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*閑話:公爵家専属医ルーカス*

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「痛いっ!お前、わざとやったでしょう!!」

 レイチェルは自身の治療にあたっていた医師の頭を殴りつけた。ロークリフォロ家のお抱え医師。王立アカデミーの医学部を主席で卒業し、二十代後半という若さで大貴族の専属医になった有能な男性を、レイチェルは無能呼ばわりし、甲高い声で罵倒する。

「役立たず!!ちっとも治らないじゃない!!何のためにあんたを雇ってると思ってるの!!?」

 若い娘の癇癪、ではある。
 美しかった顔が薬品によってぐちゃぐちゃに溶かされ、親ですら直視できない顔になった憐れな娘、ではある。

 医師ルーカスは医者として患者を安心させるため、穏和な笑みを浮かべ、レイチェルの言葉を黙って聞いた。ぶつけられる無遠慮で鋭利な言葉の数々。彼女が金切声を上げるたびに、控えているメイドたちがびくりと体を震わせたので、この暴言と暴力はこの部屋の中では日常的なものとなっているのだろう。

(……聖女アザリアは、こんなことは、一度もなさらなかったのですがね)

 治療のためにかけた眼鏡の奥でルーカスは思い返す。

 ルーカスが若くして公爵家に雇われたのは、その能力を買われた以外の理由もあった。

 神に奇跡を授けられた聖なる乙女アザリア・ドマ。
 悪名高き悪魔の一族ドマの娘でありながら、他人の為に涙を流し、その痛みを引き受けることを躊躇わない聖女。

 しかしその能力には条件があり、聖女は他人の傷や病をその身に移し、彼らの代わりに苦しむ必要があった。

 ルーカスの公爵家での主な仕事は、アザリアの看病だった。
 神の奇跡を受けた娘を「治療」だなどと大層なことはできない。死なせないこと、それがルーカスの役目だった。死なせさえしなければ、聖女は神の奇跡を受けた肉体で、己の身の内で病を打ち消す。その現象はどのようにして起きているのか、現代の医学では解明できないことだったが。
 
 貴族とはいえ、ルーカスの家は男爵家。

 ロークリフォロ家の傘下の、吹けば飛ぶような弱小貴族だった。公爵家は傘下の子息に見込みのありそうな者がいれば援助を惜しまず、若者の成長を助けてくれる正義の人だと言われており、ルーカスは公爵に対して一生かかっても返しきれない恩があると感じている。

 その公爵様がドマ家から救い出した聖女アザリア。ルーカスは彼女の存在が公爵様の名を高めていることを知っていたし、自分が医学では治せない病人も、聖女の力であれば治し公爵様の名誉となることを理解していた。

『共に、公爵様の為に身を奉げましょう』

 他人の病で苦しみもがくアザリアをルーカスは励まし続けた。
 その度にアザリアは困ったような、喜んでいるような、はにかむ笑みをルーカスに返してくれた。同じ志を持った者同士だと、ルーカスは口数の少ない聖女に友情を感じていた。

(その聖女アザリアが、なぜ……?)

 親友である公爵令嬢の治療を拒否して、ドマ家へ走ったと言う。その話を聞いて、ルーカスは信じられない、何かの間違いで、いや、ドマ家がついに、聖女を誘拐したのだと、そう判断した。

 だが一日、二日、三日が経ち、ルーカスの耳に入ってくる情報はアザリアが自分で望んでドマ家へ戻った事、レイチェルの治療を『嫌なものは嫌』と拒否し続けていることだった。

「……娘の様子は?」

 公爵令嬢の部屋を出ると、ロークリフォロ公爵が部屋の前の椅子に座っていた。疲れた様子。気の毒だと、この方の為に自分が出来る事はなんでもしたいルーカスは、自分が無能であると思われたくなくて、言葉を選んだ。

