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第四章:堕天使
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しおりを挟むアンジェロと入れ替わったアンジーは廊下を駆け抜けて外に出る。
どうやって天窓に上がった?気配を感じられなかった。突然気配が現れたのだ。そしてその後も気配が消えて庭園付近に現れた。
ベルゼブルは神出鬼没だ。瞬時に移動する。やはりあれも加護か。甘く見すぎていた。あれほどの加護を持つものがいるとは。
天使は一つしか加護がないはずなのにこれほどの加護、ベルゼブルが悪魔だからか?
加護とは一体何なんだ?
悪魔の気配は庭園の方に向かっている。なぜあそこに行く?
建物を回り込み最短ルートで追いかけ、そして追いついた。
今朝より体が小さくなったように見えた。それは前屈みになっていたためだ。
血まみれのぼろぼろのローブを纏い不恰好に体を折っている。そして顔がこちらに振り返る。浅黒い顔に目だけがギラギラと輝き、ますます目が落ち窪んでいた。そしてあの異臭。
そこでアンジーは理解した。
ぞわりと緊張した。全身が警戒体制に入る。
あれは堕天だ。闇の眷属。悪魔に憑かれた。
加護になるはずの天使が堕天し悪魔になる。そしてその悪魔に取り憑かれている。闇の眷属に堕ちた。
堕天の理由は宿主の姫への邪な想いかもしれない。奴を引きずり出すために煽った。それも堕天に影響しただろう。
天使と宿主は一体。宿主が闇堕ちすれば天使も堕天する。そしてその堕天使ベルゼブルに喰われ憑かれた。もう宿主に意識はないだろう。
この異臭、腐臭だ。
だからアンジーがあれほど切っても血が流れても平然としていたのか。あの違和感は死体を切っている感触。そういうことか。
これは生きているがもう死んでいる。アンジーは目を細め前方を睨みつける。
「アズライール、悪魔の注意点は?」
無機質な声が脳内に響く。
“注意事項。『悪魔の穢れ』”
「悪魔の穢れ?なんだそれは?」
“悪魔に直接触れると精神が汚染されます。汚染が75%を超え精神抵抗に失敗すると堕天とみなされます。”
その情報にアンジーは息を呑み、小さく罵りの言葉を吐いてため息をつく。
「‥‥おいおい、そういう重要事項は今朝の戦闘で言えよ。あいつに触れられないじゃねぇか。間接‥服越しなら大丈夫ってことだな?」
“問題ありません。”
あっぶねー、直に触るところだった。捕縛できないじゃねぇか。そういうことは先に言えって。本当に気が利かねぇな。
ベルゼブルが両手を垂らしゆらりと体を起こす。
カゴヲ‥‥‥ダヲ‥ヨコセ‥
口から発せられたものではない。それは天使にしか聞こえないくぐもるような声。アンジーには聞こえた。
まただ。なぜ加護を欲しがる?
アンジーは両手に大振りの黒い戦闘ナイフを出して目の前にかざす様に構える。ここは森ではない。刀身の長い大型ナイフでも問題ない。
「目的は何か知らんがお前はここで倒す、ベルゼブル。」
それは人の顔でにやりと笑う。血糊がついた剣がギラついた。すでに何人も斬ったそれは刃こぼれしている。
切りかかってきた剣をナイフで緩やかに躱しアンジーは軽やかに回し蹴りを入れる。
アンジーの接近戦。ナイフで相手に応戦し体術でカウンターを入れる。
相手を吹き飛ばす勢いで放たれた蹴りだったがベルゼブルは飛ばされなかった。代わりにブーツがベルゼブルの腕にめり込み鈍い音がした。骨が折れた音。
だがベルゼブルは動じない。痛覚さえ失われていた。
アンジーは手を緩めずナイフを振るい蹴り飛ばす。叩きのめされ血まみれでボロボロになってもベルゼブルは笑ったままだった。
その異常さにアンジーは訝しみ慄然とする。
なぜ身を庇わない?どうするつもりだ?
その時アンジーは違和感を感じた。
まとわりつくような、飲み込もうとするような気配。ベルゼブルが放つ目に見えないそれがアンジーに襲いかかってきた。
“ベルゼブルの『加護封じ』が発動されました。抵抗を試みます。”
無機質な声が脳内に響く。
「『加護封じ』?!アズライール?なんだそれは?!」
アンジーの問いかけに答えはない。音声はさらに続く。
”抵抗に失敗。『武器創造』が封じられました。“
それと同時に手の中のナイフが消える。ホルスターの銃も。アンジーは自分の手を見てぞっとした。何だと?!
