4 / 26
第一章:出会い
愛しい君
しおりを挟むそれはあっけないほど簡単だった。勢いで二歩三歩と歩みが進む。気がつけばテラス席にたどり着いていた。
「‥‥そと?そとにいるの?」
「はい殿下。ご気分はいかがですか?もしお辛いようでしたら部屋に戻れます。」
「だいじょうぶよ‥?」
「ですがお顔の色が悪いです。無理を申し上げました。」
煙る青眼を伏せそう謝るアンジェロを目を瞬かせて不思議そうに見やった。
気分は悪くない。いっそ拍子抜けしたほどだ。三年もの間、自分は何を怖がっていたのだろうか。
そう、これは茫然としているんだ。
正面を見つめれば気遣わしげに眉根を下げるアンジェロの顔があった。この青年のこの様な顔を見たのは初めてだった。ぐっと熱い想いが溢れ出す。
これ程までに自分は誰かに気遣われたことがあっただろうか。
自分はこれほどに守られている。
アナスタシアはその想いのままにアンジェロの胸に飛び込んでいた。びくりと青年の体が驚いたように震えた。
「で、殿下?やはりご気分が?」
「ううん、ちがうの。でももうすこし‥」
もうすこしこのままで‥‥。そう小さく呟けば、ふぅと吐息がして暖かい手が優しく頭の上に乗せられた。
最初は彼の愛らしい見た目。熱にうなされたようになったがでもそれだけじゃない。たくさん気遣われ大事にされた。こうして今も側にいてくれている。
怯えて立ちすくんでも立ち止まって辛抱強く待っていてくれる。決して急かさずアナスタシアの歩みに合わせてくれる。
自分より年下なのに年上のように大人びた仕草で守ってくれる。
ああ、私はこの人が好きだ。心から。
暖かい胸に縋りながらアナスタシアは生まれて初めて恋に落ちていた。
最初の一歩こそひどく怯えたが、翌日以降からアナスタシアはおずおずと外に出ることができた。
それを心得たように設えられる席もテラス窓から少しずつ離されていく。そして四阿、庭園と外出先は遠くなっていった。
外出先が遠くなるその度にアナスタシアは震えたがアンジェロが側に辛抱強く付き添った。
外に出てみればかつての記憶が蘇る。記憶と同じ、または異なる庭園を目にしては心が躍った。美しい花々も心を癒した。
そうだ、かつての自分はこれほどに外の世界を愛していたのだ。
「明日はもう少し遠くに出掛けてみませんか?」
「遠く?」
「はい。探検です。」
もう庭園までなら怯えずに出られる様になった頃、アンジェロから探検に誘われた。悪戯を仕掛けるような笑みはまるで子供のようだ。
毎日続く面会の時間もいつの間にか半日近くにのびていた。二人でゆっくり過ごす時間となっていた。
「先日庭園の向こうに見晴らしの良い場所がありました。少し違う景色を見るのも楽しいですよ。」
そう誘われれば二つ返事で応じていた。
編み上げのブーツを履き込み、くるぶしまでのデイドレス、帽子をかぶる。付き添いのリゼットもお仕着せではなく似たような格好だ。
待っていたアンジェロもいつもと違い狩猟服に似た格好だった。それがとてもしっくりきていたアナスタシアは内心きゅんとしてひっそりと吐息を漏らした。
恋心を意識してからアンジェロを見る度に胸の鼓動が駆け足した様に上がってしまう。
準備されたバスケットの中身を確認しアンジェロがアナスタシアに手を差し出した。ゆっくりと導かれるままに庭園を突っ切る。
付き添うのはリゼットのみ。王城内だから問題はないだろう。
アナスタシアは三年の引きこもりで体力が相当に落ちていたが、毎日のようにアンジェロに外に連れ出されたためか、かなり体力も戻っていた。
言われていた場所はなんとなく予想がついていた。子供の頃に何度か訪れたことがあったが子供の足では遠かった。だが今日はすぐに到着してしまった。自分の足でたどり着けて良かったと安堵した。
遠くに城下町を臨む小高い丘は天気も良く気持ちが良いところだった。
「すごい!とても綺麗ね!」
「ええ、今日は空気も澄んでいて遠くまで良く見えます。」
アンジェロが嬉しそうに応じる。リゼットは大きな木の下でバスケットを広げ出した。
雲ひとつない青空。風が気持ちいい。両手を広げて伸びをしたところであることに気がついた。ある異変に。
それは雨が降った様だった。ぽつんぽつんと空から降ってきた雨が池に落ちて波紋が起きる。
だがその波紋は空中に広がっていた。またぽつんと降ってきた何かが空中の何かに当たり水面の様に波紋が起こる。波紋の向こうの景色が歪む。
アナスタシアは目を疑った。側のアンジェロにわかるよう指をさして声を出す。
「‥‥‥あの、今 ——— 」
「少し風が出てきました。殿下はこちらに。」
すすす、と向きを変えられ木の下に誘導される。少し強引だったように感じられた。
すでにブランケットが広げられていてそこに座らされる。バスケットから出したカップにアンジェロが紅茶を注いでアナスタシアに差し出した。
