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第二部
第19話
しおりを挟む「ここを出られるのですか?」
「これ以上ここにいては危険だ」
あの寝室の逢瀬から二日後の深夜、部屋に訪れた家令にエデルがそう宣言した。
危険なのはエデルの精神状態。昨日は貪り潰してしまったためにエルーシアはベッドから出られず午後の逢瀬は流れた。だが今日も体調不良を理由に会ってもらえなかった。
きっとあの暴走で完全に引かれた。強姦未遂な真似までした。あの時エルーシアは意識がなかったが体に痛みが残ればそうとわかったかもしれない。
嫌われた。避けられた。拒絶された。自業自得だったがこれまで経験したことがないほどにエデルは落ち込んでいた。そのくせエルーシアに会いたくて心は焦がれている。エルーシアに会えても会えなくてもこのままでは気が狂れてしまうだろう。
はぁと項垂れるエデルにオスカーが冷静な声を出す。
「かしこまりました。新居を準備いたしましょう」
「新居はいらない。エルーシアを連れて逃げる」
「‥‥‥‥逃げる?」
「お前の助けはいらん。立場上無理だろう」
部屋に痛いほどの静寂が訪れた。痛いと感じたのはエデルだけかもしれない。初めてエルーシアへの秘めた想いをこの家令の前で口にした。いや、この男の情報網なら既に知っていただろう。逃げるというのもずいぶん青臭い言葉を使ってしまった。いたたまれずに顔を伏せる。家令の冷ややかな声がさらに追い討ちとなった。
「お嬢様は同意されておいでで?」
「まだ言ってない。だが口説き落とす」
「お嬢様は侯爵令嬢であらせられます」
「苦労はさせない。幸せにする」
侯爵令嬢が庶民の暮らしに馴染むのは難しい。だがエルシャなら大丈夫だ。身分を偽る暮らしになるだろうがエルシャならきっと馴染める。僕がずっとそばにいる。
初老の家令は顔色ひとつ変えない。この鉄仮面ぶりは本当に理解しているのかたまにエデルは心配になることがあるほどだ。そのオスカーから更なる無慈悲な追撃が出る。
「行き先をお決めでしょうか」
「検討中だ」
「どのようにお嬢様を敷地の外へ?お嬢様の足では難しいかと」
「熟慮してる」
「ラルド様の追手はどのようになさるおつもりでしょうか。お一人であの警護では多勢に無勢では?」
「対策は吟味中だ。って敵方のお前になんでそこまで言わないといけない?!」
「敵方ではございませんが?」
変なことを言う。猜疑の目を向ければ家令は恭しく頭を下げた。
「私はエデル様の家令でございます。今後の方針を伺った次第です」
「‥‥‥頭がおかしい。ただ赤毛というだけでそこまで僕に忠誠を尽くすのか?僕は侯爵家に戻らず逃げるんだぞ?」
「全ては先代様のご意志です」
エドゼルの助けとなれ。父のその遺言を全うしている、そう言われてしまえば何も言えない。
ラルドに自分を売るのならもっと前にできた。だがそれをしていないからと言ってこの男を信用してもいいのだろうか。今回はエデルとエルーシアの運命がかかっている。決めきれずエデルはふぅと息を吐いた。出た言葉はどちらともつかないものだった。
「ルートは検討中だ。必要なものが出ればその時は頼む」
「かしこまりました」
「エルーシアの護衛に言っておけ。ラルドに警戒を。絶対にエルーシアの側を離れるなと。特に夜だ」
あそこまで手が伸びている。夜這いで奪われかねない。エルーシアには言い含めたが体格差もある。強引にされては防げないだろう。自分が耐えに耐えて守った純潔を奪われるわけにはいかない。
「すでにそのように動いていると報告がありました」
「すでに?」
「お嬢様に請われ夜お側に控えているとのことです」
エルーシアが自衛で動いたか。第三者を置くのはいい判断だ。だが長くは持たないだろう。早くあの檻から助け出さなければ‥‥
