大袈裟に握手をして喜んだ。その本当に嬉しそうな笑顔を見ると対象はなんだかとても良いことをした気分になるのだ。それがまたこの男の魅力でもあった。
またこれで私の幸せな友人が一人増えたね。と彼は思った。
柵屋川誠実が自身の選挙事務所に着いたのは朝の六時過ぎだった。時間にはまだ一時間程早く本日の活動は七時から開始で、まだ誰も来てはいなかった。
柵屋川は入り口に置かれていた新聞を手に取り途中のコンビニで買ってきたコーヒーを片手に事務所の扉を器用に肘で開けて中へと入った。部屋は簡易的に作られた内装と適当な配置で置かれた長机とパイプ椅子がいくつかあり、隅にはポスターやら背中に柵屋川と書かれた法被やらがダンボールの上に乱雑に積まれていた。柵屋川は椅子に腰をかけてコーヒーを一口すすってから新聞の一面を眺めた。
「……前代未聞のテロ再びか……チープな見出しだ」
思ったことを独りごちながら時間潰しに斜め読みしていく。とりあえず主要っぽい単語だけは暗記していく。爆破、メッセージ、前回のテロ、政府への要求……それに対する民衆の反応……不安、怒り、恐怖──奴らの目的はなんだろう。ビルを破壊したことは? 自らの力の誇示、覚悟の意思表示?
「連中は何者だ? 前回のテロの首謀者を探して、自分達も爆破テロをしている……。わけがわからないな。……つまりは、少なくとも今回のテロを起こした連中はまともではない。……そういうことか? いや、しかし……うーん、全然分からん」
柵屋川は一人で楽しそうに笑いながらさらに新聞と会話でもするかのように話を続ける。
「どっちが私を楽しませてくれるのだろうか」
がちゃりと扉の開く音。顔を向けなくても誰かが分かる柵屋川はただ爽やかな声で新聞に目を向けたまま「おはよう」とだけ言った。
「……自分は、コンビニで待っていてくださいと、と言ったはずですが……」
四角顎を前に突き出してムッと言ったのは上畑と呼ばれた大柄の男だった。
「いやいや、今朝はとても気分が良くてね。ムサイ男の車になんぞ乗ったら運気が下がりそうだから歩いてきたんだよ。はっはっは」
「……でしたら、そう連絡をください。私はコンビニで四十二分も待ちました」
「図体でかいくせに細かいなっ。モテないぞっ。はははっ」
「……あとどんな時でも連絡は着くようにお願いします。柵屋川さんが昨日の例の時間に連絡がつかなくて事件にまきこまれたんじゃないかと先生方から連絡が入りましたよ」
「あっはっはっは! それは先生方には悪いことをした!後で連絡しとくよ」
この間、柵屋川は一度も上畑を見なかった。対し上畑は真逆に穴でも空くほどに柵屋川を睨みつけていた。
柵屋川達が言う先生方とは現在、議員の政治家達のことだ。彼らはなんとしても柵屋川を勝たせなければならない立場の人間で、自ら進んで協力している者もいれば柵屋川の父親に金やら弱みやらで強制させられている者もいる。
「いやぁ、本当に先生達あっての我々だからね」
他の候補者よりも一桁違う額の選挙資金が得られたのもすべては後ろ盾あってのことだ。もっとも柵屋川家ならば自力でいくらでも用意はできるが。
────……。
「つまらん!」
急にパイプ椅子を後ろに吹っ飛ばす勢いで柵屋川が立ち上がり、新聞を壁に放り投げ言った。
「さあ、早く朝立ちに行こうじゃないか! 準備は済んでいるのか上畑」
「……まだ俺以外誰も来てませんよ。あと四十分は待ってください」
やれやれと言いながら柵屋川は倒れたパイプ椅子を直しながら溜息をつく。
「……はぁ。仕方ない。テレビのニュースでも観ながら演説の内容でも考えておくか」
それから程なくして人が集まり、集合時間のギリギリで佐能も到着し、一団は掛け声の後に選挙カーへと乗り込んでいった。今日も朝の通勤時間に合わせて駅前での演説だった。
車の中では相も変わらず柵屋川はウグイス嬢とイチャイチャし、それを怖い顔で見ている上畑とあくび混じりで耳をほじっている佐能がいた。
柵屋川はウグイス嬢の肩に手をまわしながら退屈そうな佐能に尋ねた。
「佐能観たかい? 昨日の爆破テロ?」
