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『魅了』をかけたい
しおりを挟む夕食後部屋に戻ると、アニスが包みを手に近づいてきた。
「メリッサ様、グライドよりこちらを預かっております。ロザリー様にはどうぞ内緒にしてほしいとのことです。」
受け取った包みは瓶の様だ。夜一人になった時に開けてみると意匠の凝った瓶に美しいラベル。ジュースだろうか?
昼間泣いてしまったので気遣ってくれたのだろう。
テーブルのグラスに注いで飲んでみる。甘くて美味しい。
ちょっと変わったところもあるが、あの従者は真面目で主に似た心遣いをする。
メリッサはソファに寄りかかりため息をついた。
自分はこんな性格ではなかった。皆が恐れる魔封の森を駆け回るのが好きだった。魔獣にだって怖気づくことはなかった。
なのにこの邸に来て私はどうしてこんな怖がりになってしまったのだろう。ぐびりと琥珀色の飲み物を飲む。
そもそも公爵様は私をどう思っているのだろう。非はこちらにある。気に入らなければ婚約破棄してシャムロック家に送り返せるものを。
ぐびり。とくとく。
公爵様はお優しい。きっと私の経歴に傷がつくと思って穏便に済ませようとしているのかもしれない。それはそれで気遣いが過ぎて寂しい。
ぐびぐび。とくとく。
グライドも言っていたがちゃんとお話ししてみたい。婚約者なのだからそれくらい許されるのではないか。
ぐびぐびぐびー。ん?あれ?
メリッサは瓶を振るが空っぽのようだ。つまらんと言わんばかりに投げ捨てる。
そうだ。直接聞けばいい。なぜ思いつかなかったのか。
メリッサ・シャムロック。あなたはA級ハンターじゃないの。狙った獲物が目の前にいるのになぜ仕留めないのか。怖いだなんてA級ハンターの名がすたる。
先触れを出して断られたくない。今から行こう。婚約者なのだから大丈夫。
公爵様の部屋は初日に教えてもらっている。昨日のお詫びをして公爵様のお気持ちを聞いてみよう。
今までと打って変わってなぜか強気になれて気が良くなった。
メリッサは鼻息荒く立ち上がった。体がふわふわして動きやすい。肩掛けをはおりろうそくを持って廊下に出る。
使用人が多い邸なのに廊下は不気味なほど静まり返っている。そして新月なので真っ暗だ。好都合と廊下を進み、つきあたりの目的の部屋まで来た。
扉を静かに開けるとそこはがらんとした部屋だった。家具は一切なく壁は魔獣が暴れたかのような荒れ具合。
部屋を間違えたかと思ったが、続き部屋の扉から光が漏れていた。かちゃりと人の気配がしたので、ろうそくを床に置いてその扉を開けた。
公爵は窓際に立っていた。
部屋のろうそくの光に照らされ体が金色に輝いて見える。
広い背中、しなやかに動く長い手足にメリッサの目が釘付けになった。クラバットを外しシャツを着崩したその立ち姿に、初めて男性を美しいと思った。思わずほうとため息をついた。
頭には兜をかぶっている。メリッサの侵入に気がついて被ったのだろう。
メリッサの胸がチクリとする。怯えさせないための気遣いでもメリッサにとっては拒絶に感じた。まるで公爵がこれ以上近寄るなと言っているかのようで胸が痛い。
どんなに醜くても、酷い傷があっても私は気にしないのに。
「夜更けに何用か?メリッサ嬢」
ああ、やはり低くて快い声だ。メリッサはびくりと体を震わせた。
この時メリッサは公爵に惹かれている自分をはっきり自覚した。
もっと話して声が聞きたいのも、拒まれるのが怖くて辛いのも、一日中公爵のことを想うのも全部そのせいだ。
会って間もないのに顔も知らないこの人を好きになった。好きになれるのだと驚き、好きになれてよかったと思った。
思考とは別に口から言葉が出た。
「その‥公爵様に昨日のお詫びを‥‥」
「あなたの謝罪は昨日頂いた。今後気をつけてくださればそれでいい。」
穏やかに諭されじんときた。よかった。嫌われてなかった。それに優しい。
ああ、この人を虜にしたい。自分だけのものにしたい。どうすればいい?
『魅了』を使う?人には使ったことがない。でももし『魅了』をかけた魔獣達のようにこの人に愛されたらどんなに素敵だろう。
一歩も動かない公爵をメリッサは魅入られたように見つめた。
不意に公爵が動いた。兜に手をかけてするりと脱ぐ。軽く頭を振って現れた顔にメリッサは驚いた。
木もれ陽を集めたような淡い金髪に新緑を溶かしたような瞳、人を惹きつける柔らかな顔。その顔に傷はない。両耳のピアスが青く光っていた。
公爵はメリッサに穏やかに微笑んだ。
公爵の予想外の行動にメリッサは激しく動揺する。公爵は手の兜を机に置きメリッサの前に騎士の様にひざまづき、その左手を取った。
「こ、公爵様?」
「メリッサ嬢、昨日は心ない言葉で貴方を傷つけてしまった。貴方を守るものとしてとても許されない行為だった。それでももしできるのなら貴方の慈悲を乞いたい。どうか許してもらえないだろうか。」
くぐもらない公爵の声を聞いてメリッサの呼吸は早くなる。
許す?何を?よくわからないが、この人になら何されても許す。そんな思いでこくんと頷いた。
メリッサの仕草を見て、公爵は強ばらせていた表情を崩し破顔した。その少年のような笑顔にメリッサは撃ち抜かれた。
顔が熱い。息が乱れる。足が震える。目が回る。胸が痛い。こんなのもう無理だ。
そして公爵がメリッサの左手にキスを落とすのを見て、メリッサは意識を失った。
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