「またご自分でなさって。リゼットを呼びましょう。」
「いえ、せっかく二人でいるのに侍女を呼ぶなど無粋です。」
にっこりと微笑まれればそれ以上言えない。すでにその意を汲んだリゼットはかなり遠くに控えていた。
「今雨が‥‥」
「そうでしたか?良い天気でしたが雨がきそうですか。」
少し早めに帰りますか。そう呟くアンジェロをアナスタシアは動揺する。せっかくここまで来たのだからもう少しゆっくりしたい!
アナスタシアのその顔を見たアンジェロは困ったように苦笑する。
「殿下。ここに以前御出でになられたことがおありですか?」
「ええ、子供の頃だったかしら。」
「でしたら今後は一人でここには御出でにならないようお願い申し上げます。」
「え?なぜ?」
「少し遠いですし、ここは人気もありません。獣もいるかもしれません。殿下お一人では僕が心配です。」
年下の婚約者が心配げに眉根を下げる。その可愛い表情にアナスタシアは撃ち抜かれた。
心配するアンジェロ様!また新しい顔が見られた!!
「わかりました。ここには一人では参りません。約束します。」
「ありがとうございます。」
アンジェロは安堵したように吐息をはいた。そしてあたりを窺うように遠くを見る。
何かを探している様にも見える。何を探しているのだろうか?
アンジェロはたまにこのような行動に出ることがある。明らかに何かを探している。何を?
ここに二度と一人で来てはいけない。
その約束を違えることはなかった。
その後、その場所は地盤が緩いという理由で閉鎖されてしまった。
0
お気に入りに追加
72
あなたにおすすめの小説
【完結】サキュバスでもいいの?
月狂 紫乃/月狂 四郎
恋愛
【第18回恋愛小説大賞参加作品】
勇者のもとへハニートラップ要員として送り込まれたサキュバスのメルがイケメン魔王のゾルムディアと勇者アルフォンソ・ツクモの間で揺れる話です。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【完結】悪役令嬢の反撃の日々
くも
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。
「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。
お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。
「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。


女公爵になるはずが、なぜこうなった?
薄荷ニキ
恋愛
「ご挨拶申し上げます。わたくしフェルマー公爵の長女、アメリアと申します」
男性優位が常識のラッセル王国で、女でありながら次期当主になる為に日々頑張るアメリア。
最近は可愛い妹カトレアを思い、彼女と王太子の仲を取り持とうと奮闘するが……
あれ? 夢に見た恋愛ゲームと何か違う?
ーーーーーーーーーーーーーー
※主人公は転生者ではありません。
(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)
青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。
だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。
けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。
「なぜですか?」
「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」
イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの?
これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない)
因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

貴族の爵位って面倒ね。
しゃーりん
恋愛
ホリーは公爵令嬢だった母と男爵令息だった父との間に生まれた男爵令嬢。
両親はとても仲が良くて弟も可愛くて、とても幸せだった。
だけど、母の運命を変えた学園に入学する歳になって……
覚悟してたけど、男爵令嬢って私だけじゃないのにどうして?
理不尽な嫌がらせに助けてくれる人もいないの?
ホリーが嫌がらせされる原因は母の元婚約者の息子の指示で…
嫌がらせがきっかけで自国の貴族との縁が難しくなったホリーが隣国の貴族と幸せになるお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる