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第二章:襲撃
来客
しおりを挟むそれは昼下がりに庭園の四阿で二人、お茶を楽しんでいた時だった。
ふ、とアンジェロが腰掛けたまま空を見上げた。何か探るように虚空を見つめ視線を巡らす。
ああ、まただ。
アナスタシアはもう何度もその様子を見ていたが、今日のそれはいつもより長く感じられた。
穏やかな庭の中で小鳥の囀りに耳を傾ける様にも見える。
いつもならそれだけなのだが、その日は違っていた。
アンジェロがテーブルの上に置かれた手の人差し指を無言で振った。背後に控えていたナベルズが黙礼して立ち去る。
不意にアンジェロは視線をアナスタシアに向けた。なんとも嬉しそうなにこやかな笑みだ。
「申し訳ありません、来客のようです。」
「‥お客様‥ですか?」
「ええ、やっと近づいてきてくれました。殿下のおかげです。」
何がおかげなのかわからない。キョトンとした顔をして見せるとアンジェロは苦笑して席を立った。そしてアナスタシアの側に歩み寄りしゃがんで見あげてきた。
口元に人差し指を当てて小さく囁く。
「殿下、お願いがあります。」
「何でしょう?」
その悪戯をしかけるような仕草にドギマギする。わざとやってるの?だとしたら本当にとんでもない。
冷静を装って同じように小さく囁けばアンジェロの笑みが一層深くなる。
「これから言うことをよく聞いて実行ください。まずは僕が合図したら僕の背後の茂みに一緒に駆け込みます。」
アンジェロの背後を視線だけで見やりこくんと頷く。
「そしてご自分の両手で耳を塞いでください。とても大きな音がしますが怖いことは何も起こりません。僕がお側におります。ご安心ください。」
大きな音とは花火か何かだろうか?お客様にサプライズ?アナスタシアは了解して頷く。
「耳ですね。わかりました。」
「そのまま僕がいいと言うまでじっとしていてください。」
理解したのでこくんと頷いた。立ち上がったアンジェロが差し出した両手に自分の手を乗せれば、手を引かれ席を立たされる。両手は握られたままだ。
アンジェロがアナスタシアの顔を覗き込んだ。
「殿下、申し訳ありません。これから殿下に触れます。」
「はい?」
その囁きと同時に手を引かれ、アナスタシアはその勢いでアンジェロの胸の中に倒れ込んだ。その体をぎゅっとアンジェロに抱きしめられる。
アナスタシアは抱き竦められ動けない。衝撃で目を見開いた。その腕の暖かさと力強さ、アンジェロの新緑に似た爽やかな香りに思考が飛ぶ。身長差がそれほどないためアンジェロの肩に顔を埋める格好になる。
初めてのアンジェロの抱擁だった。
婚約者と言いながらずっと紳士な態度でアナスタシアの手や頭以外触れたことがなかった。だからときめき以前に急な抱擁に心底驚いた。大混乱だ。
だが同時にアンジェロの肩口から見える虚空に大量の雨の波紋が見えてさらに驚いていた。それは狂ったように叩きつける大雨のようだった。
抱擁はすぐに解けた。
「殿下!行きます!」
アンジェロがアナスタシアから身を離し庇うように手を引いて駆け出した。茂みの影に飛び込んでアンジェロはアナスタシアを背後に庇う。
「耳を」
囁かれ慌てて両耳を塞ぐ。アンジェロがコートの脇の下から黒光りするものを取り出し両手で構える。
見たこともないそれに親指をかけかちゃりと引き倒す。そしてアンジェロが虚空に狙いを定め、次の瞬間初めて聞く爆音が轟いた。耳を塞いでも鼓膜にうるさい。
アンジェロの背中に庇われ何が起きているかわからない。ただ爆音が連続して轟いていた。パラパラと金属の筒が降ってくる。そして何か焦げた臭い。
“アズより伝達。目標は北北西に移動。A、Bは両翼から包囲。足止めしろ。絶対に逃すな。”
耳からでない、どこからかアンジェロの声がする。庇おうと肩に触れているアンジェロの左手から伝わっているのだとアナスタシアは気がついた。
だが話す内容も低い語気も普段のアンジェロのものではない。
遠くで先ほどと似た爆音が轟いている。
何が?
アンジェロは辺りを窺っている。視線はそのままに手の中の黒い塊に何かを押し込んでいる。がちゃりと金属の重い音がした。そして顔を顰め低い声でかすかに呟く。
「‥‥どこに行った?」
アンジェロの顔を窺い見れば、目を細めいつになく鋭い剣呑な雰囲気を纏っていた。城から移動する時も気配が違ったがその比ではない。
このようなアンジェロをアナスタシアは知らない。
何が起こっているの?
アナスタシアは耳を塞いだまま瞬きもせずに見つめていた。ただ震えることしかできなかった。
アンジェロの背後に黒い何かが漂っている。それが大きな何かを形取った。それは漆黒の天使の翼。
“目標消失“
微かな雑音とともにぷつりと誰かのその声は聞こえた。
しばらくに沈黙ののちアンジェロが諦めたのかふぅと嘆息した。そして振り返りアナスタシアの視線に気がつき目を瞠る。
「アンジェロ‥さま?」
アンジェロなのか確認するその問いかけに、アナスタシアから視線を外し目を閉じる。再び目を開けアナスタシアを見たのはいつものアンジェロだった。背後の黒い気配は水に溶けるように消えていた。
「殿下、風が出てきましたので部屋に戻りましょう。」
何事もなかったように笑みを浮かべ手を差し出してアナスタシアを立たせた。視界の遠くにナベルズに支えられて立っている青ざめたリゼットが見えた。
あれは確かに戦闘だった。でも見たことないものばかりだった。城での警護とも全然違っていた。すごい音だった。
お客様?あれが?あれは何が来ていたのだろうか?
「先程は驚かせてしまったようで申し訳ありませんでした。ここらではよく獣が出ますので、こちらに近づく前に駆除しました。」
普段と変わらぬエスコートでアンジェロが静かに語る。アナスタシアは導かれるままに歩きながら考える。
獣?あの雨も?足止めしろと言っていたのに?
それに目標消失と言っていた。逃げられたんだ。
“‥ガイイが現れたら‥‥”
以前アンジェロはそう言っていなかっただろうか。
“ガイイ”とはなんだろか。
「アンジェロ様」
付き従われ自室に入ったアナスタシアはアンジェロを見やる。体が小刻みに震えた。
彼は何を隠しているのだろうか。
「先程は何が来ていたのですか?お客様は?」
「それは‥‥」
「本当のことを教えてください。」
表情を消したアンジェロの顔を見つめる。
正直聞くのは怖い。隠しているということはそういうことなのだろう。だが聞かなくてはならない。
自分の知らないところで自分のために何かが犠牲になることは耐えられない。
「私に隠していることを、あなたの秘密を教えてください。」
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