婚約者の恋

うりぼう

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魔法学の授業も楽しかったが、剣術の授業も楽しかった。
向こうの世界では剣道部に入りでもしない限り剣を振るう事などない。
だからこそ余計に楽しかった。

……まあ、身体が全然ついていけなくてボロボロにされたんだけど。

(身体も鍛えた方がいいかなあ)

自分の腕はかなり細い。
剣を極めるにはそれなりの体力も筋力もいる。
授業で多少はカバー出来るが、それ以外の努力も必要そうだ。

(まさかこんなに楽しいとはなあ)

身体を動かすのは正直あまり好きじゃなかった。
それは前の俺もそうだし、死ぬ前の俺もそうだ。
中年に差し掛かる前に、ぽっこりとお腹が出てしまう前に少し引き締めないとなと考えていた所だったが実行に移す前に死んでしまった。

(若いからやる気があるんだろうな)

身体も軽いし、色んな事をしたくて堪らない。
ご飯も美味しいし、夜もぐっすり眠れる。
なんて素晴らしいんだ、若さ!
しみじみとそんな事を考えながら、俺にとっては久しぶりの学園生活を満喫する。

ただただ、本当に楽しんでいただけだった。
楽しんでいただけなのに、何やら周りからの視線が変わった気がする。

それに気付いたのは二週間を少し過ぎた頃。

「エル、おはよう!」
「エル、ちょっと魔法学で少し聞きたい事があるんだけど」
「エル、剣術の練習するけどお前も来るか?」

こうして声を掛けられる事が格段に増えた。
ちなみに初日は陰口のみで、王子と教師と食堂のおばさん以外とは会話をしていない。
それがこの変化である。

一体みんなどうしたんだ。
何か裏があるのかと思いきや、そんな雰囲気は全くない。
みんな純粋に優しく声を掛けてきてくれている。
教室でも友人と呼べる存在が出来始め、ますます学園生活が楽しくなってきた。
なのに、何故でしょう。

(痛い痛い、すっげー痛いんですけどその視線)

絶賛、俺は睨まれ中です。
誰からかって?
例の王子様からだよ!

「…………あの、何でしょう?」

蛇に睨まれた蛙のように動けないまま尋ねる。
何か用事があるんだよな?
あるからこうして人の進行邪魔して立ちはだかって睨んでるんだよな?
用事がなかったらぶっ飛ばす。
いや、実際にはぶっ飛ばせないけど。

「お前……」

王子様、もといダリアは俺を見据えたまま呟き、口をつぐみ、また呟きつぐむ。
何なんだ本当に。
というよりも用事があるなら早く済ませてくれないと昼休みの時間がなくなってしまう。
お腹が空いてるから本当に早く済ませて欲しい。
ご飯が食べたいんだよ俺は、食べないと午後からの授業が頑張れないんだよ俺は。

「あの、王子?用事がないのなら……」
「お前は、誰だ?」
「え?」

漸く絞り出した声にぎくりと震える。

「だ、誰って……」
「お前は、誰なんだ?」
「……っ」

重ねるように問われ、今度は俺が言葉に詰まってしまった。
誰と言われても困る。
俺は俺だが前の俺とは違う。
みんな薄々それには気付いているだろうが、恐らくただ殻を破っただけだと思われているに違いない。
けれどダリアの問いはそんな単純な答えを欲しているのではないとわかる。
明らかに、前の俺とは違う人物であると確信を持っている。

「お、俺は俺ですよ?エルです」
「エルじゃない」
「いや、だから……」
「俺の知ってるエルじゃない。お前は誰なんだ?」

ぱたぱたとごまかすように振った手をがっしりと掴まれ、強く問われた。

(エルじゃないって言われてもなあ)

確かに違うように見えるかもしれないが、まぎれもなく俺はエル自身なのだ。
前世の記憶を取り戻して性格が変わってしまったが、本人である事に変わりはない。
説明しようにもこの人に説明する義理がない。

そもそも何故この人がこんな風につっかかってくるのかも謎だ。
仮に未だ婚約を続けていたとしよう。
それならば婚約者として疑問に思い問い詰めたい気持ちもわかるが、婚約は解消されている。
しかも他ならぬこの人が言いだした事だ。
今更俺の事なんて気にせず放っておいてくれれば良いのに。
それとも仮にも婚約していた俺が自分を向いていないというのが気に喰わないのだろうか。
そんなの知ったことか。
こっちはこっちで楽しくやってるんだから放っておいて欲しい。

「……はあ」

思わず漏れる溜め息。

「仮に俺がエルじゃなかったら何ですか?王子には関係ないでしょう?」
「……っ」

面倒だという気持ちを隠さずに伝えると、掴まれた腕に力が込められた。

「ふざけるな!」
「え!?ちょ……!?」
「来い!」

そのまま腕を引かれ、どこかへと連れて行かれた。

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