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お笑いテリトリー論
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今回はランキングではなく、以前語った『笑いのテリトリー』についてまとめたいと思う。
まず笑いの『テリトリー』とは、各芸人が一人ずつ持っている独自の『笑いの領域』を指す。
この笑いの領域は、各芸人の実力や性格、笑いの手法によってその広さや色が違い、一つ分かりやすい例を挙げるとすると、明石家さんまのテリトリーは非常に広範囲な上、その色は圧倒的に明るい色である。
ピンでの笑いを除き、複数での笑いとは全てこのテリトリーのせめぎ合いであると言える(さんまのまんまでの、松本とさんまが水面下で繰り広げていたテリトリーのせめぎ合いを見ると、松本、さんま、互いに自分のテリトリーに相手を引きずり込もうとしながらも、互いにけしてテリトリー内に足を踏み入れようとしないのが分かる。剣道で言う達人同士の『間合い』のようなものであり、松本とさんまのテリトリーは、どちらかが歩み寄らない限りけして交わらない、せめぎ合いの最たるものだったと言えるだろう)。
複数の中で自らの笑いを発揮するためには、限られたスタジオの空気(空間)、そして観客の印象(意識)を、如何に自分のテリトリーで満たすかが非常に重要なのである。
例えばスタジオの空気、それを観る客の印象が合計100あったとして、そこに芸人が五人いたとしよう。その内一人がウケまくって、場の空気、観客の印象を80奪ったとすると、後の四人は残りの20を奪い合うしかないのである(出演時間が無限であれば挽回のチャンスはあるが、時間は有限であるため。この80のテリトリーの発揮を、芸能界では『爪痕を残す』と言う。誰がどれほどのテリトリーを発揮したかは現場スタッフにしっかりとランク付けされているため、20しか満たせなかった四人の仕事は徐々に減っていくことだろう)。
無論、現実的にはぴったりこのように分け合うことなど有り得ないが、テリトリーのせめぎ合いとは、芸人にとって正に生き死にの問題と同義であると言えよう。
このテリトリーのせめぎ合いを好まないのが、鶴瓶や内村といった大人しいタイプであり、逆に力ずくでもテリトリーを発揮しようとするのが、さんまや太田といった強引にでも笑いを取りに行くタイプである(それだけに、いいとも最終回でのさんまの立ち居振る舞いは、筆者にとって非常に意外であった。テープで口を塞ぐという浜田のギャグに乗っかった形とはいえ、あの強烈なテリトリーを持つお笑い怪獣さんまが、化け物同士の共演という絶好の場に於いて、自らのテリトリーを主張しようとしなかったのだ。さんまなりに主役であるタモリに気を使ったのか、それともこの無法地帯で笑いを取りに行くのは危険性が高いと判断したのか、浜田のギャグに乗っかったという免罪符に於いて、この場は動かず後輩を好き勝手に泳がせた方が得策と考えたのかもしれない。さしものさんまでも、あの強烈なテリトリーを持つ他メンバーがどういう言動を取って来るか確証が持てない分、自らのテリトリーを十全に発揮する自信がなかったのではないか。さんまの笑いは実はツカミからオチまで全てさんまの描いた計算の上で成り立っているため、その計算が成り立たない相手とは、同じ土俵に立ちたくないのもしれない)。
テリトリーのせめぎ合いは、実は笑いに限らず、自然界のあらゆる場面で共通する現象である。
犬や猿が自らの力を誇示するために、縄張り争いをするのと本質的には同義であり、ここに例を挙げてみたい。
①イジメ。
イジメる側はイジメられる側のテリトリーを侵害することで、精神的に幼い充足感を覚える。
何故充足感を覚えるかと言うと、自分という存在に自信がないためで、自分より弱い存在がいることを確認することにより、自己の承認欲求を歪な形で満たしているからである。
人を品性下劣な方法でイジメたところでレベルは上がるどころか逆に下がっているのだが、アホにはそれが快感に感じるらしい。まったくアホとしか言いようがない(論点がズレてきたのでこの辺で。イジメに関しては機会があればまとめたいと思う)。
②クラスや会社での派閥争い。
知的生物が群れを成すと必ず生まれるのが派閥という非常にバカバカしい縄張り争いであり、誰々は誰派とか、誰其が誰派に寝返ったとか、本当にどうでもいいバカバカしいことである。
誰に依ることなく、俺は俺派だと力強く言える。そういう人に私はなりたい。
自分のやっていることが犬や猿と一緒だということに、どうか早く気付いてほしい(とはいえ、現実は色んなしがらみや情が付き纏い、気付いていながら従うしかないことも多々ある。まったく世知辛い世の中である)。
③戦争。
