上 下
7 / 115

空手バックパッカー誕生

しおりを挟む
会社を辞めて旅に出るまでの間には、父親には怒鳴られ、母親には泣かれとひと騒動ありましたが、それでも出発の日は近づいてきました。

このとき私は26歳だったと記憶しています。
恥ずかしながら私はこの歳まで海外旅行の経験がありませんでした。

そこで知人の紹介で、アジア旅行のベテランのTさんを紹介され、いろいろアドバイスをもらうことにしました。

Tさんは80年代~90年代ごろの、特にインド旅行者の間ではかなり有名な人でした。
面白い話をたくさん聞かせてもらいました。もし彼がその気になって旅行記を書けば、私のこのホラ話なんかより断然面白いと思いますので、それは期待して待っております。

まず彼のアドバイスにより、航空券はスリランカではなくタイのバンコク行きを買いました。
初めての海外がスリランカというのは少しキツいかもしれないので、まずバンコクで熱帯アジアの空気に馴染んでから行った方がよいということです。そしていよいよスリランカに行くときにはバンコクで格安チケットを買えばよいと。

私は海外旅行というのはスーツケースを持っていくものだという先入観があったのですが、Tさんのように自由に動き回るスタイルの旅行者はリュックサックを背負うのが一般的だそうです。

リュックのことをバックパックと呼び、バックパックを背負って旅する人のことを『バックパッカー』と呼ぶということはこのとき初めて知りました。

「荷物は最低限に。できるだけ少ない方が楽だよ」

ということなので、あまり大きすぎないリュックサックを購入し、衣類はTシャツと下着などを少々にとどめました。それと空手着ですが、これがかなりかさ張るので他の衣類は極力減らしたのです。

作業服店に行って作業用のカーゴパンツを購入しました。
作業用カーゴパンツの利点はとても丈夫であること、そしてポケットがたくさん付いていることです。

よくウェストポーチを身に付けて旅行している人を見かけますが、いかにも『ここに貴重品が入ってますよ』みたいなのがどうも気になります。
作業用カーゴパンツの収納力はかなりのものなので、ウェストポーチやセカンドバッグは不要になります。なのでこの時以来、私は今でも日常ずっとカーゴパンツを愛用しています。

出発前夜には中川先生が居酒屋で簡単な壮行会のようなものを催してくれて、出発当日には何人かの生徒と一緒に空港まで見送りに来てくれました。
出発ロビーで搭乗時間を待つ間に中川先生にこう言われました。

「何かと予想外の苦労があるかもしれないけど、冨井ならきっと乗り切れると思うから頑張ってくれ」

「押忍。がんばります」

「それとな、大事なことを言っておくけど、お前ははっきり言ってぜんぜん強くない。むしろ弱い。だから誰とも戦っちゃいけないよ。試合とか組手とか、喧嘩も含めて戦いはできるだけ避けろ。いいな?」

・・・はっきり弱いと言い切られちゃった。なんでそんな弱い男にこんな重大な任務を課す?

中川先生の話は続きます。

「お前は見た目の派手な技とか、手品みたいな試し割りとかが得意だろ?スリランカではそういうのを見せて回れ。お前にはその方が向いているし、きっと宣伝効果はあるよ」

「押忍。わかりました」

「しかしな、もし万が一どうしても戦わなきゃいけなくなったら、それが避けられない場合は」

一呼吸おいて中川先生は厳しい声でこう言いました。

「・・絶対に勝て!どんな卑怯な手を使っても負けてはならん。もしお前が負けたらその土地に日本の空手家が勝負に負けたという話が残るだろう。それは日本の空手全体の恥になる。だから絶対に勝て。噛り付いてでも勝て。いいな」

いいな、と言われても素直に押忍とは言えない厳しい命令です。

私はもっと気楽に考えていたのですが、いつの間にか私は日本空手道の名誉を背負わされていたようです。

Tシャツにカーゴパンツを履いて、バックパックに日本空手道の名誉を無理やり詰め込まれた私は、先生たちに見送られて搭乗口に進みました。

空手バックパッカーの旅のスタートです。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...