婚約者の恋

うりぼう

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「は!?ちょ……!!!」

突然抱き締められて、反射的にその身を押し返そうとしたのだがその腕のあまりの力強さに躊躇いが生まれる。
普段からスキンシップは過剰な方だが、こんな風に縋るように抱き締められるのは、前世の記憶を取り戻す以前も含めて初めてだ。

「エル……」
「……」

何かあったのか?
こうして抱き締めていないとまるで俺がどこかへと飛んでいってしまうのではないかというくらい力が強いのに、ほんの少し刺激を加えただけで崩れ落ちそうな弱々しい雰囲気を醸し出している。
いつも自信に満ち溢れているあの強気なダリアはどこへいったのだろうか。

(……まさか昼間の俺のセリフが原因じゃねえよな?)

それは流石に自惚れすぎだろうか。
好かれている自覚はあるが、あんな拗ねたような一言でここまでダリアが落ち込むとは考え難い。
むしろいつものダリアなら嫉妬しているのかと狂喜乱舞しているところだろう。

(ってことはやっぱり何かあったんだろうな)

相手は誰だか知らないが、ダリアをこんな状態にするなんて。
自分以外の事で感情を動かされているダリアに思わずもやっとする。

(いやいやもやっとしてどうする、何だその独占欲みたいなの。やめろ、考えるな)

自分の考えに自分で即座に突っ込みを入れる。
これはさっきも思ったけど深く考えたらいけないやつだ。

「ダリア」
「……」

名を呼ぶとびくりと震え、更に力が強まる。
ぎゅっとされているのに不思議とそこまで痛くはないし苦しくもない。
普通ここまでぎゅうぎゅうにされていたら苦しそうなものだけど、ぴったりと身体が良い具合に重なっているからか収まりが良い。

不本意だけれども、ダリアが落ち着くまでこのままこの格好でいてやろうかと思った瞬間。

「!」

廊下の向こう側から人の声が聞こえてきた。
まずい。
こんな場面見られたら今夜中には噂が広がってしまう。

「ダリア!」
「あ……」

返事を待たずにすぐさまダリアを引っ剥がして部屋の中へと押し込む。
勢い余ってうっかりダリアを押し付けるような形になってしまったがまあ良しとしよう。
耳を澄ませ声の主達が遠ざかるのを待つと、壁に背を付けたダリアから手が伸びてきて再びその腕の中に閉じ込められた。
一度も二度も変わらないかと受け入れてしまった俺は、きっと何かのネジが飛んでいってしまったのだろう。

「……どうしたんだよ?何かあったのか?」

小さく溜め息を漏らしつつ訊ねる。

ほんの少しの沈黙の後で、一度だけ首筋に頭をぐりっと擦られる。
そして、やっとダリアが口を開いた。

「俺はエルが好きだ」

また『違う』から始まるのかと思っていたら、全く違うセリフから始まった。

「……知ってる」

もう何度も聞いたセリフにそう答える。
我ながら可愛げの欠片もない返事だ。

「好きだ。愛してる」
「だから、知ってるって」

重ねて告げられたセリフに一瞬心臓が跳ねそうになったけれどそれを無視してまたしてもそっけなく答える。

「俺の婚約者はエルだけだ」

今のところもう婚約者じゃないんだけど。
そう思ったけれど、まだダリアが何かを続けそうだったので口は挟まないでおく。

「俺が結婚したいと思うのも、俺がこの先ずっと一緒にいたいと思うのもエルだけだ」
「……」
「ベアトリスとの婚約はなしにする。誰が何と言おうとなしにする」
「……そんな事出来るのかよ」
「出来る出来ないの問題じゃない、やるんだ」

ダリア一人の考えだけでやすやすと無しにしましょうとなる問題ではないが、必ずそうしてみせるという決意を感じる声。

「俺にはエルだけだ。エルだけがいてくれれば良い。エルだけが欲しいんだ。他の婚約者などいらない」
「ベアトリスはどうなるんだよ」
「彼女の心配はいらない」
「いらない訳ないだろ。あんなにダリアが好きなのに」

ベアトリスのダリア好きはかなりのものだ。
幼い頃からずっとダリアの事を見つめ続けてきたのだ。
俺とダリアの婚約が決まった時も、彼女は涙を必死に堪えて悔しさ滲ませていた。

俺につっかかってきたのは一度や二度ではない。
最近ではかなり態度は緩和されたが、ダリアを想う気持ちは消えていないはずだ。
俺との婚約が解消されたのだから、彼女にとってはこれが好機のはず。
やっとダリアが手に入るところなのに、そう簡単に彼女が諦めるだろうか。
いや、表面上は諦めたとしてもそれでベアトリスが良しよするだろうか。
彼女の性格を考えると、また涙を堪えて我慢してしまうのではないだろうか。
せっかく仲良くなってきているのに、また関係が途切れてしまうのではないだろうか。

そんな心配をしてしまう。

「……こんな時にベアトリスの心配か?」
「いや、だって……」
「俺は今お前に愛の告白をしたんだが?」
「……まあ、それはさておき」
「さておかないで欲しいんだが」

それは本当に申し訳ないが、心配にもなるだろう。
だってまだ16歳の女の子なんだぞ?
ずっとずっと好きだった人と結ばれるチャンスが訪れたのにあっさりとなかった事にされたら思春期の心はぼろぼろになってしまうんじゃないかとか色々考えちゃうんだよおじさんは!

