上 下
19 / 29
序章 紅烏登場

三羽烏

しおりを挟む
「岡田様、あともう少しです。その先にある階段を上れば外へ抜けられます」

花鳥の間の抜け穴から続く通路は長く暗い。
入り口に用意されていた提灯を灯しているが、せいぜい自分たちの身の回りしか照らされないので、臆病な岡田は怯え切って後ろを何度も振り返っていた。

「駒三、紅烏は追って来てはいまいか?」

「大丈夫です。仮に追って来ているとしても、外に出れば石の重しで通路を塞げますゆえ奴は袋の鼠ですよ。まあそれ以前におそらく、すでにうちの二百名以上の手勢が奴を殺していることでしょう」

「そ、そうか。階段はまだか」

駒三が手に持った提灯の灯りが上に登る階段を照らし出した。

「岡田様、上の様子を見ますので、その場でしばしお待ちください」

駒三は階段を音を立てないよう注意して登り、木の蓋を押し上げる。
そこから顔を出して、辺りの様子をうかがった。

「岡田様、大丈夫なようです。ささ、足元にお気を付けてお上りください」

岡田は慌てて階段を駆け上がった。
階段を上った先は、なにやら薄暗い屋内であった。

「駒三、ここはどこだ」

「河豚善のすぐ向かいあたりの小料理屋の裏手にある物置小屋でございます。汚いところで申し訳ございませんが、騒ぎが鎮まるまでしばらくここで様子を見ましょう」

駒三は抜け穴に蓋をすると、すぐそばに置かれていた石の重しを数個その蓋に乗せる。
岡田はひと安心すると、途端に尊大な態度が戻ってきた。

「駒三、お前は今回こそは紅烏に邪魔はさせぬと申したな。なのにこの有様は何事じゃ」

「へい、誠に申し訳ございません。しかしまさか奴めが空を飛んで来るとは思いもしませんでしたもので」

「言い訳はよい。この穴埋めは安くはないぞ。心せよ」

(何言ってやがる・・この好色奉行めが。てめえに利用価値が無ければこの場に生き埋めにしてやるところだ)

駒三は心の中で悪態をついた。

「それにしも汚い小屋じゃな。先ほどから何か上から埃が降ってきているぞ」

岡田は自分の肩口を手で払った。
言われて見ると駒三も頭がどうにもくすぐったいので、手で払う。
そうしてはらはらと二人の足元に散らばった物は、紅い鳥の羽であった。

「・・・・・!」

駒三は慌てて上を見上げた。
天井の梁の上に何か大きな黒い影が蠢いているのが見えた。

「な、なんなんだ・・?」

その影が声を発した。

「三山の使い、紅烏だよ」

「うわああああああーーっっ!!」

渡世人の世界では度胸でのし上がってきた駒三も、この時は恐怖の声を上げた。
岡田に至っては完全に腰を抜かし、尻餅をついている。

天井から黒い影がふわりと大きな翼を広げて舞い降り、ふたりに覆いかぶさった。

--------------------------------------------------------

「行方不明だった黒河豚の駒三と奉行の岡田は、翌朝、物置小屋の屋根の梁から素っ裸で縛られ吊るされていたのを発見されたそうだ。駒三のイカサマ賭場での女集めや、それをお目こぼしするのと引き換えに、金品を授受し罪もない娘たちを手籠めにしていた岡田の悪行をしたためた書状と共にな」

源三郎は立ち寄った幸助宅で、彼が聞き込んだその後の顛末を説明していた。

「ふーむ。いったい何者だ?そんなことをしたのは」

幸助が尋ねる。

「紅烏の仕業だともっぱらの噂だぜ。ふたりが縛られていた所には赤いカラスの羽が散らばっていたし、例の書状には赤い八咫烏の紋が描かれていたそうだ」

「すると俺たちの他にもうひとり、紅烏が居たということか。源内先生め、どうやら俺たちの知らない筋書をもうひとつ用意していたようだ」

「俺たちがしくじることも見越してな。まったく食えない先生だぜ」

「しかし岡田達を見つけたのは奉行所の同心たちだろう?結局悪事は闇に葬られるのでは?」

「いや、さすがに騒ぎが大きくなり過ぎた。老中の耳にも入っているし、すでに幕府の知るところになっている。もはや岡田は只ではすまねえし、駒三もだ。今、岡場所はひっくり返ってるぜ」

