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しおりを挟むとある金曜日の放課後。
いつも通り三人で帰ろうとした時に翠が突然声をあげた。
「あ、ごめんオレちょっと用事あんだよね」
「?何の?」
「ひみつー」
「何だよそれー」
「へへっ、うそうそ、ちゃんと後で教えるよ!んじゃね!」
そう言って翠はにっこりと笑い、ぎゅっと一瞬オレを引き寄せて爽やかに走り去って行った。
その姿をぽかんと見送る市川とオレ。
ここ最近はずっとオレ達と一緒だったから珍しいが、人付き合いの良い翠がこれまでオレ達に付きっきりだった方が珍しかったのだ。
そういうわけで、今更なので気にはならない。
気にはならないのだが。
(……二人で帰ってもなあ)
ちらりと市川を盗み見る。
僅かに眉が寄っているのに首を傾げる。
(?なんか、怒ってる?)
それもそうか、目当ての翠が先に帰ってしまっては不機嫌にもなるだろう。
翠がいない今日は市川とオレが一緒に帰る意味ははっきり言ってない。
「あー、じゃあ……」
「帰ろうか」
「え?」
てっきり別々に帰るのだと思っていたら予想外のお言葉。
目を丸くして市川を見上げると、逆にどうかしたかと問われた。
いやそれこっちのセリフなんですけど。
「え、帰るの?」
「帰んないの?」
「か、えるけど」
「うん、じゃあ行こ」
「……」
優しく促され、こくりと頷き市川についていく。
ゆっくりとした足取りで静かな道を歩く。
(……オレと二人でも良いんだ)
ほっと小さく息を吐き出す。
こんな小さな事がこんなにも嬉しい。
こうしてこの日から翠の用事が増え始め、何度も二人で過ごす内にそれにも慣れてきた。
ただまっすぐ家に帰ることもあれば、どこかへ寄り道してのんびり帰ることもあった。
翠抜きで一緒に帰る、それだけでも良かった。
それだけで満足だったのに、思った以上の心地よさと楽しさに自分でも不思議な程酔っていた。
そんな日々が続いたある日。
「……は?」
今何か信じられないセリフが聞こえたような。
『今日家来ない?』
間違いでなければ今市川はそう言わなかっただろうか。
「……家?」
「うん、ダメ?」
「ダメっていうか……」
「ん?」
「……オレの事誘ってる?」
「平井の他に誰がいるのさ」
あ、笑った。
思わず見惚れてしまう。
本当にオレの事誘っているのだろうか。
でも他に誰が、という事はオレで間違いないはずだ。
「で、良い?ダメ?」
再度確認してくる市川。
断る理由なんて一つもなかった。
*
慣れてきたとはいえ、いきなり市川の家で市川の部屋で二人きりとなるとさすがに緊張する。
「お邪魔します」
友達の、いや友達じゃないか、なんにせよ誰かの部屋に遊びにくるなんて久しぶりだ。
市川の部屋はオレと翠のごちゃごちゃした部屋とは違い、すっきりと片付いていた。
しかもテレビまである。
羨ましい。
「適当に座っていいよ」
「うん」
きょろきょろと見回していると、手にジュースとお菓子を持った市川がそう言う。
適当にと言われたので、入り口に背を向けて座る。
市川はオレの右手側、ベッドを背もたれにするように座った。
部屋に来て暫くは他愛ない話をしていた。
学校であった事とか、音楽、漫画、最近読んだ本。
説明の下手なオレの話をうんうんと絶妙な相槌を打って聞く市川。
三人だと翠と市川か、翠とオレばかりが話していて、市川とはほとんど話さないからだろうか、正直この時間がかなり楽しい。
そういえば、来る途中にDVDを借りてきたんだけどいつ見るんだろう。
後ででも良いのかな。
それだと時間が遅くなってしまうけれど、今は話すのに夢中で止められない。
自然と笑みが増え、頬は緩みっぱなしだ。
「で、その後で黒い猫が……」
身振り手振りを混ぜ小説の内容を話していると。
「……市川?」
じっと、市川がこちらを見つめているのに気付いた。
「え、何?なんか付いてる?」
もしかしてお菓子の食べ残しでもくっついているのだろうか。
だとしたらかなり恥ずかしい。
ぺたぺたと口周りを手で触れると、その手を大きな手に掴まれた。
暖かなそれと、突然の行動にびくりと身体が震える。
「い、市川?」
なんだろう。
「……」
「市川、何?」
無言のまま見つめられるとどうして良いかわからない。
「な、なんか言えよ、なんか」
怖い。
まっすぐ、射るようにこちらを見据える目が怖い。
距離がどんどんと縮まり、腕を掴まれているから身を引くにも限界があって。
というか、身を引くどころか逆に引き寄せられてしまったのだけれど、やはり市川は無言のまま。
目を逸らそうにも何故だか逸らせない。
「いちか……」
どきどきと鼓動が速くなる中、もう一度名を呼び問おうとした声は、その唇に吸い取られてしまった。
オレはすっかり忘れていたのだが、『付き合う』という事はこういう事も当然含むらしい。
*
唇を合わせたあの日から数日が経った。
当然ながら初めてのオレは、恥ずかしくて暫く市川の顔が見れなかった。
