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✠ 本編 ✠
019 クリフォード⑥
しおりを挟む七年前、あの事件後に再会した十歳のトリシャは儚い存在だった。
トリシャはレイノルズ家に来たての頃は心身ともに傷だらけだった。かつての愛くるしい天使の面影はどこにもない。暴力を怖がる。男性、特に若い男に酷く怯え小さな体を縮こませ震えていた。無邪気に微笑む愛らしい姫との落差にクリフォードは愕然とした。
トリシャはダグラスもクリフォードのことも覚えていない。あの楽しかった日々も忘れてしまっている。だが何より悲しかったのは、あれほどトリシャを愛していた父のことも忘れているということ。
トリシャの売買契約書に父ゲイルのサインがあった。きっと父に売られたと思っているだろう。娘を溺愛したゲイルがそんなことするはずがない。更にトリシャを残してゲイルが死んだ。自殺じゃない、殺された。愛娘を一人残し自殺するはずがない。だがそれさえもトリシャはわからないだろう。
あの事件でトリシャにいくつも傷が残った。トリシャをここまで苦しめた理不尽な男たちに、その運命に怒りを覚えた。
あの組織が壊滅すればトリシャも少しは救われるのではないか。せめて一矢報いたい。ゲイルの無念も晴らしてやりたい。あいつに依頼することはできないだろうか。これはあいつの領域だ。
そう思い依頼を出せば二つ返事で受理され法外な報酬を要求された。金は問題ない、軽すぎてやや不安だがあいつの仕事は確かだ。必ず奴らを地獄に送ってくれるだろう。
恩師ダグラスからトリシャの家庭教師をするよう言われ自分で大丈夫かと思ったが、腫れ物扱いしても仕方がない。どうせ自分のことも憶えていないだろう。ならばとあえて厳しく指導したのだが、思いの外食い下がってきた。以前は気の強い一面もあった、本質は変わっていない。同じ授業を受けたアーサーは一日も持たなかった。
生まれつき賢い人間はその才能にのさばりいい気になる。だが努力する人間は尊敬できる。才能もあり更に頑張るトリシャを褒めてやれば溢れるように微笑んだ。以前と同じ笑顔にホッとする。これで男性恐怖症が克服できたかと思ったが、実際はダグラスとクリフォードにだけ心を許しただけだった。
また懐かれた、それが妙にくすぐったい。トリシャを愛した父は死んだ。ならば自分とダグラスでその分トリシャを守ろう。この少女はもう十分傷ついたのだから。
身を守るために結んだトリシャの婚姻がゴシップ紙に載りトリシャを苦しめていると知った。少しでも安らかになればいい。その思いで別名義でゴシップ紙の株式を買い集めトリシャの記事をすべて握り潰した。
あの再会から七年———
トリシャと共に暮らしだして幾日経っただろう。いつ頃からそう思うようになったか、トリシャからいい香りがしてくる。既製品の香水にない、柑橘のような甘くて爽やかな香り。その香りだけでも癒やされそうだ。
ここ二年はトリシャと顔も会わすこともなかった。ともに暮らすまでは十二歳の子供の頃のイメージしかなかったが、十七歳になったトリシャの纏う香りがクリフォードを惹きつけた。甘い女性の香り、それは子供のトリシャになかったもの、その香りに惑わされる。微かな残り香で今までここにトリシャがいたとわかるほどに。
トリシャと香水の話になった時に香水ビンの香りを嗅いだが、いつもと違う香りにクリフォードは驚いた。あの魅惑の香りはトリシャ自身の香りと香水が合わさったもの。香水だけでは完成しない。それがクリフォードをひどく魅了していた。
あの香りに催淫される。
トリシャは蜜の香りで虫を惹き付ける大輪の花だ。
あの日トリシャの涙を見た時にきっと何かが壊れたのだろう。更にはあんなに世話を焼かれ気遣われ甘やかされる。愛らしいトリシャに大事にされることは何より心地良い。
トリシャがレイノルズから外されたことは周知の事実。トリシャは社交界にも出ておらず引き篭もっていたが一部でトリシャの美しい容姿が噂で伝わっていた。さらに莫大な遺産を継ぐ予定。もうすぐダグラスの喪が明ける。そうなればこの美しい花目がけて男たちが求婚に押しかけてくるだろう。そう予想するだけでクリフォードをこれ程にいきり立たせた。
後見人権限で求婚者たちを追い払うことはできる。だが義父である自分はこの花を手に入れることはできない。
男の本能が花を手折ろうと手を伸ばす。
父の理性がブレーキをかける。
触れたい。でも触れられない。
本能と理性がせめぎ合う。
思わず伸ばした手をせめてとトリシャの頭にのせ昔の頃のように撫でる。そうやって誤魔化して触れる程度。でも全然足りない。欲しいものは目の前にあるのに。
抱きしめてあの香りを堪能し存分に貪りたい。日々ひどくなるその劣情を理性でねじ伏せる。これは邪な想いだ。
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