「……あー、昨日は飲みに行っててな……ちょっと記憶がないんですわぁ。……いや、なぁにかとてつもなくぅ恐ろしいことがあった気がするが……」
眉間を抑えて佐能は忘れようと努めた。思い出さない方がいい気がする。何故だかは分からないが。
「……どいつもこいつも……」
ブツブツと上畑の口からは無意識に愚痴が溢れた。本人は声が出たことに気がついていない。
「今朝のニュースは観ていないのか? 君の私見が聞きたいと思ったんだがね」
「……テロのニュースはさっきスマホで見やした。……俺の考えつっても、たいした事は思ってねぇですぜ? どうしてですかね?」
本当は自身こそ当事者ではある佐能は言ったところで面倒ごとになるだけなので何も言いはしなかった。
「いや、なに。普通のコメントはテレビや記事で十分さ。変わり者や自分と違う人間の考えというのは見方も捉え方も違うからね。価値があるのだよ。……君は一般人ではないだろう?」
ヤクザだからか。それとも……何を勘ぐっているのか。面倒な野郎だなと佐能は思いながらも軽く笑って返した。
「へっへへ。俺ぁ頭が悪いんでね。そんな男の考えなんてなんの足しにもなりゃしねぇですぜ?」
「……いいから、今回のテロをどう思ったか聞かせてくれないかい?」
……えらく、しつこいな。佐能は頭を掻きながら言う。
「……テロを起こした奴はきっとガキか……もしくは精神年齢の低い奴じゃねぇですかね」
「ふむ。何故かな?」
そう問われて適当に返しただけの佐能は顎を上に向けて唸り始めた。
「……うーん。うーん。わかんねーすけどね。犯人は誰からの支持も得られないやり方をとっているぁ、と俺ぁは思うんですよ。……ビルを爆破したことによって一般人も敵にまわしちまってますしね。……何がしたいのかわかんねーでしょ? だからガキかなってな」
「なるほど。いや、いい意見だ佐能」
「へいへい。ご満足いただけならいいんですがね。へっへへ」
「確かに何か知っているなら警察なりなんらかに言えばいいのに言わない。……つまりは今回のテロも前回も公にできない者達が起こしている。……しかも奴らは前回のテロの首謀者を探している……どうしてだろう。そこが分からないな」
「頭おかしい奴らのことは考えても仕方ありませんよ柵屋川さん」
上畑が腕を組み口を尖らせて言う。
「思考停止君には聞いていないんだよ」
柵屋川は鼻で笑って佐能に笑顔を向けた。
「君のとこは今回の件には噛むんじゃないのかな佐能? 裏の世界では有名ななんでも屋さんなんだろう?」
「……さぁてね」
佐能は両の手の平を上に向けた。
「面白そうな話しがあったら是非聞かせてくれると有り難い!」
柵屋川は真剣な目でぐっと佐能に顔を近づけた。佐能は反射的に思わず体を仰け反らした。今はどうしてだから男に近寄られることにとんでもない恐怖を感じるようになっていた。何故だか分からなかった。
そんなこんなでまた駅に到着した選挙カー御一行は車を降りるとバタバタと準備を始めた。柵屋川はよくある選挙カーの上からの演説はあまりやりたがらなかった。彼曰く聴いている人間との距離が遠いし、表情が見え辛いのはつまらないしやはり同じ地に立って話すべきだろうとのことだった。
前回と同じく駅前の無駄に大きな広場を使う。なんかの銅像だかが置いてある隣に陣取り、改札に向かうには柵屋川達の前を通るしかないという、まさしく最高のポジショニング。
準備が整い、柵屋川が目立つ黄色いタスキを肩からかけた。やはり書いてあるのは『日本を楽しく。あなたも楽しく。柵屋川誠実』だった。
「えー! 皆さん! 昨日は大丈夫でしたか!?」
それは前振りもなにもなく、いきなりだった。拡声器を拾い上げたかと思うと急に、つい聞き入ってしまう大きな声で柵屋川は名乗りもせずに友人に話しかけるかのようにそんなことを言った。
