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✠ 本編 ✠

040 発端

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 その日からクリフォードはトリシャとの間に距離を置くようになった。

 今までの笑顔もない。クリフォードと話をしたくて部屋を出たトリシャと食事は共にするようになったが会話は事務連絡のようだ。食事が終われば早々に席を立つ。夕食後の時間も断られた。とても話ができる状況ではない。
 トリシャはクリフォードとの間に何か違和感を感じてはいたが、それが自分の願望でないと言い切れない。問いかけた結果現実を突きつけられてそれを直視する勇気もない。話したい、でも怖い。やるせない日々が続いた。

 二週間が経ち別宅が整ったとクリフォードから伝えられてもトリシャは何も言えなかった。引き止められない、やはりそういうことなのだ、と自分に言い聞かせた。自分勝手に希望を抱いておいて裏切られたと思いたくない。

 荷造りをしながらトリシャは深いため息をついた。部屋を準備してもらったのに五ヶ月しかここに滞在しなかった。あの頃はずっとこの家にいられるものだとばかり思っていた。クリフォードもそういうつもりだったのならトリシャの部屋なんて作らなければよかったのに。無駄遣いをさせてしまった。

 明日はこの家を出る。これほどにクリフォードに依存しているのにひとりで生きていけるだろうか。一緒に住んでいても今は別々に暮らしているようにふたりの間に距離がある。それだけでも苦しいがそれでも一緒に住んでいれば顔を見られる。本当に離れ離れになってはきっと生きる気力もなくなるだろう。

 ため息と共に立ち上がりトリシャはチェスターを抱き上げて温室に足を向けた。最後に思い出を作りたい。あそこでクリフォードと多くの時間を共に過ごした。初めてクリフォードに愛された場所。たくさんの思い出ができた。もうこの屋敷に立ち入ることもないだろう。

 温室に向かうにはクリフォードの書斎の前を通る。温室へ向かう廊下を進んだトリシャの耳に、誰もいないはずの書斎から話し声が聞こえてきた。声はふたり。ひとりはクリフォード、すぐにわかった。もうひとりは誰だろう。クリフォードが誰かと話している。

 今日は仕事で外出していたはず、いつの間に帰ってきたのだろうか。思いふけっていて気が付かなかったのかもしれない。一緒にいられる時間も残り僅かなのに出迎えにも出られなかった。

 悲しい思いで書斎の前を通り過ぎようとしてトリシャの耳がある音を拾った。

「ジェシカから連絡はないか」

 それは間違いなくクリフォードの声。トリシャの心臓が止まりそうになった。初めてクリフォードの口からジェシカの名前を聞いた。一時期、あまりに存在感がなく実在しないとさえ思ったジェシカ、その名を聞いてしまった。トリシャの足が凍りついて扉の前から動けなくなった。抱き上げられたチェスターはん?とトリシャを見上げている。

「はい、残念ながら」

 応じる声はジム・タイナー、クリフォードの年配の弁護士、トリシャも見知った仲だ。なぜふたりがジェシカの話を?ジムもジェシカを知っている?連絡がないとは?立ち聞きはいけないと思うも足が動かない。耳がふたりの会話を拾っていく。

「そうか、仕方がないな」
「その‥よろしいのでしょうか‥ては‥あとで‥‥れては‥‥なことに‥」
「構わない。全て私が責任を持つ」
「ですが可能性としては‥‥」

 ジムの声が遠いせいかくぐもってよく聞こえない。だがその声音こわねで動揺している様子がわかる。一方でクリフォードは珍しくイラついているようだ。声が低い。扉に近いのかクリフォードの声はトリシャにはっきりと聞こえた。

「その話はもういい。聞き飽きた。私は待った。もう十分だろう。ジェシカには死んでもらう。それしかない。予定通り手配してくれ」

 ——— 死んでもらう?

 トリシャの思考が止まった。

 なぜジェシカを?どうしてクリフォードがそんな指示を?

 あまりに状況にそぐわない言葉、トリシャは狼狽しながらも静かに後退り自室に駆け込んだ。信じられないことを聞いてしまった。何か勘違いしたに違いないと聞いたことを振り返るもそれ以外の意味があるとは思えない。

 クリフォード様が?ジェシカの死を望んでいる?
 ふたりは恋人同士ではなかったの?

 何かおかしい。きっと話の続きがあったのだろう。チェスターを部屋に放し続きを聞こうと階段を降りかけて、エントランスからジムが外に出て馬車に乗り込む姿が見えた。クリフォードとの面会が終わってしまった。ジムはこれから何をするつもりなのだろうか。

 クリフォードには聞けない。立ち聞きしたと知られたくない。ならばジムに聞くしかない。だがすでにジムの乗った馬車は走り出していた。

 追いかけないと。
 そこでトリシャの思考が固まった。

 レイノルズ邸から出た時も山荘へ出かけた時もトリシャはクリフォードとふたりだった。ジムを追いかけるということは、トリシャはこの家から初めてひとりで外に出ることになる。レイノルズにいた時でさえひとりで出かけたことはなかった。過去のトラウマからぶるりと震えが走るが今はそれどころではない。トリシャは震える手で自身の体を抱きしめた。

「ダメよ‥頑張って‥怖がってる場合じゃないわ」

 ジムを止めなくては。
 あの話通りならとんでもないことになってしまう。

 トリシャは急いで部屋に戻りロングコートを纏う。これなら喪服も目立たない。トリシャの外出を悟り庭に散歩に行くと勘違いしたチェスターが浮足立っているが連れて行くわけにはいかない。

「チェスター、ごめんね。ちょっとここで待っててね」

 一緒に行くとキャンキャン吠えるコーギーを自室に閉じ込めトリシャはハンドバックを手に外へ急ぐ。エントランス外には馬車がもう一台、クリフォードが乗って帰ってきた馬車だろう。こっそりと外に出たトリシャは御者の老人、ハリーに声をかけた。

「ハリー!」
「これはお嬢様」
「この馬車はすぐ出せるかしら?先程帰ったジムに用があるの。追いかけられるかしら?」
「大丈夫ですが‥おひとりでお出かけですか?旦那様は‥」

 トリシャはひとりで外に出ないと知っているのだろう。躊躇うハリーに畳み掛ける。トリシャはジムのオフィスを知らない。急がないと見失ってしまう。

「旦那様には話してあるから大丈夫よ。急いで出して!ジムを追いかけてちょうだい!」

 コリンズに見られたくない。トリシャは急いで馬車に乗り込み扉を閉じた。同時に馬車が緩やかに走り出した。
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