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約束
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「安里君、もっと本気で突いてきたまえ。私の顔面を貫くつもりでだ。そうでなければ稽古にならん」
首里の自宅の庭で、今日も松村宗棍は弟子の安里と共にカラテの稽古に励んでいる。
後年の門弟であった屋部憲通や本部朝基らの述懐によると、松村宗棍の稽古は決して型稽古に偏重したものではなく、むしろ実戦(現在で言う所の組手に当たると思われる)を重視したものだったらしい。
安里は松村宗棍の構えの圧力を感じつつも、渾身の気合を込めて突きを放った。
次の瞬間、安里の身体は大きくはじけ飛び庭の地面に転がる。
手加減はされているが、それでも全身が激しく痛んだ。
「うん、その調子だ。よし今度は私が突くから君が受けたまえ」
「はい、先生」
そういってふらふらと立ち上がった安里に向かって、松村宗棍の素早い突きが襲い掛かる。
「うわっ!」
安里は一歩後退しながら、上げ受けで松村宗棍の突きを受けようとした。
しかし、その突きは受け手を押し込んで安里の鼻に紙一重で止められた。
「安里君、それじゃダメだ。カラテの受けは必ず前に出て受けるのだ。実際の時、下がって受けるなんて劣勢もいいところだろう?そんな稽古繰り返してたら、負けるための稽古になってしまうじゃないか」
「はい、先生」
「片方の手で受けて、もう一方の手で攻めるなどはカラテではない。受け手はそのまま相手に突き込め。それで足らなければ初めてもう一方の手で攻めるのだ。真のカラテとは受けた瞬間に相手が倒れるものなのだ」
「はい、先生」
このように松村宗棍のカラテは極めて実戦的な拳法であった。しかし決して力にのみ頼った拳法ではない。
たとえば現在でも沖縄空手では高い蹴りを嫌う流派が多いが、それらの諸流派の開祖ともいえる松村宗棍はむしろ上段蹴りを得意にしていたといわれている。それは、後ろから羽交い締めにされた状態で、背後の敵の顔面を蹴り飛ばすほどだったらしい。
「よし、あともう少し受け外しの稽古をしよう」
松村宗棍が安里にそう告げた、そのときであった。
「精が出るね、松村宗棍」
その鈴を転がすような乙女の声に、普段は落ち着き払った態度を崩さない松村宗棍の声が上擦ってしまった。
「チ、、チルー?君はいったい今まで何を・・・心配していたのだぞ」
「心配かけた?それはごめんなさい。実は糸満の漁村で漁師の女房になってたの。今朝、離縁されて帰って来た」
「え・・なんだって?漁師の女房だって・・君は!求婚者に黙って他所に嫁いでいたのか?」
隣に居る弟子の安里が初めて見る松村宗棍の狼狽ぶりである。
「冗談だよ、松村宗棍。思う所があって漁師の修行をしてきただけだよ。あんたがそんなに慌てるのおかしいよ」
確かに弟子の手前、今の態度は恥ずかしいと松村宗棍も反省した。
「うむ。とにかくチルー、よく戻って来た。ああ、安里君。彼女があの与那嶺チルーだ。チルー、彼は今度弟子になった安里君」
「あ、安里です!お初にお目にかかります」
まだ15歳になったばかりの安里は、生まれて初めて見るチルーの美しさが眩しくて直視できない。
「はじめまして、安里君。師匠はこんな気取った男だけど、強いことは琉球一強いからよく学ぶといいよ」
「は、はいっ!よく学びます」
松村宗棍は苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。
安里は顔を紅潮させながらチルーに言った。
「あの、チルーさんも琉球で敵なしの強さだと評判です。もしよろしければ一度お手合わせを願えませんか」
「安里君、やめておいたほうがいい。殺されるぞ」
松村宗棍のその言葉を聞いたチルーがくすくすと笑い出した。松村宗棍もそれにつられて笑い出す。
安里はただきょとんとしていた。
「ふふふ・・ところでチルー、帰り道に立ち話をしに来たわけじゃあるまい」
「もちろんよ。帰って来た挨拶と、帰って来たからには・・わかるでしょ」
「ああ、いつだ?」
「あんたは武士なんだから、まさか用意が出来ていないなんて言わないよね。明日の夕刻、ウガンジュの広場で」
「わかった。いよいよだな」
「ほんとに。うふふ、楽しみね」
まるでデートの約束をするカップルのような会話だが、これは殺し合いも辞さない戦いの約束なのだ。
※作者より
今回のお話ではチルーの美しさにしどろもどろになっている安里君ですが、彼は後に一流の達人となり、ただひとりだけ弟子を育て上げます。その安里君のただひとりの弟子こそが日本に空手道を普及させ、空手の単独会派では世界最大組織である日本空手協会の初代会長も務めた松濤館の創始者・船越義珍です。
-----------------------------
次回予告
-----------------------------
いよいよ決戦の日がやってきた!
