19 / 26
第四章:堕天使
大天使
しおりを挟むアナスタシアは外に向かって廊下をかけていた。それをナベルズ達が追い縋る。
「いけません殿下!部屋にお戻りください。」
「ダメ!放して!」
王族相手にナベルズも強く出られない。だが今は保護対象の安全が最優先だ。
仕方なく拘束しようと伸びるナベルズの手をアナスタシアは振り払う。
アナスタシアは焦っていた。相対して直感でわかった。
あれは邪なるもの。ダメだ。戦ってただでは済まない。
アンジェロ様を止めないと!
「殿下!ダメです!」
リゼットが必死にアナスタシアに縋り付く。
縋る手が邪魔だ。
なぜわからないの?
彼に危害が近づいている。早く早く!
その焦りからその鋭い言葉は出た。
「私に触れるな!無礼者!!」
ナベルズとリゼットの手が凍りつく。アナスタシアの虹色の瞳がひたと一同を見据えた。
「—— 控えよ。」
その低い声にその場の全員が息を呑んだ。
「控えよ。誰の許しを得て私に触れようとしているか。下がりなさい。」
「‥‥しかし殿」
「痴れ者が!下がれと言っている!聞こえぬか!!」
手を伸ばしかけたナベルズは再び凍りついた。まだ年若い王女の威圧。今は服従してはならないのに動けない。この王女から滲み出る力に抗えない。それは全てを超越した力。
アナスタシアの背後に揺らぎが見えた。
その揺らぎにナベルズは目を奪われた。
アナスタシアは廊下を駆け出した。
場所はわかっている。庭園だ。
急げ!間に合って!どうか!
自分が行って何ができるかわからない。だが自分の中の何かが急かす。急がないと間に合わない、と。
焦ってつんのめる足を踏ん張って走り続ける。
そして庭園に着いたアナスタシアはそれを見た。
仰向けに倒れるアンジェロ。その上にのしかかり首を締める悪魔。
あれは堕天使ベルゼブル、闇の眷属。アナスタシアの脳内にその名が浮かぶ。悪魔を知らないアナスタシアはその存在を瞬時に理解した。
アンジェロはアナスタシアを見て目を見開いている。逃げろと苦しげな表情で声なく語っている。アンジェロに黒い穢れがまとわりついているのが見える。
その衝撃でアナスタシアは悲鳴を上げる。
あれは穢れ。心が壊れてしまう。
その声でベルゼブルがアナスタシアを顧みた。
酷い腐臭にアナスタシアは後退りしそうになる。悪魔に見つめられて全身の神経が逆立つ。体が慄き逃げを打とうとするがぐっと堪える。
一方で額から血を流し意識なく倒れたアンジェロの側に駆け寄りたい衝動にも堪える。悪魔がアンジェロに乗っているのだ。
無事なのだろうか?間に合わなかったのだろうか?その予感に酷い怖気が背筋を駆け上がる。
逃げたい衝動と駆け寄りたい衝動で結局アナスタシアはその場から動けなかった。ただじっと目を瞠って悪魔を見ていた。
悪魔がアナスタシアに手を伸ばす。
カゴヲ‥カラダヲ‥ヨコセ‥
悪魔の呟きが脳内に聞こえる。
喉の奥で悲鳴を飲み込み、アナスタシアは自らを叱咤して口を開く。
「‥‥あなたが欲しいのは私でしょう?こちらに来なさい。」
アンジェロの体から悪魔が離れるのを見てほっとする一方で、自分に歩み寄る悪魔に体が震える。怖い。
目を閉じたい。逃げだしたい。助けを求めたい。
でもそれではアンジェロが助からない。
もし私の中に本当にいるのなら、どうか力をください。
アナスタシアは歯を食いしばり手をギュッと握って悪魔を睨みつけた。
「邪なるものよ、止まりなさい。」
ベルゼブルが歩みを止める。
言うことを聞いたわけではないとわかる。笑っているから。何もできないとわかっているから。アナスタシアは目を細め右掌を突き出した。
「悪しきものよ、この場から去りなさい。」
ベルゼブルの表情が嘲るようにさらに笑う。
「大天使ラファエルの名に於いて命じます。悪魔ベルゼブルよ、疾く去りなさい。貴方の望むものは手に入りません。」
アナスタシアは悪魔を睨みつけ毅然とそう告げる。
ラファエルの加護は回復だけ。攻撃はできない。悪魔を退けるしかない。
力が欲しい。あの方を守る力が。
大天使ラファエル、どうか私に力をください。
笑うベルゼブルが歩みを進めようとして立ち止まった。
アナスタシアの背後に霞が立ち込める。透明な揺らぎはやがて何かを形づくる。ベルゼブルはそれを茫然と見やる。
透き通るそれは天使の姿。大きな一対の翼を有した大天使がアナスタシアの背後に現れる。そして虹色の翼を広げ美しい顔がベルゼブルを上空からひたと見据えた。
ふわりと舞い降りた大天使はアナスタシアの背後、肩口からその両手をベルゼブブルに翳した。
悪魔が目をすがめ光り輝くそれに怯えて慄く。一歩退いた。
アナスタシアは目を見開いた。目に入ったものから視線を逸らせなかった。
アナスタシアの目に映ったものはベルゼブルの背後に横たわる男の体。
仰向けに横になるその右手がゆっくりと持ち上がる。その手には黒き自動拳銃。その銃口はベルゼブルの背中に向けられていた。
音もなく起き上がった男が躊躇いなく引き金を引く。銃声が二発轟いた。それと共に背中から撃たれた悪魔の体がうつ伏せに、前にゆらりと倒れこむ。
アナスタシアはぺたりとその場に座り込んだ。
事態の急展開に頭がついていっていない。
そして震え出した。目の前のあの男は誰だろうか?
