空手バックパッカー放浪記

冨井春義

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死地への誘い

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バンコクに戻ってからの1週間ほどの間、私は毎日ただ食べて街をブラブラと歩き、宿に戻ってゴロゴロするだけという怠惰な日々を過ごしていました。

ゴールでサトミと出会う前までは、1日も欠かさなかったストレッチを主にしたエクササイズも、今ではまったくやる気になりません。
もう空手はやめたのだから、身体の柔軟性を維持する意味が無くなったからです

バンコクでは普通にそこらの屋台での食事も、スリランカとは違い栄養豊富です。
肉類ならガイヤーン(焼き鳥)、ムーヤーン(焼き豚)などが安く食べられます。
ソムタム(青パパイヤのサラダ)やナムマナーオ(レモネード)などで、ビタミン補給も万全です。

おかげで私の体調はみるみる回復していました。
コロンボの医師にもらった抗生物質が効いたようで、化膿もすっかり治まり、今ではわずかな痕跡を残すのみです。

姿見で見るとまだ痩せてはいましたが、アバラが浮き出るほどではなくなりました。
バンコクに戻った直後には60kgを切っていた体重も、65kgまで増えています。

しかし、サトミがバンコクにやってくるのはまだ3週間ほど先です。
私はひたすら待ち遠しく思っていました。

そんなある日のことです。
中田さんが私の部屋を訪ねてきて言いました。

「トミーさん、ずいぶん元気になりましたね。でも、あまりいつまでもゴロゴロしていたんじゃ、かえって体が弱りますよ。よかったら僕の仕事を手伝ってもらえませんか?」

私は実は中田さんの仕事が、かなり気になっていました。
アジアを股に掛けるバイヤーの仕事。とても興味あります。
私も今後は何か仕事を探さなければいけませんので、勉強になるかもしれないと思いました。

「ええ、ヒマですからやらせていただきますよ。何をお手伝いすればいいですか?」

中田さんが手伝ってほしいという仕事内容は、かなり予想外のものでした。

「僕と一緒にカンボジアに行きましょう。仕事は5日間です」

「カ・・カンボジアですか?」

「はい。カンボジアのプノンペン中央市場は今、宝の山だという情報が入りました。そこに買い付けに行くのです」

中田さんは東南アジアを周るバイヤーにありがちな、エスニック雑貨が専門ではありません。
どちらかというと、いわゆるレアもののファッションアイテムが得意です。

たとえばプレミアの付くようなスニーカーとか、当時流行していたG-SHOCKとか。
そういった商品が、アジアの人目につかないショップの片隅に眠っているのを発見して買い付けるのです。

ふつうこの種のバイヤーはアメリカやヨーロッパを周るので、アジア市場は中田さんの独占状態でした。
後に他のバイヤーたちもアジア市場に目を付け、バンコクにも大挙して押し寄せてきたことがありました。
しかし、彼らは何も目ぼしいものを見つけることなく、立ち去ることになったのです。
それもそのはず。中田さんは豊富な人脈ネットワークを持っていて、レアアイテムは店頭に並ぶ以前のバックストックの段階で押さえていたからです。

「中田の通った後には草ひとつ残らない」
そうバイヤーたちに恐れられた、伝説の凄腕バイヤーだったのです。

・・・しかし、カンボジアって?

いくら世事に疎い私でも、当時のカンボジアがヤバい国であることは知っていました。
史上例を見ない、170万人を虐殺したポルポト派はいまだ暗躍中です。
都市部の治安もかなり悪く、安全を守るはずの警察官がとても危険な存在であるとか。

カンボジア最大の観光資源といえばアンコールワットですが、プノンペンからアンコールワットのあるシェムリアプに向かう船に乗っていたバックパッカーが、川岸から遊び半分の兵士に射殺されたとか。

いくら中田さんの仕事に興味あるとはいえ、そんな危険なところに行くのはちょっと・・・

「すみません、カンボジアは嫌です」はっきり言いました。

「ええ~どうして?」中田さんが聞き返します。

「危険な国には行きたくないです」

「でもトミーさん、内戦やってる国に行ってたじゃないですか」

だから余計に嫌なのです。
それに、スリランカは内戦やってるといっても、治安それ自体は良かったです。
都市部ですら危険といわれるカンボジアはもっとヤバそうです。
ぜったいに行きたくない。

しかし中田さんはあきらめません。

「日当は2000バーツだしましょう。もちろんアゴアシこっちもち。それにタイに居たいといってもビザ新ためなきゃダメでしょう?」 

・・・たしかにそれはその通り。ビザなし滞在の有効期限は15日(当時)第3国に出国すれば新しくなるわけです。

それに日当2000バーツ!9000円近い金です(当時)私は特に収入がないのでこれは大金です。

・・・5日で10000バーツか!

コロンボでの任務を終了し、空手もやめる決心をした今、もはや活動費を中川先生に無心するわけにもいきません。
先立つものはたしかに必要なのです。

「・・・中田さん、行きます」

してやられました。後にもいろいろあるのですが、中田さんは断れないたのみごとをする名人でも有るのです。

どうやら中田さんは私の空手の腕を過大評価していたようで、私をボディガードとして雇おうとしていたようです。
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