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第九話 思い出の人(中)
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朔太郎が大事に胸に抱く軍隊手帳は、亜麻色というか砂色というか、くすんだ表紙に五芒星が目立つ。多少の擦れやシミはあるものの、状態はとても良い。
軍隊手帳は軍人勅諭や戦陣訓、他に心得等が記載されている他、従軍する者の氏名や出身地、所属師団や兵科に階級、入隊から除隊までの経歴が記載された身分証明書である。
朔太郎に従軍経験はない。つまりは朔太郎の軍隊手帳ではない。
「おー、それまだ持っとったんか」
四代目源さんが手帳を指差して言った。
「手放せませんよ、これは」
「ふーん、これが軍隊手帳か。初めて見た」
「俺も」
隆輝と善輝が興味津々に手帳を覗き込む。
ちょっと見せて、と伸ばされた隆輝の手を、朔太郎は思い切り叩いた。
「絶対、駄目です! 貴方破壊しそうですもん」
「壊さねえよ、見るだけだろ」
「壊さずとも汚されそうなんで、嫌です!」
触られたくない朔太郎と触りたい隆輝の攻防が始まった。
そうだ衣の中に入れてしまえば良いじゃないか、と思った朔太郎は浄衣の合わせに手を掛けようとした。
が、Tシャツに着替えていたので、指が胸元をスライドしただけになった。
「あっ」
その一瞬をついて、隆輝が手帳を奪った。
途端、手帳からひらりと何かが落ちた。
「うわっ、馬鹿馬鹿っ」
朔太郎は慌てて捕えようと手を伸ばすが、虚しく空を切った。
無情にも善輝特製酢豚の上に落ちる、と思った時、四代目源さんが素早く右腕を伸ばし、人差し指と中指で挟んで止めた。
この場で一番身体能力と反射能力が衰えているはずの四代目源さんの神業に、一同感嘆の声が漏れた。
安堵の溜息を吐く四代目源さんの指の間には、一枚の写真があった。
その白黒の写真に映るのは、二人の人物。
一人は浄衣姿で立つ朔太郎。
もう一人は、椅子に座る軍服の男性。きっちりと着込んだ詰襟の軍服に左手に立てて持たれた日本刀。軍帽の下に覗く眼差しは、勇ましい陸軍軍人の身形に反して柔和で優し気な印象を受ける。
裏面には「昭和二十年三月 鈴木少佐」と記載されていた。
源田家から車で約十五分の所にあるマンション。
この十五階建てマンションの十階に隆輝が住んでいる部屋がある。意図的に十階を選んだのではなく、たまたま空室があったからという隆輝らしい適当な理由で決めた。
オートロックマンションの存在は知っているが訪ねた事が殆どない朔太郎は、エントランスで開錠する隆輝の後ろでそわそわと落ち着きがなかった。完全に不審者のそれであった。
単身者にはもったいない広々とした2LDKの間取り。
使っていない一部屋を、水浸しになった家の修繕が終わるまで借りて暮らす。
隆輝がシャワーを浴びてリビングに戻ると、カーテンの隙間に顔を突っ込んでいる朔太郎が居た。
「何やってんだ?」
「あ、いや……夜景を。こんな高い所、何だか落ち着かなくて」
「修学旅行の小学生かよ」
呆れたように笑って、隆輝は二人分のコーヒーを淹れた。
促されてソファに座った朔太郎。いつ買ったか分からないTシャツにスウェット姿の朔太郎は大学生……いや、高校生にしか見えない。
「あのさ」
隆輝は、コーヒーを一口飲んで切り出す。
何ですか、とカップに口を付けたまま朔太郎が聞く。
「あの写真の人とジイさんってどんな関係?」
「気になります?」
「そりゃ、まぁな。だってジイさん、軍人が嫌いって言ってただろ、昔。繋がりが分かんねえ」
「僕が嫌いなのは、憲兵さんってやつですよ」
目を瞑って、うーんと少し考えて、朔太郎は決心したように真っ直ぐ隆輝を見た。
