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事件の解明

連続殺人事件の解明1

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「うわっ、山口君?いったいいつからそこに居たんだ」

 突然姿を現した山口肇には誰もが驚かされていたが、知らぬ間に自分のすぐ隣に立たれていた松下真一の驚きは特に大きかった。

「彼はずっとそこに立っていましたよ。そうですね、山口君」

 御影純一が話を向けると、山口肇はただ「はい」とだけ答えた。

「山口君は説明が難しいのですが、少々特殊な能力の持ち主なのです。まあ隠れん坊の天才とでもいいましょうか。彼は別に透明人間ではありません。皆さんの目に彼はずっと見えていたはずです。ただ皆さんが気に留めていなかっただけなのです。それは例えるなら路上の石ころや、空き地に生えている雑草を気に留めないのと同じです」

 御影の説明を皆が理解しているかどうか疑わしいところなのだが、御影は強引に話を進めた。

「宮下君が金田探偵に襲われていたのを助けようとしたのは山口君です。そうですね」

 山口は細い声で答えた。

「物音が聞こえたのでここに出て来て見ると、ミラースーツの男が宮下君の首を絞めていました。助けようと思ってその男に掴みかかったのですが、僕はあまり腕力が強くないので取り押さえることはできませんでした。しかし男はとても驚いた様子で逃げて行きました。宮下君は気を失っていたので、僕はハンカチを絞って宮下君の額に当てていたのですが、間もなくして金田探偵がやって来たので、ふたたび姿を隠したのです。ミラースーツの男が金田探偵とは知りませんでした」

「あのハンカチで介抱してくれていたのは、ほんとうは山口君だったんだ。ありがとう」
 宮下真奈美は山口肇にぺこりと頭を下げた。

「さて、金田探偵による宮下君への暴行事件は、今回の連続殺人事件とは直接は無関係な独立した事件です。なので、ここからは切り離して考えてください。宮下君、残念ながら金田探偵はこの連続殺人事件の犯人では無い。しかし、君の推理はそれほど大きく間違っていたわけでもないんだ」

 御影の言葉に、宮下真奈美はその瞬間がやってきたことを知った。
 事件の解明。探偵は関係者一同の前で犯人を指摘する。
 探偵が指差す、その人物・・・真犯人はいったい誰なのか?

「みなさん、この恐るべき連続殺人を計画し、実行したその人物は・・・」

 この場に居る全員の目が、カモフラ姿の探偵・御影純一に注がれた。

「花城幸助さんです」

 ・・・・・!

「ふざけるな!」

 怒りを露わにしたのは、松下真一であった。

「社長が真犯人だと?あんたは故人を侮辱するつもりか」

 花城幸助の娘である由紀恵も顔を真っ赤にしている。

「あなた方を傷つけたくはないのですが、真実は曲げられません」

 御影はふたりに向かってそう言ったが、彼の語る真実は山科警部ですら納得していなかった。

「御影君は花城幸助社長が死んだと見せかけて、実は生きていると言ってるのか」

「いいえ山科さん、花城社長はこのビルの屋上から転落して確実に亡くなっています」

「ではいったい、どういう意味だ?」

「順を追って説明しましょう」
 御影純一は、彼の推理を話し始めた。

「花城幸助社長がいつ、この恐るべき殺人計画を思いついたのかは想像するより他にありませんが、そのきっかけとなったのは三年前の産業見本市でしょう。この当時の花城レンズ工芸は、高い技術力で売り上げを上げてはいるものの、設備投資が過剰であるために内情はかなり苦しかったようです。しかしこの時に展示したインビジブルシートのクリアケース・・僕も先ほど見せてもらったけど驚きましたよ・・これが大企業の目に留まり、資金援助を得られることになった。この出来事は花城社長にとって思ってもみなかった事だったのですが、さらに思ってもみなかった事に、インビジブルシートは科学の素養を持つ若者たちにも注目されたんです。ほとんど家族経営のような零細企業に、理系の一流大学の学生たちが就職を希望して集まってきた。その中から採用された二名が、松下真一君と山口肇君です。それまでの花城レンズ工芸は、高い技術力・・正確には花城社長の技術力だけが売りでした。だから素質のある井土さんにその技術を叩きこみ、娘である由紀恵さんと結婚させ自らの後継者にと考えていたのです。確かに井土さんは腕を上げ社長に次ぐ存在にはなりましたが、花城社長はそこに限界を見ていた。井土さんは所詮は花城社長の劣化コピーに過ぎなかったのです。