縄張り争いの最たるもの。これだけ文明が進化して、技術や文化が著しく進歩しても、何のことはない、やってることは犬や猿と一緒なのだ。
日本が何一つ悪いことをしていなくても、他国(敢えて名前は伏せるが)の方から仕掛けてくるから、本当にタチが悪い。
犯罪者から自分の身を守るためには、防衛力というものは絶対に必要であり、今後日本の防衛をどうしていくかは徹底的に議論しなければならない喫緊の課題である。
犬や猿を相手に話し合いで解決できると考えるのは非常にナンセンスだ。
裕福な家庭で何も苦労せず、周囲の暖かい愛に包まれて人生を幸福に過ごしてきた者には分からないかもしれないが、世の中には自己の利益のためならば他者を傷付けても構わないといった、非常に野蛮で獰猛な生物が存在するのである。
外国で大学生やボランティアが殺害されるといった悲惨な事件が後を絶たないが、日本という平和な国で暖かい愛に包まれて育った彼らの世界は、あまりにキラキラとした光に満たされ過ぎている。どんな相手でも必ず気持ちは伝わる、対話が成立するといった前提自体が間違っている相手が、この世には確かに存在するのだ(また論点がズレてきたので、今回はこの辺にしておきたい)。
縄張り争いの例は他にも多々あるが、要はどんなに人間は進歩しようと、本質の部分ではやっていることは他の生物と何ら変わりない、生物としての本能を脱することはできないということだ。
それは人間が地球上に誕生した生物である以上、逃れようのない定めなのだろうが、それまで大勢の中の『一匹のケモノ』であったものが、遥か時を重ね、唯一『一人の人間』になりえたのだ。
何故人間だけが、人間になれたのか。
その意味に一人一人が思いを馳せ、自分ではなく誰かの幸せを願った時。その先に新しい世界は広がっているのかもしれない。
お笑いのテリトリー論が思わぬところに着地してしまったが、そろそろ本文を締めたいと思う。
お笑いの縄張り争いは、どういった者が勝利を収めるのか?
その問いに、筆者はこう答えたいと思う。
『誰かを楽しませたい』
売れたい、目立ちたい、金が欲しい、女にモテたい、そういった欲求は確かにあるだろう。
だが、それだけではない笑いへの純粋な愛情を育んでいった者だけが、最終的には頂点に上れるのだと思う。
無論、どんなに愛があっても、面白くなければ論外であるところが笑いの難しいところであるが、笑いに対する愛情がなく頂点に上りつめた芸人を、筆者は一人も知らない。
彼らは皆、笑いに対する人一倍の愛情を持って、自らのテリトリーを育んできたのだから。
まず笑いの『テリトリー』とは、各芸人が一人ずつ持っている独自の『笑いの領域』を指す。
この笑いの領域は、各芸人の実力や性格、笑いの手法によってその広さや色が違い、一つ分かりやすい例を挙げるとすると、明石家さんまのテリトリーは非常に広範囲な上、その色は圧倒的に明るい色である。
ピンでの笑いを除き、複数での笑いとは全てこのテリトリーのせめぎ合いであると言える(さんまのまんまでの、松本とさんまが水面下で繰り広げていたテリトリーのせめぎ合いを見ると、松本、さんま、互いに自分のテリトリーに相手を引きずり込もうとしながらも、互いにけしてテリトリー内に足を踏み入れようとしないのが分かる。剣道で言う達人同士の『間合い』のようなものであり、松本とさんまのテリトリーは、どちらかが歩み寄らない限りけして交わらない、せめぎ合いの最たるものだったと言えるだろう)。
複数の中で自らの笑いを発揮するためには、限られたスタジオの空気(空間)、そして観客の印象(意識)を、如何に自分のテリトリーで満たすかが非常に重要なのである。
例えばスタジオの空気、それを観る客の印象が合計100あったとして、そこに芸人が五人いたとしよう。その内一人がウケまくって、場の空気、観客の印象を80奪ったとすると、後の四人は残りの20を奪い合うしかないのである(出演時間が無限であれば挽回のチャンスはあるが、時間は有限であるため。この80のテリトリーの発揮を、芸能界では『爪痕を残す』と言う。誰がどれほどのテリトリーを発揮したかは現場スタッフにしっかりとランク付けされているため、20しか満たせなかった四人の仕事は徐々に減っていくことだろう)。
無論、現実的にはぴったりこのように分け合うことなど有り得ないが、テリトリーのせめぎ合いとは、芸人にとって正に生き死にの問題と同義であると言えよう。
