忘れ物

うりぼう

文字の大きさ
上 下
6 / 8

6

しおりを挟む




手が何か温かいもので包まれている。
そのあまりの心地良さに少しずつ浮上してきた意識を再び沈めたくなってしまった。

(……朝?)

目を瞑ったままでははっきりとは言い切れないが、瞼の向こうで光っているような気がするのと頬にかかる熱いのが日射しだとしたら朝なのだろう。
飲み過ぎた頭はふわふわしているし、喉もカラカラに渇いている。

「長岡、ごめん、水ちょうだい」

てっきり長岡が泊めてくれたと思い、目を瞑ったままそう言う。
長岡の事だからとっくに起きていて、飲み過ぎだと文句を言いつつもすぐに水を持って来てくれるだろうと思っていると。

「水?ちょっと待ってて」
「!?」

手の温もりが消えるのと同時に、明らかに長岡のとは違う、静かに聞こえてきた声にがばりと飛び上った。

「ま……ひ、広瀬……!?」

そしてそこにいた人物に驚く。
無意識に真樹と呼んでしまいそうだったのを慌てて直せたのは、二日酔いの使えない頭で良く出来たと思う。

「真樹で良いよ」
「え?」
「昨日、そう呼んでたから」
「っ」

言われたセリフに息を飲む。
名を呼んでしまっただなんて。
あんなに我慢していたのに、やはり酔っ払うとタガが外れるのだろうか。
自分の失態に内心舌打ちをして、真樹に向き直る。

というよりも何故自分は真樹の家にいるのだろうか。
昨日の夜、繁華街のど真ん中で真樹達に会ったのはなんとなく覚えている。
真樹は杏と一緒にいて、そのままどちらかの家にでも行くのだろうという雰囲気だったはずだ。
それを目の当たりにして無意識に長岡にくっついたのを覚えている。
そしてそのまま長岡の家に泊まる気満々だったはず。
今現在真樹にあまり良い思いを抱いていない長岡が、はいどうぞと俺を任せるとは考え難い。

なのになんで?どうして?

そんな思いが顔にありありと浮かんでいたのだろう。

「俺んちの方が近かったから、俺が強引に連れて来たんだ。かなり酔っ払ってて危なかったから」
「え、あ、そ、そう」

強引に、なんて。
ますます疑問が広がる。

「はい、水」
「……ありがとう」

気まずい。
気まずすぎるけれど喉の渇きには耐え切れず、差し出されたそれを一気に飲み干す。
こうなったら適当に話を切り上げてさっさとお暇しよう。
覚えのありすぎるこの家に長居するのは辛い。

ああ、このベッドでも良く二人で寝たな。
水を入れてくれたこのコップは、きっと無意識なんだろうけどいつもここに来る度に俺が使っていたコップだ。
カーテンを閉めない癖もそのまま。
通りで顔に朝日が直撃して眩しいはずだ。
部屋の中は乱雑に見えるけれど本人だけがわかるように適当に整頓されているし、塵や埃は落ちていない。
積まれた雑誌もハンガーラックに服を乗せているのも見覚えがある。
何もかもがあの時のままだ。

なんて懐かしんでいる場合ではない。
俺が余計な事を口走ってしまう前に立ち去らなければ。

そう思っていると。

「なあ、これって川内の?」
「!」

目の前に出された物。
それは俺がいつも肌身離さず首からぶらさげていた指輪だ。
もちろん昨日も付けていたが、外した覚えはない。
とっさに首元を探るがそこにいつもの感触はなかった。
真樹の手にそれがあるのだから当然だ。

「な、なんで?」
「悪い、引っかかったら危ないかと思って外した」
「……」
「……これ、見覚えがあるんだけど」
「え?」

見覚えがある?
この指輪を覚えているのだろうか。
という事は、俺の事も思い出してくれたのだろうか。
淡い期待を抱くがどう見ても真樹の表情は硬く、俺を思い出したというような表情ではない。

