22 / 22
サイドストーリー
朔太郎と鈴木少佐(後)
しおりを挟む
田畑から出土した展示品の中に、巻き貝の化石の欠片があった。
「これはアンモナイトですね」
化石を興味深そうに眺めて、鈴木少佐が言った。
朔太郎はあまり聞きなれない単語に首を傾けた。頭の上にはハテナが浮かぶ。
鈴木少佐が、恐竜が生きていた頃に居た大昔の貝だと、簡単に説明した。
「へぇ、詳しいですね」
「実は、私、本当は古生物学者になりたかったんですよ」
鈴木少佐は次男であった。家の事は兄に任せて、自分は自由に学問の道に進めると思っていた。
しかし、兄が肺病を患って働けないばかりか、治療と入院の費用が必要となった。鈴木少佐が大学校に進める余裕もある訳がなく、また、自分が家庭を支えなければならず、ならばと学費のかからない士官学校に進んだのだった。
「お兄様は、今は……」
「昨年亡くなりました。両親は私の給金を当てに暮らしていますし、このご時世ですから退官する事もできません」
鈴木少佐は小さくふぅと溜め息を吐いた。
そして、ちらりと朔太郎を見て、いつもの柔和な笑みを浮かべた。
「そのお陰で貴方と知り合う事ができましたけれど」
言葉に表すと恥ずかしく、二人して照れ笑いをして視線を逸らした。
二人以外に客の居ない館内。照明が間引かれていて、薄暗い。
静かな空間が数秒間続いた。
軽く咳払いをして、朔太郎が質問する。
「古生物って例えばどんな生き物なんですか」
「ティラノサウルスって、ご存じですか」
初めて聞く単語であった。
朔太郎は、首を横に振る。
「恐竜という爬虫類の仲間です。五十年程前に米国で初めて化石が発掘されまして……、そうですね、二足歩行する巨大な肉食のトカゲを想像して頂ければ良いかと」
「そんな恐ろしい生き物が外国には存在したんですか」
朔太郎は分からないながらにその姿を想像して慄いた。
この当時、ティラノサウルスの全身骨格は未だ発掘されていなかった。発掘された僅かな部位の大きさと近縁種とされる別の化石の特徴から、その姿が復元されていた。
鈴木少佐が恐竜を含め古生物の存在を知ったのは、尋常小学校に上がる前だった。親戚からティラノサウルスの話を聞いた。そこから興味を持ち、図書館に通って恐竜に関する本を読み漁った。
「誕生日には無理を言って横山博士の著書を買ってもらいました」
しかし、子供にはその内容は難しく、近所に住む大学生に解説してもらった。こんな難しい本をすらすらと読めるなんて凄いと感動し、自分もそうなりたいと思った。
因みに、横山博士こと横山又次郎氏は、恐竜の和訳者であり日本に恐竜を紹介した人物である。
「古生物の中では、やはりそのーティラノサウルス?が一番好きなんですか」
「そうですね。これから全身の化石が発掘されて、研究が進むのだろうと思うと、浪漫を感じます」
そう語る鈴木少佐の瞳は少年のように輝いて見えた。
博物館を後にした二人は結局、朔太郎の神社まで歩いて戻って来てしまった。いつもと服装が違うだけの、いつもの場所。
「今日はよく歩きましたね」
「疲れましたか」
「まぁ、多少……」
こんなに長く歩いたのは久し振りで、疲労を隠せない朔太郎に反して、鈴木少佐は流石陸軍軍人である。これしきの歩行距離では疲労のひの字も感じない。よく訓練されている。
鈴木少佐が今日の礼を言った。
当初の予定とは違ってしまったけれど、鈴木少佐の話が聞けて良かった。前より仲良くなれたような気がした。
朔太郎は満足していた。
「次は、正月にまた来ます」
「はい、お待ちしております」
境内を後にする鈴木少佐を見送る。
また、彼の休日に一緒に出かけたい。いつか一緒に映画を鑑賞できたら良いな、と思った。
まさかこの約四ヶ月後に今生の別れとなるなど、この時は想像もしていなかった。
時は流れて、平成六年の新春。
正月の例祭を終えて一息付いた朔太郎は、源田家に呼ばれていた。
家族皆で映画鑑賞会をするらしい。隆輝が、朔太郎も一緒に観たいと呼んだのだった。
隆輝は、この時まだ未就学児だった。
「何の映画を観るんですか?」
「ジュ⚫︎シック・⚫︎ーク!」
隆輝が元気に答えた。凄く強い恐竜が出て来るの、と付け加えて笑っている。
そういえば、昨年の夏頃に面白い映画があると話題になっていたなぁ、と何となく思い出した。
善輝がVHSをデッキに入れる。
