九尾の狐、監禁しました

八神響

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一章 大黒家争乱編

二十四話

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 屋敷の中を通り過ぎ、渡り廊下を渡ってさらに奥。

 そこには秋人と特定の従者以外は立ち入りを禁じられている離れがある。

 屋敷の中の敵を部下二人に任せた純はその離れの前に着くと、勢いよく襖を開けた。

「……騒々しいわね。何の用?」

 部屋の中は明かりがついておらず、光源になりそうなものも部屋の両端にある二つの蝋燭台だけであった。

 闇に包まれた部屋に女性が一人。

 豪奢な着物を着ている女性は正座をした状態で部屋に入ってきた純を見る。いや、正確には見てはいない。女性の顔には額から眼球までを隠す布が巻かれていて、その目には何も映っていなかった。


「私の用件はただ一つ。お前を殺すことだ」

 純は女性に向かって薙刀を構え、簡潔に述べる。
 それを聞いた女性は唇を半月状に曲げ、心底おかしそうに笑った。

「うふふっ、うふふふっ。半年ぶりの母娘の会話とは思えないわね。それでも嬉しいわ、それはあなたが成長した証拠だもの」
「……お前を、お前たちを親だと思ったことは無い。私も、兄さんも」

 純は目の前の女性、大黒幽子を憎々し気に見る。


 大黒幽子。大黒秋人の妻であり、真と純の義理の母親。

 彼女は大黒家に嫁いだ時からこの離れに幽閉されており、秋人と世話係以外の人間と話すのは年に数回あるかないかである。

 そのためこうして子供と話す時は、どんな会話であれいつも楽しそうにしている。

 しかし、幽子も秋人の悪事に荷担していた事実に変わりは無く、真や純からしたらただの恨みの対象の一人である。


「そんなことを言われたら悲しいわ……。真も帰ってきてるみたいだから真とも会いたいのに」
「どうせ兄さんが来ている理由もあの男から聞かされているだろうに、よくそんな口が聞けるな」
「ええ、まあ。真が持っていた九尾の狐を奪ってきたって楽しそうに話していたわね」

 悪びれもしない幽子に純の眉間の皺はますます深くなる。もう、いつ斬りかかってもおかしくないぐらいに。

「自分たちが何をしたか分かっている上での発言なら救いようがないな。ああ、やっぱりお前たちは殺しておかないといけない」

 それを言い終わる直前に純は動いた。

 畳を蹴り、月の光のおかげでおぼろげに見えている幽子の首を狙って一閃。

 だが、容赦なく殺しにかかった純の攻撃は、太い木によって阻まれ幽子の首には届かなかった。

「あらあら、危ないわね」
「……相変わらず符術の扱いだけは得意なようだな」

 純はギリギリと木に刃を食い込ませながら吐き捨てる。


 幽子は特殊な育てられ方をした陰陽師だ。

 小さな陰陽師一族の三女として生まれた幽子は、霊力が弱く術の才にも恵まれていなかった。

 そんな幽子をどうにか陰陽師にしたてあげるために、とある実験が行われた。

 まず全ての術を習得させることは諦めて、符術のみを得手とする一点特化型の陰陽師として育てられることが決定した。

 そのために、毎日毎日、朝から晩まで様々な形の符術を練習させられた。炎の揺らめきや木目が脳に焼き付くまで術を発動し、術以外のものは目にしないために普段の生活では目隠しをして過ごしていた。

 符術とは術者のイメージによってその形を変える。普通の陰陽師は、呪文を唱えることで脳内のイメージを完全に形にするが、幼少期より術以外のものを見てこなかった幽子は呪文を唱えずとも早く、正確に術を発動できるようになった。

 だが、所詮はそこ止まり。いかに符術の扱いに長けていようと、霊力の絶対量が少ない幽子を陰陽師として嫁に欲しがる家は無かった。ただ一つ、大黒家を除いて。

 秋人は特殊な成長をした幽子に興味を惹かれ、大黒家へと迎え入れることにした。そして、幽子の能力をさらに高めるために、離れの間取りを完璧に覚えさせた後、幽子の目を潰し視力を奪った。

 結果、幽子はこの離れの中だけなら無敵ともいえる陰陽師になった。

「そうね、符術だけなら誰にも負けない自信があるわ。私はそのために育てられたんですもの。でも、だからといってあなたを殺すわけにはいかないのよね。あなたは大黒家の未来を担っているもの。だから、少しだけ大人しくしてて頂戴?」

