婚約者の恋

うりぼう

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(ダリア視点)




竜舎の奴が立ち去った後。

『自分勝手だとは思いませんか?』
『自分が嫌になったからと婚約を解消しておいて、またすぐに惜しくなったからとエルを口説き始めるなんて』

腹が立つがあいつの言う通りだ。
自分でも勝手だと思う。
最初にエルを突き放したのは紛れもなく俺自身だ。

幼い頃はただ一緒にいるだけで楽しかった。
婚約者に決まった後もエルとならずっと一緒にいて楽しいと思った。
それが変わったのはこの学園に入ってからだっただろうか。
13歳でこの学園に入り、俺達はすぐに注目を集めた。
俺は王子として。
エルは俺の婚約者として。

好奇、好意、憧憬、羨望の眼差しの他に敵意な侮蔑に満ちた視線も多数向けられていた。
良くも悪くも目立ち、何をするにも試され、常に評価される日常。
元々目立つ事が苦手で大人しい性格のエルは少しずつ元気をなくし、俺と会話をしなくなっていった。

気晴らしに出掛けようと誘っても気のない返事。
どこに行きたいか、何をしたいか聞いても何の主張もしない。
誰もいない場所でなら返ってくる言葉も、周りに誰かがいると途端に困ったような悲しいような表情を浮かべるのみ。

影でこそこそ何かを言われているのは知っていた。
エルがいるのにあからさまに俺に擦り寄ってくる奴らがこれみよがしに、自慢気に、満足そうに、さも俺のためにやってやったのだ言ってやったのだと言わんばかりの態度で申告してきたからだ。

下手に俺が手を貸せば余計に事態は酷くなると思った。
それにエルが何も訴えて来ないのに、俺が出しゃばる事はないだろうとも思っていた。
結果的にその対応は間違いで、エルはどんどん自分の殻に閉じこもっていってしまった。

何故俺に相談しない。
何故何も言わない。
俺の婚約者なのだと堂々としていれば良い。
妙な事を言う輩にはきっぱりと言い返しても良い。
俺の王子という立場などそもそも肩書きでしかないのだから、迷惑がかかるなど考えなくても良い。

そう言ってやれば良かった。
実際の俺はそんな慰めのひとつも言わずにエルを避け始めた。

以前のように明るい笑顔が見たい。
以前のように軽口を叩ける関係に戻りたい。
暗い顔をしないで欲しい、もっと自分を主張して欲しい、外野の意見に惑わされないで欲しい。

願望はあるけれど口には出せず心奥で燻り消えていく感情。
しかし思いも虚しく、エルから俺に対する想いが消えていくのを感じた。
前までは痛い程に感じていた『好き』という感情を感じ取れなくなってきてしまった。
そればかりか拒絶しているような雰囲気すら漂っている。

エルはもう俺を好きではない。
それならば煩わしいだろう俺の婚約者という立場から解放してやらなければ。

そしてやってきた『あの日』
今思い返しても最低だ。
対峙したところでやはり俺への愛情を欠片も宿していない上に全身で俺を拒絶するその瞳に絶望して、一番に支えるべき相手を一番最悪な方法で責めるように切り離した。
俺と何の関わりもなくなれば以前のようなエルが戻ってくると思っていた。
酷い言葉で傷付け突き放せば、周りもこれ以上何も言わないだろうと。

しかし、エルは『あの日』から変わった。
あいつの言われるまでもなく、変わった事などすぐに気が付いた。

以前のような、どころか以前よりも溌剌とした笑顔。
楽しそうに授業を受ける姿。
どうやって吹っ切ったのか、一歩進めば十の噂が耳に入るくらいこそこそとあからさまに囁かれているのに、それを微塵も気にしておらず、まるで集る小蝿を追い払うかのように悠然とした態度で、まっすぐに前を向き歩く姿に目を奪われた。

以前よりも遥かに強くなったエル。
別人に生まれ変わったとさえ思う程の変わりように驚いたのは俺だけではない。
そしてそんなエルに惹かれるのも、俺だけではなかった。
竜舎の奴を始め、以前はエルに突っかかっていたベアトリスかアル、リース達も今ではすっかりエルを認めている。
忌々しい事にあのアマリリスまでもがエルを狙っているのだ。
放っておけばすぐにでも男女問わず交際の申し込みを受けるに違いない。
相変わらず俺への愛情はほとんど見られないが、本気で拒絶されているような様子はない。
だからまた一から始めようと、手酷く婚約解消を申し出たくせに再びエルを口説き始めたのだ。

(改めて、最低だな)

重々自覚はしているが、もうどうしようもない。
自分の最低な行動はこれから挽回していくしかない。

もう迷わない。
惑わない。
一度は駄目だと思ったが、幼い頃からの気持ちはそう簡単には消えてくれなかった。

(あいつにだけは負けられないな)

寄り添い慰めるなど、そんな役を誰があの男にさせるものか。

言われた事に腹は立つが、お陰で吹っ切れた。
仮だか何だが知らないが、俺の婚約者はエルただ一人だけ。
エル以外は誰もいらない。
エルだけが欲しい。

強い想いを胸に、部屋に戻ったらすぐに父である王に手紙を送ろう。
今後一切、婚約者候補など現れないように、そして候補扱いのベアトリスをすぐに解放する為の話し合いの席を設けてくれと。
当然大騒ぎするだろうベアトリスの父も交え、一切合切お断りの旨を伝える場を設けてくれと、そう頼もう。

思えばお互いがお互いの親に説明するばかりで相手の親とはまだ接触をしていなかった。
改めて俺から説明と説得をするしかない。
渋るようであれば、申し訳ないがベアトリスにも他に想う人が、俺以外の人物がいるのだと進言して貰わなくては。

拳を強く握りしめ、そんな覚悟をして部屋へと戻った。



(ダリア視点終わり)










全く、普段はいつでもどこでも現れるくせに待っている時に限って中々帰ってこないダリアに少しだけもやもやする。
まさかとは思うがベアトリスと会っていたりしないよな?
ベアトリスは素敵な女性だし、何よりもダリアを好いている。
今では婚約者候補の筆頭なのだから二人きりで会っていたとしてもおかしくはない。
おかしくないけれど、面白くない。

違うぞ、これは断じてヤキモチなどではない。
そう、ヤキモチなんかじゃない。
嫉妬でもない。
何でもない事だ。

昼間の二人を思い出し、余計な事を考えるなと頭を横に振る。

するとそこへ。

「エル?」
「!」

待ち望んでいた人物がやってきて、俺の姿に目を瞠っている。

それもそうか、昼間にあんな事を言ってしまったその日の夜に俺がやってくるなど誰が想像していただろうか。

「遅かったじゃん、何してたんだよ?」
「エル……」

(?何でそんな少し泣きそうな顔をしているんだ?)

ダリアの表情の意図がわからず首を傾げそうになった所で、少しずつその身体が近付いてきて……

「エル……!」
「!」

俺が動くよりも先に、長い手に身体を絡め取られ、厚い胸板に押し付けられるようにして腕の中に閉じ込められた。



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