長生きするのも悪くない―死ねない僕の日常譚―

まこさん

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第十話 思い出の人(後)

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 今から八十年近く前。先の大戦中の事。
 朔太郎は現代と変わらず、源田家のサポートを受けながら一人で神社を切り盛りしていた。
 武芸の神様を祀る神社である為、昔から軍人が参拝に訪れる事は珍しくなかったが、開戦してから更に増えた。隣町に某師団が置かれていた事も影響していた。
 この頃が一番神社が賑わっていたかもしれない。
 朔太郎の悩みは憲兵による監視であった。
 朔太郎は生まれつき色素が薄めである。ハーフだと勘違いされる事も多々あった。
 神職としてこの外見で得した事もあるが、当時のご時世的に敵国との内通を疑われていた。
 源田家の協力もあって大事にはならず、不老不死である事もバレてはいなかった。しかし、しつこい監視と嫌疑にほとほと辟易していた。
 昭和十九年の初夏、初めて見る陸軍将校が参拝に訪れた。
 彼こそ朔太郎と写真に写っていた鈴木少佐である。
「軍人さんとは思えない程に物腰柔らかな人でした」
 春に赴任して来た鈴木少佐は三十歳そこそこ。出世の早いエリートであるが、威張る事なく、言葉に圧もなく、動作も滑らかでスマートな軍人だった。
 朔太郎曰く、海軍さんのような陸軍さんだったという。
 度々参拝に訪れていた鈴木少佐と朔太郎はよく会話をするようになり、仲が深まっていくのに時間はかからなかった。
 ある日、用事を済ませて帰宅した朔太郎を、二人の憲兵が待ち構えていた。
 浄衣ではなく普段着だった事もあり、何処へ何をしに行っていたのか、誰と会っていたのか等々の質問がされた。のらりくらりと答えていたが、常に怪しいと睨まれていたが故に質問は詰問に変わっていった。
 国家憲兵は防諜活動も職務の一つであるから、彼らは真面目に仕事をしているに過ぎないのかもしれないが、朔太郎は困り果てた。
 その時、鈴木少佐が現れた。
「自分の連れに何か用かな」
「連れ、ですか? 前々より諜報員の嫌疑がかかっておりますので、行動を問い質していたのですが」
「暇が無かった自分の代わりに遣いを頼んだのだが、いけないか?」
「いえっ。しかし……」
「彼に不審な事は何もない。不愉快だ」
 憲兵二人は所謂下士官であったので、階級の高い鈴木少佐には逆らえず、失礼しましたと敬礼をし、去って行った。
「友人を疑われるのは些か腹が立ちます」
 そう言って苦笑いする鈴木少佐は、普段通りの物腰柔らかな彼だった。
 以降も憲兵による監視は続いたが頻度はかなり減った。鈴木少佐が便宜を図ってくれたのだろうか。
 朔太郎は鈴木少佐に懇意にしてもらっていた。共通点といえば独身である事だけだが、何故か気が合った。
 朔太郎も久々にできた「友人」という存在が嬉しく、鈴木少佐と過ごす時間が楽しくて特別だった。