 幽子がそう言うと、幽子の周りを守っていた木が炎に変わり純に襲い掛かった。

「ちっ!」

 純は舌打ちをして、その場からとびすさり炎を躱す。

 そして懐から毒虫の入った小瓶を取り出して幽子に投げつけるが、それも炎に阻まれ燃えカスとなってしまう。


「母親を呪おうとするなんて……、そんなことだから真にも逃げられるのよ? あなたはもうちょっとコミュニケーションというものを学びなさい」

 幽子は炎や水で純を攻め続けながら得意げに言う。

 純は攻撃の合間を縫って幽子に接近するも、木に弾き飛ばされ壁に激突する。

「がっ……!」

 そこに土が迫ってきて飲まれそうになるが、間一髪の所で逃げ出すことに成功し再び幽子の術を躱し始める。

 くるくると回りながら動くその姿はまるで一つの舞のようにも見えるが、舞っている本人の顔はこれ以上なく険しく、お世辞にも美しいとは言えないものだった。

「ろくに人と会話したことのないお前がコミュニケーションだなんて笑わせる! お前なんかに言われずとも私と兄さんの絆は盤石だっ!」

 純は激しく動きながら叫ぶ。

 仮初の親が自分と兄の関係に口を出してきたことがたまらなく不快で、今すぐにでも幽子の顔に刃を突き立てたい衝動に駆られているが、幽子の猛攻がどんどん激しくなってきており、もはや近づく事さえままならなくなっていた。

「あら、じゃあ真は純がわざと秋人さんの式紙を付けていたことも知っているのね」
「!?」

 幽子の言葉に動揺した純は炎を躱し損ね、左肩に火傷を負ってしまう。

 しかし、すぐに体勢を立て直し幽子に言葉を投げつける。

「何故知っている……!」
「ふぅ、その様子だとやっぱり言ってないみたいね。知っているというか分かるわよ、いくら隠形していようと、あの人程度の実力ではあなたを騙しきることなんて出来ないもの」

 人のことは言えないんだけどね、と幽子は儚げに笑う。

 陰陽師の術の一つ、周りからその存在を隠すために使う隠形にも、もちろん術者の実力によって精度が異なる。

 秋人は式紙に隠形術をかけて純に付けていたのだが、細部が荒く、純から見たら酷くお粗末なものだった。

 真は体調や純の来襲によって気が逸れていたため気が付かなかったが、普段の真なら確実に気付く代物だった。だが、純は兄に式紙の存在をあえて知らせることはしなかった。

「……それに気付いたのなら私からのメッセージにも気付いていたはずだ」

 業火を紙一重で避けながら純は幽子に問いかける。自分が式紙を見逃したその理由を。


「真が来る前に九尾を殺しておけって事でしょう?」
「それが、分かっていて、何故そうしなかった!!」

 純は激昂して自らに向かってきた木を薙刀で切り払う。

 幽子の予想は正しかった。純は真の家に行く時、いくつもの想定をしていた。その中でも一番最悪の想定は真が九尾の狐と暮らしているというものだった。

 もしその最悪の状況に陥っていたら、自分が九尾の狐を殺す。しかし真の邪魔が入ることも考え、次善の策として大黒家に九尾の狐の処分を任すつもりだった。

 だが、そうはならず真と純が大黒家に戦いを挑む理由が作られてしまった。


「お前たちが欲を張らずに女狐をすぐ殺していれば、こんなことにはならなかった! 女狐の死が確定していたのなら私が兄さんを止められていた! お前たちの見通しの甘さが大黒家を衰退させると何故気付かない!」
「……才能のあるあなたにはきっと分からないわ。私や秋人さんみたいな人はチャンスが転がってきたら、それを最大限に生かさないと埋もれてしまうだけ。そういう人生を歩んできたのだから今更変えられなかったってだけなのよ」

 そう言って幽子は壁に凭れ掛かる。

「それにまさか真や純がここまでするなんて、私も秋人さんも思ってなかったの」
「……お前たちはそうだろうな。能力と地位でしか人を見ない奴らが私たちのことを理解しているはずもない」