「見覚えって」
「俺が『恋人』にあげた指輪にそっくりなんだ。なんで川内が持ってんの?」

案の定、希望は粉々に打ち砕かれた。
指輪の事だけでも思い出してくれて喜ぶべきなのか、物しか思い出してくれない現状に悲しむべきなのか。

指輪を持っている人=恋人=俺だと繋がらないのだからやはり現実は厳しい。

「なあ、なんで?なんでこれを川内が持ってるんだ?」
「そ、それは……」
「もしかして、俺の『恋人』のこと知ってんの?」
「っ」

びくりと震えた俺に何を思ったのか、両肩を掴まれ詰め寄られる。

「知ってるんだろ?なあ、知ってるならなんで教えてくれなかったんだよ!?そんな話しなかったって、あれは嘘だったのか!?」
「だから、それは……っ」
「頼むよ、教えてくれよ!俺の恋人って誰なんだよ!?」
「っ、なんで……?」
「え?」
「なんで、そんなに知りたいんだよ?」

恋人の有無を聞いた時はそんなに気にしていなかったはずだ。
それどころか昔好きだった杏に夢中だった。
きっと今も心の片隅には杏がいる。

「恋人なんて、覚えてないからしょうがないって、そう言ってたじゃん。なんで今更気にするんだよ?」
「気になるのは当たり前だろ!?」
「忘れたんだろ?思い出せないんだろ?」
「そうだけど、思い出したくて……っ」
「だから、なんで?」

今更気にした所で元には戻れない。
だって、もう真樹には杏という彼女がいるんだから。
高校の時からずっと好きだった彼女と付き合えるようになって、今の真樹はきっと凄く幸せなはずだ。
そんな時にわざわざ俺の話を蒸し返して、それで全てが収まるわけがない。

「なんでって……」
「なんで今更そんなこと言うんだよ」
「……川内?」

杏と付き合う前だったら良かったのに。
もっと早くに、もっと強く思い出したいと願ってくれれば良かったのに。
もっと早くこうして強引に聞き出してくれれば良かったのに。

自分から恋人だと名乗れなかったくせに真樹を責めるような事を考えてしまう。

だけどもう遅い。
遅いんだ。

「今更じゃない、俺はずっと気になってて……」
「今更だろ!?どんなに近くにいたって気付かなかったくせに!」

抑えていた感情が爆発する。
ずっと気になっていたなんてどの口が言うんだ。
気になっていたら杏と付き合うはずがない。
あんなに嬉しそうに杏と過ごすはずがない。

「どんなに気付いて欲しくても、気付いてくれなかったくせに……!」
「川内?何言って……」
「連絡なんて毎日してたよ!病院にだって真っ先に駆け付けたし、目が覚めるまでずっと傍にいたのに……っ」
「…………え?」
「あ……っ」

自分のセリフにしまったと思う。
ハッとして口を塞ぐが発した言葉は戻せない。
これでは明らかに俺が恋人だったと暴露しているようなものだ。
肩を掴んでいた手からは力が抜け、驚きに満ちた視線が寄越される。

「病院って、目が覚めた時って……」

まさか、と呟く真樹に、これはもうごまかせないと思い唇を噛み締めて小さな声で呟く。

「……そうだよ、真樹と付き合ってたのは俺」
「……!」
「でも、それももう終わりだから、心配するな」
「終わりって、何で」
「触るな!」

再び伸ばされた手を咄嗟に避ける。

「はっ、何でも何もない」

乾いた笑いが漏れる。

「今付き合ってるのは違う子だろ?記憶がないのにまた付き合ってなんて言えな いし、お前の中での俺はまだ未来なんだよ。まだ体験していない事なんだ。まあ、もう二度と体験出来ない『未来』だけど」

真樹の記憶は高校生の時のものだ。
俺の存在すら知らないし、男を好きになれると自覚すらしていない。
杏と付き合っている今、その『未来』はきっと消えてしまっている。

「ごめん。気にするなって言っても無理かもしれないけど、気にする必要はない」

ついうっかり口を滑らせてしまった俺が悪い。
言うつもりなんてなかったのに、まだ酔っ払ってんのかな俺。

こんな何でもないタイミングでバレたのはきっと、俺がいつまでも未練がましく真樹を思っていたから、それをいい加減諦めろという神様の思し召しなのかもしれない。
どちらにしろもう限界だった。
これ以上他の奴と寄り添い、他の奴を愛おしげに見つめ、他の奴に触れる真樹を見つめ続けるのは嫌だ。

