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第二章:襲撃
婚約披露
しおりを挟むアナスタシアがアンジェロと出会ってから一ヶ月が経った今日。
アナスタシア王女とアンジェロ・マウワー侯爵との正式な婚約が夜会で公表される。
三年ぶりの王宮での夜会。アナスタシアはそれはもうガッチガチに緊張していた。
アンジェロの瞳と同じブルーのドレスとブルーサファイアのネックレスとイヤリングを身につける。
アンジェロもアナスタシアの虹色の瞳に合わせグレー地の正装スーツにさまざまな色の刺繍が施されている。黒い艶やかな髪と煙る青眼がスーツと相待って一層引き立てられた。
「大丈夫です。今日も練習通りに。ずっとお側におります。」
アンジェロにそう囁かれるもやはり震えは収まらない。エスコートのために右腕に置いたアナスタシアの左手をアンジェロの左手が包み込んだ。
アンジェロはともすれば、アナスタシアの兄たちよりも大人びた言葉遣いをする。安心させるためなのだろうがとてもアナスタシアより四歳も年下には思えない。
『死神』とも例えられる美しい顔に動揺や緊張は見られない。この若さで凄いことだと思った。
「しかし巷にまた困った噂が上がっているようです。」
「噂?『死神に愛された姫』という?」
入場を待つ間、扉の前で二人は囁きあう。
「いえ、僕が無事に婚約の儀を迎えた理由です。」
「無事に‥というと?」
アンジェロは目を細め皮肉にも似た笑みを浮かべる。
「最初の候補者たちが成しえなかったことですから。説その1。三人のあの事故は偶然にも不幸の惨事であった。だから僕は無事に婚約までこぎつけた。まあここで噂は収まりません。」
これ以上何があるのだろうか?アナスタシアは訝しって耳を傾ける。
「そこで説その2。最初の三人の惨事の実行犯が実は僕で、候補者を排除した上で殿下の婚約者の座を射止めた。三年待ったのは犯行を連想させないため。」
「は?!」
アナスタシアは本気で声を荒げて聞き返した。なんでそうなるの?!
アンジェロはその反応に苦笑してみせる。
「まあそうなりますね。当然事実ではありませんが。噂は面白い方がよく広まります。」
「ひどい侮辱です!なぜ否定しないのですか?!」
「否定したところで立証はできません。できなかったことを立証できるかもしれませんが、やっていない証明にはなりません。噂相手に怒鳴っても燃料を投下するだけですし。」
それはそうなのだが。冷静なアンジェロに対しいっそアナスタシアの方がイライラしてきてしまった。
年若いアンジェロが王女の婚約者に収まった。その幸運へのやっかみもあるのだろう。
「そこでさらに最近、新説が出てきました。」
「まだあるんですか?!」
「大丈夫です。これは傑作です。説その3。『死神』の僕の力が強すぎて殿下の『呪い』を打ちまかしている、と。まあ三段落ちとしてはよい落とし所ですね。」
アナスタシアは絶句した。それはもう妄想の域だ。
え?!何が大丈夫?!傑作?!全然ダメじゃない!!
アンジェロは気にした風でもない。
「全然おもしろくありません!」
「そうですか?僕は強いと褒められている様で気分がいいです。」
「褒められてはいませんよ?!」
アナスタシアは鼻息荒く言い切った。
誰だそんなことを言っているのは?!クレマン卿に言いつけてやる!!
「あ、もうすぐ入場のようです。緊張は解れましたか?」
「おかげさまで!ですがひどい興奮状態です!」
くすくすと笑うアンジェロをアナスタシアはぷくっと頬を膨らませ憤然と見やった。
わかっている。アナスタシアの緊張をほぐすためにわざとその話をしたのだ。
本当にこの愛しい婚約者には敵わない。本当に四つも年下なのだろうか?
異様の興奮状態の中、王女アナスタシアの婚約者の紹介、そしてお披露目のダンス、全てがつつがなく終わった。アナスタシアのダンスの元気が良かったのは仕方がない。
ここに二人の婚約が公となった。
婚約は公になったが、特に生活に変化があるというわけではなく。
アンジェロの訪問はその後も毎日続いていた。
どうしても外せない侯爵家当主としての仕事や領地への帰還などで会えない日もあった。
そんな時はアナスタシアはため息をついて時をやり過ごしていた。
アナスタシアは気がついていなかった。
この時王宮内とマウワー侯爵家の間で周到な準備が密かに行われていたことに。
それはアナスタシアの運命を大きく変える出来事となる。
「移動?明日ですか?」
「はい。ようやく準備が整いましたのでお迎えに参りました。」
唖然とするアナスタシアにアンジェロが微笑んでいた。
移動。マウワー侯爵家領・ラクロワに向け明日出立するという。
「是非殿下を我が家にお迎えしたいと思っておりました。殿下をお迎えするための工事も終わりました。警護も万全です。どうぞご安心を。」
「え?なぜ?なぜ急に‥その、アンジェロ様の領地に?」
「まあお泊まりの練習というか。今後いきなり降嫁されても大変でしょうから少しずつ慣れていただこうという判断です。」
言いたいことはわかる。だがなぜそれを今日まで本人が知らなかったのか?
準備は、と振り返ればリゼットが真面目な顔で親指を立てて応じる。
もう万端なの?!リゼットの裏切り者!!
なんで本人が!私が知らないのよ?!
「秘密にしたのはサプライズというか。ちょっとした悪戯心です。」
「ちょっと?ちょっとした?!あの、陛下の許可は?」
いやいや、さすがにこれはちょっと無理でしょう。
「当然頂いております。クレマン卿にも話は通っておりますのでご安心ください。お泊まり自体は公にはできませんのでお忍びで、となりますが。」
アナスタシアは目を瞠った。みんな緩すぎる!
お忍びは当然だ。婚約したとは言え婚礼前の王女が婚約者の家にお泊まり。それはダメだろう。聞いたことがない。
狼狽で言葉を詰まらせているとアンジェロが眉根を下げてしおしおと目を伏せる。
「準備は万全を期しておりますが、殿下のお気に召さないことがあれば城にお戻りいただくことも可能です。‥‥殿下がお嫌でなければ是非我が領地をご案内したいです。」
「全っ然嫌じゃないです!!」
アナスタシアは慌てて言い募る。内心声なき悲鳴が上がっている。
やだ!そんなにしょげないで!一緒にいられる時間が増えるのに嫌なわけないじゃない!気のせいか仔犬のタレ耳が見える!可愛すぎるからやめて!!
そんな感じであれよあれよと準備が進み、翌日にはお忍びで城を出ることになってしまった。
見送りにクレマン卿が出てきてくれた。
「今日は天気も良くいいお出かけ日和ですな。」
「えっと、本当に出かけても良いのでしょうか?」
最後の確認とばかりにアナスタシアが問いかける。
「まあお忍びですし。大丈夫でございましょう。ずっと城に籠られていたことを考えますとここまで変わられるのは大変なことでございます。殿下も良く頑張られましたな。」
ほくほく顔で褒められてアナスタシアは何とも複雑だ。
確かに外に出られる様頑張った。しかし城から出るのは話が違う。
そもそも城から出たことなどあまりなかったのだ。過去にあって数える程度。それも公務でガッチガチの警護の中だ。この様に自分の意思で城を出たことがない。
アナスタシアの不安を宰相が宥める。
「ご安心召され。アンジェロが側におります。あやつの側であれば殿下は必ず守られます。」
まただ。守る。守られる。アンジェロと出会った時から出ているこの言葉。これは何なんだろうか。
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