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六章
他人の心に住む方法(3)
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「ねえ、君に確認したいことがあるんだ」
「何だ? 天使の見た目とかか?」
「それもある意味気にはなるけどね。でも違うよ、それよりも重要な事さ。…………君、クスリをやっているだろう」
……てっきり葵をここに連れてきた理由を聞かれると思ったのに、そっちのことを聞かれるとは。
「ばれてたか―。最後まで隠し通せるかと思ってたのに」
「分かるに決まってるだろう。感情の起伏がおかしいし、幻覚まで見てる。なんでだ、何が君をそうさせた」
葵は強い瞳で睨みつけてくる。こうなると俺がクスリを打った理由を話すまで、他の話を聞かないだろう。
ちょうどいい。俺もそろそろ本題の入ろうとしていたところだ・
「クスリってすごいよな。これにハマる奴が多いのも納得だよ。葵は幻覚って言ったけど、俺は今、自分が見ている風景を幻覚だとは思わない。ただ、今までは見えていなかっただけだ。クスリを打ったことで見えていなかったものが見えるようになり、言えなかったことも言えるようになる。気分だって爽快だ」
「そんなのは今だけさ。クスリの効果が切れたらその分の反動が来るよ」
「それならまたクスリを打てばいいだけの話だろ。そしたら一生幸せじゃないか」
「そう簡単なものじゃない、副作用だってあるんだ。いずれ体も心もおかしくなる。そんなことも分からない君じゃないだろう」
葵は必死になってクスリの危険性を説いてくる。
もちろんだ、分かっていたよ。これが一時の快楽だなんてことは。
でも、もういいんだ。
「まあ、安心してくれ。ああは言ったが俺も常用するつもりはない。ただ、今だけ、今この瞬間だけで良かったんだ」
「……結局、君は何をしたいんだ?」
「そう答えを急くなよ。俺も葵も、この世界の奴は誰でも時間を持て余してる。もうちょっと俺に付き合ってくれ。それかあれだ、葵は推理小説も好きだったよな? 探偵は犯人の動機を暴くのも仕事だ。退屈なら葵もそんな探偵たちみたいに俺の心を推理していたらいい」
そう言うと葵は顎に手を当てて考え込む。座っていたら足を組んでいたことだろう。
「クスリを打った理由なんてそんな大層な理由は無い。単純に素面じゃ出来そうにないことだったからクスリに頼っただけだ」
「私を屋上に連れて来るだけならクスリを打たずとも出来ただろう。むしろ普段の君に誘われた方が喜んでついてきてたよ」
「はははは! 手厳しい! でも葵も分かってるだろ、葵を屋上に連れてきたのはただの下準備に過ぎない。本番はこれからだ」
俺は葵に背を向けて、屋上と空中の間に向かって歩いていく。
「俺は今の世界もそんなに悪いものじゃないと思ってる。娯楽は少ないし、人類の滅亡からは逃れられないけど、皆自由に生きていけるからな。金の制限も、時間の制限もない。勉強だって昔はもっと色んなこと覚えなくちゃいけなかったんだろ?」
人が少ないからこそ食料の自動生産も間に合う。人類の滅亡という終わりが見えたからこそ技術もここまで発展した。俺たちはそれを享受するだけでいい。人によっては、今の世界をこそ理想郷と呼ぶだろう。
「その代わりに人は倫理観を失ったんだ、手放しで喜ぶことは出来ないよ。様々な縛りがあったからこそ人は自分を律することが出来たんだ」
「倫理観なんて時代によって変わるものだろ。葵は俺がクスリを使ったことにいい顔をしていないが、そんなの今じゃ少数派だ。俺は人同士で殺し合わないくらいの倫理観さえ持っていればそれで十分だと思ってる」
「……間違えの無いように言っておくが、私が君に怒っているのは倫理観の無さからじゃないよ。君が自分の体を大切にしていないから怒っているんだ。自分の体に悪いものだと知っているのにクスリを使うなんて自傷行為と一緒だよ」
クスリを使うこと自体よりも、俺の体が心配だったと葵は言っている。良かった、それはとても喜ばしい。予行演習は終了、とうとう計画の最終段階だ。
「ありがとう。これからは気をつけるよ」
俺はそんな白々しい台詞を吐いて屋上の縁へと足をかける。そして、ゆっくりと振り返って葵を見る。