だからもう……

「もう忘れる準備は出来てるから」
「え?」
「指輪、そのまま返すよ。悪いけど処分しておいて」
「川内、待って」
「……真樹」
「……っ」

滲んでくる涙をグッと堪え、真樹の顔を見て微笑む。
歪んでしまった視点ではほとんど真樹の輪郭すら捉えられなかったけど。

「……黙っててごめんな」
「川内……!」

真樹の声を背に、すぐさま部屋を飛び出した。



しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

あなたが好きでした

オゾン層
BL
 私はあなたが好きでした。  ずっとずっと前から、あなたのことをお慕いしておりました。  これからもずっと、このままだと、その時の私は信じて止まなかったのです。

キミと2回目の恋をしよう

なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。 彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。 彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。 「どこかに旅行だったの?」 傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。 彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。 彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが… 彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?

記憶喪失のふりをしたら後輩が恋人を名乗り出た

キトー
BL
【BLです】 「俺と秋さんは恋人同士です!」「そうなの!?」  無気力でめんどくさがり屋な大学生、露田秋は交通事故に遭い一時的に記憶喪失になったがすぐに記憶を取り戻す。  そんな最中、大学の後輩である天杉夏から見舞いに来ると連絡があり、秋はほんの悪戯心で夏に記憶喪失のふりを続けたら、突然夏が手を握り「俺と秋さんは恋人同士です」と言ってきた。  もちろんそんな事実は無く、何の冗談だと啞然としている間にあれよあれよと話が進められてしまう。  記憶喪失が嘘だと明かすタイミングを逃してしまった秋は、流れ流され夏と同棲まで始めてしまうが案外夏との恋人生活は居心地が良い。  一方では、夏も秋を騙している罪悪感を抱えて悩むものの、一度手に入れた大切な人を手放す気はなくてあの手この手で秋を甘やかす。  あまり深く考えずにまぁ良いかと騙され続ける受けと、騙している事に罪悪感を持ちながらも必死に受けを繋ぎ止めようとする攻めのコメディ寄りの話です。 【主人公にだけ甘い後輩✕無気力な流され大学生】  反応いただけるととても喜びます!誤字報告もありがたいです。  ノベルアップ+、小説家になろうにも掲載中。

愛する人

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
「ああ、もう限界だ......なんでこんなことに!!」 応接室の隙間から、頭を抱える夫、ルドルフの姿が見えた。リオンの帰りが遅いことを知っていたから気が緩み、屋敷で愚痴を溢してしまったのだろう。 三年前、ルドルフの家からの申し出により、リオンは彼と政略的な婚姻関係を結んだ。けれどルドルフには愛する男性がいたのだ。 『限界』という言葉に悩んだリオンはやがてひとつの決断をする。

嘘の日の言葉を信じてはいけない

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
嘘の日--それは一年に一度だけユイさんに会える日。ユイさんは毎年僕を選んでくれるけど、毎回首筋を噛んでもらえずに施設に返される。それでも去り際に彼が「来年も選ぶから」と言ってくれるからその言葉を信じてまた一年待ち続ける。待ったところで選ばれる保証はどこにもない。オメガは相手を選べない。アルファに選んでもらうしかない。今年もモニター越しにユイさんの姿を見つけ、選んで欲しい気持ちでアピールをするけれど……。

学園の俺様と、辺境地の僕

そらうみ
BL
この国の三大貴族の一つであるルーン・ホワイトが、何故か僕に構ってくる。学園生活を平穏に過ごしたいだけなのに、ルーンのせいで僕は皆の注目の的となってしまった。卒業すれば関わることもなくなるのに、ルーンは一体…何を考えているんだ? 【全12話になります。よろしくお願いします。】

林檎を並べても、

ロウバイ
BL
―――彼は思い出さない。 二人で過ごした日々を忘れてしまった攻めと、そんな彼の行く先を見守る受けです。 ソウが目を覚ますと、そこは消毒の香りが充満した病室だった。自分の記憶を辿ろうとして、はたり。その手がかりとなる記憶がまったくないことに気付く。そんな時、林檎を片手にカーテンを引いてとある人物が入ってきた。 彼―――トキと名乗るその黒髪の男は、ソウが事故で記憶喪失になったことと、自身がソウの親友であると告げるが…。

俺に告白すると本命と結ばれる伝説がある。

はかまる
BL
恋愛成就率100%のプロの当て馬主人公が拗らせストーカーに好かれていたけど気づけない話

処理中です...