いや、一度会ったことがある。初めての襲撃の時に。
アナスタシアの目には、その男の背に漆黒の大きな翼が映っていた。
拳銃を片手に立ち上がるその男、アンジーは悪魔に歩み寄りその体を足で仰向けに転がした。倒れた男の右手を足で踏み押さえ、心臓に銃口を向ける。
まだ意識のあるそれは荒い呼吸でアンジーを見上げる。口から血を流し咳き込むも目が笑っている。
「帰天せよ、堕天使ベルゼブル。神が我らをあわれみ、罪をゆるし、永遠のいのちに導いてくださいますように。」
厳かな言葉とともに銃声が二発。薬莢が落ち、轟いた音が消えれば辺りに静寂が訪れた。
「‥‥アンジェロ‥さま?」
ショルダーホルスターに銃をしまいその男はアナスタシアに静かに微笑んだ。だがその佇まいでアンジェロではないと直感でわかる。
もっと年上の、兄達に近いずっと年嵩の顔が見返してきた。あと数年すれば見られるであろうアンジェロの笑顔だった。
その何か、男の背に纏う超越した黒き翼の存在にアナスタシアはぞわりと身を震わせた。
「もう大丈夫だ。姫は無事か?」
「‥‥え、ええ、はい。」
「それはよかった。」
そう言い嘆息したアンジーは力尽きたようにその場に座り込んだ。
アンジェロの顔と声でもまったく別人に聞こえた。なんとか震える足で立ち上がり血まみれのその男の側に歩み寄った。
「‥‥怪我を見せてください。」
「これは大丈夫だ。見た目ほど酷くない。」
額から出た血が顔半分を汚している。手も傷だらけだ。そして首に絞められた跡と爪の切創。くっきりと指の形が浅黒く跡になっている。
その血の多さに震えたが治癒をかけようと手を翳すも治癒の加護が発動しなかった。
「え?なぜ?どうして?!」
「落ち着け。まだ興奮しているんだ。極限状態ではうまくいかない、色々と。」
兄のようにやさしく諭されアナスタシアはその顔を覗き込む。
目を瞑りこめかみをもむその青年は何かぶつぶつつぶやいていた。
「姫、なぜ貴方がここにいるかは今は問わない。それは後で聞くとして。もうすぐ迎えがくるのであいつが目を覚ます前に部屋に戻るように。でないとあいつが発狂する。」
「あいつ、ですか?」
「そう、俺の相棒。」
相棒。その言葉をアンジェロからも聞いた。ならばこの方が?
こめかみを辛そうに揉むその顔にアナスタシアが慌てる。
「痛いですか?」
「いや、酷い頭痛がするだけだ。アスピリンが欲しい。多分『加護封じ』の後遺症だろう。」
「すみません、治癒ができればいいのですが。」
アンジーが苦笑した。漆黒の翼が笑みに合わせふわりと揺れる。
「気にするな。そうだな、なら姫の『祝福』をくれないか?」
「『祝福』ですか?」
「そう、俺の名を呼んでくれ。貴方の『祝福』ならアスピリンに近いからな。」
アスピリンとはなんだろう?
アナスタシアは名を呼ぼうとしてはたと気がついた。
「ええと、お名前を伺えますか?」
アンジーは苦しげに目を細めくしゃりと破顔した。
「ひどいな、あいつは俺の名前さえ姫に教えてくれていなかったのか。初めまして姫、俺の名はアンジー。アンジェロと貴方の『守護天使』だ。」
0
お気に入りに追加
72
あなたにおすすめの小説
【完結】サキュバスでもいいの?
月狂 紫乃/月狂 四郎
恋愛
【第18回恋愛小説大賞参加作品】
勇者のもとへハニートラップ要員として送り込まれたサキュバスのメルがイケメン魔王のゾルムディアと勇者アルフォンソ・ツクモの間で揺れる話です。

【完結】悪役令嬢の反撃の日々
くも
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。
「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。
お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。
「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。


愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。
星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。
グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。
それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。
しかし。ある日。
シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。
聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。
ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。
──……私は、ただの邪魔者だったの?
衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる