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✠ 本編 ✠

039 楽園の崩壊②

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「さあ、お行きなさい。誰かに見つかる前に。ちゃんと家に帰るのよ?」
「トリシャ‥‥話があるんだ」
「え?」

 トリシャの手を握ったアーサーが意を決したように口を開いた。

「あいつトリシャに隠し事をしてる。気になって調べたんだ。トリシャはあいつに、クリフォードに騙されてるんだよ。違うんだよ、あいつはトリシャの」
「アーサー!お前!」

 鋭い声に振り返れば戸口にクリフォードが立っていた。見てわかる程に相当に怒っている。背後には動揺したコリンズも立っていた。クリフォードに見つかった。トリシャがアーサーを抱き寄せて咄嗟に庇った。そのふたりにクリフォードの眉根が上がる。

「あ、あのこれは」
「アーサー!勝手に私の敷地に入ったな!不法侵入だとわかっているのか?!」
「お前が悪いんだろ!トリシャを閉じ込めるから!」
「アーサー!ダメよ黙って!」

 クリフォードに食って掛かるアーサーを押しとどめる。今悪いのは屋敷に勝手に入ってきたアーサーだ。しかも何かクリフォードを誤解している。いかるクリフォードの機嫌をこれ以上損ねてはいけない。

「お願いします!アーサーを許してください。この子は勘違いしてるだけなの!」
「こいつが悪いんだ!トリシャをいいようにする権利もないくせに!トリシャは利用されてるんだよ!」
「アーサー!やめて!」

 それはもう知っている。だが言葉で言われれば胸に突き刺さった。クリフォードの気配が変わった。憤怒を通りこして極寒となる。部屋に凍てついた、冷酷な声が響く。

「なるほど、憲兵に突き出されたいらしいな。コリンズ、通報を」
「待って!それだけは!もう二度とこんなことさせませんから!」
「君の願いでもダメだ!もう庇うな!」
「許してやってください!クリフォード様、お願いします!そうでないと私は‥‥」

 兄たちが亡くなりアーサーはレイノルズ家にとって最後の嫡子だ。そのアーサーが罪を侵したとなれば廃嫡され後継者がいなくなってしまう。自分を心配して来てくれたのにそうなっては悲しすぎる。一生悔やんでも悔みきれない。自分を守ってくれたダグラスにも申し訳が立たない。

 トリシャが涙目で懇願すればクリフォードが長い沈黙のあとに苦い顔で息を吐いた。

「今回だけは見逃がそう。次は通報する。コリンズ、連れて行け」
「嫌だよ、トリシャも一緒に」
「アーサー、ありがとう。いい子だから今日は帰って、ね?もうこんなことしちゃダメよ?」

 コリンズにアーサーを預ければしぶしぶアーサーは帰っていった。

 最悪の事態は免れた。トリシャはホッと息を吐いてクリフォードに頭を下げる。

「配慮いただけてありがとうございます」

 視線を外したクリフォードがボソリと呟いた。

「私はまるで二人の仲を裂く悪者のようだな」
「え?」

 先程のアーサーもだが何かおかしい。二人の間に何かあったのだろうか。トリシャの知らないところで何かが勝手に進んでいるように感じられた。クリフォードから深いため息が出た。トリシャにはそれがとても疲れたものに聞こえた。

「何度も言っているが。これ以上あれを甘やかすな。君が甘いからアーサーは増長している。君が体調不良だと私が言っても信じない。だから面会を許さなかった。私の家だったから不問にできたが他ならばこうはいかない」

 冷たい声音が心に痛い。二週間ぶりに会えたのにこんなことを話したいんじゃない。クリフォードに縋りつきたくて伸びそうになる手をぎゅっと握った。

「よくわかっています」
「いや、君は何もわかっていない、少しもな。まあいい、君の好きにすればいい」

 好きにすればいい———

 それは今のトリシャには禁句だ。怒りを孕んだ吐き捨てるようなその一言が突き刺さった。トリシャの体が勝手にガクガクと震え出した。防波堤が欠壊しずっと抱えていた悲しみとも怒りともつかない思いがあふれ出した。

「‥わ‥かりません」
「‥‥‥トリシャ?」
「私はクリフォード様の‥何なのでしょうか?どうすればクリフォード様は満足なさいますか?」

 口に出せばもう止まらなかった。泣きたくない。でも涙が滲む。それを無理矢理飲み込めば苦い味がした。クリフォードはただ目を瞠りトリシャを見ていた。

「もうクリフォード様がわかりません。クリフォード様は私を‥‥どうなさりたいのですか?」

 荒い息で吐き出した。吐き出してからクリフォードを見ることができず顔を伏せる。
 沈黙の後、クリフォードの深い息の音が聞こえた。そして静かな声が降ってくる。それはトリシャの死刑宣告だった。

「アーサーの言う通りだ。私に君をどうこうする権利はない。君の意思を尊重しよう。どうか自由に。ここを出て行きたいのだろう?」
「‥‥‥‥出る?」

 それは先程アーサーも言っていた。そんなことはない。利用されてもいい、ずっとクリフォードのそばにいたい。なぜそんなことに?目を瞠り顔を上げたトリシャが否定しようとするもクリフォードが手を翳してそれを遮った。

「よくわかっている。なるべく早く別宅を用意しよう。警備を整えるのに少しだけ時間をくれ。安全は保証する。資金援助もしよう。君の後見人は続けるから大丈夫だ」
「‥‥‥‥え?」
「安心しろ、干渉はしない。もう‥君には触れないから」

 違う。そんな自由が欲しかったわけではない。
 突き放されたかったわけではない。
 なぜそうだと勝手に決めつけるのだろうか。

「や‥‥」

 約束は?
 ずっといっしょだと、私だけを守ると‥‥
 トリシャはクリフォードだけのものだと‥

 トリシャから目を逸らすクリフォードにトリシャは言葉をつまらせる。見えない壁を感じ、上げかけた手を下げた。そこでクリフォードの意図を理解した。

 何を期待したのだろう。
 自分はもう必要とされない存在。
 許されないあの関係を終わらせたがっているのに
 これ以上クリフォードを困らせてはいけない。

 クリフォードの顔を見ることができない。
 トリシャはうつむいて無言で頷いた。

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