上 下
15 / 23
第三章

戦神の枷

しおりを挟む



 エルザとの関係に進展があった。

 事件の翌日には、エルザが見舞いに来てくれたのだ。あの件で少しは打ち解けてくれた‥‥と思っていたら事情が違っていた。

「そそ、その後のお、おか、おかげ、げんは‥‥」

 体を震わせ真っ赤になって激しくどもる。そして何故か泣きながら退室逃走。腕を治療してくれた時もこんな風だった。事情がよくわからない。
 エルザは部屋を出たり入ったりして三回目にはフリードに押さえ込まれた。

「いい加減に慣れろ!!二ヶ月経ってもまだダメなのか?!」
「ダメ!!ダメですぅ!!」

 何が?
 きょとんとしたエレノアの顔を見たエルザはキャーッイヤーッと両手で真っ赤な顔を覆う。

「こいつは!激しく人見知りであがり症で恥ずかしがりなんだ!」
「はい?!」

 思わず聞き返してしまった。人見知り?あがり症?恥ずかしがり?これが?こんなに暴れましたっけ?
 真っ赤になって暴れるエルザをフリードが首根っこを持って押さえ込む。

「公務では変なスイッチが入って大丈夫なんだがな。人慣れするのに時間がかかるやつだが今回は酷すぎるぞ!エレノアに会えるって喜んでたじゃないか!」
「だって!あの姫将軍様が目の前にいらっしゃるんだもん!」

 ますますわからない。どうしてこうなった?

「こいつ、巷で流行ってる武勇伝サーガにハマってて姫将軍見たさにオレと一緒に係争地帯に来たほどだ!」

 バラさないでぇ!と両手で顔を覆ったエルザから悲鳴が上がる。

「武勇伝?なんですかそれ?」
「知らないのか?姫将軍の武勇伝。巷で大流行だぞ?」
「全く存じません。フリード様はご存知で?」
「いや!オレは別に興味など‥その、こいつが家の中で大声で読み上げるから仕方なく‥‥。」

 言わないでぇ!と両手で顔を覆ったエルザからさらに悲鳴が上がる。

 赤面涙目エルザが持ってきた武勇伝集にはエレノアの身に覚えがないことばかり書かれていた。
 これ誰のこと?美しすぎて兜で美貌を隠している?竜なんて倒してませんよ?聖剣って何?なんでここで敵国の皇太子と恋に落ちてるの?あれ?これは‥‥?

 フリードは目元を赤らめ視線を外す。

「バカ売れの最新版は今回の婚約で付け足された。戦場でオレ達が‥その‥そういう仲になったと。」
「はぁ?!なんで?どうして?誰が書いてるんですか?!こんな勝手なこと!!」

 エレノアは真っ赤になった。自分の恋愛事情が大衆本にされて見られている!なんで知っているの?恥ずかしすぎる!!そこをフリードが勘違いする。

「そこまで全力で怒ることないだろう?!」
「怒ってません!ただ勝手に書くなと!!」
「勝手なことで悪かったな!!」

 途中から二人の口喧嘩になりエルザが呆気に取られていた。

 慣れるためだと、エルザは毎日エレノアの部屋にやってきてはたどたどしく会話をして帰っていく。なんとか聞き出した話では、最初から話はしたかったが、目も合わせられずいたたまれず逃走していただけらしい。
 嫌われていたと思っていたのはこちらの勘違いだったようだ。
 必死に会話をしようと頑張る涙目エルザが可愛らしく、悪いと思いつつもエレノアは笑ってしまった。



 フリードもエレノアを気遣い見舞いによく顔を出した。毒か痺れ薬の後遺症か少しだるさがある。そこを気遣われた。
 体調が戻れば午後のお茶を復活させましょう。そうエレノアがいえば歯を見せて笑ってくれた。エレノアはそれが嬉しかった。
 フリードはもう公務以外はほとんどエレノアの側に入り浸っている。その様子を見てマルクスがこぼした。

「仲睦ましいのは喜ばしいことですが、おかげで残った公務をこなす私が大変です。」
「皇太子の代わりの訓練だからちょうどいいだろう?」
「これは訓練というていなんですか?ずっと続く予感がします。」

 マルクスは忌々し気に兄を見た。
 
 毎日誰かがエレノアの部屋に見舞いに来た。それがとても楽しくて嬉しかった。
 ハイランド王国では無視されて独りぼっちだったのに、今は独りではない。
 穏やかな日々が愛おしかった。


 だがある日からフリードの様子がおかしくなった。表情が暗い時がある。話していればいつものオレ様なのだが、たまに何を思ってか押し黙る。それでもエレノアの側を離れない。

 何かあればいつでも相談する間柄なのではなかったのか。エレノアは訝ったが問いただすのは躊躇われた。
 それはとても恐ろしく触れてはいけないもののように感じられた。

 そうして事態は悪化していった。




 それは夜遅く。エレノアは人の気配で目が醒めた。枕元にフリードがいた。外套を纏っている。出かけるのか、出かけていたのか。

「起こしてすまない。今少しいいか?」

 エレノアは頷いて半身を起こす。ベッドから出ようとするところを留められ、寝具に入ったままのエレノアにフリードが肩掛けをかける。フリードは椅子を引き寄せてエレノアの傍に腰掛けた。
 満月の夜。灯りがいらないほど部屋は明るかった。