なんでオレなんかにキスしたんだろうと思ったけれど、そりゃそうだキスくらいするさ、オレたちは『付き合って』るんだから。
それからは市川の家に招かれる事が増え、行く度に触れるだけのキスを少しと他愛ない話をいっぱいした。
本当の恋人同士みたいだなんて、家で一人思い出してはニヤニヤと締まらない頬を枕やクッションに埋める事もしばしばあった。
知らなかった。
ホモか、なんて思っていたけれどオレもそうだったらしい。
「碧、なんか最近楽しそうだね」
「そう?」
「うん、すっごい楽しそう」
「……うん、そうかも。最近すごい楽しい」
翠に言われるまで気付いていなかったけれど、確かに最近凄く楽しい。
翠と比べるような事を言われてもあまり気にならなくなった。
オレはオレ。
そう思えるようになってきた。
けれど、それをばっさりと切り裂く出来事が、残念なことに起きてしまった。
それはいつものように市川の家に遊びに行った時の事。
以前から見たかった映画のDVDを見るために、少しだけ話をしてからテレビをつけた。
『死んでも守るなんて言わない、オレは生きてお前を守り抜く』
女の肩を抱きまっすぐに目を見て力強く告げる男。
映画の中のセリフに不覚にも感動してしまって、途中涙が滲んだ。
あんな風に想ってもらえるなんて羨ましい。
夢中になりながらそんな事を思っていると、ふと顔に影がかかった。
市川の顔が間近に迫っている。
キスされると思った時には既に触れていて、自然と目を閉じた。
最初は触れるだけ。
それで終わるかと思ったのだが。
「……っ」
一瞬離れ、間髪入れずに再度塞がれ、閉じる間もなかった口の中はあっさりと市川の舌を受け入れていた。
「ん!?」
初めての感覚、しかも抵抗をものともせずオレを押さえつけて貪る市川。
眼鏡はいつの間にか外され、どこかに放られた。
「いち、かわ……?」
気が付けば床に押し倒されていて、同じ男なのにこうも違うのかというくらいの力で押さえ込まれていた。
見上げて問うと、無言のまま見た事のないような強い眼差しでこちらを見下ろしている。
(なに…?)
いきなり何だろう。
今までこんな事なかった。
いつも優しく触れるだけだったのに。
頭が働かない。
けれど、一つずつ外されていくボタンに、空気に触れた傍から触れる市川の唇や手に、身が竦む。
(え、え……!?)
怖い。
怖い怖い怖い。
「い、市川……っ」
「……」
「市川、市川ってば!」
オレの声なんて聞こえていないみたいに背中へ腰へと触れる手。
鼓動が高まり呼吸が乱れる。
じわじわと何かがせり上がってきて、つん、と鼻を刺激した。
「……っ」
カチカチと奥歯が鳴る。
震えているのはわかるけれども止められない。
怖い。
そんな事しか考えられずにいると。
ふ、と。
体から重みが消えた。
「……?」
身体に触れていた手も動きを止めている。
恐る恐る見上げると、バツの悪そうな目とかち合った。
「やっぱり……」
「!」
ぼそりと何かが呟かれた。
「……ごめん」
そう一言謝りオレの身を起こし、はだけた服を直され、誤魔化すような咳払いをひとつ。
「……続き、見ようか」
オレの返事を待たずに、キスの前に見ていた場所まで巻き戻して再生する市川。
派手なアクション映画の大きな効果音が部屋に響く。
同じ音がさっきもしていたはずなのに全然わからなかった。
そして市川が聞こえていないだろうと思ったセリフは、確かにオレの耳に届いていた。
『やっぱり、ダメだ』
舌打ち混じりのその言葉が、自分で思っている以上に胸に深く突き刺さる。
何がダメで、何がごめんなのか。
反芻する度に息が止まりそうになる。
なんでこんなにショックを受けているのだろう。
(……ああ)
そうだ。
思い出した。
オレは翠の身代わりなんだ。
市川が優しくて、優しすぎてすっかり忘れていた。
あれは全部全部、本来ならば翠に向けられるものだったのに。
本当の恋人同士みたいだなどと一瞬でも浮かれてしまった自分を絞め殺してしまいたい。
『付き合ってくれない?』
あの時そう言われて、こいつもかと息を吐き出すのと同時に酷く愕然としたのを思い出す。
(なんだ)
オレはあの時から、いやもっと前からかもしれない、この男に惹かれていたのだ。
今更実感するなんて、我ながら情けない。
オレは所詮身代わりでしかないのに。
「……」
涙が一粒こぼれ落ちる。
日の短くなった空はすっかり藍色に染まり、電気も点けずにいたため室内にはテレビの明かりのみが眩しく光っている。
画面に集中している市川は気付かない。
それはありがたかったけれど、こんなに近くにいるのにと思ってしまった。
映画では悪漢から逃れた二人の男女が固く抱きしめ合うのが見える。
けどオレの頭には内容なんて全く入ってこなかった。
(なんでオレは翠じゃないんだろう)
オレが翠だったなら、オレと翠が双子じゃなかったら、兄弟じゃなかったら、翠がいなかったら。
そんな事が脳裏をよぎる。
明るくて人気者の自慢の弟。
生まれて初めて、その存在を疎ましく思った。
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