4 / 13
四
しおりを挟む
弁護士から遺言状を読み上げられた時から、A氏は愛人なのではないか、という疑問は浮かんでいた。それでも認めたくも考えたくもなかった。
愛情があったのか今となっては分からないが、夫婦関係は良好であったし、主人から大切に扱われている事は分かっていた。
だから余計認めたくないのだ。
沙耶子は、弁護士の言葉を思い出した。
「自主的にお調べになる事は咎めません」
確かにそう言った。
沙耶子は意を決して書斎に向かった。
今まで殆ど立ち入った事のない、主人の書斎。
仕事に関する書籍や書類は主人の会社の人間が持ち出してしまった為、隙間だらけの本棚が主人の居なくなった書斎の寂しさを強調していた。
主人は羽振りが良かったが、細かい性格でもあった。仕事の帳簿も家計簿もつけていたし、日記も欠かさず書いていた。
沙耶子は、日記を読めばA氏に関する何かしらが分かるのではないかと踏んだのだ。
一つの本棚に、三年日記帳が収納されていた。
その中で一番古い年月の日記帳は、先の大戦より前であった。二十数年分の日記を前に、沙耶子は軽い眩暈を感じた。
問題のA氏がいつ、どこで登場するか見当もつかぬから、新しい年月の日記帳から遡って読む事にした。
日記帳を一冊手に取って、チェアに腰掛ける。
程よく体が沈み、高級な皮が香った。
生前の主人はここに座って読書をしたり、帳簿を書いたり、日記を書いたりしていたのね、と少し感傷に浸った。
パラパラと日記帳のページを捲ってゆく。
大体が仕事に関しての事で、何時に誰某が来ただとか簡潔に記されていた。そして、沙耶子との生活についても書かれていた。どんな会話をしたか、夕食に何を食べたか等々、何気ない日常の一コマを切り取って書かれていた。
(こんな、私も覚えていない事を——)
更に感傷に浸っていた沙耶子だが、次のページを捲った時、どきりと心臓が跳ね上がった。
整った文中に「●●」と塗りつぶされた文字があった。
その前後の文から、人の名前である事が分かる。
電球に透かして見たが、黒い丸があるだけで、文字の痕跡は見つけられなかった。どうやら、元々黒い丸だけを書いた様である。
これが愛人に違いない。沙耶子は確信した。
次のページからは内容をほぼ読まず、「●●」だけを探して捲った。
タエが心配する程熱中して、十年分を捲った。
分かったのは、その人物と主人の交流は三年前からという事と、主人が開いていた私塾の生徒であったという事である。
(あの集まりに女の人なんて滅多に来なかったはず)
沙耶子は、主人の私塾になんの関心も抱いていなかった。ただ、来訪する学生達を出迎えて挨拶を交わしたり、たまに茶菓子の差し入れをした程度だった。
生徒の殆どが男であった。
稀に男子生徒に誘われて参加する学生らしき女も居たが、やはり男ばかりの集まりだから、長続きはしなかった。
沙耶子は参加した女達がつまらなそうに資料を捲ったり、爪をカリカリと弄ったり、退屈そうにしている様を思い出した。
主人を慕う程通っていた女子生徒は、記憶の中には居ない。
もっと読めば何かヒントが掴めるかもしれない。
沙耶子は日記帳を寝室に持ち帰った。
愛情があったのか今となっては分からないが、夫婦関係は良好であったし、主人から大切に扱われている事は分かっていた。
だから余計認めたくないのだ。
沙耶子は、弁護士の言葉を思い出した。
「自主的にお調べになる事は咎めません」
確かにそう言った。
沙耶子は意を決して書斎に向かった。
今まで殆ど立ち入った事のない、主人の書斎。
仕事に関する書籍や書類は主人の会社の人間が持ち出してしまった為、隙間だらけの本棚が主人の居なくなった書斎の寂しさを強調していた。
主人は羽振りが良かったが、細かい性格でもあった。仕事の帳簿も家計簿もつけていたし、日記も欠かさず書いていた。
沙耶子は、日記を読めばA氏に関する何かしらが分かるのではないかと踏んだのだ。
一つの本棚に、三年日記帳が収納されていた。
その中で一番古い年月の日記帳は、先の大戦より前であった。二十数年分の日記を前に、沙耶子は軽い眩暈を感じた。
問題のA氏がいつ、どこで登場するか見当もつかぬから、新しい年月の日記帳から遡って読む事にした。
日記帳を一冊手に取って、チェアに腰掛ける。
程よく体が沈み、高級な皮が香った。
生前の主人はここに座って読書をしたり、帳簿を書いたり、日記を書いたりしていたのね、と少し感傷に浸った。
パラパラと日記帳のページを捲ってゆく。