「これから『視察』に行ってくる。」

 その言葉にぞくりとした。青ざめてフリードを見た。フリードは完全に表情を殺していた。

「以前オレが『視察』に行った村が壊滅した。魔物が出た。」
「あれは‥魔物はいなかったと。」
「あの土地柄を見落としていた。あの地域には魔物を神に崇める土着信仰があった。だから村人は御神体を隠し通したようだ。」

 魔物が神?御神体?よくわからない。どういう宗教なんだろうか。

「強いものを崇める宗教はよくある。魔物に限らず太陽や山を崇める原始宗教もある。魔物を崇めるのは邪教だと思うが。だがそこで見落とした。念のため置いてきた騎士隊も全滅だった。完全にオレのミスだ。」

 表情を殺したフリードは続ける。顔には出さないが多分自分を責めている、エレノアはそう思った。

「その後近隣の村も壊滅した。追加で派兵したがそれも連絡を絶った。恐らくその魔物は人を食らっている。人を食った魔物は巨大化し力が強くなる。人肉の味を覚えた魔物を野放しにすれば人肉を求めて村をさらに襲う。」

 それ程に肥大した魔物。人の手で狩ることなどできるのだろうか。たとえ黒剣であったとしても。エレノアの体がぶるりと震える。

「被害が拡大する。もう血が流れすぎた。だから駆除しなければならない、早急に。」

 静かな語り口はもう決めた、と言っている。それでも縋った。声が掠れる。震えが止まらない。こんなことは初めてだ。

「フリード様が‥‥向かわれるのですか?どうして?!」
「そうだ。オレのミスだから。怠慢だから。」

 フリードは手を伸ばしエレノアの頬に触れる。エレノアはびくりと震えた。これはまた別の震え。心が躍る。

「お前の側にいたくて時を逃した。悪化するのはわかっていたのにな。これは職務放棄だ。だからオレが行く。オレが始末をつける。」
「ならば私も!」
「立場をわきまえろ。ハイランド王国第四王女エレノア。」

 小さくも低く圧のあるフリードの声にエレノアは言葉を飲み込んだ。

「お前は帝国の賓客だ。和平の条件で嫁いできた。そして相手は帝国皇太子。オレでなくてもいい。」

 そう言い放たれては何も言えない。言わさないようにしている。ひどいと思った。

「お前は和平条約のかなめ。お前が死ねば和平は崩れると知れ。軽々しくその身を危険に晒すことは許されない。そのことを肝に銘じろ。」
「—— いやです。」
「エレノア!」
「いやです!一緒に行きます!もう一人残されるのはいやです!!」

 この皇太子が冷たくなって横たわる。そんなことは耐えられない!だから——

 エレノアが悲痛な声を上げればフリードはくしゃりと苦笑した。その笑みがものすごく弱々しく見えた。フリードは目元に手を当てて俯き、吐き出すように言葉を紡ぐ。

「お前は軽く言う。だがお前が死ぬと思うとオレはとてつもなく弱くなる。この間思い知った。あの三人を斬り伏せたことすら覚えていない。お前はそういう存在なんだ。」

 その声に涙声がかすかに混じる。フリードの肩が震えている。

「もしオレに強くあって欲しいと願うならここにいてくれ。そうでないとオレはお前の死に怯えて何もできなくなる。」

 自分も同じだ。この男の死に怯えている。
 自分がこの戦神の枷になってしまっている。何も言えなかった。
 では何を言えばいいのだろう。思考がまとまらない。だからあの言葉を繰り返した。

「‥‥ではお早いご帰還をお待ちしております。でなければ私は‥‥フリード様のお顔を忘れてしまうかもしれませんよ。」

 声を詰まらせながら言った。さあ言って。早く帰ると。オレを忘れるのは許さない、と。
 フリードはふわりと笑う。だが何も言わない。そうしてエレノアの手を取りそこに口づけた。

 フリードは旅立っていった。



 フリードが『視察』に出たことはすでに皆知っていたようだ。カールは激怒していた。

「行くなとは言いません。ですがなぜフリード兄は僕を連れて行かなかったのか。僕がいるのといないのでは全然違うのに!」
「お前がいると口うるさいからじゃないか?勝手に先走るな、布陣を考えろと叱るだろ?」

 マルクスが軽口で応じているが、雰囲気は暗かった。

 エレノアはただそこに留まっていた。
 ここにいれば肉体は護られる。でも心は死んでいた。かつて剣を折れと命じられたあの時に似ていた。

 そして五日後、フリードの生死不明の報がもたらされた。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

地味令嬢は結婚を諦め、薬師として生きることにしました。口の悪い女性陣のお世話をしていたら、イケメン婚約者ができたのですがどういうことですか?