 術の猛攻が止み、静かになった部屋の中でお互いを見る。


「そう、だったみたいね。だけどそれも今更変えられないの。だから私は最後までそれを貫き通す」

 幽子の雰囲気が変わり、圧迫感が純を襲う。

「私はそろそろ限界。だから次の術を最後にするわ」
「ふん、霊力が底をつくか。元々霊力に乏しいお前だが、さらに貧弱になったな」
「そうね……、自分でもびっくりよ。年はとりたくないものね。でもまだ一回は術を出せる。それで見極めるわ、あなたに大黒家を任せるか否かを」
「付き合う義理は無い、が後々祟られても面倒だからな。いいだろう、受けてやる。そして、お前たちはもう不要なのだとはっきりと分からせてやろう」

 純が挑戦に応じると、幽子はすぐに術の準備に取り掛かった。

 幽子が袖を垂らすと、中から大量の札が出てきて循環が始まる。

 そして幽子の前に十枚一セットの円が八つ並び、それぞれの円が術を発動しようと円の中の一枚に霊力が集まる。

 幽子が攻撃に選んだのは金行符、イメージしたのは部屋を埋め尽くすほどの湾刀。

 部屋の横幅一杯の鋭く湾曲した刃。それが縦、斜めと合計八つ。

 その殺意の塊である刃の集合体が、ゴゴゴゴゴゴと大きな音を立てながら純を切り刻もうと迫ってきた。

「はぁ……」

 だが、純はそれを見ても武器も構えずに溜息を吐くだけだった。

 そして湾刀に向かって無造作に薙刀を投げつけると、術を発動するために呪文を唱えた。

「呪われた刃よ、己の罪を背負いて贄となれ」

 瞬間、薙刀がカッと光り、湾刀に触れた。 

 すると、部屋を埋め尽くしていたはずの恐ろしい刃が跡形も無く消滅した。

「……これで満足か?」

 純は幽子に白けた眼差しを向けながら問う。

 幽子の方は少し驚きはしていたものの、まるでこうなることが分かっていたかのように笑い、軽く頷いた。

 それを見て、純は前方に落ちていた薙刀を拾い幽子に近づいていく。

「ねえ、今のはどんな術だったのか教えてくれる?」
「術の詳細を他人に教える趣味は無い。一つだけ言えることは、先程の術は馬鹿正直に真正面から来るような攻撃にしか使えないという事だ」

 あまり要領を得ない純の言葉に幽子は首を傾げる。


 先程、純が使った術は丑の刻参りを応用して純が開発したオリジナルの呪術である。

 今まで薙刀が生物に与えてきたダメージの合計値を超えない攻撃であれば、薙刀がその攻撃によるダメージを吸収する。

 しかし一度呪文を唱えてしまうと、また一からダメージを蓄積していかなければならないので軽々と使うことが出来ない少々使い勝手の悪い術でもある。

 純はその仕様が万が一にでもばれる事を嫌い、術の詳細について言及しなかった。

 だが幽子はそれだけでは納得せず、頬を膨らませて抗議する。

「もう、冥土の土産っていうものがあるじゃない」
「そんな意識で陰陽師をやっていられるか。……ここまで近づいているのに不意打ちの気配も無い事といい、お前は能力以前に性格が陰陽師に向いていなさすぎる。……そんなのなら、陰陽師になんてならなければよかったのに」

 純は素の言葉遣いで呟く。

 幽子は頭上で純が薙刀を振り上げている気配を感じ取りながらも穏やかに笑う。


「私が望んだことよ。後悔はしてないわ」
「……そうか。他に言い残すことは無いか?」
「そうねぇ……、特に無いかしら」
「じゃあ、もういいな」
「ええ」

 最期に幽子は自分の望みについて思いを巡らす。


 陰陽師として大成したい。それが無理ならせめて、陰陽師としての自分の名を後世にまで残したい。

 それが幽子の望みだった。大黒家が力をつければつけるほど、幽子の望みが叶う可能性が高くなる。だから大黒家を大きくするためには何でもやった。

 だが今の純を見て、それももう必要ないことを悟った。純さえいれば放っておいても大黒家は安泰だ。

 幽子はそう確信し、振り下ろされる刃を静かに受け入れた。



 ぐしゃっ!


「………………」

 純は畳に転がった幽子の首を複雑な表情で見つめる。


 しかしすぐに頭を切り替えて、ひゅっと薙刀から血を払うと、次の戦場に向かうべく離れを後にした。
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