「ご家族やご友人は巻き込まれてませんでしたか!? テロの犠牲になった方々──かけがえのないご家族やご親族、ご友人を亡くされた方々にお悔やみ申し上げます。あまりの残酷さ! その被害の重さ! 辛さに! 私は言葉を失いました! 我々ができることは何か。容易に答えの見つからないその問いかけを私は昨晩の夜から絶えず寝ずに繰り返し自身に問いただしてました! しかし、それは繰り返せば繰り返すほどにますます見えにくいものになってしまっています。私どもにできることは限られていますが、困難を抱えながら、前に踏み出している方々の力になれるよう、一歩一歩、そのお手伝いをこれからも続けていきたいと考えております。この私にできることならばなんでもさせていただきます! 今回のテロの保障は国民の安全を守れなかった政府が全ての責任を負うものであると私は強く思います! 私はそのためには全力を尽くします! 柵屋川誠実! 私、柵屋川誠実に皆様の全てをお任せください!」
朝までテロのことを一切、知らずに性交をしていた男の言葉とは一体誰が思うだろう。その駅前にいる誰も彼もが足を止めてその柵屋川誠実の声に耳を傾けていた。いや、それどころか取り憑かれたように見入っていた。
妙だなと佐能は柵屋川の後方数メートルのところで待機しながら思っていた。道行く人々、大人だけではなく、中には学生、小学生くらいの者もいるが、そんな者達全員が一様に選挙の演説に耳を傾けている。
なんだこりゃ? これ普通か?いや、前回はほとんどの者が無視して歩き去っていた──というか人数が多過ぎないだろうか。駅の向かい側から歩いて来る人々はこの時間絶え間なく現れる。それがただの一人も通り過ぎず、貼り付けにされるが如くぴたりと足を止めた。
「……──」
佐能は辺りを見渡した。自分と反対側で待機しているムッとした上畑とその他の柵屋川陣営の人間。それらは今まで通り、上畑以外はただただ柵屋川を期待をこめた目で見ている。
……誰も慌てたりはしてはいない。これが普通かなのか。佐能は空を見上げた。寒空だがいやに青く雲一つない空だった。深呼吸して今まで考えていたことを一時的に忘れ去る。そして、視線をまたも柵屋川を見る民衆へと戻す。
誰一人、駅の改札の方へと向う者がいない。たったの一人さえも。そんなことありえるわけがない。もはや全てのここにいる者が柵屋川の語りを真剣な顔で聞いている。
「……こらぁーどうにも……」
異常。それ以外言い表せれな光景。ここにいる全員が柵屋川の仕込みでない限り、これはとんでもない異常事態だ。いや、ただ見ているだけというならばそこまでではなかっただろう。佐能がそう感じたのはその見ている彼らの一人一人の『目』だった。その目を見れば佐能には理解できた。
ああ、こいつら普通ぁじゃねぇ──と。鬼気迫る雰囲気を感じて佐能は直感でそう思った。その光景に柵屋川は喜びに打ち震えた。
「ああ! ありがとう! こんなに多勢の人達が私の思いを聞いてくれるなんて! 本当にありがとう!」
「柵屋川っ。なぁんかぁこいつぁーヤバイ気がするぅ」
佐能が後ろから近寄り囁くように言いはするが声量は特に小さくはなかった。それに対して柵屋川は佐能にしか聞こえないように小さな声で耳打ちする。
「……しばらく様子を見よう。……確かにおかしな気はしてはいたさ。先生達の仕込みかもしれない」
「仕込みぃ? これがサクラだっていうんかい……?」
改めて佐能は柵屋川誠実の向かいにいる民衆を眺める。全体として捉えず、一人一人個人を眺めていくと分かる。誰も彼も柵屋川の方向を見てはいるが、その遠くを見るようなボーッとした瞳は本当の意味で柵屋川をしっかりと捉えてはいない。
「多くの人が同じ思いを胸に明日を切り開いていけばきっと私達はテロに打ち勝てる! 私はそう信じているのです」
柵屋川のその言葉に誰も反応しない。これだけの人数がいるというのになんという静けさだろう。車や電車の音だけがいやに耳に残る。柵屋川はさすがに少し気味が悪くなり、マイクを口から話して目の前の人々を見渡した。それに一人のランドセルを背負った少年が反応した。
「テロを起こした奴は捕まえなくちゃ」
──そうだ見つけなくては。テロを起こした奴を。
誰かがその声に応え、またさらに別の者がそうだそうだ、と言った。その連鎖はだんだんと繋がっていき、次第には全員が口を開き大きな声を張り上げはじめた。
「テロに勝つのなら、犯人を見つけろぉ!」
「どうして警察や政府は前のテロのことを隠すんだ! 誰があんなひどいことを! 俺の家族を返せ!」
