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十一
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霊園から一番近い喫茶店に入った。
天井で回る扇風機の風が二人を冷やした。
暦の上では秋と言えど、日が登っている時間帯はまだまだ暑い。拭けども拭けども汗で湿る肌を扇風機の風が撫でる度、沙耶子はふぅと息を吐いた。
アイスコーヒーを一口飲む。喉から胸元にかけて冷たい塊が滑り落ちて行った。
「田山さん、もしかして毎月あの人の月命日にお墓参りしてくださってるの」
「えぇ、先生には大変お世話になりましたから」
少しでも恩返しの様な事がしたいのです、と言った。
気が弱そうだが、誠実そうな青年だと感じた。
沙耶子は、意を決して言った。
「生活の為にあの人のお金を分けてほしいの」
田山は目を丸くした。
沙耶子は構わずに続ける。
「あの人が田山さんに目をかけていた事、聞いたわ。他の塾生達とは違う、特別な関係があったのでしょう? でも、私も、たった三年だったけれど、あの人の妻だったの。なのに遺産の殆どをあなたに渡すなんて、あんまりじゃなくって?」
「奥様、落ち着いてください」
田山が周囲を気にしながら宥めた。
ついつい感情が昂ってしまった。これでは交渉どころではなくなってしまう。
ごめんなさい、と一言呟いて、沙耶子はハンカチーフを目元に当てた。
「奥様、自分は先生の遺産など受け取っておりませんよ」
「えっ」
そんな権利もありません、と田山が言う。
しかし、清水は確かに言ったのだ。主人も田山もお互い慕い合っていたという事を。
「確かに、自分は先生を慕っておりました。でも、それは自分の父親と重ね合わせて見ていたんです」
田山は、セカンドバッグから手帳を取り出した。
仕事でよく使うのだろうか。表紙は皺が付き、開いた跡が癖になっている。
その手帳から、一葉の写真を取り出した。
親子が写っている。軍服姿の父親、椅子に腰掛け微笑む母親、母親に抱かれ眠っている赤子。
「二五年前の写真です。この赤ん坊は、自分です」
沙耶子の前に写真を差し出す。
写真の中の父母は優しげな、何処か寂しそうな表情をしていた。
「翌年に父は戦死しました。自分はこの写真でしか父の顔を知らないのです」
沙耶子は言葉に詰まった。
世間知らずの彼女も、父親が戦死して母親や親戚に育てられている同級生や知人くらいは居た。
生活が落ち着くまではさぞ大変苦労しただろうと思うが、今回の件と何の関係があると言うのか。
田山が、父の顔を見てください、と言った。
「雰囲気が、先生と似ていませんか」
言われてみれば確かに似ている。
体格も顔付きも全く違うのだが、優しそうな慈悲を感じる眼差しと姿勢が、よく似ている。
田山は、自分の父親と似てるという話を主人にした事があるらしい。父親を思わせる主人を慕うのは当然であろうし、そういった理由で慕われると人一倍目をかけるのも当然だろう。
しかし、ただそれだけだった、と言う。
先生と塾生。それ以上でもそれ以下の関係でもない。
「向日葵は……」
沙耶子は思い出した。
秘密の向日葵の事を。
「先月の初盆の時、小さな向日葵の入った仏花をお供えになったでしょう?」
「いいえ。先月は地元に帰っておりましたので、先生のお墓に参ったのは盆が過ぎた後でしたよ」
仏花に向日葵とは珍しいですね、とも言った。
では、一体誰が向日葵を供えたのか。
(やはり、女の愛人が居るのではないか——)
振り出しに戻ってしまった思考に頭を抱えていると、田山が口を開いた。
「言い難いのですが……特別な関係だったんじゃないかと思う人なら心当たりがあります」
天井で回る扇風機の風が二人を冷やした。
暦の上では秋と言えど、日が登っている時間帯はまだまだ暑い。拭けども拭けども汗で湿る肌を扇風機の風が撫でる度、沙耶子はふぅと息を吐いた。
アイスコーヒーを一口飲む。喉から胸元にかけて冷たい塊が滑り落ちて行った。
「田山さん、もしかして毎月あの人の月命日にお墓参りしてくださってるの」
「えぇ、先生には大変お世話になりましたから」
少しでも恩返しの様な事がしたいのです、と言った。
気が弱そうだが、誠実そうな青年だと感じた。
沙耶子は、意を決して言った。
「生活の為にあの人のお金を分けてほしいの」
田山は目を丸くした。
沙耶子は構わずに続ける。
「あの人が田山さんに目をかけていた事、聞いたわ。他の塾生達とは違う、特別な関係があったのでしょう? でも、私も、たった三年だったけれど、あの人の妻だったの。なのに遺産の殆どをあなたに渡すなんて、あんまりじゃなくって?」
「奥様、落ち着いてください」
田山が周囲を気にしながら宥めた。
ついつい感情が昂ってしまった。これでは交渉どころではなくなってしまう。
ごめんなさい、と一言呟いて、沙耶子はハンカチーフを目元に当てた。
「奥様、自分は先生の遺産など受け取っておりませんよ」
「えっ」
そんな権利もありません、と田山が言う。
しかし、清水は確かに言ったのだ。主人も田山もお互い慕い合っていたという事を。
「確かに、自分は先生を慕っておりました。でも、それは自分の父親と重ね合わせて見ていたんです」
田山は、セカンドバッグから手帳を取り出した。
仕事でよく使うのだろうか。表紙は皺が付き、開いた跡が癖になっている。
その手帳から、一葉の写真を取り出した。
親子が写っている。軍服姿の父親、椅子に腰掛け微笑む母親、母親に抱かれ眠っている赤子。
「二五年前の写真です。この赤ん坊は、自分です」
沙耶子の前に写真を差し出す。
写真の中の父母は優しげな、何処か寂しそうな表情をしていた。
「翌年に父は戦死しました。自分はこの写真でしか父の顔を知らないのです」
沙耶子は言葉に詰まった。
世間知らずの彼女も、父親が戦死して母親や親戚に育てられている同級生や知人くらいは居た。
生活が落ち着くまではさぞ大変苦労しただろうと思うが、今回の件と何の関係があると言うのか。
田山が、父の顔を見てください、と言った。
「雰囲気が、先生と似ていませんか」
言われてみれば確かに似ている。
体格も顔付きも全く違うのだが、優しそうな慈悲を感じる眼差しと姿勢が、よく似ている。
田山は、自分の父親と似てるという話を主人にした事があるらしい。父親を思わせる主人を慕うのは当然であろうし、そういった理由で慕われると人一倍目をかけるのも当然だろう。
しかし、ただそれだけだった、と言う。
先生と塾生。それ以上でもそれ以下の関係でもない。
「向日葵は……」
沙耶子は思い出した。
秘密の向日葵の事を。
「先月の初盆の時、小さな向日葵の入った仏花をお供えになったでしょう?」
「いいえ。先月は地元に帰っておりましたので、先生のお墓に参ったのは盆が過ぎた後でしたよ」
仏花に向日葵とは珍しいですね、とも言った。
では、一体誰が向日葵を供えたのか。
(やはり、女の愛人が居るのではないか——)
振り出しに戻ってしまった思考に頭を抱えていると、田山が口を開いた。
「言い難いのですが……特別な関係だったんじゃないかと思う人なら心当たりがあります」
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