このテリトリーのせめぎ合いを好まないのが、鶴瓶や内村といった大人しいタイプであり、逆に力ずくでもテリトリーを発揮しようとするのが、さんまや太田といった強引にでも笑いを取りに行くタイプである(それだけに、いいとも最終回でのさんまの立ち居振る舞いは、筆者にとって非常に意外であった。テープで口を塞ぐという浜田のギャグに乗っかった形とはいえ、あの強烈なテリトリーを持つお笑い怪獣さんまが、化け物同士の共演という絶好の場に於いて、自らのテリトリーを主張しようとしなかったのだ。さんまなりに主役であるタモリに気を使ったのか、それともこの無法地帯で笑いを取りに行くのは危険性が高いと判断したのか、浜田のギャグに乗っかったという免罪符に於いて、この場は動かず後輩を好き勝手に泳がせた方が得策と考えたのかもしれない。さしものさんまでも、あの強烈なテリトリーを持つ他メンバーがどういう言動を取って来るか確証が持てない分、自らのテリトリーを十全に発揮する自信がなかったのではないか。さんまの笑いは実はツカミからオチまで全てさんまの描いた計算の上で成り立っているため、その計算が成り立たない相手とは、同じ土俵に立ちたくないのもしれない)。
テリトリーのせめぎ合いは、実は笑いに限らず、自然界のあらゆる場面で共通する現象である。
犬や猿が自らの力を誇示するために、縄張り争いをするのと本質的には同義であり、ここに例を挙げてみたい。
①イジメ。
イジメる側はイジメられる側のテリトリーを侵害することで、精神的に幼い充足感を覚える。
何故充足感を覚えるかと言うと、自分という存在に自信がないためで、自分より弱い存在がいることを確認することにより、自己の承認欲求を歪な形で満たしているからである。
人を品性下劣な方法でイジメたところでレベルは上がるどころか逆に下がっているのだが、アホにはそれが快感に感じるらしい。まったくアホとしか言いようがない(論点がズレてきたのでこの辺で。イジメに関しては機会があればまとめたいと思う)。
②クラスや会社での派閥争い。
知的生物が群れを成すと必ず生まれるのが派閥という非常にバカバカしい縄張り争いであり、誰々は誰派とか、誰其が誰派に寝返ったとか、本当にどうでもいいバカバカしいことである。
誰に依ることなく、俺は俺派だと力強く言える。そういう人に私はなりたい。
自分のやっていることが犬や猿と一緒だということに、どうか早く気付いてほしい(とはいえ、現実は色んなしがらみや情が付き纏い、気付いていながら従うしかないことも多々ある。まったく世知辛い世の中である)。
③戦争。
縄張り争いの最たるもの。これだけ文明が進化して、技術や文化が著しく進歩しても、何のことはない、やってることは犬や猿と一緒なのだ。
日本が何一つ悪いことをしていなくても、他国(敢えて名前は伏せるが)の方から仕掛けてくるから、本当にタチが悪い。
犯罪者から自分の身を守るためには、防衛力というものは絶対に必要であり、今後日本の防衛をどうしていくかは徹底的に議論しなければならない喫緊の課題である。
犬や猿を相手に話し合いで解決できると考えるのは非常にナンセンスだ。
裕福な家庭で何も苦労せず、周囲の暖かい愛に包まれて人生を幸福に過ごしてきた者には分からないかもしれないが、世の中には自己の利益のためならば他者を傷付けても構わないといった、非常に野蛮で獰猛な生物が存在するのである。
外国で大学生やボランティアが殺害されるといった悲惨な事件が後を絶たないが、日本という平和な国で暖かい愛に包まれて育った彼らの世界は、あまりにキラキラとした光に満たされ過ぎている。どんな相手でも必ず気持ちは伝わる、対話が成立するといった前提自体が間違っている相手が、この世には確かに存在するのだ(また論点がズレてきたので、今回はこの辺にしておきたい)。
縄張り争いの例は他にも多々あるが、要はどんなに人間は進歩しようと、本質の部分ではやっていることは他の生物と何ら変わりない、生物としての本能を脱することはできないということだ。
それは人間が地球上に誕生した生物である以上、逃れようのない定めなのだろうが、それまで大勢の中の『一匹のケモノ』であったものが、遥か時を重ね、唯一『一人の人間』になりえたのだ。
何故人間だけが、人間になれたのか。
その意味に一人一人が思いを馳せ、自分ではなく誰かの幸せを願った時。その先に新しい世界は広がっているのかもしれない。
お笑いのテリトリー論が思わぬところに着地してしまったが、そろそろ本文を締めたいと思う。
お笑いの縄張り争いは、どういった者が勝利を収めるのか?
その問いに、筆者はこう答えたいと思う。
『誰かを楽しませたい』
売れたい、目立ちたい、金が欲しい、女にモテたい、そういった欲求は確かにあるだろう。
だが、それだけではない笑いへの純粋な愛情を育んでいった者だけが、最終的には頂点に上れるのだと思う。
無論、どんなに愛があっても、面白くなければ論外であるところが笑いの難しいところであるが、笑いに対する愛情がなく頂点に上りつめた芸人を、筆者は一人も知らない。
彼らは皆、笑いに対する人一倍の愛情を持って、自らのテリトリーを育んできたのだから。
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