カップを置いて、指を組む。
「これは、お父様にも話していないお話です」
ぽつりと昔の事を話し始めた。
軍隊手帳は軍人勅諭や戦陣訓、他に心得等が記載されている他、従軍する者の氏名や出身地、所属師団や兵科に階級、入隊から除隊までの経歴が記載された身分証明書である。
朔太郎に従軍経験はない。つまりは朔太郎の軍隊手帳ではない。
「おー、それまだ持っとったんか」
四代目源さんが手帳を指差して言った。
「手放せませんよ、これは」
「ふーん、これが軍隊手帳か。初めて見た」
「俺も」
隆輝と善輝が興味津々に手帳を覗き込む。
ちょっと見せて、と伸ばされた隆輝の手を、朔太郎は思い切り叩いた。
「絶対、駄目です! 貴方破壊しそうですもん」
「壊さねえよ、見るだけだろ」
「壊さずとも汚されそうなんで、嫌です!」
触られたくない朔太郎と触りたい隆輝の攻防が始まった。
そうだ衣の中に入れてしまえば良いじゃないか、と思った朔太郎は浄衣の合わせに手を掛けようとした。
が、Tシャツに着替えていたので、指が胸元をスライドしただけになった。
「あっ」
その一瞬をついて、隆輝が手帳を奪った。
途端、手帳からひらりと何かが落ちた。
「うわっ、馬鹿馬鹿っ」
朔太郎は慌てて捕えようと手を伸ばすが、虚しく空を切った。
無情にも善輝特製酢豚の上に落ちる、と思った時、四代目源さんが素早く右腕を伸ばし、人差し指と中指で挟んで止めた。
この場で一番身体能力と反射能力が衰えているはずの四代目源さんの神業に、一同感嘆の声が漏れた。
安堵の溜息を吐く四代目源さんの指の間には、一枚の写真があった。
その白黒の写真に映るのは、二人の人物。
一人は浄衣姿で立つ朔太郎。
もう一人は、椅子に座る軍服の男性。きっちりと着込んだ詰襟の軍服に左手に立てて持たれた日本刀。軍帽の下に覗く眼差しは、勇ましい陸軍軍人の身形に反して柔和で優し気な印象を受ける。
裏面には「昭和二十年三月 鈴木少佐」と記載されていた。
源田家から車で約十五分の所にあるマンション。
この十五階建てマンションの十階に隆輝が住んでいる部屋がある。意図的に十階を選んだのではなく、たまたま空室があったからという隆輝らしい適当な理由で決めた。
オートロックマンションの存在は知っているが訪ねた事が殆どない朔太郎は、エントランスで開錠する隆輝の後ろでそわそわと落ち着きがなかった。完全に不審者のそれであった。
単身者にはもったいない広々とした2LDKの間取り。
使っていない一部屋を、水浸しになった家の修繕が終わるまで借りて暮らす。
隆輝がシャワーを浴びてリビングに戻ると、カーテンの隙間に顔を突っ込んでいる朔太郎が居た。
「何やってんだ?」
「あ、いや……夜景を。こんな高い所、何だか落ち着かなくて」
「修学旅行の小学生かよ」
呆れたように笑って、隆輝は二人分のコーヒーを淹れた。
促されてソファに座った朔太郎。いつ買ったか分からないTシャツにスウェット姿の朔太郎は大学生……いや、高校生にしか見えない。
「あのさ」
隆輝は、コーヒーを一口飲んで切り出す。
何ですか、とカップに口を付けたまま朔太郎が聞く。
「あの写真の人とジイさんってどんな関係?」
「気になります?」
「そりゃ、まぁな。だってジイさん、軍人が嫌いって言ってただろ、昔。繋がりが分かんねえ」
「僕が嫌いなのは、憲兵さんってやつですよ」
目を瞑って、うーんと少し考えて、朔太郎は決心したように真っ直ぐ隆輝を見た。
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ぽつりと昔の事を話し始めた。
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