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第一章:出会い
愛しい君
しおりを挟むそれはあっけないほど簡単だった。勢いで二歩三歩と歩みが進む。気がつけばテラス席にたどり着いていた。
「‥‥そと?そとにいるの?」
「はい殿下。ご気分はいかがですか?もしお辛いようでしたら部屋に戻れます。」
「だいじょうぶよ‥?」
「ですがお顔の色が悪いです。無理を申し上げました。」
煙る青眼を伏せそう謝るアンジェロを目を瞬かせて不思議そうに見やった。
気分は悪くない。いっそ拍子抜けしたほどだ。三年もの間、自分は何を怖がっていたのだろうか。
そう、これは茫然としているんだ。
正面を見つめれば気遣わしげに眉根を下げるアンジェロの顔があった。この青年のこの様な顔を見たのは初めてだった。ぐっと熱い想いが溢れ出す。
これ程までに自分は誰かに気遣われたことがあっただろうか。
自分はこれほどに守られている。
アナスタシアはその想いのままにアンジェロの胸に飛び込んでいた。びくりと青年の体が驚いたように震えた。
「で、殿下?やはりご気分が?」
「ううん、ちがうの。でももうすこし‥」
もうすこしこのままで‥‥。そう小さく呟けば、ふぅと吐息がして暖かい手が優しく頭の上に乗せられた。
最初は彼の愛らしい見た目。熱にうなされたようになったがでもそれだけじゃない。たくさん気遣われ大事にされた。こうして今も側にいてくれている。
怯えて立ちすくんでも立ち止まって辛抱強く待っていてくれる。決して急かさずアナスタシアの歩みに合わせてくれる。
自分より年下なのに年上のように大人びた仕草で守ってくれる。
ああ、私はこの人が好きだ。心から。
暖かい胸に縋りながらアナスタシアは生まれて初めて恋に落ちていた。
最初の一歩こそひどく怯えたが、翌日以降からアナスタシアはおずおずと外に出ることができた。
それを心得たように設えられる席もテラス窓から少しずつ離されていく。そして四阿、庭園と外出先は遠くなっていった。
外出先が遠くなるその度にアナスタシアは震えたがアンジェロが側に辛抱強く付き添った。
外に出てみればかつての記憶が蘇る。記憶と同じ、または異なる庭園を目にしては心が躍った。美しい花々も心を癒した。
そうだ、かつての自分はこれほどに外の世界を愛していたのだ。
「明日はもう少し遠くに出掛けてみませんか?」
「遠く?」
「はい。探検です。」
もう庭園までなら怯えずに出られる様になった頃、アンジェロから探検に誘われた。悪戯を仕掛けるような笑みはまるで子供のようだ。
毎日続く面会の時間もいつの間にか半日近くにのびていた。二人でゆっくり過ごす時間となっていた。
「先日庭園の向こうに見晴らしの良い場所がありました。少し違う景色を見るのも楽しいですよ。」
そう誘われれば二つ返事で応じていた。
編み上げのブーツを履き込み、くるぶしまでのデイドレス、帽子をかぶる。付き添いのリゼットもお仕着せではなく似たような格好だ。
待っていたアンジェロもいつもと違い狩猟服に似た格好だった。それがとてもしっくりきていたアナスタシアは内心きゅんとしてひっそりと吐息を漏らした。
恋心を意識してからアンジェロを見る度に胸の鼓動が駆け足した様に上がってしまう。
準備されたバスケットの中身を確認しアンジェロがアナスタシアに手を差し出した。ゆっくりと導かれるままに庭園を突っ切る。
付き添うのはリゼットのみ。王城内だから問題はないだろう。
アナスタシアは三年の引きこもりで体力が相当に落ちていたが、毎日のようにアンジェロに外に連れ出されたためか、かなり体力も戻っていた。
言われていた場所はなんとなく予想がついていた。子供の頃に何度か訪れたことがあったが子供の足では遠かった。だが今日はすぐに到着してしまった。自分の足でたどり着けて良かったと安堵した。
遠くに城下町を臨む小高い丘は天気も良く気持ちが良いところだった。
「すごい!とても綺麗ね!」
「ええ、今日は空気も澄んでいて遠くまで良く見えます。」
アンジェロが嬉しそうに応じる。リゼットは大きな木の下でバスケットを広げ出した。
雲ひとつない青空。風が気持ちいい。両手を広げて伸びをしたところであることに気がついた。ある異変に。
それは雨が降った様だった。ぽつんぽつんと空から降ってきた雨が池に落ちて波紋が起きる。
だがその波紋は空中に広がっていた。またぽつんと降ってきた何かが空中の何かに当たり水面の様に波紋が起こる。波紋の向こうの景色が歪む。
アナスタシアは目を疑った。側のアンジェロにわかるよう指をさして声を出す。
「‥‥‥あの、今 ——— 」
「少し風が出てきました。殿下はこちらに。」
すすす、と向きを変えられ木の下に誘導される。少し強引だったように感じられた。
すでにブランケットが広げられていてそこに座らされる。バスケットから出したカップにアンジェロが紅茶を注いでアナスタシアに差し出した。
「またご自分でなさって。リゼットを呼びましょう。」
「いえ、せっかく二人でいるのに侍女を呼ぶなど無粋です。」
にっこりと微笑まれればそれ以上言えない。すでにその意を汲んだリゼットはかなり遠くに控えていた。
「今雨が‥‥」
「そうでしたか?良い天気でしたが雨がきそうですか。」
少し早めに帰りますか。そう呟くアンジェロをアナスタシアは動揺する。せっかくここまで来たのだからもう少しゆっくりしたい!
アナスタシアのその顔を見たアンジェロは困ったように苦笑する。
「殿下。ここに以前御出でになられたことがおありですか?」
「ええ、子供の頃だったかしら。」
「でしたら今後は一人でここには御出でにならないようお願い申し上げます。」
「え?なぜ?」
「少し遠いですし、ここは人気もありません。獣もいるかもしれません。殿下お一人では僕が心配です。」
年下の婚約者が心配げに眉根を下げる。その可愛い表情にアナスタシアは撃ち抜かれた。
心配するアンジェロ様!また新しい顔が見られた!!
「わかりました。ここには一人では参りません。約束します。」
「ありがとうございます。」
アンジェロは安堵したように吐息をはいた。そしてあたりを窺うように遠くを見る。
何かを探している様にも見える。何を探しているのだろうか?
アンジェロはたまにこのような行動に出ることがある。明らかに何かを探している。何を?
ここに二度と一人で来てはいけない。
その約束を違えることはなかった。
その後、その場所は地盤が緩いという理由で閉鎖されてしまった。
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