大体が仕事に関しての事で、何時に誰某が来ただとか簡潔に記されていた。そして、沙耶子との生活についても書かれていた。どんな会話をしたか、夕食に何を食べたか等々、何気ない日常の一コマを切り取って書かれていた。
(こんな、私も覚えていない事を——)
更に感傷に浸っていた沙耶子だが、次のページを捲った時、どきりと心臓が跳ね上がった。
整った文中に「●●」と塗りつぶされた文字があった。
その前後の文から、人の名前である事が分かる。
電球に透かして見たが、黒い丸があるだけで、文字の痕跡は見つけられなかった。どうやら、元々黒い丸だけを書いた様である。
これが愛人に違いない。沙耶子は確信した。
次のページからは内容をほぼ読まず、「●●」だけを探して捲った。
タエが心配する程熱中して、十年分を捲った。
分かったのは、その人物と主人の交流は三年前からという事と、主人が開いていた私塾の生徒であったという事である。
(あの集まりに女の人なんて滅多に来なかったはず)
沙耶子は、主人の私塾になんの関心も抱いていなかった。ただ、来訪する学生達を出迎えて挨拶を交わしたり、たまに茶菓子の差し入れをした程度だった。
生徒の殆どが男であった。
稀に男子生徒に誘われて参加する学生らしき女も居たが、やはり男ばかりの集まりだから、長続きはしなかった。
沙耶子は参加した女達がつまらなそうに資料を捲ったり、爪をカリカリと弄ったり、退屈そうにしている様を思い出した。
主人を慕う程通っていた女子生徒は、記憶の中には居ない。
もっと読めば何かヒントが掴めるかもしれない。
沙耶子は日記帳を寝室に持ち帰った。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説

【完結】共生
ひなこ
ミステリー
高校生の少女・三崎有紗(みさき・ありさ)はアナウンサーである母・優子(ゆうこ)が若い頃に歌手だったことを封印し、また歌うことも嫌うのを不審に思っていた。
ある日有紗の歌声のせいで、優子に異変が起こる。
隠された母の過去が、二十年の時を経て明らかになる?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
俺のタマゴ
さつきのいろどり
ミステリー
朝起きると正体不明の大きなタマゴがあった!主人公、二岾改(ふたやま かい)は、そのタマゴを温めてみる事にしたが、そのタマゴの正体は?!平凡だった改の日常に、タマゴの中身が波乱を呼ぶ!!
※確認してから公開していますが、誤字脱字等、あるかも知れません。発見してもフルスルーでお願いします(汗)

物言わぬ家
itti(イッチ)
ミステリー
27年目にして、自分の出自と母の家系に纏わる謎が解けた奥村祐二。あれから2年。懐かしい従妹との再会が新たなミステリーを呼び起こすとは思わなかった。従妹の美乃利の先輩が、東京で行方不明になった。先輩を探す為上京した美乃利を手伝ううちに、不可解な事件にたどり着く。
そして、それはまたもや悲しい過去に纏わる事件に繋がっていく。
「✖✖✖Sケープゴート」の奥村祐二と先輩の水野が謎を解いていく物語です。
カフェ・シュガーパインの事件簿
山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。
個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。
だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。
どんでん返し
井浦
ミステリー
「1話完結」~最後の1行で衝撃が走る短編集~
ようやく子どもに恵まれた主人公は、家族でキャンプに来ていた。そこで偶然遭遇したのは、彼が閑職に追いやったかつての部下だった。なぜかファミリー用のテントに1人で宿泊する部下に違和感を覚えるが…
(「薪」より)
昭和レトロな歴史&怪奇ミステリー 凶刀エピタム
かものすけ
ミステリー
昭和四十年代を舞台に繰り広げられる歴史&怪奇物語。
高名なアイヌ言語学者の研究の後を継いだ若き研究者・佐藤礼三郎に次から次へ降りかかる事件と災難。
そしてある日持ち込まれた一通の手紙から、礼三郎はついに人生最大の危機に巻き込まれていくのだった。
謎のアイヌ美女、紐解かれる禁忌の物語伝承、恐るべき人喰い刀の正体とは?
果たして礼三郎は、全ての謎を解明し、生きて北の大地から生還できるのか。
北海道の寒村を舞台に繰り広げられる謎が謎呼ぶ幻想ミステリーをどうぞ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる