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✠ 本編 ✠

006 クリフォード①

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 それはダグラスの死去の半年前———



「今日はどのような御用ですか」

 クリフォードは正面の老人を見やった。

 レイノルズ本家にわざわざ相性の悪い自分を呼び出した。軽い仕事の話なら代理の秘書がこちらに訪ねてくる。なのにこうして多忙な自分を呼び出した。要件は厄介事だろう。そして自分はこの恩師の命には逆らえない。おかげで自分は"漆黒の魔犬ケルベロス"の異名の一方で"レイノルズの猟犬ハウンド"と裏で揶揄されている。

 ダグラス・レイノルズ・ステイル伯爵。伯爵家としては名家でありながら当主ダグラスはビジネスにも通じていた。多くの企業を所有し七十二歳にして未だに経済界に影響力を持つ資産家だが、貴族の間では社交界に顔を出さない変人扱いされている。ダグラスの長男ダリルには商才は現れなかったところを見るとダグラスの才は突然変異だったのだろう。

 そのダグラスも二十年以上前に妻を亡くしていたが、六年前の六十六歳の時に後妻を娶り世間を騒がせた。

 年の差五十六とか。このジジィもうボケたのかと思ったが。

 後妻は十歳の少女トリシャ。クリフォードの兄弟子あにでし、ゲイル・イングリスの娘と聞いてクリフォードはこの婚姻の全ての事情を理解した。

「この会社の調停をお前に任せたい」

 差し出された資料にあった会社はダグラスが以前吸収合併した会社だ。だが相手の労働組合が強硬で労働条件で揉めている。元々はライバル同士だった会社の合併、お互いの労働組合が己の有利になるよう牽制しあっていた。やはり厄介ごとかと内心ため息が漏れる。

「相手は訴訟も辞さないと息巻いている。お前なら多少の荒事も臆することもない。事業では利益を生んでいる、ここが落ち着けば安定した会社になるだろう。一年で片付けろ」
「見返りは?」
「わしが死んだ後にこの会社の株式の10%をお前に譲渡しよう」
「死後?」
「40%はトリシャに与えるつもりだ」

 そこでクリフォードは恩師の意図を理解した。

「なるほど?荒事が落ち着いたところで経営をトリシャに引き継ぐ、と」
「揉め事は女性ではなめられるでな。お前は一年間、 最高経営責任者C E Oだ。一年以内になんとかしろ」
「また無茶を仰る。雇われで構いませんが働き分の給料はちゃんといただきます」
「もちろんだ」

 トリシャはすでにダグラスの名で経営に立ち上げから参画している。父に似て賢くダグラスの教えも守っている。気弱いところが少々心配だがそれは今後の経験でカバーできる。あの若さであの経営手腕なら引き継ぐには問題ないだろう。

 もっと酷い無茶振りされるかと思ったがこの程度だった。これだけでは呼び出された意図がわからない。

 時間は無限にあるわけではない。調子はどうだと世間話で何やらもったいぶる恩師にクリフォードが話を急かした。

「これでも死にそうな程度には多忙な身です。他には?まだありますか?ないのでしたらこれで失礼」
「トリシャと結婚しろ」

 前置きなく突然告げられた意味がわからない。クリフォードから間抜けな声が出た。

「‥‥‥‥は?」
「わしが死んだらトリシャをお前の妻にしろと言った」
「‥‥‥‥はい?」
「お前ももうすぐ三十になるだろう?」
「まだ二十八です」

 そこは重要だ。はっきり断言するも七十二歳の恩師は興味なさげだ。

「大して変わらん。そろそろ身を固める頃だろう。いつまでも遊び回ってる歳ではない。トリシャも半年後に十七。悪くない」
「どなたかのせいで遊ぶ暇もありません。トリシャはあなたの妻です。結婚はできません」
「わしの死後だ。わしが死ねば婚姻は解消される。そこは問題ない」
「問題大ありです!私は生涯結婚はしません!」
「それは以前聞いた」
「ならばなぜ今?」

 結婚しろ?自分より十二も年下の恩師の妻と?相手はトリシャだ。気は確かか?いよいよボケたのかこのジジィ!

「トリシャの行く末が心配だ。あれは父親の件で十分苦しんだ。もう負の連鎖から逃れ幸せになっていい」
「ならば私でなくても。トリシャはものじゃない。彼女の意思を尊重すべきです」
「だからお前から求婚しろと言っている」
「は?」
「トリシャに愛を乞え。トリシャが応じればそれで良し。それほど悪い話ではない。二つの会社が合併する。弱みが補われ強みが増える」
「これは結婚の話ですよね? 企業合併M&Aではないはずですが」
「結婚も似たようなものだ。深く考えるな」

 悪い話じゃない?深く考えるな?過去散々酷いことをさせられたが今日ほどの無茶振りは初めてだ。軽いめまいを覚えクリフォードが目元を覆った。

「申し訳ないですが私は深く考えるタチです。なぜ急にこのような?これは何の話ですか?明日にでも亡くなるご予定でしょうか?」
「余命一年と言われた」

 その言葉にクリフォードが目をみはり絶句する。正面には死と最も縁がなさそうな見た目元気ハツラツの恩師が薄く笑みを浮かべていた。この老人の前ではうっかり冗談も言えない。

「なんですって?」
「悪性の腫瘍がある。今までの不摂生のツケだ。仕方あるまい。わしは十分生きた。思い残すこともない。これでやっと天国でマリーに会える」
「天国に行かれるおつもりで?」
「当然だ。だがな、心残りはトリシャだ。あれには世話になった。わしがいなくなっても幸せになって欲しい」
「そこは同意しますが‥‥」

 トリシャを幼い頃から知っている。クリフォードにとってトリシャは今も変わらず大切な守るべき小さな姫だ。この恩師も同じだろうが言葉の意味がわからない。父の借金を建て替えトリシャの身柄を保護した。守るために結婚までした。クリフォードもトリシャの幸せを願っている、しかし散々世話をしたのはダグラスの方だ。

「お前にはまだわからんだろうが。トリシャは至宝だ。夫になった者だけがその価値を知るだろう。あれとは白い結婚だ。教会にその書面を作らせている。トリシャの既婚も問題ないだろう」

 そばにいればふたりが白い結婚であることは歴然だ。まるで祖父と孫娘のようにふたりは仲がいい。ダグラスの弟子でもあるトリシャはダグラスの最高傑作だろう。たった六年でダグラスの全てを吸収した。それは自分でさえ成しえなかったことだ。

 だが世間はふたりをそう見ないかもしない。ダグラスがそこを気遣っている。
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