「公爵様。……お体に大きな変化はありません。栄養と睡眠を十分にとれていらっしゃますので……ただ、母体の興奮状態が続きますと……」

 お腹の子に影響が出ます、とは直接言わず、ルーカスは目で訴えた。

 あんな状態になりながら、レイチェルの身体は健康そのものだ。
 他人を罵倒し暴力を振るうが、彼女は眠くなったら眠り、十分に食事をとる。

 顔が溶けたことに対して絶望しているわけではないのだ。精神状態を説明すると『どうして私がこんな目にあわないといけないの』と、他人を恨み、嫌い、怒っている。そこに自分の精神が弱る要素はない。自分に非はなく、自分を『憐れ』だとも思っていない。だから彼女は痩せることも、衰弱することもない。

 何も気づいていないのだ。

 自分は何も失っていないと。アザリアが顔を治せば何も問題ないのに、治さないアザリアが悪い。治せないルーカスが悪い。アザリアを連れて来れない父が悪いと、彼女は『早くして』と思うばかりで、何も気づいていない。

「……そうか」

 聡明で他人への思いやりのあるロークリフォロ公爵は思慮深い瞳を伏せ、それ以上何も言わなかった。ルーカスが娘の顔の治療に少しも貢献できなかったことを責めることもしない。

 これほど人格者の父親からどうしてあんな娘が育つのか。

「……アザリアは、なぜ……私の元から、離れてしまったのだろうか」

 ぽつり、と公爵様が呟かれる。

 弱音を吐かれているのだと、ルーカスは身が震えた。

 自分のようなものに、心の弱さを見せてくださっている。

「公爵様が聖女アザリアをご自身の娘のように大切に慈しまれていたことは、私のような者でもよく知っております……!」
「だが、きっと、彼女自身の中では、私は……父にはなれなかったのだろう。グェス・ドマの元へ……あんな、悪魔の元へ、あの優しい子を走らせてしまうとは……」

 ルーカスは公爵の慈悲深さに涙した。
 こんな状況でありながら、公爵様はアザリア嬢のことを心配していらっしゃるのか……!

「……あの子がドマ家に戻ってすぐ、グェスは娘を平民の男と婚約させると、社交界に発表した。貴族の娘を……あれほど優しく、美しい子を……グェスは早速、道具として扱う気なんだ……!」

 今頃ドマ家で酷い仕打ちを受けているのではないか。あの心優しい子が、聖女の力を悪魔の一族に利用され悲しい思いをしているのではないか。

「……公爵様!」

 無礼とは思いながら、ルーカスはロークリフォロ公爵に提案しようと、決意した。

「私が……この、私が、アザリア嬢を連れ戻します……!」

 婚約発表の為のパーティーが、ドマ家で開かれるという話はルーカスも耳にしていた。
 これでも男爵家、貴族の人間であるルーカスはそのパーティーに出席する資格がある。

 招待状はアカデミー時代のツテを使えば手に入れることができるだろう。

 公爵令嬢の治療はかなわなかったが、それは聖女の力で確実に行えることだ。自分がアザリアを連れ戻せば問題ないこと。

「……ありがとう、ルーカス!!」
「こ、公爵様……!!」

 ばっ、と、ロークリフォロ公爵がルーカスを抱きしめた。
 実の父親にもこれほど強く抱きしめられたことはない。

「……私は君を、実の息子のように思っている。その君が、私の娘であるレイチェルのために、アザリアのために……ありがとう……!!」

 ルーカスは胸がいっぱいになった。

 そうか……自分にとって、お二人は妹のような、ものだと、そのように思ってもいいのか。

 そうなると、ルーカスはレイチェルの先ほどの罵倒や暴力が途端に可愛いもののように思えた。わがままな妹の癇癪。それを宥めて、慰めてやるのが兄としての務めではないか。
 そして反抗期からか、道を踏み外そうとしている世間知らずな妹を連れ戻し、家族の輪の中に導いてやる。これも、兄の務めだろう。

「お任せください……!!」

 ルーカスは何度も頷き、自分がこの公爵家という「家族」を救えるのだと使命感でいっぱいになった。
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