「今回のビル爆破なんてした奴がどうしてすぐに捕まえられないの!? こんな国じゃ安心して暮らせないじゃない!」
「今の政府はテロに屈している!」
スーツの男、年配の女性、杖をついたお爺さん、まとまりのない老若男女様々な人が次々に吠えたてるように柵屋川へと訴える。先程までの静けさからのあまりの突拍子のない落差に柵屋川は珍しく慌てた様子でマイクに向かって声を荒げた。
「皆の想いは同じです! 私も今の警察や政府にはとても残念な気持ちでいっぱいなのですから!」
どの声をも打ち消す程の声量で柵屋川が言った。シーンと鎮まり返ったのも束の間。
「お前の兄は警視監じゃないか! どうにかしろぉ!」
さらに、そうだそうだと野次が飛び、柵屋川は少し眉間に皺を寄せはしたが負けじと真摯な口調で切り返した。
「当然です! 私が選挙で当選した暁には兄や家族と力を合わせてテロに屈しない国へとなるよう努力をして参る所存であります! だから、どうか皆さまこの私! この私、柵屋川誠実、柵屋川誠実をどうか信じてはくれませんか!? よろしくお願いいたします!」
そこで、深々と頭を下げた。
瞬間──わーっと群がっていた人々からの溢れんばかりの大きな拍手喝采が巻き起こった。
「へっ?」
柵屋川は珍しく間抜けな顔でキョトンとして思わずマイクを落としそうになった。
人々は能面の表情を崩し万雷の拍手をもって柵屋川誠実を称えだした。
「素晴らしいっ! さすが柵屋川家に生まれただけはある!」
「柵屋川さんしか俺達を助けてはくれない。俺達にはあなたしかいない!」
「あんたにならこの国を任せられる! 頼んだぞー!」
今までのは演技……やはり仕込みやらサクラやらなのか?いや──そんなちゃちなものではなかった。佐能は自身の経験と感覚をもって決意した。今すぐにどうしてだかここを離れなければと思った。
「おいっ! 上畑とか言ったな! 今すぐに柵屋川をっ……」
「──何故だ?」
「……お前っ」
佐能は何故だと言った上畑の顔を見てすぐにこちらの異常も察知した。上畑はスーツの上着の前ボタンを引きちぎり、大きな体を震わせて尋常ではない程に怒りの形相を露わに柵屋川誠実を凝視していた。彼の小刻みに震える口から言葉が漏れる。
「こいつさえっ……こいつさえいなければっ! 恵は死ななかったんだ!」
「おい!」
佐能には何が起こっているのか全く分からなかった。どうにも全ての流れがめちゃくちゃで、自分だけが傍観者でいるような気分だった。
異常なまでに人々が足を止め、異常なまでに人々は茫然自失とし、異常なまでに激情を剥き出している。
初めから異常しかなかったのだ。
正常なのは俺と柵屋川だけか──?一体どうしてだ?
「さぁくやがわああああああ!!」
上畑が激情のままに柵屋川へと飛びかかった。佐能には今までの彼とはどうしても思えなかった。だから──。
「満月さんには悪いが!」
佐能は背広の胸ポケットから千条と満月には黙って持ってきていた拳銃を取り出して上畑の大きな背中に照準を合わせた。柵屋川へまでは二秒もない瞬間の葛藤だった。
「……くっ」
佐能は拳銃を引いた。
駄目だ。撃てない。撃てば依頼も下手したら柵屋川誠実の政治生命も何もかもパーだ。
いや、なによりも気にかかったのは──。
「柵屋川ぁぁぁ!!」
「う、上畑!?」
二人はもつれ合い倒れた。上畑は混乱する柵屋川の首を掴みそのまま馬乗りになった。
「お、お前がぁぁぁ! 恵を殺したんだぁぁ!」
「うっ、ぐっ、は、離せっ……はなせぇぇっ」
鳴り止まない喝采と拍手の中で上畑は柵屋川の首を絞めあげながら憎しみをこめて吐き出すように叫んだ。
「お前みたいな奴は死んで当然なんだ! お前みたいなのが生きてっ、どうして俺のっ……妹はっ……恵は!」
「ごほっ! 恵っ……? だっ……誰だっ、そいつは……し、しら……ない」
その柵屋川の言葉にさらに顔を歪ませて上畑は激高して顔を真っ赤にした。
「し、知らないだ、とおおおおお!!」
「うわああっ、おいっ、佐能! 早く助けろ!」
上畑が腕を振り上げ、堪らず柵屋川は佐能に助けを求めた。
そもそも佐能はどうして助けにこない──!