 そんな時に、T大理学部卒の松下君が『社長の技術を数値化し、量産を可能にできる』と言ったことは、花城社長にとって大きな福音に聞こえたことでしょう。しかしそのせいで、花城社長の中で以前は後継者にと目していた井土さんの存在が非常に小さくなってしまった。これが不幸の始まりでした。

 この頃に花城社長は次の製品のアイデアを形にしようと研究を始めます。井土さんの技術力が高まったおかげで、花城社長はそれほどメインのレンズ制作に関わらなくてもよくなったので、研究開発に没頭できたんですね。それがインビジブルスーツの研究開発でした。図面を書き、試作を繰り返しますがなかなかうまく行かない。そこで図面を松下君に見せて意見を求めますが、松下君は科学的視点からインビジブルスーツの制作は不可能であると断じた。しかし花城社長は諦めずに、松下君にダメ出しされた図面や上手くいかなかった試作品は焼却処分して、新しいアイデアを盛り込み図面を書き、試作を続けていました。

 その状況を比較的間近で見ていた井土さんは、社長の中で自分の存在がとても軽くなっていることに気付いていました。そこで、彼は社長が処分する前の図面をコピーし保管することにした。いざとなれば自分が社長の後継者として研究を引き継げるようにするためです。これはもちろん密かに行われていたことですが、花城社長は非常に勘の鋭い人物でした。だから井土さんのやっていることに気付いたのでしょうね。しかし、それについて咎めることはせず黙っていました。この頃にはすでに花城社長の殺人計画は生まれていたのでしょう。

 花城社長はインビジブルスーツのプランを企業にプレゼンすることで、更に多額の資金を引き出すことに成功しました。インビジブルシートの存在と、花城社長のプレゼン力により企業を納得させることができたんですね。しかし実のところ、花城社長自身はインビジブルスーツの完成が独力では不可能であることを悟っていたのです。鏡とレンズを使ったアイデアには自信を持っていましたが、それを形にするためにはより高度な科学知識が必要であると考えたのです。花城社長は自らのアイデアと会社の命運を未来に託すことにしました。その未来を引き継ぐのは井土さんではなく、花城社長から見て高度な科学知識の持ち主、松下真一君です。

 さて、この殺人計画を成功させるために重要な要素となったのは、この会社の社員は新旧を問わず、花城社長をたいへん尊敬していたことです。とにかく花城社長のカリスマ性にはすごいものがあります。たとえば三階には花城社長、井土さん、由紀恵さん以外の社員は立ち入り禁止という社長が決めたルールがありますが、特に鍵がかかっているわけでもなく、セキュリティーカメラがあるわけでもないのに、三上、松下、山口の三名は誰も三階に上がることは無かったのです。この三階においても同様で、花城社長以外立ち入り禁止の個人研究室にも鍵はありません。花城社長は決して高圧的でもないし、恐怖で支配しているわけでもない。しかし誰もが社長の言葉に進んで従う。それが花城レンズ工芸を支配する社風だったのですね。