 昭和二十年三月。
 神社を訪ねた鈴木少佐が、境内で鬼ごっこをしている子供達を見ながら、話しかける。
「今度、昇進するんです」
「それは、おめでとうございます」
「なので、今の内に写真を撮りに行きませんか」
「昇進後でなくて、今ですか?」
 疑問に思った朔太郎に、柔らかく微笑みながら階級章を指差した。
「記念と見納めに」
 鈴木少佐の提案に乗って、写真館で記念写真を撮った。
 不老不死である証拠を残さない為になるべく写真を撮らないようにしていた朔太郎だが、この時は謎の胸騒ぎを感じて撮ったのだった。
 後日、鈴木少佐は写真を渡しに訪れた。
 いつもと違い、従兵を伴っていた。
「祈祷をしてくれませんか」
 さざ波のような胸騒ぎのなか、武運長久の祈祷を執り行った。
 祈祷が終わると、鈴木少佐は従兵に外で待つように伝え、従兵は一礼して拝殿を出て行った。
 二人になった拝殿で、神妙な顔で見つめ合う。
 沈黙を破ったのは鈴木少佐だった。
「今日はお別れを言いに来ました」
 大体そんな事だろうと予想はついた。しかし、面と向かって告げられると想像していたより衝撃は強く、言葉に詰まった。
「来月に戦地へ立ちます。忙しくなるので、もうこちらに来れないでしょう」
 朔太郎は何と声をかけるのが適切なのか分からず、ただ頷いた。
 鈴木少佐は、上衣の衣嚢から軍隊手帳を取り出した。
 朔太郎の右手を引いて、それを握らせる。
「これを貴方に預けます」
「大事なものなのでは? 故郷のご家族に送られた方が……」
「いえ、貴方に持っていてほしい」
 鈴木少佐の真摯な表情に、朔太郎は全てを飲み込んだ。
「お預かりします。また、会う日まで」
 朔太郎は軍隊手帳を浄衣の合わせに入れ、右手を差し出した。
 右手が重なり握手をした途端、鈴木少佐がぐっと手を引いて片腕で抱き寄せた。
「また、会う日まで、必ず」
 三秒にも満たない抱擁。
 正座し顔を上げた鈴木少佐は、いつも通りの柔和な表情に戻っていた。
 拝殿を出て、朔太郎は鈴木少佐と従兵に頭を下げた。やっと、言葉にできたのは一言だけ。
「ご武運を」
 二人は伸びた背筋を更に正して、敬礼をした。
 優しい笑顔の鈴木少佐が、朔太郎の見た最後の姿だった。

「え、それっきり?」
 黙って聞いていた隆輝は拍子抜けした顔で言った。
 そうですよ、と答えて朔太郎はコーヒーを一口飲んだ。コーヒーはかなり温くなっていた。
 鈴木少佐らが乗った輸送船が戦地に向かう途中で沈んでいた、という話を知らされたのは終戦から一年程経ってからだった。
「墓参りは、行かねぇの?」
「一度ね、故郷を訪ねた事があるんです。でも、焼けちゃったのかな、ご実家の辺りが更地になってて、ご両親の安否も分からず仕舞いで……お墓の有無も分かりません」
 隆輝は絶句した。
 親類も墓も分からないので、毎年命日と思われる日と盆に護国神社に参拝している。それが墓参りの代わりだと、朔太郎は思っている。
「少佐殿は、今も南シナ海の何処かに眠ったままなんですよねぇ」
 いや、昇進したから中佐殿か、ぽつりと付け加える。
 隆輝が、思い出したと手を打った。
「あの女子高生の先祖霊みたいに、その人も見えたりしねぇの? そんだけ仲良かったんだから」
「それが、一度たりともないんですよねぇ」
「マジか……」
「もうとっくに御霊は戦友や部下の人達と一緒に九段へ行ってしまったのかな」
 すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干して、短く溜め息を吐く。
 黙りこくっている隆輝に向かって、
「だからあの手帳と写真は形見と同じです! デストロイヤー六代目源さんには絶対に触らせません!」
 そう吠えた朔太郎の口調は、普段の隆輝とのじゃれ合いの時と同じだった。
 にこっと笑うと、コーヒーの礼とおやすみを言って、部屋へと消えて行った。
 隆輝は珍しく本気で反省した。
 部屋に引かれた来客用の布団の肌触りとふかふか具合を堪能した朔太郎は、仰向けになって伸びをした。
 鞄に手を伸ばして、軍隊手帳を取り出し、ぼんやりと眺める。
「また、会う日まで、必ず」
 鈴木少佐の声と言葉が、鮮明に思い出される。
 もし戦地から生きて戻って来たら、この手帳は約束通り返却するつもりだった。
 それは叶わなかった訳だが、幽霊となって再開できたら、その時はお焚き上げをして届けようと考えている。
 それも、未だ叶わず。
 手帳を丁寧に鞄に戻し入れ、布団に寝転がる。
 彼のような特別な関係の友人はもう現れないのだろうな。
「夢にすら出てきてくれないんだから。つれない人だな」
 目を瞑ると今日一日の疲れがどっと押し寄せて、明日の予定を考える暇もなく眠りに落ちた。
 朔太郎は、水道管から噴き出した水を延々拭き続ける夢を見て、泣きながら起きる事となった。
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