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2018年のエピローグ
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植山千里が消え去ってから1カ月後の午後。
事件の後始末からようやく解放された宮下真奈美は、御影探偵事務所を訪れていた。
御影純一と秘書の穂積恵子はすでに復帰していたが、相変わらず探偵業は暇そうである。
御影は何をするでもなく、事務所内をうろうろと歩き回っていた。
「僕もそろそろゴト師にも復帰しなきゃね。今回の事件で警察から貰った謝礼じゃとてもここの家賃は賄えないよ」
御影は欠伸を噛み殺しながら言った。
「ところで、その後の植山千里の消息を警察は掴めているのかい?」
「いいえ、まだです。でも山科さんの話では、植山千里はコスモエナジー救世会の資産をかなり流用していたようなんですよ。横領の容疑で指名手配をかけるみたいです。山科さん、殺人鬼に平穏な生活なんかさせてたまるか!って息巻いていました」
御影は例によって人懐っこそうな笑みを浮かべて話を聞いていた。
「それから東心悟さんは、循環器内科ではもう問題なしということで、今は精神科に入院しています。すいぶん良くなっているみたいですよ。もう大それた妄想に捕らわれることもないかもしれません」
「そもそも、東心悟さんの誇大妄想的な精神の病も、植草千里の思考操作の影響かもしれないからね。コスモエナジー救世会の土地建物や宗教法人を売却すればかなりの財産になるだろうから、彼らこそ父子でおだやかに暮らしてほしいね。そうそう、田村君の方はどうしている?」
「安田総理が無事だったので、非公式ですが首相官邸から感謝状が届いたそうです。これでS.S.R.Iも当分安泰だと喜んでいました」
ここまで話してから、真奈美はまだ残る不安について御影に尋ねた。
「植山千里はこれで諦めるのでしょうか?あれほどの恐ろしい殺人サイキックがいまだ野放しになっているのは、とても不安なんですけど」
御影も深く頷いた。
「彼女はそのうち、また姿を現すだろうね。しかし、目立つことを好まぬ性格から、しばらくは身を潜めるだろう。いずれ対峙するときに備えて、僕たちも訓練を続けなければならないよ」
「植山千里が最後に見せた能力《ちから》、あれはテレポーテーションですよね?あんなことが出来るのなら、どうやって捕まえればいいんですか?」
「うん、僕もまさかテレポーテーションが実在するとは思ってなかった。T大学の真壁博士に相談したんだけど、やはり頭を捻っていたよ。対抗策はこれから博士と共に研究するつもりだ」
御影の答えでは真奈美の不安はまったく晴れない。
「自分の理想の生活のためだけに、無関係な人を2人も殺すなんて・・植山千里はまだこれからも人を殺すのでしょうか?」
御影は少し顔を曇らせた。
そしてデスクの上に置いてあったファイルケースを手に取り真奈美に差し出すと、衝撃的な言葉を口にした。
「宮下君、この調査報告書を山科さんに渡してほしいんだが、ややこしい話をすると実は彼女は植山千里ではない」
「えっ?」
真奈美は御影の言う意味が咄嗟には理解できなかった。
「僕の調べたところでは彼女の本当の名前は木器静音だ。植山千里とは別人だ」
「えっと・・頭が混乱してきました。別人ということは本物の植山千里もどこかに居るのですよね?」
「おそらくは木器静音に殺されているだろう。彼女は独り暮らしの植山千里を殺して戸籍を奪ったんだ。こういうのを背乗りというんだが、木器静音が背乗りしているのは植山千里だけではないだろう。今もまったくの別人になり切って一般社会に紛れて暮らしているに違いない」
話を聞いて真奈美は背筋が寒くなってきた。
「それってつまり・・・木器静音は誰かに背乗りするたびに、その人物を殺しているということですよね?」
「そのとおり。彼女にとって殺人は特別なことではない。煩い蠅や蚊を殺すくらいの感覚で人を殺せるんだよ」
「そんな怪物を・・・野放しにしていていいんですか?」
その問いに御影は、真奈美の顔をしっかりと見つめて答えた。
「焦ってはいけない、宮下君。彼女は強い。僕たちももっと強くならなければならないんだ」
真奈美が唇を噛みしめながら頷くと、御影はまた人懐っこそうな笑みに戻った。
「それはそうと宮下君、君はどうして学君が犯人だなんて、奇想天外なことを考え付いたんだい?僕はてっきり君が東心悟の存在がミスリードであることに気づいたなら、僕と同じ考えに至ると思っていたのに」
「・・え・・それは。。」
真奈美は少し焦りながら答えた。
「御影さんもこの一連の事件は子供じみているって言ってたじゃないですか。そこからふと思いついたんです。学君がすべての首謀者だと考えれば辻褄が合うって」
「合わないよ。それは典型的な確証バイアスだ」
「・・・確証バイアス?」
「つまり君は学君が犯人だという考えに捕らわれた時点で、その結論に合う事実だけを見て、合わない事実に目を瞑ったんだ」
・・・私は気づかずに確証バイアスに陥っていたのだろうか?