柵屋川が倒れたまま頭を横に向けるとその理由がはっきりとした。
「どけっ! てめえぇらどきやがれええええ!!」
銃を向けようが肩をひっぱろうが人々は柵屋川の周りから動こうとしなかった。
佐能が銃を下げ上畑を取り押さえようとした時、演説を聞いていた人々がわらわらと動き出した。まるで初めからそうするのが決められていたかのように誰が何を言うでもなく定位置へと移動していた。
柵屋川に馬乗りになった上畑を全員が見ていた。先程と同じ感情の感じられない瞳。
誰かがポツリと言った。
「柵屋川さんを助けないと。僕らの未来には必要だよ」
「そうだ──そうだ」
「おぉい!! こぉの銃が見えねぇのかブチ込むぞぉ! どけぇえ!」
銃の脅しも並の人間ならば震え上がる佐能の怒号も彼らには無意味だった。何人かをひっぱり倒してもすぐに隣の人間が空いた穴を塞いで、倒した者達も起き上がってはまた群れに戻る。キリがなかった。
「……なんだこいつらっ。俺は今から妹の仇をとるんだっ。邪魔を……」
上畑が辺りの人間に気がつき威嚇しようとした時──グシっという鈍い音が響いた。
「……っ」
一人の男が手に持ったレンガを上畑の頭へ叩きつけていた。
「おい柵屋川さんの上からどけよ。でくのぼうめ」
この間、この駅前で柵屋川を殺そうとして助けられていた男だった。無感情に血のついたレンガを掲げていた。
「え……」
上畑が頭から垂れた熱いものを撫でると真っ赤なべとりとした血が大量についていた。彼は心底信じられないとでも言うかのように辺りを見渡して言った。
「……どうして……俺は……ただ……」
「おお、『良い』ことをしましたなぁ」
言いながら一人の老人が手に持った杖を振り上げ、またも重たい音が鳴った。
「ほれ。皆も柵屋川さんを助けよう。わしのような老いぼれにもできるんじゃ、皆でこの日本をテロから守るんだよ」
そう言った老人の笑顔はとても優しい顔をしていた。
「うううっ!!」
上畑は杖が当たった頭を抑え叫びながら蹲った。
「そうですね──そうですね」
わらわらと人々は上畑の周りに集まる──。
そこからは。
「上畑ぁぁ!! どけぇぇぇぇ、てめぇえらあぁ!」
佐能の怒号が響く中──ただ果物を地面に落とした時のような鈍い音が断続的に続いていただけだった。
***********************
「次の爆破地点はもう決めてあります」
女は静かに淡々と、若干面倒臭そうにカメラの前でそう言った。
息をのむ声、辺りに漂う緊張感。
そこは強いスポットライトに照らされたニュース番組のセットのようなものが置いてあるスタジオだった。四台の大きなカメラと舞台セットと有名な出演者はいつもお茶の間を賑わせている顔ぶればかりだった。
事実、今まさにテレビの生中継真っ最中の出来事であった。
それも緊急独占生放送と題されており、今や日本のかなりの人口がこの中継にかじりついているといっても過言ではなかった。
──なにせ、犯人直々の出演依頼なのだから。
話をしている眼鏡の女性はその中央に司会者の向かいの椅子に座らされていて、無表情でただうつむいていた。見た目は二十代中頃から後半。中肉中背で黒髪に平凡な顔で丸い眼鏡と特に洒落っ気のない服装で地味なタイプに映っていた。
どの出演者達も、こんな普通の女性がと皆一様に顔を作り、真剣な表情で眉間に皺を寄せて難しい顔をして女性の話を聞いてた。その中の一人の頭の薄い男性コメンテーターが手を挙げて女性の話に割り込んだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ。次のテロのことよりも、まず……前回のビル爆破のことを教えてください。あなたの目的は!? メッセージの通り前回のテロの首謀者を探すことなのですか? それは何故!?」
一気に早口で聞きたいことを捲し立てて、一瞬静寂が訪れるが、テレビ的にそれはマズイのかすぐに真ん中の大物司会者が椅子に座る女性に大ぶりな動作で問う。
「どうですか? 永墓(ながつか)さん。私はね。あなたが……あなたが出演してくれたことは我々は非常に評価しているんですよ。……罪を償う、償いたくないにせよ。あなたは隠れずに自らのメッセージを言おうとしている」