ビデオが再生され、ドキドキハラハラの物語が進んでいく。
「出たっ」
朔太郎の横に座る隆輝が、息を呑んで小さく呟いた。
テレビ画面には、二足歩行の大きな恐竜——ティラノサウルスが主人公達を襲っていた。
(あ、これがティラノサウルスか……)
以前、二足歩行する巨大な肉食のトカゲと説明されて想像した姿形よりも大きく凶暴で、恐ろしい。
その後も映画は草食性恐竜との触れ合いや、肉食性恐竜に翻弄される物語が続く。
鈴木少佐が好きだと語っていた恐竜達が、生き生きと画面の中で動いている。この映画を彼が観たら、どう思うだろうか。きっと喜ぶだろうな。またあの年少の様な輝いた眼差しを向けるのだろうな。
「わ、わっ…大丈夫か?」
善輝が驚きの声を上げ、皆の視線が集まる。
朔太郎の瞳から涙がポロポロと溢れて頬を伝っていた。
「え、あれ……?」
泣いている事に、自分でも驚いた。
鈴木少佐が亡くなっていた知らせを受けた時すらこんなに涙は流さなかったのに。
あれから半世紀近く経っているのに、感情が溢れるとは思ってもいなかった。
「そんなに怖かった? これ、作り物だから大丈夫だよ」
そう言って、隆輝がティッシュを取って渡した。
朔太郎は涙を拭いて、優しく笑った。
「ふふっ、大丈夫です。昔を思い出しただけですよ」
「白亜紀から生きてねぇだろ」
何も知らない善輝が昔を勘違いしてツッコミを入れた。
あはは……と皆で笑って、場が和んだ。
テレビ画面にはティラノサウルスが勇ましく咆哮していた。
朔太郎と鈴木少佐 終
「これはアンモナイトですね」
化石を興味深そうに眺めて、鈴木少佐が言った。
朔太郎はあまり聞きなれない単語に首を傾けた。頭の上にはハテナが浮かぶ。
鈴木少佐が、恐竜が生きていた頃に居た大昔の貝だと、簡単に説明した。
「へぇ、詳しいですね」
「実は、私、本当は古生物学者になりたかったんですよ」
鈴木少佐は次男であった。家の事は兄に任せて、自分は自由に学問の道に進めると思っていた。
しかし、兄が肺病を患って働けないばかりか、治療と入院の費用が必要となった。鈴木少佐が大学校に進める余裕もある訳がなく、また、自分が家庭を支えなければならず、ならばと学費のかからない士官学校に進んだのだった。
「お兄様は、今は……」
「昨年亡くなりました。両親は私の給金を当てに暮らしていますし、このご時世ですから退官する事もできません」
鈴木少佐は小さくふぅと溜め息を吐いた。
そして、ちらりと朔太郎を見て、いつもの柔和な笑みを浮かべた。
「そのお陰で貴方と知り合う事ができましたけれど」
言葉に表すと恥ずかしく、二人して照れ笑いをして視線を逸らした。
二人以外に客の居ない館内。照明が間引かれていて、薄暗い。
静かな空間が数秒間続いた。
軽く咳払いをして、朔太郎が質問する。
「古生物って例えばどんな生き物なんですか」
「ティラノサウルスって、ご存じですか」
初めて聞く単語であった。
朔太郎は、首を横に振る。
「恐竜という爬虫類の仲間です。五十年程前に米国で初めて化石が発掘されまして……、そうですね、二足歩行する巨大な肉食のトカゲを想像して頂ければ良いかと」
「そんな恐ろしい生き物が外国には存在したんですか」
朔太郎は分からないながらにその姿を想像して慄いた。
この当時、ティラノサウルスの全身骨格は未だ発掘されていなかった。発掘された僅かな部位の大きさと近縁種とされる別の化石の特徴から、その姿が復元されていた。
鈴木少佐が恐竜を含め古生物の存在を知ったのは、尋常小学校に上がる前だった。親戚からティラノサウルスの話を聞いた。そこから興味を持ち、図書館に通って恐竜に関する本を読み漁った。
「誕生日には無理を言って横山博士の著書を買ってもらいました」
しかし、子供にはその内容は難しく、近所に住む大学生に解説してもらった。こんな難しい本をすらすらと読めるなんて凄いと感動し、自分もそうなりたいと思った。
因みに、横山博士こと横山又次郎氏は、恐竜の和訳者であり日本に恐竜を紹介した人物である。
「古生物の中では、やはりそのーティラノサウルス?が一番好きなんですか」
「そうですね。これから全身の化石が発掘されて、研究が進むのだろうと思うと、浪漫を感じます」
そう語る鈴木少佐の瞳は少年のように輝いて見えた。
博物館を後にした二人は結局、朔太郎の神社まで歩いて戻って来てしまった。いつもと服装が違うだけの、いつもの場所。