「考えてもみたまえ。東心悟さんが投資家として不思議な能力を発揮しはじめたとき、学君はまだ3歳くらいだよ。仮に学君が天才的なサイキックだったとしても、3歳で投資顧問は無理だろう」
・・・確かに!そんな簡単なことに気づいてなかった。
「あ、でも例のデパートの映像にも学君が映っていたんです」
「それももう少しよく考えなきゃ。8歳の子供がひとりでデパートに出かけるかい?もう少しよく調べれば、学君の傍に植山千里・・いや木器静音が立っていたことに気づいたはずだよ」
真奈美は確証バイアスに陥っていた自分の考えに固執し、確信すら持っていたことを恥じた。
そのため危うく、罪もない子供に取り返しのつかないことをするところだったのだ。
それは思い返しても鳥肌が立つほど恐ろしいことであった。
「僕が山科さんにお願いしていたこのビルのエレベーターの防犯カメラの映像ね、穂積君と一緒に木器静音が映っていたよ。穂積君はエレベーター内で暗示をかけられていたんだ。こっちの映像も確認しておいてくれれば、君も真相にたどり着いただろうに」
話し終わると御影は応接用のソファに深々と腰を下ろした。
「宮下君も座りたまえ。いちおうこれでコスモエナジー救世会事件は解決したんだ。小休止しても罪にはなるまい。穂積君、何かお菓子はあるかい?」
「今日は長崎の友人からのいただき物のカステラがあります。お茶は紅茶でいいですか?」
秘書デスクの穂積恵子が応えた。
「うんありがとう。じゃあ宮下君の分も頼む。穂積君もこっちに来て、一緒にお茶にしよう」
事件の後始末からようやく解放された宮下真奈美は、御影探偵事務所を訪れていた。
御影純一と秘書の穂積恵子はすでに復帰していたが、相変わらず探偵業は暇そうである。
御影は何をするでもなく、事務所内をうろうろと歩き回っていた。
「僕もそろそろゴト師にも復帰しなきゃね。今回の事件で警察から貰った謝礼じゃとてもここの家賃は賄えないよ」
御影は欠伸を噛み殺しながら言った。
「ところで、その後の植山千里の消息を警察は掴めているのかい?」
「いいえ、まだです。でも山科さんの話では、植山千里はコスモエナジー救世会の資産をかなり流用していたようなんですよ。横領の容疑で指名手配をかけるみたいです。山科さん、殺人鬼に平穏な生活なんかさせてたまるか!って息巻いていました」
御影は例によって人懐っこそうな笑みを浮かべて話を聞いていた。
「それから東心悟さんは、循環器内科ではもう問題なしということで、今は精神科に入院しています。すいぶん良くなっているみたいですよ。もう大それた妄想に捕らわれることもないかもしれません」
「そもそも、東心悟さんの誇大妄想的な精神の病も、植草千里の思考操作の影響かもしれないからね。コスモエナジー救世会の土地建物や宗教法人を売却すればかなりの財産になるだろうから、彼らこそ父子でおだやかに暮らしてほしいね。そうそう、田村君の方はどうしている?」
「安田総理が無事だったので、非公式ですが首相官邸から感謝状が届いたそうです。これでS.S.R.Iも当分安泰だと喜んでいました」
ここまで話してから、真奈美はまだ残る不安について御影に尋ねた。
「植山千里はこれで諦めるのでしょうか?あれほどの恐ろしい殺人サイキックがいまだ野放しになっているのは、とても不安なんですけど」
御影も深く頷いた。
「彼女はそのうち、また姿を現すだろうね。しかし、目立つことを好まぬ性格から、しばらくは身を潜めるだろう。いずれ対峙するときに備えて、僕たちも訓練を続けなければならないよ」
「植山千里が最後に見せた能力《ちから》、あれはテレポーテーションですよね?あんなことが出来るのなら、どうやって捕まえればいいんですか?」
「うん、僕もまさかテレポーテーションが実在するとは思ってなかった。T大学の真壁博士に相談したんだけど、やはり頭を捻っていたよ。対抗策はこれから博士と共に研究するつもりだ」
御影の答えでは真奈美の不安はまったく晴れない。
