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第三章:秘密
幕間: 相棒
しおりを挟む王女と探検と称して庭園外の丘に出かけた日の夕方。
王都の邸宅に戻ったアンジェロはソファに身を投げ出しふぅと息をついた。目を瞑り疲れたその様子を側近のナベルズが労う。
「お疲れ様でした。王女殿下のご様子はいかがでしたか?」
「変わりなかった。だいぶ元気に明るくなったのが幸いだが。」
目を瞑ったままアンジェロは穏やかに言う。その砕けた話し方でナベルズは態度を崩す。
「ああ、なんだボスでしたか。標的との接触は?」
「おう、今日もバンバンあった。それはもう、ね。」
「へぇ?愛されてますね?」
「弾丸を撃ち込まれてそれを言うか?」
アンジェロは億劫そうに目を開けコートのポケットから弾丸を掴み出してテーブルの上にバラバラと置いた。ライフル弾だ。
「口径は5.56ってとこかな。」
「射程はどれほどでしょうか?」
「1.2マイル‥‥2kmか多分もっと遠くから撃ってる。城門から出たところで一発。あとは散発だった。まだ懲りずに撃ってくる。最初は俺がピンピンしてて驚いたろうな。」
目元を手で覆い口元を歪ませ笑い声を立てる。それをナベルズはなんとも言えない顔で見ていた。
アンジェロがこのように笑うところは見たことがなかった。本当に性格が違うのだとこういうことを目で見て実感する。
この男はアンジェロではない。
十二歳の時にアンジェロは馬車が崖から落ちるというひどい事故にあった。同乗していたアンジェロの両親は即死、アンジェロ自身も即死に等しい大怪我を負い、医師に死亡が告げられた。
しかしその半日後にアンジェロは息を吹き返した。だがその時にアンジェロの中にいたのはこの男だった。
たまたまその場にいたナベルズは当時の異常さをはっきりと覚えていた。アンジェロの体でアンジェロでないことを話す。使用人達が悪霊憑きを疑うのは無理ないことだった。
ナベルズも驚きながらも、きっと記憶や精神の錯乱のせいだろうと思っていた。だが話す内容に矛盾がなく理路整然としていたため、のちにその発言を書き留めたほどだった。
アンジー・ヴォルトン 英国国籍
学生連隊から英国陸軍入隊三年後、伶俐な頭脳と卓越した身体能力から特殊空挺部隊に配属。五年在籍後、組織と方向性が合わず名誉除隊。最終階級は陸軍少尉。
火器及び人質救出のスペシャリスト。通称はAZ、アズ。
その後要人警護に特化し最強の民間SPとして高い警護成功を誇るも末期の胃癌で死亡。享年二十八歳。
「特殊兵バカが死にたくないと民間警護に転職の上で病で死亡。もったいない。」
「何俺の人生を一行要約してんだ?!」
「違いましたか?」
「俺は!人質救出ミッションよりもそもそも誘拐がなければいいと考えただけだ!要人警護の方が保護対象にもダメージがなく効率がいい。確かに軍部とは色々あったが俺が死にたくないとかじゃねぇ!ひどい現場にばかり出しやがって!あいつら俺を駒みたいに雑に扱うのが腹立たしかっただけだ!」
ソファの背もたれに体を預けるその男、アンジーがぎろりと睨んだ。
雑と言うか。殺そうとしても絶対死なないこの男への安心感の現れじゃなかろうか?そういう意味でならよくわかる。
なぜ病いで死んだというアンジーがアンジェロの体内にいるのかはわからない。生まれた時からアンジェロの中にいて事故がきっかけで目覚めたのか、事故でアンジェロの体内に入ったのかも不明。
そもそもこの男の言う英国という国もSASという特殊部隊もわからない。要人警護という概念さえもこの世界になかったのだ。おそらくこの世界外の異質な存在。この男の弁でそれだけは確実にわかった。
そしてアンジェロになかった天使の加護が、あの事故以降アンジェロに現れた。事故以前に加護はなかった。それはアンジーに起因するのだろう。天使の加護はこの世に生を受けた際にごくごく一部の人間が授かるとされる。
つまりアンジェロはやはり一度死んでアンジーに生かされたということになる。
その天使の加護『射撃無効』によりアンジーは今日狙撃に遭いながらも無事に帰宅したのだ。
天使の加護に加えこの男は異常に強かった。
おそらくこの男を殺すことは不可能だったろう。病以外では。それほどに神がかっていた。いや、『死神』か。