そこまで言うと源三郎は立ち上がった。

「ちょっと黒河豚一家に寄ってみるかな。まだ手当も貰ってねえしな」

しかしその黒河豚一家はもはや一家の体を成していなかった。
只働きとなった助っ人たちが怒鳴り込んで来ているが、無い袖は振れない。
元居た子分・子方のほとんどはすでに逃げ出している。
そんな中、蝮の松吉が後始末に必死の様子であった。

「よう松吉、大変そうだな」

松吉は源三郎の顔を見ると、意外に明るい笑顔を返した。

「へえ、親分がお縄になっちまいましたんでね。黒河豚一家の息のかかった茶屋、置屋、それに賭場もすべて役人に踏み込まれやした。おかげで女たちは晴れて自由の身でさあ。一家は解散するしかねえでしょうが、黒河豚一家が無くなってもやくざは無くなりやせんから、すぐに他の一家が深川を仕切りますよ」

「まあそうだろうな。しかしおめえは駒三なんかより小増しな器量なんじゃねえか?おめえが深川を仕切ればどうだい」」

「へっへっへ・・先生おだてちゃいけやせん。こんな状態ですからおだててもお手当はお支払できねえんですよ。まことに申し訳ねえことです」

源三郎は頭をボリボリと掻いた。

「まあ、当てにしちゃいねえよ。俺は明日から浅草の的矢の用心棒で稼ぐから気にすんな。まあ気張ってやんな」

「へえ、ありがとうござんす。おや、今度は黒頭巾組の組頭が参られましたぜ」

振り返るとそこに佐藤平右衛門が居た。
源三郎の顔を見ると、親しげに話しかけてきた。

「これは三浦殿。このたびはとんだ事になりましたな。雇い主が居なくなりましたので黒頭巾組も解散です。また働き口を探さねばならん」

「佐藤さん、あんたが三羽目だったんだな?」

源三郎の言葉を聞いて、平右衛門は視線を左上に泳がせた。

「はて、何のことかな」

「どうやって抜け穴の出口がわかった?」

平右衛門は大きくため息をついて、最早観念した口調で答える。

「もともと河豚善の建築には源内先生が一枚噛んでいたのだよ。抜け穴は後で付け加えたものだが、先生がひと目見れば見当がつく。出口は俺が見回りながら見つけておいたのさ」

「なるほどな。俺たちもすっかり欺かれたぜ」

「まあそういいなさんな。源内先生は常にいくつもの策を同時に立てているのさ。俺が失敗したときの策も用意していたのかもしれない。あの先生の頭の中身は俺たちには到底理解出来っこないよ」

「確かにな」

このようにして空飛ぶ快傑・紅烏(ベニカラス)は一躍江戸の評判となったのである。
この後も、江戸にさらなる悪党が現れ、紅烏の正義の鉄槌がくだされるであるが、それはまた次回のお話。
    
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

上意討ち人十兵衛

工藤かずや
歴史・時代
本間道場の筆頭師範代有村十兵衛は、 道場四天王の一人に数えられ、 ゆくゆくは道場主本間頼母の跡取りになると見られて居た。 だが、十兵衛には誰にも言えない秘密があった。 白刃が怖くて怖くて、真剣勝負ができないことである。 その恐怖心は病的に近く、想像するだに震えがくる。 城中では御納戸役をつとめ、城代家老の信任も厚つかった。 そんな十兵衛に上意討ちの命が降った。 相手は一刀流の遣い手・田所源太夫。 だが、中間角蔵の力を借りて田所を斬ったが、 上意討ちには見届け人がついていた。 十兵衛は目付に呼び出され、 二度目の上意討ちか切腹か、どちらかを選べと迫られた。

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

渡世人飛脚旅(小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品で)

牛馬走
歴史・時代
(小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品で)水呑百姓の平太は、体の不自由な祖母を養いながら、未来に希望を持てずに生きていた。平太は、賭場で無宿(浪人)を鮮やかに斃す。その折、親分に渡世人飛脚に誘われる。渡世人飛脚とは、あちこちを歩き回る渡世人を利用した闇の運送業のことを云う――

我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。 一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。 二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。 三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。 四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。 六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。 そして、1907年7月30日のことである。

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

処理中です...