「自分の理想の生活のためだけに、無関係な人を2人も殺すなんて・・植山千里はまだこれからも人を殺すのでしょうか?」
御影は少し顔を曇らせた。
そしてデスクの上に置いてあったファイルケースを手に取り真奈美に差し出すと、衝撃的な言葉を口にした。
「宮下君、この調査報告書を山科さんに渡してほしいんだが、ややこしい話をすると実は彼女は植山千里ではない」
「えっ?」
真奈美は御影の言う意味が咄嗟には理解できなかった。
「僕の調べたところでは彼女の本当の名前は木器静音だ。植山千里とは別人だ」
「えっと・・頭が混乱してきました。別人ということは本物の植山千里もどこかに居るのですよね?」
「おそらくは木器静音に殺されているだろう。彼女は独り暮らしの植山千里を殺して戸籍を奪ったんだ。こういうのを背乗りというんだが、木器静音が背乗りしているのは植山千里だけではないだろう。今もまったくの別人になり切って一般社会に紛れて暮らしているに違いない」
話を聞いて真奈美は背筋が寒くなってきた。
「それってつまり・・・木器静音は誰かに背乗りするたびに、その人物を殺しているということですよね?」
「そのとおり。彼女にとって殺人は特別なことではない。煩い蠅や蚊を殺すくらいの感覚で人を殺せるんだよ」
「そんな怪物を・・・野放しにしていていいんですか?」
その問いに御影は、真奈美の顔をしっかりと見つめて答えた。
「焦ってはいけない、宮下君。彼女は強い。僕たちももっと強くならなければならないんだ」
真奈美が唇を噛みしめながら頷くと、御影はまた人懐っこそうな笑みに戻った。
「それはそうと宮下君、君はどうして学君が犯人だなんて、奇想天外なことを考え付いたんだい?僕はてっきり君が東心悟の存在がミスリードであることに気づいたなら、僕と同じ考えに至ると思っていたのに」
「・・え・・それは。。」
真奈美は少し焦りながら答えた。
「御影さんもこの一連の事件は子供じみているって言ってたじゃないですか。そこからふと思いついたんです。学君がすべての首謀者だと考えれば辻褄が合うって」
「合わないよ。それは典型的な確証バイアスだ」
「・・・確証バイアス?」
「つまり君は学君が犯人だという考えに捕らわれた時点で、その結論に合う事実だけを見て、合わない事実に目を瞑ったんだ」
・・・私は気づかずに確証バイアスに陥っていたのだろうか?
「考えてもみたまえ。東心悟さんが投資家として不思議な能力を発揮しはじめたとき、学君はまだ3歳くらいだよ。仮に学君が天才的なサイキックだったとしても、3歳で投資顧問は無理だろう」
・・・確かに!そんな簡単なことに気づいてなかった。
「あ、でも例のデパートの映像にも学君が映っていたんです」
「それももう少しよく考えなきゃ。8歳の子供がひとりでデパートに出かけるかい?もう少しよく調べれば、学君の傍に植山千里・・いや木器静音が立っていたことに気づいたはずだよ」
真奈美は確証バイアスに陥っていた自分の考えに固執し、確信すら持っていたことを恥じた。
そのため危うく、罪もない子供に取り返しのつかないことをするところだったのだ。
それは思い返しても鳥肌が立つほど恐ろしいことであった。
「僕が山科さんにお願いしていたこのビルのエレベーターの防犯カメラの映像ね、穂積君と一緒に木器静音が映っていたよ。穂積君はエレベーター内で暗示をかけられていたんだ。こっちの映像も確認しておいてくれれば、君も真相にたどり着いただろうに」
話し終わると御影は応接用のソファに深々と腰を下ろした。
「宮下君も座りたまえ。いちおうこれでコスモエナジー救世会事件は解決したんだ。小休止しても罪にはなるまい。穂積君、何かお菓子はあるかい?」
「今日は長崎の友人からのいただき物のカステラがあります。お茶は紅茶でいいですか?」
秘書デスクの穂積恵子が応えた。
「うんありがとう。じゃあ宮下君の分も頼む。穂積君もこっちに来て、一緒にお茶にしよう」
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