 そしていよいよ、問題のハワイ旅行です。このハワイ旅行こそが、殺人計画の最初の仕掛けなのです。勘の鋭い花城社長は、松下君が由紀恵さんに特別な感情を持っていることに気付いていました。この旅行でのホテルの部屋割りは、社長と井土さんの二人部屋、三上さん、松下君、山口君の三人部屋、そして由紀恵さんの一人部屋です。社長と同室の井土さんはあまり自由に部屋を抜け出せませんが、三上さんは純朴な方のようですし、山口君は影が薄いから、松下君はあまり気を使うことなく部屋を抜け出せました。そして由紀恵さんの部屋を訪れてお二人は結ばれたのですよね。一方の井土さんは社長が寝静まるのを待って、ようやく由紀恵さんの部屋を訪れたわけですが、すでに時は遅しでした。もしかしたら、松下君の靴に気付いたかもしれませんが、これは今となってはわからないことです。しかしとにかくここまでは花城社長の思惑通りに進みました。そして花城社長はハワイでもうひとつのトリックを仕掛けます。それは手紙です。そう、松下君のところに届いた手紙がありましたよね。実はああいった手紙は、社員全員に届いていたのです。ああ、山口君だけは別です。山口君には手紙ではなく直接口頭で指示したんじゃないかな。その内容は『私は命を狙われているようだ。もし私に万一のことがあった場合は、君は姿を消して社内に隠れて犯人を見つけてくれ』こんな感じじゃないですか。勘の鋭い花城社長は、君の特殊能力に早くから気づいていたのでしょう」

 御影の問いかけに山口肇が答えた。

「はい、ほとんど御影さんのおっしゃる通りです。僕はとても存在が希薄なので、社内でもよくそこに居ることを忘れられてしまうのです。しかし、社長はとても勘が鋭く、私の存在にすぐに気づいていました。君は天性のスパイだなと笑っておっしゃって、俺のためにその力を貸してくれと頼まれました。僕は自分のこの能力を他人に認められたり求められたりした経験がありませんでしたので、正直うれしく思いました。ハワイのホテルでも、由紀恵さんの部屋を松下君が訪れて、それよりずいぶん遅れて井土さんが訪れてそのまま追い返されるまでの顛末を、すべて廊下から見ていて、社長に報告しました。確認するように命じられていたからです」

 御影が話を続ける。

「ハワイから帰国した翌日、事件の発端となった日に花城社長はふたつの事をしました。まず最初に工場にある焼却炉にガソリンの入ったポリ容器を仕掛けることです。社長は日ごろから書類や試作品をどんどん焼却していたそうですから、特に行動を怪しまれることも無かったでしょう。ガソリンは前もって工場内に保管しておいたのでしょうね。次に社長は本社の三階に行って、井土さんと由紀恵さんのふたりに顔を見せてから、ひとりで屋上に上ります。そして鉄柵の半分に錆止めの塗料を塗りました。塗料を塗った理由はふたつあります。ひとつは錆の腐食が目立たないようにするためですね。錆止めというのは錆びきってから塗っても効果ありませんから、強く圧力をかければ壊れそうなほど腐食が進んだ鉄柵に塗る意味はそれしかありません。そしてもうひとつは、目印を付けるためです。ほら屋上のコンクリートの床面の一部に、血痕と見まがうような赤い塗料の滴った跡がありましたね。あれです。さあこれで花城社長による自動殺人装置はすべて完成しました。あとは、装置を起動させるだけ。起動方法は、花城社長がこの屋上から飛び降りて、自らの命を絶つことです」

「え・・すると・・花城社長の転落死は自殺だったんですか?」

「そうだよ、宮下君。ここでも君の推理はかなり的を射てたんだ。花城社長が誰かに突き落とされたと考えるならこれは不可能犯罪だが、不可能なことは犯人がサイキックでもない限り起こりえないんだよ。だから花城社長の死は事故か、さもなくば自殺だ」

 自らの命を引き換えにする自動殺人装置の起動!御影の推理は、一同に衝撃を与えた。いや、ひとりだけ平然としている者がいる。金田耕一郎だ。

「金田さん、あなたは最初に屋上に上ったときに、この殺人装置に気付きましたよね」

 御影の問いかけに、金田は面倒くさそうに答えた。

「それについては私は君ほど優秀な探偵ではなかったと否定しておこう」

「まあいいでしょう。金田探偵を呼んだのも結局は花城社長の指図です。社長の死は、当初は事故として処理されるのが望ましかった。社長は金田探偵は事件が育つまでは決して解決しない探偵だからこそ指名したんです。だから警察の介入を最小限にできた」