「今日はよく歩きましたね」
「疲れましたか」
「まぁ、多少……」
こんなに長く歩いたのは久し振りで、疲労を隠せない朔太郎に反して、鈴木少佐は流石陸軍軍人である。これしきの歩行距離では疲労のひの字も感じない。よく訓練されている。
鈴木少佐が今日の礼を言った。
当初の予定とは違ってしまったけれど、鈴木少佐の話が聞けて良かった。前より仲良くなれたような気がした。
朔太郎は満足していた。
「次は、正月にまた来ます」
「はい、お待ちしております」
境内を後にする鈴木少佐を見送る。
また、彼の休日に一緒に出かけたい。いつか一緒に映画を鑑賞できたら良いな、と思った。
まさかこの約四ヶ月後に今生の別れとなるなど、この時は想像もしていなかった。
時は流れて、平成六年の新春。
正月の例祭を終えて一息付いた朔太郎は、源田家に呼ばれていた。
家族皆で映画鑑賞会をするらしい。隆輝が、朔太郎も一緒に観たいと呼んだのだった。
隆輝は、この時まだ未就学児だった。
「何の映画を観るんですか?」
「ジュ⚫︎シック・⚫︎ーク!」
隆輝が元気に答えた。凄く強い恐竜が出て来るの、と付け加えて笑っている。
そういえば、昨年の夏頃に面白い映画があると話題になっていたなぁ、と何となく思い出した。
善輝がVHSをデッキに入れる。
ビデオが再生され、ドキドキハラハラの物語が進んでいく。
「出たっ」
朔太郎の横に座る隆輝が、息を呑んで小さく呟いた。
テレビ画面には、二足歩行の大きな恐竜——ティラノサウルスが主人公達を襲っていた。
(あ、これがティラノサウルスか……)
以前、二足歩行する巨大な肉食のトカゲと説明されて想像した姿形よりも大きく凶暴で、恐ろしい。
その後も映画は草食性恐竜との触れ合いや、肉食性恐竜に翻弄される物語が続く。
鈴木少佐が好きだと語っていた恐竜達が、生き生きと画面の中で動いている。この映画を彼が観たら、どう思うだろうか。きっと喜ぶだろうな。またあの年少の様な輝いた眼差しを向けるのだろうな。
「わ、わっ…大丈夫か?」
善輝が驚きの声を上げ、皆の視線が集まる。
朔太郎の瞳から涙がポロポロと溢れて頬を伝っていた。
「え、あれ……?」
泣いている事に、自分でも驚いた。
鈴木少佐が亡くなっていた知らせを受けた時すらこんなに涙は流さなかったのに。
あれから半世紀近く経っているのに、感情が溢れるとは思ってもいなかった。
「そんなに怖かった? これ、作り物だから大丈夫だよ」
そう言って、隆輝がティッシュを取って渡した。
朔太郎は涙を拭いて、優しく笑った。
「ふふっ、大丈夫です。昔を思い出しただけですよ」
「白亜紀から生きてねぇだろ」
何も知らない善輝が昔を勘違いしてツッコミを入れた。
あはは……と皆で笑って、場が和んだ。
テレビ画面にはティラノサウルスが勇ましく咆哮していた。
朔太郎と鈴木少佐 終
0
お気に入りに追加
3
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説



サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

スカイ・コネクト
宮塚恵一
現代文学
「センパイ、どこでも空はつながってるんすよ」
杉並蓮司は趣味の野鳥観察以外には外へ出ることもない、日々をただ惰性で生きる青年。
普段のように大学の元後輩である花恋と川沿いを歩いていると、高校時代の後輩、真琴と再会する。
真琴は大学の演劇サークルの座長になっており、蓮司が昔書いた脚本を劇の題材に使いたいと申し出る。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
遅れてきた先生
kitamitio
現代文学
中学校の卒業が義務教育を終えるということにはどんな意味があるのだろう。
大学を卒業したが教員採用試験に合格できないまま、何年もの間臨時採用教師として中学校に勤務する北田道生。「正規」の先生たち以上にいろんな学校のいろんな先生達や、いろんな生徒達に接することで見えてきた「中学校のあるべき姿」に思いを深めていく主人公の生き方を描いています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる