忘れ物

うりぼう

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「はあ、はあ……っ」

人通りのないところまでやってきて足を止める。
大した距離ではないのに、思いきり走ったせいでかなり息があがっている。
普段運動なんてロクにしないから、足がガクガクと震えてしまっている。
膝に手をつき、乱れた呼吸を整える。

(……言っちゃった)

ずっと我慢しているつもりだったのに。
俺の事なんて忘れたままでも、真樹が幸せならと思って黙っているつもりだったのに。
近くにはいれなくても、遠くからその幸せを願うつもりだったのに。

(最後まで『川内』だったな)

その事実に乾いた笑いが漏れる。

「……ははっ」

終わってしまったんだ。
自分から終わらせてしまったんだ。
きっともう二度と関わりたいとは思ってくれないだろう。
むしろあの場で怒鳴られなかっただけマシなのかも。
気持ち悪い、なんて吐き捨てるような奴ではないけど、ずっと傍にいた奴がそうだと知ったらほんの少しでもそう感じてしまうかもしれない。

「ははは……っ、ッ」

そのうちに嗚咽が混ざってきて。
さっき堪えたはずの涙がぼろぼろと溢れてくる。

「……うっ、ひ……っ」

うずくまり、服に声も涙も吸収させるように強く押し付ける。
袖の部分がじんわりと濡れ冷たさが肌に触れた瞬間。

「!!!」

携帯電話が鳴った。
無視しようかとも思ったけれど、今は誰かに縋りたかった。
ほんの少しで良い。
ほんの少しだけ、一瞬でも良いから慰めて欲しい。

(……長岡!)

表示されていたのは長岡の名前。
すぐに通話ボタンを押して、耳に当てる。

「あ、律?今大丈夫か?」

電話口の長岡は、当たり前だけどいつも通りの口調だった。

「昨日大丈夫だったか?」

あの後真樹が現れて俺を強引に連れ去ったと、真樹が話していたのと同じ説明を聞く。
どうだったのか心配で電話したのだろう。
何もなかったら良かったのだが、何もないとは言えない今の状況で、まともに声を出せるはずがなかった。
いくら誰かに縋りたいからといって、声も出せないのに電話に出てしまった自分はどれだけ馬鹿なのだろう。

「……律?どうした?今都合悪いのか?」
「っ、な、がおか……っ」
「…………何があった?」

精一杯に出した俺の声が震えているのに気付いた長岡が、即座に心配そうに聞いてくる。
どう説明して良いかわからずに言葉に詰まる。

「律、今どこにいる?広瀬の家の近くか?」
「っ、うん……っ」
「わかった、すぐ行くから待ってろ」

長岡は優しい。
何の説明もしていないのに何かがあったとすぐに気付き、ここに来てくれようとしている。
俺が取り乱す原因の九割が真樹だとわかっているからだろう。
昨夜強引に連れ帰ったと言っていたから尚更心配をかけてしまっていたのかもしれない。

「いいか?待ってろよ?」
「っ、ん、うんっ、まっ……」

待ってる、という言葉は口から出る事はなかった。
何故なら、突然背後から伸ばされた手に奪われたからだ。

「長岡か?」
「……っ、なんで」

他でもない、さっき別れたばかりの真樹の手によって。

驚き固まる俺を他所に、奪った携帯でそのまま代わりに話し始める真樹。

なんで?
どうして?
俺の事なんてもう放っておいてくれれば良いのに。
そう思のに、言葉が出てこない。

「は?ふざけんな、来なくていい」
『……!……?!』

電話の向こう側では長岡が何やら怒鳴っているようで、僅かに声が漏れている。

「うるせえ!わかってるよ!」
「っ」

そして乱暴に怒鳴り舌打ちをした後恐らく一方的に通話を終了させ、次いで俺に向き直る真樹にびくりと震える。

何を言われるんだろう。
あんな事を言ったばかりでは嫌な予感しかしない。
聞きたくない。
何も聞きたくないと思うのに、こうして追いかけてきてくれた事に喜んでしまう自分がいる。
例えこの後拒絶されようとも、こうして来てくれただけで嬉しい。
嬉しいけど怖い。
でもこれ以上逃げてはいけないと感じる。

そうだ、逃げてはいけない。
きちんと話し合って、きちんとけじめを付けなければ。
真樹を諦める為にはそうするしかない。

覚悟を決め、真樹に向き直った。



















「黙っててごめんな」

そう言って涙を溜めながら微笑むその表情が、記憶の底にある『恋人』の表情を重なる。
その瞬間。

「……っ、あ……?!」

締め付けられるように痛み出す頭。
鳴り響く耳鳴り。
その間に洪水のように押し寄せてくる記憶の波。
目を瞑り、頭を抱え、その波が去るのを待った後真っ先に浮かんできたのは……

『真樹』

「……!!!」

ふわりと優しく微笑む律の顔だった。

「あ……?俺……」

落ち着いてみて思い出したのは、律を忘れ杏を口説く自分の姿。
あまつさえそれを相談し、悲しそうに歪められた律の視線にすら気付かなかった。
そのくせ律が他の誰かといると一丁前にヤキモチを妬いて奪い返して強引に自分の元へ。
おまけに『恋人』の存在を律が隠していたのだと思い込んで詰め寄る始末。

(何してんだよ俺……!)

自分の馬鹿さ加減と不甲斐なさに唖然とする。
よりにもよって、一番大切な、一番大事な律に向かって、他の相手と付き合うと言うなんて。
いくら記憶がないからといっても酷すぎる。
そもそも律を忘れた事自体がありえない。

(そんなことより、追いかけないと!)

後悔するのも自分を攻めるのも後で良い。
一刻も早く、今出て行った律を追いかけなければ。

「……っ」

手の中にある指輪を握り締め、律の後を追って部屋を飛び出した。

(どこだ?!どこにいる……?!)

がむしゃらに走って見つけられるとは思わなかったが、律ならこっちに走って行くかもしれないという妙な自信があった。
体力もないからそんなに遠くには行っていないはずだと辺りを見渡しながら走っていると。

「!」

人の通りが全くないところに、律はいた。
うずくまり、何かを耳に当てている。

「……!」

それが携帯電話だと気付き。
話すその相手が長岡だと気付くまでに時間はかからなかった。
そして泣いているらしいその後ろ姿にすぐに近付く。

「っ、ん、うんっ、まっ……」

しゃくりあげながらコクコクと頷く律。
すぐさま律の背後に寄り、その手から携帯を奪い取った。

「……長岡か?」
「……っ、なんで」

呆然とした表情でこちらを見上げる律を見下ろし、携帯を耳に当てる。

『広瀬?何してんだよ?それ律の携帯だろ?今からそっ ち行くから』
「は?ふざけんな、来なくていい」
『は?行くに決まってんだろうが!てかなんなんだよ?!お前、これ以上律の事傷付けるつもりか?!そんなことしたら』
「うるせえ!わかってるよ!」
『……広瀬?お前、もしかして』
「……ちっ」

盛大な舌打ちの後に通話を強制終了させて律に向き直ると、律はびくりと身体を震わせた。

「……」

まず何を言えばいいのかがわからずに言葉を詰まらせる。
俺に何を言われるかわからずに怯える律の目からは涙が零れている。

「……」

まずはその涙を指先で拭い、そして

「……律」

小さく名前を呼んだ。

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