チルーにとって勝っても負けてもこれが最後の掛け試しだ。
与那嶺チルー vs 松村宗棍の死闘の火蓋が切って落とされる
次回「チルーの祭り」ご期待ください!
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首里の自宅の庭で、今日も松村宗棍は弟子の安里と共にカラテの稽古に励んでいる。
後年の門弟であった屋部憲通や本部朝基らの述懐によると、松村宗棍の稽古は決して型稽古に偏重したものではなく、むしろ実戦(現在で言う所の組手に当たると思われる)を重視したものだったらしい。
安里は松村宗棍の構えの圧力を感じつつも、渾身の気合を込めて突きを放った。
次の瞬間、安里の身体は大きくはじけ飛び庭の地面に転がる。
手加減はされているが、それでも全身が激しく痛んだ。
「うん、その調子だ。よし今度は私が突くから君が受けたまえ」
「はい、先生」
そういってふらふらと立ち上がった安里に向かって、松村宗棍の素早い突きが襲い掛かる。
「うわっ!」
安里は一歩後退しながら、上げ受けで松村宗棍の突きを受けようとした。
しかし、その突きは受け手を押し込んで安里の鼻に紙一重で止められた。
「安里君、それじゃダメだ。カラテの受けは必ず前に出て受けるのだ。実際の時、下がって受けるなんて劣勢もいいところだろう?そんな稽古繰り返してたら、負けるための稽古になってしまうじゃないか」
「はい、先生」
「片方の手で受けて、もう一方の手で攻めるなどはカラテではない。受け手はそのまま相手に突き込め。それで足らなければ初めてもう一方の手で攻めるのだ。真のカラテとは受けた瞬間に相手が倒れるものなのだ」
「はい、先生」
このように松村宗棍のカラテは極めて実戦的な拳法であった。しかし決して力にのみ頼った拳法ではない。
たとえば現在でも沖縄空手では高い蹴りを嫌う流派が多いが、それらの諸流派の開祖ともいえる松村宗棍はむしろ上段蹴りを得意にしていたといわれている。それは、後ろから羽交い締めにされた状態で、背後の敵の顔面を蹴り飛ばすほどだったらしい。
「よし、あともう少し受け外しの稽古をしよう」
松村宗棍が安里にそう告げた、そのときであった。
「精が出るね、松村宗棍」
その鈴を転がすような乙女の声に、普段は落ち着き払った態度を崩さない松村宗棍の声が上擦ってしまった。
「チ、、チルー?君はいったい今まで何を・・・心配していたのだぞ」
「心配かけた?それはごめんなさい。実は糸満の漁村で漁師の女房になってたの。今朝、離縁されて帰って来た」
「え・・なんだって?漁師の女房だって・・君は!求婚者に黙って他所に嫁いでいたのか?」
隣に居る弟子の安里が初めて見る松村宗棍の狼狽ぶりである。
「冗談だよ、松村宗棍。思う所があって漁師の修行をしてきただけだよ。あんたがそんなに慌てるのおかしいよ」
確かに弟子の手前、今の態度は恥ずかしいと松村宗棍も反省した。
「うむ。とにかくチルー、よく戻って来た。ああ、安里君。彼女があの与那嶺チルーだ。チルー、彼は今度弟子になった安里君」
「あ、安里です!お初にお目にかかります」
まだ15歳になったばかりの安里は、生まれて初めて見るチルーの美しさが眩しくて直視できない。
「はじめまして、安里君。師匠はこんな気取った男だけど、強いことは琉球一強いからよく学ぶといいよ」
「は、はいっ!よく学びます」
松村宗棍は苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。
安里は顔を紅潮させながらチルーに言った。
「あの、チルーさんも琉球で敵なしの強さだと評判です。もしよろしければ一度お手合わせを願えませんか」
「安里君、やめておいたほうがいい。殺されるぞ」
松村宗棍のその言葉を聞いたチルーがくすくすと笑い出した。松村宗棍もそれにつられて笑い出す。
安里はただきょとんとしていた。
「ふふふ・・ところでチルー、帰り道に立ち話をしに来たわけじゃあるまい」
「もちろんよ。帰って来た挨拶と、帰って来たからには・・わかるでしょ」
「ああ、いつだ?」
「あんたは武士なんだから、まさか用意が出来ていないなんて言わないよね。明日の夕刻、ウガンジュの広場で」
「わかった。いよいよだな」
「ほんとに。うふふ、楽しみね」
まるでデートの約束をするカップルのような会話だが、これは殺し合いも辞さない戦いの約束なのだ。
※作者より
今回のお話ではチルーの美しさにしどろもどろになっている安里君ですが、彼は後に一流の達人となり、ただひとりだけ弟子を育て上げます。その安里君のただひとりの弟子こそが日本に空手道を普及させ、空手の単独会派では世界最大組織である日本空手協会の初代会長も務めた松濤館の創始者・船越義珍です。
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次回予告
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いよいよ決戦の日がやってきた!
チルーにとって勝っても負けてもこれが最後の掛け試しだ。
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