「お、おい! 危ないぞ!」
葵は俺を引き戻そうとするが、下手に近づいたら逆効果だと思っているのかその場から動かない。良い判断だ。実際、葵がこっちに来てたらすぐに飛び降りると脅しをかけることになっていた。
「まあまあ葵、落ち着いてくれ。大丈夫だよ、今日は風もないし滅多なことじゃあ落ちないさ。それよりも話の続きだ。俺はこの世界で不自由なく暮らしていたが、どうしても手に入らないものが一つあったんだ」
話しながら、俺は屋上の縁をふらふらしながら歩く。葵は気が気でないのか言葉も発さず、固唾を飲みながら俺を見守っている。
葵は心配性だな。こんなの子供の頃にやった白線以外を歩いてはいけないゲームと似たようなものなのに。
葵が立っている場所を中心にして行ったり来たり、落ち着きなく動きながら俺は話を続ける。
「愛は成就されず成就されるのは愛でないものばかり、っていうのをどこかで見た。確か葵に勧められた本に書いてあったんだっけな」
「……そうだね、私も聞き覚えがあるよ」
「まあ、とりあえず俺はこの言葉がすごく印象に残った。自分のことを言われているようで、自分の内心を綺麗に言葉にしてくれたみたいで」
随分昔に読んだ本だから内容までは鮮明に覚えてはいないけど、その言葉だけは俺の心に深く刻み込まれた。
「俺が欲しかったものは愛なんだ。それ以外のものがいくらあろうと、愛が手に入れられなかったから俺はいつまでも満たされなかった」
「この前……、この前、愛について聞いてきたのはもしかしてそういう事だったのか?」
葵は頭が良い。知識があるというだけではなく、純粋に頭の回転が速い。
それに自分に向けられる感情に鈍いというだけで、決して他人の心が分からない訳じゃない。誰よりも他人を理解したがる葵は、隼人と同じくらい他人の感情に敏感だったりする。
だから、俺が言いたいことにもすぐに気が付いたのだろう。葵は、今の会話で俺に恋愛する機能が付いていたことを察した。葵が言う『そういう事』とは、つまりその事を確認してきている。
だけどそれじゃあ半分だ、俺の気持ちの半分しか伝わっていない。
残りのもう半分を伝えるためには明確に言葉にしないといけない。
そして俺はその半分を伝えるため、バっと手を広げて叫ぶ。
「何だ? 天使の見た目とかか?」
「それもある意味気にはなるけどね。でも違うよ、それよりも重要な事さ。…………君、クスリをやっているだろう」
……てっきり葵をここに連れてきた理由を聞かれると思ったのに、そっちのことを聞かれるとは。
「ばれてたか―。最後まで隠し通せるかと思ってたのに」
「分かるに決まってるだろう。感情の起伏がおかしいし、幻覚まで見てる。なんでだ、何が君をそうさせた」
葵は強い瞳で睨みつけてくる。こうなると俺がクスリを打った理由を話すまで、他の話を聞かないだろう。
ちょうどいい。俺もそろそろ本題の入ろうとしていたところだ・
「クスリってすごいよな。これにハマる奴が多いのも納得だよ。葵は幻覚って言ったけど、俺は今、自分が見ている風景を幻覚だとは思わない。ただ、今までは見えていなかっただけだ。クスリを打ったことで見えていなかったものが見えるようになり、言えなかったことも言えるようになる。気分だって爽快だ」
「そんなのは今だけさ。クスリの効果が切れたらその分の反動が来るよ」
「それならまたクスリを打てばいいだけの話だろ。そしたら一生幸せじゃないか」
「そう簡単なものじゃない、副作用だってあるんだ。いずれ体も心もおかしくなる。そんなことも分からない君じゃないだろう」
葵は必死になってクスリの危険性を説いてくる。
もちろんだ、分かっていたよ。これが一時の快楽だなんてことは。
でも、もういいんだ。
「まあ、安心してくれ。ああは言ったが俺も常用するつもりはない。ただ、今だけ、今この瞬間だけで良かったんだ」
「……結局、君は何をしたいんだ?」
「そう答えを急くなよ。俺も葵も、この世界の奴は誰でも時間を持て余してる。もうちょっと俺に付き合ってくれ。それかあれだ、葵は推理小説も好きだったよな? 探偵は犯人の動機を暴くのも仕事だ。退屈なら葵もそんな探偵たちみたいに俺の心を推理していたらいい」
そう言うと葵は顎に手を当てて考え込む。座っていたら足を組んでいたことだろう。
