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「かどわかし」
しおりを挟む翌朝、飛竜小屋の掃除を終えたグライドは執務室に呼ばれた。
いつも以上に忙しく仕事をしているアレックスから金貨が入った小袋を受け取る。
「なんだこれ?」
「昨日の褒美だ。」
「‥‥はい?」
「まあなんだ、今後ともよろしく頼む。」
昨晩グライドの部屋に殴り込んできたアレックスに叩き起こされ散々叱られたのち、罰として飛竜小屋の掃除を言つけられた。
あの様子では失敗したのか、流石にちょっと強引すぎたかと反省していたのだが。複雑な顔で金貨の袋を見た。
うーん?これはもっとやれと言うことか?面倒臭い男だ。
夜中の不機嫌はどこへやら、アレックスは上機嫌で手を動かしている。鼻歌でも聞こえてきそうで気味が悪い。これ聞かないとダメなやつか、嫌だけど。
「随分ご機嫌だな、何かあったのか。」
「メリッサから手紙が届いた!」
「お、おう、そうか。」
よくぞ聞いたとばかりに満面の笑みで即答されグライドがたじろぐ。どうやら一昨日の失態は挽回できたようだが、一緒の邸に住んでいるのに文通ってどうなんだ?
「午後にお茶の約束をした。仕事は午前中に片付ける。こっちを処理しておけ。」
大量の書類を押し付けられげんなりする。
普段も結構な業務スピードなのに、さらに加速されてはこちらがついていけない。そろそろ人手を増やす提案をしたほうがいいかもしれない。
今日の仕事が一段落したアレックスはメリッサの手紙を読み返した。
夜更けに寝室に押しかけたお詫びと禁酒する旨が書かれていた。
メリッサは昨晩のことを忘れていなかった。アレックスの謝罪も覚えているはず、ならばとお茶に誘うと了承の返事が来た。
昨晩は寝落ちされてしまったが、あの雰囲気のまま会えればいい。煩わしい兜もいらなくなったのだから。午後が楽しみだ。
勢いで明日の仕事にも取り掛かろうとして窓を振り返った時に見覚えのあるものが目に入った。日傘だ。
あれは確かメリッサに贈ったもの。白のレースに新緑のリボンがよくて選んだのが記憶に新しい。それが開いたまま庭に落ちている。
持ち主が見えない。嫌な予感がする。
アレックスは執務室の窓から身を躍らす。二階だったが難なく着地し日傘を手に取った。ここは——
「若!!」
バースが侍女とともに走ってきた。彼女はメリッサ専属の、確かアニス。年が近く気も合うだろうとメリッサにつけた侍女だ。
「メリッサ様がいなくなりました!」
「申し訳ありません。気がついたらお姿が消えていて‥‥。」
「のようだな。ここはまずい。「かどわかし」だ。」
結界があるにもかかわらず、ごくごくたまに、魔封の森が意思を持ったかのように人や獣をかどわかす。一度森に取り込まれると人の身で抜け出すことは難しい。「かどわかし」と呼ばれ領民も恐れていた。
アレックス自身も子供の頃に「かどわかし」にあった。そしてメリッサが消えた場所はまさにアレックスが昔「かどわかし」にあった場所だった。
ここは場が悪い。アレックスとバースとで幾重にも結界を施してあった。なのに「かどわかし」にあった。魔素が最近濃くなっていてその勢いが結界を越えたのだろう。アレックスは唇を噛んだ。
「あの侍女‥ロザリーはついていなかったのか?」
「所用があるとおっしゃって本日は不在です。」
間が悪い。あの侍女がついていれば抵抗できただろう。アレックスはクラバットを解き上着を脱ぎ捨てる。
「先に入る。——グライド!!」
「聞こえてる!捜索隊を編成してすぐに向かう。無茶するなよ!」
二階の執務室から身を乗り出していたグライドが大声で応じた。人では飛び降りられない高さだ。
シャツの襟元を緩めながらアレックスは魔狼に変化した。
捜索隊は森の正門にまわるため時間がかかるが、魔狼の姿であれば正門でなくとも結界をすり抜けられる。自分が先に入る方が早い。
アレックスは森を駆け出した。鬱蒼とする森の中でメリッサの魔力残滓を探す。程なくして迷いなく真っ直ぐ進むメリッサの跡を見つけた。何かに導かれるように森の奥に続いている。
おかしい。メリッサはハンターだ。「かどわかし」も当然知っているはずだ。ここまで抵抗なく取り込まれるものなのか。
跡を辿ってしばらく駆けると森が開け湖が見えた。
魔狼の足ではすぐだがこの距離をここまで歩いたメリッサに驚く。だいぶ中心部に近く魔素も濃い。
魔狼の身には心地いいが、魔道具一つだけではメリッサにはきついのではないか。アレックスは不安になった。
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