婚約者の恋

うりぼう

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(しっかし、広いなあ)

学園の東の端にある塔の上。
ここからは学園全体が見渡せる。
塔のバルコニーには不思議と人が立ち寄らず、俺のお気に入りの場所だ。
ひんやりとした風が吹いて心地良い。
学園は寄宿舎と学舎、広場や中庭、売店はもちろん、カフェテリアやレストランに運動場、図書館に簡易病棟まである。
まるでひとつの小さな街のようだ。

(それにしても、婚約破棄かあ)

婚約した実感すらないというのに婚約破棄とは笑える。

(まあいっか、これからは好きにして良いってことだもんな)

灰色の高校生時代だった昔を思い出す。
元々側近の息子だ、この学園には問題なく継続して通えるだろう。
働かなくても良いだなんて、学生とは何て素晴らしいんだ。
しかも生活が保障されている上に魔法まで学べるなんて。

(やべえ、楽しみになってきた)

俺はこんなにも学園というものが好きだっただろうか。
勉強というものが好きだっただろうか。
答えは否。

(学生の頃は勉強なんて大っ嫌いだったけど、一度社会人経験するとやっぱり学生さんが一番だよなあ)

しみじみとそれを実感しつつ、俺はこれからの生活に思いを馳せた。









王子が婚約破棄をしたという話は一瞬で学園全体に伝わり、翌日には皆が知るところとなっていた。

「ほら見て、エルが来た」
「婚約破棄されたんでしょう?」
「よく堂々と来れるよねえ」

誰も彼もが俺を見てこそこそニヤニヤくすくす囁き合っている。

元々、俺が王子の婚約者であるというのが気に入らなかったのが大多数だった。
立場に驕ったつもりはないが、まあざっくりと言えば嫌われていたのだろう。
それにしても陰口が全く陰で叩かれてないところを見ると随分ナメられてたんだなあ。

記憶を取り戻す前の俺は地味なのは変わらないが、大人しくておどおどしてて何かを言われても言い返したりもしない、自分の中に全てを溜め込み抑え込んでしまうという、苛めるにはうってつけの性格だったからそれも仕方がない。

つってもなあ、そんな羨ましいもんかね王子の婚約者とやらが。
帝王学やら経済学やら政治学やらその他世界情勢やら人前での立ち居振る舞い言葉遣いまで色々叩き込まれてほとんど自由がないんだぞ?
勉強勉強、また勉強の毎日がそんなに羨ましいってんならすぐにでも変わって……

(って、もう変わる必要ないんだった。ていうかあの勉強地獄から解放されたんだひゃほーい!!!)

小さく小さくしたガッツポーズは誰にも気付かれてはいない。

(しかも!今日はなんと!!魔法学の日です!!)

待ちに待った……といっても一日しか待っていないが。
ついに来たぞ魔法学。
あれから教科書を読みまくり、少しだけ実践もやってみた。

カテゴリーとしての火の魔法とか水の魔法とかはあるけど、属性とかは特別ないみたいだ。
この国の住人には大なり小なり魔力が備わっていて、魔法陣や魔法具で魔法を使う。
魔法陣は手で印を作る方法もあれば、何かに書いて使う。
魔法具は魔力が強い者だけが使え、アクセサリーの形をしたものから色々な道具がある。
中にはおたまを魔法具にしている人もいるらしい。
ちょっと見てみたい。

(俺の魔力は、まあそこそこあるもんな)

俺は昔から魔法具を使っていた。
愛用しているのは先に紅い玉の付いた、細かい細工がされたペン。
これだけでもファンタジーの世界に乗り込んだみたいでテンションがあがる。
ずっと愛用していたものだから今更なのだが。
そこに魔力を込めると玉が光り魔法が発動する仕組みだ。

(あああ楽しみ!早く授業の時間にならねえかなあ)

他の授業など右から左。
早く早く。
早く魔法の時間になれとうきうきしている俺の元に、あの一行がやってきた。

「エル」
「はい?」

覚えのある声に呼び止められ振り返ると、そこにいたのは王子様御一行だった。

「これはこれは王子様じゃないですか。こんにちは」

頭を下げ挨拶をする。
寄宿舎も同じはずだがあれから全く顔を合せなかったな、そういえば。

「お前、どうして朝来なかったんだ?」
「え?」

朝?

「毎朝来ていただろう。何故来ない?」
「何故って……」

何故も何も婚約破棄したのだから会いにいく理由がないのだが。
王子様には毎朝挨拶をしに行かなければならなかったのだろうか。
それともお迎え?
そんな決まりあったか?

「何か用事がありましたか?」
「いや、そういう訳じゃないが……」
「?俺も特に用はなかったのでお会いしに行く理由がないのですが」
「……俺?」
「え?」

俺のセリフに王子が反応する。

「お前、今まで『俺』と言ってたか?」
「え?あ……!」

やっべえ、しまった。
そうだ今までの俺は自分を僕と呼んでいた。
うっかり忘れてた、でも今更僕なんて柄じゃねえしなあ。

……まあいっか。
適当にごまかしちまおう。
どうせこいつ、俺に大した興味ねえだろうし。

「ずっと『俺』でしたが、何か問題でも?」
「……っ」

にっこりと長年培った営業スマイルで対応する。
その笑みに何やら王子と取り巻き達がたじろぎ、視線を逸らす。
おい何だその反応、地味っこの笑顔なんて見るに堪えないってことかこの野郎。
こっちだって好きで愛想振りまいてる訳じゃねえんだからさらっと流せよ。
そんなんで外交が出来んのかお前らこの野郎。

「お話はそれだけですか?ではお先に失礼します」

次は魔法の授業だから遅刻だけはしたくない。
王子達も同じ教室に行くのだろうが、正直一緒に行きたくはないので先に教室へと駆けていった。
魔法学の時間にうきうきしすぎて思わずスキップをしてしまう俺を、周りが不思議そうな目で見ていた。
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