焦るエデルにオスカーの冷ややかな声が続く。
「ラルド様は相当に動揺しておいでです」
「動揺?」
「怪文書が届いたと。出どころを探すよう指示がありました」
「ああ、あれか?ささやかな仕返しだ。可愛いものだろう?」
エデルが目を細めほくそ笑む。
やられっぱなしでは気が収まらない。義兄という立場を悪用し随分とエルーシアに手を出しやがった。エルーシアには義兄と交わってはいけないと、義兄を信じるなと念を押したから今後は拒絶するだろう。だがラルド本人に仕返しがしたかった。
エデルは寝室での逢瀬の翌日、ラルドに匿名の手紙を書いた。筆跡がそれとバレないよう左手で書く。エデルは三種類の筆跡を使いこなしていた。
手紙の内容は父の遺言状。正妻が握りつぶした遺言状だが文書の破棄まではできまい。きっと弁護士が保管している。
エデルの持っているカードでラルドに切れるものは少ない。
家人たちにそれとなく当主としてラルドの評判を聞いてみたが総じて悪くない。ラルドと家人の距離が遠いためだ。自分達に害意のない当主は家人にとっていい当主だ。資金繰りは悪いが領地運営でも悪事を働いていない。強請るネタにもならない。金遣い、女癖、ギャンブル癖、酒癖も悪くない。唯一あるなら義妹の非人道的な軟禁だがそれはエルーシアにも傷が及んでしまう。そもそもが閉じ込められたエルーシアの存在が知られていなかった。
ラルドが父の血を引いていない、これは爵位を継ぐ身としては大ダメージだがエルーシアと血がつながっていないことがバレる。これは絶対に知られてはいけない。使うのならエルーシアを確実に手に入れてからだろう。侯爵家の財政状況を融資先にリークしてもいいがラルド本人を貶めたい。ならば父の遺言状。多少のリスクは承知の上だ。
「弁護士を呼び出しておりました」
「だろうな。関係者しか知らないことを書いたからな。匿名の文書でも信憑性はあっただろうよ。自分が廃嫡されるはずだったと知れば相当だ。父に愛されていなかったわけだからな。あの弁護士は事情を全て知っているんだろう?弁護士経由で母の陰謀も知るだろう」
「しかしエドゼル様の存在が明らかになりました。追い詰めては少々危険です」
この家令は頭が切れるが気を回しすぎる。堅実が故か歳が故か。
「想定内だ。お前は父の後継者ではない、と現実を教えてやっただけだ。優しい義兄から愚かな義弟への親切な忠告だ」
「エドゼル様の捜索命令が出されました」
「生死不明の赤毛を探せと?お前だって赤毛では僕を見つけられなかったのに無駄なことを。だがその赤毛がまさか自分の足元にいようとは思わないだろうな」
エデルが底意地悪く笑う。
ラルドの今は本当はエデルのものだった。だがエルーシアとは赤の他人として知り合えた。幼少期を一緒に過ごせなかったことはかなり残念だが異母兄妹ではきっと愛し合えなかっただろう。それはエデルの幸運となった。
あの夜の行為でラルドもエルーシアに邪な想いを抱いているとわかった。だが兄妹の壁がある。エルーシアの倫理観が拒絶している。そこはエデルに有利に働いていた。
ラルドは自分が赤毛でないことで父の血を継いでいないと疑っていただろう。エルーシアに手を出したのもそこがよりどころかもしれない。だが実際は自分は次男、赤毛でなくても父の血を継いでいる可能性が出てきた。
エルシャと血が繋がっている可能性がある。その可能性でエルシャを諦めればいいのだが。
愚かな義弟よ、どんなに檻に閉じ込めて足掻いても義妹はお前のものにはならない。兄妹の枷がそれを許さない。だが実際は血が繋がっていない。その枷だけがお前の妨げとなる。可哀想になぁ
この傾いた侯爵家も腐った爵位もくれてやる。だがエルシャは僕のものだ。お前には渡さない、絶対にだ。
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