”抵抗に失敗。『射撃無効』が封じられました。“
抵抗に失敗?何が起こっている?混乱の中ベルゼブルを見やれば変わらず静かに笑っている。その悪魔の底冷えする笑みにさらにぞっとする。
”抵抗に失敗。『アズライール』が封じられました。“
じわりとベルゼブルが歩み寄る。
無線を‥。アンジーは鈍る思考で風魔法の回線を開こうとするも反応しない。
すでにアズライールが封じられていた。
カゴヲ‥カラダヲ‥ヨコセ‥
ベルゼブルの呟きが、無情なアナウンスが脳内で続く。
まずい。アンジーの背をじわりと汗が流れる。
これはまずい。震えて後退る。
わざとここに誘い込まれた。人気のない庭園に。
誰にも邪魔をさせないために。
Cの二の舞は避けたくて他の部隊は下がらせたままだ。
”抵抗に失敗。『アンジー』が封じられました。“
その声とともに酷い目眩がした。視界が暗転する。アンジーはその場に蹲る。
まずい!逃げろアンジェロ!
こいつの目的はお前の肉体だ!
そしてアンジーの意識は強制的にぷつりと途絶えた。
蹲った体からアンジェロは目を開いた。体が震えている。
封じられた。何もかも。
自分の手を見る。武器を作ろうとしても出てこない。『射撃無効』の気配もない。風魔法が使えない。無線が開かない。
背中を汗が伝う。酷く喉が渇いて唾を飲み込むのもやっとだった。
アンジーがいない。
この事実にアンジェロは戦慄していた。
アンジーがいない。
今ここにいるのは無力な自分。アンジーの使う体術も捕縛術もない。丸腰で加護の守りもない。無線も使えず部隊を呼ぶ手立てもない。
そして目の前にはボロボロの剣を持った悪魔ベルゼブル。
殿下を、殿下をお守りしないと‥
ここから逃さなくては‥
アンジェロはゆっくりと正面の悪魔を見やる。やはり浅黒い顔で笑っていた。
何か言っているのかもしれないがアンジェロには聞こえなかった。
どれほどの間加護は封じられる?すぐ切れる?それとももうずっと解けないのか?
だめだ、逃げないと。そして殿下を‥‥
ゆっくりとアンジェロは立ち上がる。
アンジェロの肉体が目的だとアンジーは言っていた。あれはどういう意味だろうか。
震える体で後退ればベルゼブルがさらに距離を詰めてくる。そして剣を振りかぶった。
それをなんとか躱し、近くに立てかけてあったガーデニング用の添棒を手にとって両手で横に捧げて剣を受ける。
鉄製のそれで剣を受けられたが人を倒せる代物ではない。狂ったように叩き込まれる斬撃をただ受けるだけだった。
剣がアンジェロの額にあたり血が迸る。手にも傷を負った。
反撃の技をアンジェロは知らなかった。
身長が伸びるまで訓練を待つんじゃなかった!アンジェロは心中で罵る。
ベルゼブルが笑う。そして無心に振るう手の剣が砕ける。
すでに刃こぼれしていたそれを柄から投げ捨てアンジェロに飛びかかってきた。アンジェロは仰向けに倒れ込み押し倒される。喉笛を掴まれ息が止まる。
酷い死臭がする。喉を締める手を外そうと手首を掴むがアンジェロの爪が容易くめり込んだ。そこはもう腐っていた。しかしベルゼブルの手は外れない。
その手がアンジェロの首にめり込んだ。伸びた爪が食い込み血が滲む。触れられた部分から流れ込む気配が全身を巡り嫌悪感から怖気が走る。気持ちが悪い。
それは悪魔の穢れだった。
アズライールはなんと言っていた?穢れを受けて精神抵抗失敗で‥闇堕ちだ。
だめだ!外れない‥‥
ベルゼブルがアンジェロを覗き込む。黒い気配が漲っていた。見開かれたその目を見てアンジェロはやっとベルゼブルの真意を理解する。
僕に取り憑くつもりか?!腐り壊れかけた肉体を捨てて!
悪魔の穢れで酩酊のようにゆらりと視界が歪みアンジェロの意識が遠のく。
殿下を逃さなければいけないのに‥‥
抵抗で顔を背けたことで視線が屋敷に向いた。霞む目がそこに駆け込んでくる人影を捉えアンジェロは凍りつく。
なぜ殿下がここに?!
息を切らし駆け込んできたアナスタシアはアンジェロを見て悲鳴をあげる。そしてベルゼブルが振り返った。
ダメだ!逃げて!
叫ぼうにも喉を押さえ込まれ声にならない。悪魔の穢れに魂が染まる。もう指すら動かせない。意識がさらに遠のく。
闇が精神を蝕む。抗う術はない。
そしてアンジェロの意識は闇の穢れに呑み込まれた。
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