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「かどわかし」
しおりを挟む昼食まで時間があった。じっとしていられずメリッサはバース、アニスを伴い庭に出た。
祖父ダリウスから言い付かっている用があるとの事でロザリーは珍しく側にいない。ならばとバースも共に出てきてくれた。
庭を歩きながら公爵と何を話そうかとふわふわと考える。贈られた日傘の新緑色のリボンにメリッサは微笑んだ。
執務室の前で二階を仰ぎ見る。チラリと見えた人影は公爵だろうか。午後が待ち遠しい。
そう思って視線を下ろした先に公爵が立っていた。メリッサの心臓が止まりそうになる。
昨晩のようなラフな服装に素顔で立つ公爵に会うのが気恥ずかしくメリッサは俯いた。いつの間に?執務室にいたのではないの?
ふいに公爵は森の中に入っていく。メリッサを気に留めた風でもない。
魔封の森には結界が張られており正門以外から入れないのに。疑問に思う間もなくメリッサは慌てて公爵を追いかけ森に入った。
公爵の後を追い森をかき分け、すぐに森が開けた。そこには湖が広がっていた。
メリッサは混乱する。おかしい。魔封の森の湖は深淵部に近いところの一つだけ。なぜそれが目の前に広がっている?
そこでメリッサは初めて背後を振り返った。
ほんの少ししか歩いていないはずなのに深淵の森の闇が広がっている。見えるはずの光が、邸が見えない。追いかけていたはずの公爵の姿がない。そこにはメリッサ一人しかいなかった。
メリッサはコクリと喉をならした。
これは「かどわかし」だ。
結界が張られてはいるが、ごく稀に人や獣が森の魔素に巻き込まれ森の奥に取り込まれることがある。まるで人を攫う様に。だから「かどわかし」と呼ばれた。
獣なら魔素を受けて魔獣となるが人は生身では濃い魔素に耐えられず死んでしまう。
メリッサは丸腰だ。ハンターの護符装備がない。恐怖で体をこわばらせたが、今のところ異常はない。腕輪が青く光っているのを見ると、これが濃い魔素から守っていくれているようだ。
「公爵様‥‥」
メリッサは腕輪に縋りついた。
公爵を追ってきたがあれは恐らく森が見せた幻惑。「かどわかし」から帰ったものがいないため、どのように取り込まれるか謎だったがあのように誘い込まれるのかと恐怖した。
庭から消えたメリッサを案じてきっと邸から助けがくるはず。丸腰で大型魔獣に会えば命がない。無闇に動いてはいけない。
茂みの中に隠れながら近くに以前『魅了』した魔獣がいないだろうか気配を探す。かなり遠くに『魅了』した獣達の気配が感じられた。呼びかけに応じてくれるだろうか。
深淵部近くの魔獣は強い。ここの魔獣を新たに『魅了』するにはリスクが大きい。
『魅了』した魔獣達の気配がこちらに向かって動くのを感じほっとした。
濃い魔素がメリッサを取り巻く。魔道具一つだけでは中和しきれず息苦しい。メリッサは腕輪を抱きしめる。
その時ガサリと茂みがなった。メリッサはハッとする。『魅了』した魔獣か、それとも——
そこには見たことのない魔獣がいた。
黄色地に黒い縞の毛皮の獣。鋭い牙で獰猛な猫のようにこちらを見ている。明らかに好意的ではない。獣と目が合う。
そんな。あれは何?メリッサの体がカクカクと震える。
我に返り咄嗟にメリッサは『魅了』をかけるも抵抗された。それがすぐにわかるほどに相手の魔力が強かった。
飛びかかってきた魔獣を横に躱しざま、落ちていた枝で鼻先を叩く。魔獣が怯んだ隙にメリッサは茂みから飛び出した。
あんな魔獣見たことない。濃い魔素のせいか異常に大きかった。あんなのに飛びかかられたらひとたまりもない。
煙幕もなしで逃げ切れるはずもないが、林の中をジグザグに走り抜ける。デイドレスが足に絡まる。靴も脱げた。何かに引っ掛けたのか足に痛みが走る。
呼吸が乱れるが自分を叱咤して走り続ける。そして視界が開けた。
そこは崖だった。眼下に遠く湖が広がる。
振り返れば先程の魔獣がそこにいた。あの狭い木々の中をこの体躯で抜けてきたのか。ひたと獲物を見据えている。
メリッサは再び『魅了』をかけるも獣の唸り声に弾かれる。まだ『魅了』した魔獣たちは近くにいない。
自分でなんとかしなければ。こんなところでやられる訳にはいかない。公爵様の許に帰るんだ。手にしていた枝をぐっと握った。
メリッサは左手に魔法陣を展開する。ハンターの強化装備もなく強い魔術は使えない。威嚇する程度のもの。これで怯えてくれたら。
魔法陣から炎の矢を出して魔獣に投げる。命中するも怯んだ様子はない。顔を振って火の粉を払う。そして飛びかかってきた。
メリッサは枝で受け止めるも簡単に噛み砕かれた。襲いかかる爪が左手を浅くかすり血が飛ぶ。
メリッサは短くなった枝に氷の魔術を込める。飛びかかってきた魔獣をひらりと躱し黄色い毛皮に枝を突き刺した。暴れる魔獣の爪に薙ぎ払われてメリッサは宙に浮いていた。
崖が遠のくのが見えた。ああ、墜ちる。そのしばし後に冷たい衝撃。
メリッサは湖に墜ちた。
メリッサは目を開ける。
どうにか湖を泳ぎ岸までたどり着いた。だが体が冷え切って動けない。風が冷たい。怪我をしたのに痛みも感覚もない。もうこのまま動けなくなるのか。
ふと目をあげた先に、小型の魔獣がいた。うさぎだ。きっと以前『魅了』したのだろう。じっとメリッサを見ていた。こんな時なのに魔獣に会えて嬉しかった。
「‥‥来てくれたのね。ありがとう。」
濡れて冷えた手にうさぎは体を擦り寄せる。暖かい。そう思いメリッサは目を閉じた。
意識を失ったメリッサは知らなかった。
その後、大量の小型獣達が森中から集まり身を寄せてメリッサの体を温めたこと。
多くの大型獣達が深淵の魔獣からメリッサを守ったこと。
そして森の深淵からあの黄金の魔狼がメリッサの前に現れたことも。
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