石河 翠
恋愛
美形家族の中で唯一、地味顔で存在感のないアイリーン。婚約者を探そうとしても、失敗ばかり。お見合いをしたところで、しょせん相手の狙いはイケメンで有名な兄弟を紹介してもらうことだと思い知った彼女は、結婚を諦め薬師として生きることを決める。 働き始めた彼女は、職場の同僚からアプローチを受けていた。イケメンのお世辞を本気にしてはいけないと思いつつ、彼に惹かれていく。しかし彼がとある貴族令嬢に想いを寄せ、あまつさえ求婚していたことを知り……。 初恋から逃げ出そうとする自信のないヒロインと、大好きな彼女の側にいるためなら王子の地位など喜んで捨ててしまう一途なヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。 扉絵はあっきコタロウさまに描いていただきました。

つがいの皇帝に溺愛される皇女の至福

ゆきむらさり
恋愛
稚拙な私の作品をHOTランキング(7/1)に入れて頂き、ありがとうございます✨ 読んで下さる皆様のおかげです🧡 〔あらすじ〕📝強大な魔帝国を治める時の皇帝オーブリー。壮年期を迎えても皇后を迎えない彼には、幼少期より憧れを抱く美しい人がいる。その美しい人の産んだ幼な姫が、自身のつがいだと本能的に悟る皇帝オーブリーは、外の世界に憧れを抱くその幼な姫の皇女ベハティを魔帝国へと招待することに……。 完結した【堕ちた御子姫は帝国に囚われる】のスピンオフ。前作の登場人物達の子供達のお話に加えて、前作の登場人物達のその後も書かれておりますので、気になる方は是非ご一読下さい🤗 ゆるふわで甘いお話し。溺愛。ハピエン♥️ ※設定などは独自の世界観でご都合主義となります。

王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~

石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。 食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。 そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。 しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。 何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。 扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。 小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。

変装して本を読んでいたら、婚約者さまにナンパされました。髪を染めただけなのに気がつかない浮気男からは、がっつり慰謝料をせしめてやりますわ!

石河 翠
恋愛
完璧な婚約者となかなか仲良くなれないパメラ。機嫌が悪い、怒っていると誤解されがちだが、それもすべて慣れない淑女教育のせい。 ストレス解消のために下町に出かけた彼女は、そこでなぜかいないはずの婚約者に出会い、あまつさえナンパされてしまう。まさか、相手が自分の婚約者だと気づいていない? それならばと、パメラは定期的に婚約者と下町でデートをしてやろうと企む。相手の浮気による有責で婚約を破棄し、がっぽり違約金をもらって独身生活を謳歌するために。 パメラの婚約者はパメラのことを疑うどころか、会うたびに愛をささやいてきて……。 堅苦しいことは苦手な元気いっぱいのヒロインと、ヒロインのことが大好きなちょっと腹黒なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(作品ID261939)をお借りしています。

一年で死ぬなら

朝山みどり
恋愛
一族のお食事会の主な話題はクレアをばかにする事と同じ年のいとこを褒めることだった。 理不尽と思いながらもクレアはじっと下を向いていた。 そんなある日、体の不調が続いたクレアは医者に行った。 そこでクレアは心臓が弱っていて、余命一年とわかった。 一年、我慢しても一年。好きにしても一年。吹っ切れたクレアは・・・・・

【完結】親に売られたお飾り令嬢は変態公爵に溺愛される

堀 和三盆
恋愛
 貧乏な伯爵家の長女として産まれた私。売れる物はすべて売り払い、いよいよ爵位を手放すか――というギリギリのところで、長女の私が変態相手に売られることが決まった。 『変態』相手と聞いて娼婦になることすら覚悟していたけれど、連れて来られた先は意外にも訳アリの公爵家。病弱だという公爵様は少し瘦せてはいるものの、おしゃれで背も高く顔もいい。  これはお前を愛することはない……とか言われちゃういわゆる『お飾り妻』かと予想したけれど、初夜から普通に愛された。それからも公爵様は面倒見が良くとっても優しい。  ……けれど。 「あんたなんて、ただのお飾りのお人形のクセに。だいたい気持ち悪いのよ」  自分は愛されていると誤解をしそうになった頃、メイドからそんな風にないがしろにされるようになってしまった。  暴言を吐かれ暴力を振るわれ、公爵様が居ないときには入浴は疎か食事すら出して貰えない。  そのうえ、段々と留守じゃないときでもひどい扱いを受けるようになってしまって……。  そんなある日。私のすぐ目の前で、お仕着せを脱いだ美人メイドが公爵様に迫る姿を見てしまう。

最悪なお見合いと、執念の再会

当麻月菜
恋愛
伯爵令嬢のリシャーナ・エデュスは学生時代に、隣国の第七王子ガルドシア・フェ・エデュアーレから告白された。 しかし彼は留学期間限定の火遊び相手を求めていただけ。つまり、真剣に悩んだあの頃の自分は黒歴史。抹消したい過去だった。 それから一年後。リシャーナはお見合いをすることになった。 相手はエルディック・アラド。侯爵家の嫡男であり、かつてリシャーナに告白をしたクズ王子のお目付け役で、黒歴史を知るただ一人の人。 最低最悪なお見合い。でも、もう片方は執念の再会ーーの始まり始まり。

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

処理中です...