「なんだって?君は私も花城社長の書いた芝居の登場人物に過ぎなかったというのか」

「ええ、残念ながらそのとおりです。宮下君という花城社長のシナリオにない飛び入りが現れなければ、今ごろあなたは芝居の登場人物としての役割を演じ終えていたことでしょう」

 金田は力なくうなだれた。
 今度は山科が質問する。

「塗料を半分しか塗らなかったのには、何か理由があるのか」

「ああ、それは半分塗った時点で目的は果たしていることと、飛び降りるときに服を汚したくなかったからでしょう。あまり大した理由ではないです。話を戻しましょう。

 花城社長が死亡してすぐに、山口君は社長の指示通り姿を消して社内に潜伏しました。山口君の特性として存在が希薄なため、普通ならこんなことがあった日に社員が一名居なくなれば騒ぎになりそうなものなのですが、みんな山口君のことを忘れてしまったんですね。

 金田探偵は二日に渡って、社員に聞き込み調査をしています。花城社長による殺人装置には気づいていたと思いますが、それがいつ、どのような条件で作動するのかまではまだ分かっていませんでした。しかし金田探偵にとってそれは時間の問題であって、どうでもよかったんです。殺人装置が作動して被害者が出てから、ゆっくりと事件の解明をすれば良いのですからね。
 ところが二日目の調査の最中に、金田探偵の理解を超える事実が判明します。山口肇という社員が事件当日から姿を消しているのに、社員は誰もがそれに気づいていなかったというのですよ。これでは金田探偵の論理的な事件の解明は無理になります。そこで彼は失踪した山口肇が社長殺しの犯人で、インビジブルスーツの試作品を着て犯行に及んだという、身も蓋も無いつまらない結論に落とし込んで、この事件の現場から退場することにしたのです。「五角館」という次の舞台も待っていましたし、金田探偵の名声を高めることのない事件にいつまでも関わっていられませんからね。

 さて、この金田探偵の初日の調査と二日目の調査の間に、彼の知らないところである出来事がありました。井土さんと三上さんが同居している花城社長の自宅に二通の手紙が届いたのです。それはもちろん花城社長からの手紙で、届け先は井土さんと三上さんです。
 まずは殺人装置の最初の被害者となる井土さんの手紙を推理してみましょう。井土さんを、必ず一人で屋上にある殺人装置まで誘導する手紙です。僕の想像するにたとえばこういう内容かもしれません。『君も気づいているかもしれないが、由紀恵は松下君と恋仲であるようなのだ。しかし私の後継者は君しか考えられない。私に何かあったときには、君に私の研究のすべてを受け取ってもらいたいのだ。それは屋上の赤いペンキの滴った跡の前にある鉄柵の外側に、インビジブルシートのクリアケースに入れて置いてある』とかですね。

 事件の日、井土さんはひとりで屋上に上り、目印を頼りにそれを探します。平置きされているインビジブルシートのクリアケースは、真上から見たときだけ完全に見えなくなるという特性がありました。なので柵のこちら側から探すのですが見つからない。柵の上から覗き込むと真上からの視点になるので見えない。当然、井土さんは少し位置をずらして探してみたことでしょうが、やはり見えない。これは当然なんです。クリアケースなんて最初から置かれていなかったのですから。そうとは知らない井土さんは目印の前の柵から身を乗り出し、手を伸ばしてケースをまさぐろうとしますが、そこは柵の腐食が最も進んだ場所でした。柵は壊れ、第二の転落死体の出来上がりです。宮下君の推理はかなりいいところまでいってたのですよ。ただ目印の件に気付いていなかったのが惜しかった」

 御影純一による事件の解明はさらに続く。
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