「クスリを打った理由なんてそんな大層な理由は無い。単純に素面じゃ出来そうにないことだったからクスリに頼っただけだ」
「私を屋上に連れて来るだけならクスリを打たずとも出来ただろう。むしろ普段の君に誘われた方が喜んでついてきてたよ」
「はははは! 手厳しい! でも葵も分かってるだろ、葵を屋上に連れてきたのはただの下準備に過ぎない。本番はこれからだ」
俺は葵に背を向けて、屋上と空中の間に向かって歩いていく。
「俺は今の世界もそんなに悪いものじゃないと思ってる。娯楽は少ないし、人類の滅亡からは逃れられないけど、皆自由に生きていけるからな。金の制限も、時間の制限もない。勉強だって昔はもっと色んなこと覚えなくちゃいけなかったんだろ?」
人が少ないからこそ食料の自動生産も間に合う。人類の滅亡という終わりが見えたからこそ技術もここまで発展した。俺たちはそれを享受するだけでいい。人によっては、今の世界をこそ理想郷と呼ぶだろう。
「その代わりに人は倫理観を失ったんだ、手放しで喜ぶことは出来ないよ。様々な縛りがあったからこそ人は自分を律することが出来たんだ」
「倫理観なんて時代によって変わるものだろ。葵は俺がクスリを使ったことにいい顔をしていないが、そんなの今じゃ少数派だ。俺は人同士で殺し合わないくらいの倫理観さえ持っていればそれで十分だと思ってる」
「……間違えの無いように言っておくが、私が君に怒っているのは倫理観の無さからじゃないよ。君が自分の体を大切にしていないから怒っているんだ。自分の体に悪いものだと知っているのにクスリを使うなんて自傷行為と一緒だよ」
クスリを使うこと自体よりも、俺の体が心配だったと葵は言っている。良かった、それはとても喜ばしい。予行演習は終了、とうとう計画の最終段階だ。
「ありがとう。これからは気をつけるよ」
俺はそんな白々しい台詞を吐いて屋上の縁へと足をかける。そして、ゆっくりと振り返って葵を見る。
「お、おい! 危ないぞ!」
葵は俺を引き戻そうとするが、下手に近づいたら逆効果だと思っているのかその場から動かない。良い判断だ。実際、葵がこっちに来てたらすぐに飛び降りると脅しをかけることになっていた。
「まあまあ葵、落ち着いてくれ。大丈夫だよ、今日は風もないし滅多なことじゃあ落ちないさ。それよりも話の続きだ。俺はこの世界で不自由なく暮らしていたが、どうしても手に入らないものが一つあったんだ」
話しながら、俺は屋上の縁をふらふらしながら歩く。葵は気が気でないのか言葉も発さず、固唾を飲みながら俺を見守っている。
葵は心配性だな。こんなの子供の頃にやった白線以外を歩いてはいけないゲームと似たようなものなのに。
葵が立っている場所を中心にして行ったり来たり、落ち着きなく動きながら俺は話を続ける。
「愛は成就されず成就されるのは愛でないものばかり、っていうのをどこかで見た。確か葵に勧められた本に書いてあったんだっけな」
「……そうだね、私も聞き覚えがあるよ」
「まあ、とりあえず俺はこの言葉がすごく印象に残った。自分のことを言われているようで、自分の内心を綺麗に言葉にしてくれたみたいで」
随分昔に読んだ本だから内容までは鮮明に覚えてはいないけど、その言葉だけは俺の心に深く刻み込まれた。
「俺が欲しかったものは愛なんだ。それ以外のものがいくらあろうと、愛が手に入れられなかったから俺はいつまでも満たされなかった」
「この前……、この前、愛について聞いてきたのはもしかしてそういう事だったのか?」
葵は頭が良い。知識があるというだけではなく、純粋に頭の回転が速い。
それに自分に向けられる感情に鈍いというだけで、決して他人の心が分からない訳じゃない。誰よりも他人を理解したがる葵は、隼人と同じくらい他人の感情に敏感だったりする。
だから、俺が言いたいことにもすぐに気が付いたのだろう。葵は、今の会話で俺に恋愛する機能が付いていたことを察した。葵が言う『そういう事』とは、つまりその事を確認してきている。
だけどそれじゃあ半分だ、俺の気持ちの半分しか伝わっていない。
残りのもう半分を伝えるためには明確に言葉にしないといけない。
そして俺はその半分を伝えるため、バっと手を広げて叫ぶ。
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