「はあ」
肩を竦めて頭を引っ込めた永墓と呼ばれた気の弱そうな女性はとりあえずその司会者のセリフを聞いておいてやることにした。
まったく無意味で面倒なことだけど仕方がない。
「ですから、まずはテロを何故起こしたのか言うべきでは? あの爆破で一体何人もの罪の無い人々が亡くなられたかは、あなたは知っているんですか?」
「んー。その辺はあまり興味がないというか……」
「きょ、興味がない!?」
「あ、いえ……価値観の違いと言いますかぁ。うーん、なかなかうまいこと言えないものですねぇ。テレビって。……ははは」
永墓が頭を掻きながら愛想笑いをして、それに対してこれはいけると踏んだのか出演者達が一斉にやいのやいのと声を荒げ始めた。
「あなたはっ、犯罪を犯した自覚がないんですか!?」
「そもそもこの出演の意味も明確にすべきでは!?」
「あなた自身がテロリストなのですよっ」
──ああ。面倒だなぁ。やっぱりテレビ出演なんてするべきじゃなかったかなぁ。でも神様に電話でそうしろって言われたしなぁ──永墓は溜息を吐いて気だるげに言う。
「あーサーセン。サーセン。私が罪の無い人々を殺したテロリストです。では、皆さんに朗報が一つ。私は前回のテロの首謀者は実はどんな奴か知っているんですよ」
永墓の言葉に今度こそスタジオが凍りついた。
「ただ私一人では見つけられなくてー。皆に探してもらおうかと思って、とりあえず爆破? してみた? みたいな? 感じでいいですか?」
「──……ちょ、ちょっと待ってくれ」
司会者の男が頭を抑えて言葉に詰まった。
「それじゃあ爆破したのはどうしてだ? 何か情報を持っているならば警察かマスコミにでも言えば……」
「だって爆破した方がカッコイイじゃないですかぁ。私の力それしかできないし。それに力の誇示っていうんですかね? 今頃あいつら私の爆破見てブルッてるかなーって、そう思ったらやって良かったって思うんです! あははは」
「な、なにをキラキラした目で言ってんだ、あんたは!? あんたの名前、そんな日本にわりといないような名前してて本名ならすぐにだって身元が割れるんだぞ。……ここに出演したのももう逃げることはできないと思ったからでしょう!? もう少し発言に気をつけなさい!」
「逃げることはできない?」
司会者の男をどうにも可笑しなことを言う人だなぁと彼女は思った。それと偽名じゃないしとも思っていた。だからか彼女は鼻で笑って言い放つ。
「ああ、私大人しそうに見えた? 地味な子で喋るの苦手みたいな? うん、そうなんだけどね。でもね、偽名じゃないし、なんなら住所でも言おうか? 私、永墓眠(ながつかねむ)は逃げも隠れもしない。それと──逃げる? 逃げるですって? あはははは!」
永墓が手を掲げた瞬間、とてつもない爆音が近くで響きその場にいた全員が瞬時に耳に手をあてる程だった。テレビを観ていた多くの人々は大きく画面が揺れてから何も映らなくなったのを数秒眺めていた。
悲鳴や叫び声がスタジオ内を埋め尽くした。どうやらスタジオと外を繋ぐ防音性の大きな扉付近が爆破されたようだった。
「逃げられないのは、あんた達のほうでしょう? あはははは!」
瓦礫により出入口は完全に塞がれていた。
「お、お前の本当の目的は──?」
司会者の男が尻餅をついたまま永墓に問うた。もうカメラが回っているからとかではなく、聞いておかねばと思ったからだった。
「この力をくれた神様のお告げ通りに行動するだけよ。──それにこの間のテロを起こした奴らは許さないわ。私のたった一人の友達を殺したのよ」
永墓は一枚の紙をポケットから取り出して皆に見せるように掲げた。
「さあ、まだカメラは動いてる? この男がテロの首謀者よ。私は神様から聞いたから知っているの。それにここに証拠の動画もあるのよ」
永墓が見せた紙に載っていた写真。
それは、例の地図に載っていた鳥羽満月の写真だった。
そして一つのインターネットのアドレスも記載されていた。そこには証拠の動画が載っているという。
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