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✠ 本編 ✠
005 トリシャ③
しおりを挟む「荷物は後で家のものをよこすから」
「ありがとうございます」
「大丈夫だ、怖いことは何もない」
震えるトリシャの手をクリフォードが握る。力強い大きな手に安堵の息が漏れた。急展開に目が回りそうだったが、クリフォードのおかげでなんとか持ちこたえられた。
動き出した馬車の窓から小さくなるレイノルズ邸が見えた。七年間トリシャを守り続けたダグラスの砦、世間が怖くて頑なに引き篭もっていた館から今あっさりと離れようとしている。
「行き先は私の別邸にしよう。郊外にあってあちらのほうが静かだ。私もよく使ってる」
すでに行き先は指示されていたのか馬車は街外れに向かっているようだ。馬車に揺られクリフォードに肩を抱かれ、その温もりにトリシャの瞼が次第に落ちていく。朝から葬儀に出席、そして遺言状公開。緊張が続き最近眠りが浅かったこともありトリシャはいつの間にか眠りに落ちていた。クリフォードに優しく揺り起こされ目を覚ました時はもう馬車は到着していた。
「ついたよ、気に入ってもらえるといいが」
「すごい‥‥」
初めて見た建物にトリシャから感嘆の声が出た。そこは森に囲まれた二階建ての一軒家。隠れ家のような佇まいで周りに他の家もない。敷地が広大なためだ。レイノルズ邸に比べれば大きさこそ小さいが爵位を持たないクリフォードが所有する家であれば十分大きくて立派だ。一人で住む家でもない。これが別邸、本邸はどれほどだろうか。
「素敵な建物ですね」
「人混みは嫌いでこっちに家を建てたんだ。おいで、中を案内しよう」
手を取られチェスターとともに馬車を降りた。チェスターも気に入ったのかリードを引きながらくるくる駆け回っている。クリフォードが出迎えの初老の家人に声をかけた。
「コリンズ」
「おかえりなさいませ」
「トリシャ、執事のコリンズだ。困ったことはコリンズに何でも言ってくれ。コリンズ、レディ・ステイルだ。今日からここに住むことになる」
初老の執事にトリシャが微笑めば笑顔で頭を下げられた。初めて聞く話だろうに執事は動じた様子はない。背後のメイドに指示を出している。家の大きさもそうだが雇用人の人数も多い。爵位がないが実家の影響か執事も置いている。それを成せる財力もあるということだ。
「今日は客間を準備してくれ。部屋も新しく整えないと」
「急ぎ手配いたします」
「そんな、部屋はどこでも」
「そうはいかないよ。その話は後だな。疲れただろう?そうだな、温室に茶を準備してくれ」
「かしこまりました」
クリフォードがトリシャを奥に導く。長い廊下を歩き、中庭に出たところでガラスの温室の扉を抜けた。目の前が緑一色になる。
「‥こんなに緑が‥」
「私専用の場所だ。楽にして」
観葉植物に囲まれた一角にソファが置かれている。大きめの長ソファーはクリフォードが寝転がるためのものだろう。ミニバーには酒のボトルが置かれソファの脇の小さな本棚には小説がぎっしりだ。天窓が開かれ心地よい風が入ってきていた。
クリフォードの許可を得てチェスターのリードを外してやれば嬉しそうにすっとっんで行ってしまった。鉢植えもなくコーギーがいたずらもできそうにない。
「庭じゃ寝転がれないからね。書斎にいない私を探すなら最初にここに来ればいい。だいたいここでダラダラしている。気に入った?」
「はい、とても素敵です」
「じゃあトリシャもここを使っていいよ。ここは自由にしていい場所だ。トリシャ専用のソファを置こう」
メイドがワゴンを押してやってきた。レイノルズの屋敷も古くて良い家だったがこういった癒しの空間はなかった。出されたお茶を飲みトリシャがほぅと息をついた。ダグラスが死んで初めて茶を味わったように思う。それ程に自分は気を張っていたようだ。
クリフォードと温室の話をしていればしばらく後にコリンズが入ってきた。クリフォードは二、三言葉をかわして立ち上がった。
「すまない、少し外すよ。弁護士が来た。コリンズに君の部屋へ案内させよう」
「私はもう少しここにいてもよろしいでしょうか」
「ああ、構わないよ」
弁護士。養子縁組の件を指示するのだろう。仕事が早いのはクリフォードらしい。せっかちなダグラスに似ていると笑みが溢れた。ふたりは本当の親子の様だ。
一人残された温室でトリシャは目を閉じる。静かな時間が流れる。遺言状公開であれほど自分に群がってきた人の群れが嘘のようだ。
だが心が痛い。この痛みは何だろう。すでに余命宣告を受けていたためダグラスの死は静かに受け止められた。ずっと引き篭もっていたレイノルズ邸を出たから不安なのか。
違う、はっきりと断られたからだわ。
クリフォード様と結婚できないと。愛はないと。
だから平然と養子の話ができた。トリシャを何とも思っていない証拠だ。
トリシャだから結婚できないわけじゃないと言われたが同じことだ。自分はクリフォードにとってそういう対象ではないのだ。それでもそばにいたいと望んでしまった。
どこに行っても厄介者でしかない。ダグラスの遺言があったからクリフォードはここまで心を砕いてくれる。それが心底申し訳ない。でも誰かを頼らないと怖くて生きていけない。こんな自分が情けない。
じゃあどうすればよかった?
「トリシャ‥‥大丈夫か」
どのくらい時間が経っていただろうか。温室はすでに西陽が差し出していた。目に前にはクリフォードがしゃがんで自分を見上げている。目元を指で拭われ自分が泣いていたとトリシャは初めて気がついた。
「ごめんなさい‥これは」
「謝るな。悪かった」
「え?」
「急に環境を変えた。ずっと暮らしていた屋敷から強引に連れ出した。不安だったろう?私が焦りすぎたな」
「いえ、今日家を出られて良かったです」
「そうか?」
「いっそ勢いで外に出られてよかったです。そうでなければぐずぐずレイノルズに留まってしまうところでした」
自分の手を握る大きな手を見下ろした。この手が連れ出してくれた。それだけでこんなにも勇気が出た。それは本当。
こんな自分を気遣ってくれる、それが申し訳ない。クリフォードを安心させようと微笑んだつもりだったが新しい涙がこぼれてしまった。大きな手で頭を撫でられてしまえば更に涙があふれた。
ああ、どうしよう
こんなにもこの人が好き‥‥
「我慢するな。泣きたければ泣けばいい。じいさんが死んでから伯爵夫人としてあの家で堪えていたんだろう?よく頑張ったな。これからは私が君を守るから」
クリフォードはもうすぐ自分の義父になる。この想いは断ち切らなければならない。そばにいられるだけでいいのだから。
だがクリフォードがトリシャを甘やかそうとする。頭を撫でられそのままに優しく胸に抱き寄せられた。縋ってはいけない、でもその甘さに負けてクリフォードに身をまかせれば嗚咽が漏れた。
今だけ‥‥これで諦めるから‥‥
「ごめんなさい‥」
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