現在マウワー侯爵家お抱えの傭兵部隊は全てこのアンジーが鍛え整えた。その豊富な傭兵知識とサバイバル技術でこの世界では類を見ない脅威的な強さの特殊部隊を作り上げた。
アンジー曰く探知機器や火器がないこの世界ではアンジーの持つ技のほんのわずかしか使えないという。だがそれでもその殺傷技術は群を抜いていた。
当然自身も強い。だがアンジェロの体がまだ子供だったことも考え、ほどほどの訓練のみで体術、白兵戦は封印している。
筋肉がつきすぎると背が伸びないらしい。
いずれアンジェロが大人の体になった時にはそれは恐ろしいことになるだろう。主に教官としてだが。
「しかしそれほど身長に固執するのはなぜですか?」
「ん?デカくないとモテないだろ?」
「‥‥モテたくないのにモテるための心配を?」
「モテたくはないがタラシの技術はあった方がいい。作戦で使える。せっかくのこの顔だ。存分に使えばいい。」
アンジェロの顔立ちは美しい。この顔で大人になったらどうなるのだろうか?タラシという次元で済めばいいが。現に『死神』の二つ名もこの顔が所以だ。
「どうせならあと8インチは欲しい。そうすれば俺の以前の身長に合う。」
「えっと?あと20センチですか?合うといいことが?」
「格闘精度が良くなる。」
なるほど。それは感覚の話か。
ナベルズの入れた紅茶を飲んでアンジーは顔を顰める。
「不味い。直せと言って四年も経つのに。お前、ほんと下手くそだな。」
「アンジェロ様と比べないでください。あの方は恐ろしくなんでもできますから。」
「いや人として。これなら俺の方が上手く入れられるぞ。」
出来る男なのに残念だな。しぶしぶと茶を飲みながらアンジーはそう呟き眉間に皺を寄せる。それほど不味いのか?自分ではうまいのだが。
「ところで、殿下の加護はわかりましたか?」
「わからん。これはもう姫本人に質すしかない。だが加護持ちなのは確かだ。それも大天使並みだな。ものすごい『祝福』だった。」
それはちょっとした試みだった。面会初日、アンジェロがアナスタシアにねだったおまじない。それは加護持ちの『祝福』だ。その程度で加護の力の強さがわかるのだが。
「あの日の帰りの能力上昇は凄かった。姫が狙われる理由も実はこれかもしれない。」
「ならばますますお守りしなければなりませんね。」
「敵の手に落ちたら間違いなくこっちが危なくなる。姫が味方でよかったよ。」
色々な意味で死守しなければならない保護対象だった。
ふぅと息を吐いたアンジーが背もたれから身を起こす。
「奴も狙撃ばかりで他の手を打ってこない。更なる害意を俺に向けさせないと。俺の目の前に出てきさえすれば握り潰してやるのにな。」
更なる害意。それは射撃ではなく直接攻撃となる。
それがアンジーの狙い。この男の接近戦の恐ろしさを知るナベルズはぶるりと身震いした。
「姫のリハビリも少しずつ進めている。もう少しで抵抗なく外に出られるようになる。そうなれば領地にお連れする予定だ。」
「え?婚礼もまだなのに可能なのですか?」
「あのじじいは問題ないと言っていた。まあ公にはしないだろうがな。アンジェロもそのつもりで動いている。」
じじい。宰相閣下のことか?なんと不遜な。
城は安全だが結界が強すぎる。攻撃的警護の性質上、攻撃はされないといけない。
標的からの攻撃を受け流しつつ鉄壁の守りで保護対象を守り同時に現れた害意を排除する。それが攻撃的警護だとアンジーは言う。
確かに害意を排除しなければ保護対象の安全など一生確保できないのだ。
「指示はこちらから出す。装備も手配した。布陣は決まっている。後は決行を待つだけだ。」
やっぱり不味いな、と顔を顰めて紅茶を飲むアンジーをナベルズは見やる。心中穏やかではない。
王族を迎えるのだ。今まの警護と訳が違う。
どうか無事に任務完了となってほしいところだ。
アンジーが現れてからナベルズの生活は一変してしまった。自分が元傭兵でなければここまでついて来られなかっただろう。
まあ貴重な体験をさせてもらっているのだが一方で心労がひどかった。
禿げたくはないんだがなぁ。
ナベルズは遠い目でため息をついた。
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