しどろもどろになりながらもおじさん云々は置いておいて言い訳をすると、ダリアが深く深く、海よりもふかーい溜め息を吐き出した。
俺への呆れが大いに含まれているのは言うまでもない。

「わかった、それならベアトリスを含めて三人で話し合おう」
「え」
「何だ?」
「いや、それって俺が参加してもいいもの?」
「良いに決まってるだろう。むしろ口を出しても良いのはエルだけだ」
「……わかった」

といってもダリアの前で俺に対する本音は話し難いような気がするが……しないよりはマシだろう。

「明日、早速ベアトリスを呼び出して話し合おう」
「うん」
「よし、では……」
「?」

話は一旦お預けだなとダリアが区切り、そう呟いた次の瞬間。

「エル」
「ん?あ、ていうかそろそろ離して欲しいんだけど」
「いやいや、これ以上さておかれては敵わないからこれから存分に受け入れてもらわなければ」
「……へ?」

不穏な空気を察した。
察したところでがっちりとダリアに抱き込まれている上にここはダリアの部屋。
まずい、逃げ場がない。

「あ、えーと、俺、そういえば用事があったような、なかったような……」
「俺の気持ちを聞くという用事だろう?」
「いやあ、部屋で何かあったような……」
「俺の部屋だから間違っていないな」
「自分の部屋でだって!」
「その『用事』は後で手伝ってやろう」
「いや結構です」
「遠慮するな」
「してないけど!?」
「エル」
「な、何?」
「好きだ」
「!」
「さっきも言ったが、俺はエルだけを愛してる」
「に、二回も言わなくて良いんだけど……」
「二度で終わると思っているのか?」
「……っ」
「この柔らかい髪に指を滑らせるのが好きだ。その澄んだ瞳に見つめられるのが好きだ。可愛い唇から紡がれる言葉が耳に心地良くて好きだ」
「ちょっ、待っ……!」
「魔法に目を輝かせている所も好きだ。汗を流して必死に頑張っている姿も、ユーンと楽しそうに遊んでいる姿も全部好きだ。愛してる」
「な、あ……っ」

次々と紡がれる言葉達に何も返せず変な声だけが出る。

こ、こいつ、恥ずかし気もなく何を言ってるんだ!?
今まで何度か言われた事があるセリフではあるが、こんな風に何度も言われるのは初めてだ。
しかも途中でちょいちょいと頬や頭や耳元にキスをされてびくりと身体が跳ねる。
何してやがるんだこの王子様は!?

「や、やめ……!」
「うん?どうした?もっと聞きたいのか?」
「ちが……!」
「良いか?俺の婚約者はエルだけだ。何度でも言う、エル、俺が将来を共にしたいのはお前だけだからな」
「……っ」

嫌だと即座に突っぱねればいいと思うけれど、はっきりと拒否する言葉が出て来ない。
いや、拒否したくないという気持ちが湧き出てきている。
認めたくないけれど、確かにそう感じている。

どんなリアクションを返せばいいのかわからず黙ってしまっていると。

「ふっ、茹蛸のようだな」
「!!!」

少しだけ身体を離され、ひょいと顔を覗き込まれて笑われ思わずダリアを睨んだ。
こっちは真剣に考えていたというにこいつは。

というよりもさっきまで落ち込んでいたよな?
しょんぼりしていたよな?
俺の気のせいじゃないよな?
それなのに俺の顔を見た瞬間いつも通りに戻るって何じゃそりゃ!

告げられた言葉に嘘はないと知りつつも、それを言われて過剰に反応しているこの様を見てからかわれているのだと思うと腹が立つ。
というよりもいつもの調子に戻ったのならこれ以上こいつの腕の中にいなくても良いじゃないか。

あれ?そういえばどうしてあんなに沈んだ様子だったんだ?

「そういえば、何かあったんじゃないのか?」

ダリアの腕から抜け出して気になった事を聞く。

「何かとは?」
「さっきまで元気なかったから」
「ああ、あれは……」
「あれは?」
「……いや、何でもないんだ」

何でもない訳ないだろうあんなにしょんぼりしておいて。

「本当に?」
「ああ」

はっきりと頷くダリア。
どうやらこれ以上は聞いても教えてくれなさそうだ。

「……じゃあ、俺はこれで」
「なんだ、もう行ってしまうのか?」
「これ以上いるのは無理」
「ふっ、照れているのか?」
「うるせえ!」
「ははっ」

事実を指摘されついうっかり怒鳴ってしまう。
そんな俺の反応にもダリアは楽しそうだ。
本当に何でもないのだろうか。
空元気には見えないけれど、少し気になる。
けれど、言いたくないのなら放っておくしかないな。

「じゃあ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」

すぐそこのドアに手を掛けると、背後からダリアの手が重なる。

「!」
「……誰にも渡さない」
「え?」

ぽつりと呟かれたセリフは聞き取れなかった。
声に振り返りはしたものの、ダリアは俺を見て微笑むばかり。

「また明日」
「……うん」

そう言われて静かに閉じるドアを、俺は暫く見つめてしまった。


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