九尾の狐、監禁しました

八神響

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一章 大黒家争乱編

二十話

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「よっし、これで契約完了だな」

 そう言った大黒の手には不可思議な紋様の中に『大黒純』と書かれた紙が一枚。戦いが終わり、二人の間に式神契約が交わされた何よりの証拠である。

「ええ、これで私は名実ともに兄さんの犬です」
「名も実も伴っていない。誤解を招く言い方は止めろ」

 勝負に負けたというのに純は嬉しそうに身をくねらせ、大黒は仏頂面でそれに返事をする。

 ここだけ見れば単に仲のいい兄妹がじゃれ合っているようにも見えるが、実際には相手を奴隷にするという契約を結んでいる場面であり、それは現代社会ではとても認められない人道に反した行為である。

 この場にいるのが大黒兄妹だけなら大した問題にもならないかもしれないが、契約を交わした二人から少し離れた位置には大黒が協力を要請した刀岐が佇んでいる。

 本来なら戦いが終わった時点でお役御免のはずだったが、万が一の時に純を抑えてもらうため、近くで待機してもらっていた。

 リスクを極限まで抑えるためにそうした方がいいと大黒は判断したのだが、そのせいで刀岐に対して説明や口止めをする必要が出てきてしまった。

「あー……、刀岐。色々と聞きたいことがあると思うんだけど、ちょっと待っててくれ。ちゃんと頭の中で纏めてから話すから」

 そしてその説明をするため大黒は刀岐の方に顔を向ける。

「いえいえ、あっしに対してそんな気遣いは無用ですよ。心配せずともここで起きたことを誰にも言う気はありませんし、どうしてそうなったのか聞く気もありません。だから事情も話さなくて結構です」
「え、マジで?」

 飄々とした刀岐の言い分に、大黒は呆気にとられる。

 それはもちろんありがたいことなのだが、あっさりし過ぎていて大黒は少し不安を募らせた。

「こっちとしても言えないことが多いから助かるけど、本当にいいのか? 何か裏があったりしない?」
「ありませんよ。人間生きていれば他人に言えないことの一つや二つくらい出てくるものですしねぇ。特にあっしら傭兵ってのは金だけで動く分、色んなことに使われやすい。その度依頼主の秘密を探るようにしてたら長生き出来ないんす」

 陰陽師の敵とは妖怪だけに限らない。

 権力争いや派閥争いも盛んな陰陽師界隈では、人間相手に傭兵が派遣されることもある。その過程で力を持った家の闇に触れる機会もままあるので、それを漏らさないためにも傭兵には口の堅さが必要になる。

 好奇心猫を殺すとはよく言ったもので、下手に深入りした傭兵はすぐに命を落とすこととなる。

「なので旦那に何か聞くなんて野暮なことはしません。それに見た限り、同意の上ですし取り立てて騒ぐことでもないでしょう。無理やりだったとしてもそこは旦那の性癖という事で納得します」
「その場合は納得しないで追及してくれよ。妹を式神にして興奮するなんて人としてヤバい奴なんだから」

 大らかすぎる刀岐に大黒は思わず突っ込む。

 大黒は刀岐の事を陰陽師にしてはまともな感性をしてると思っていたのだが、その認識を修正せざるを得なくなっていた。

「……何にせよありがとな。昨日や今日の諸々、あんたがいなかったらどうにもならなかった。その上秘密まで守ってくれるなんて、恩を返すのに苦労しそうだ」
「恩なんて感じなくてもいいんですけどねぇ。むしろあっしが助けて貰った恩を返してる立場ですし。それに酒呑童子の討伐報酬もあっしが全部貰っちまいやしたし、十分すぎるほどですよ」
「それだって俺の都合な訳だしなぁ……。まあ刀岐がそれで良いなら良いんだけど」

 二人の間で着地点が決まり、一瞬もう解散しようかという空気が流れたが、大黒が帰宅を提案する前に純が大黒の傍に近寄ってきた。

「お話は終わりましたか?」
「ん? ああ、待たせて悪かったな」
「いえ、終わったのなら私からも刀岐さんに一言」

 純はそう言うと刀岐に向かって深く頭を下げた。

「えーと……、どうしたんですかい。頭を下げられるような覚えは無いんですが」

 急に頭を下げられた刀岐はぽりぽりと頬を掻いて、純に真意を尋ねる。

「刀岐さんに無くとも私には覚えがあります。……申し訳ありませんでした。兄さんの恩人であるという貴方に向かって、私は殺すつもりで刃を振るっていました。そのことをここに深くお詫び申し上げます。私などに出来ることは限られていますが、お詫びの品として可能な範囲で刀岐さんが望むものをご用意いたします。何なりとお申し付けください」

 鈴の鳴るような声で紡がれるのは、刀岐に対する謝罪だった。


 純の中には、明確に定められた優先順位というものがある。

 まずは第一に兄である大黒真、次に自分、その次に兄の関係者、直属の従者、友人と続いて最後はそれら以外の人間。

 そして純が敬意を払うと決めている人間は、兄と兄の関係者だけである。それより下の人間には殺意を向けても思うことなど何もないが、兄と兄の関係者に殺意を持ってあたるなど純にとっては到底ありえないことだった。

 今回は兄を助けるというやむを得ない事情があったとはいえ、何かしらの詫びを入れないと純の気は収まらない。

 しかしそんな純の内心を刀岐が知るはずも無く、刀岐は頭を下げ続ける純を見て困ったような顔をするだけだった。

「兄妹揃って気負いすぎじゃあないですかねぇ……。傭兵に限らず陰陽師にとって命の奪い合いは日常茶飯事でしょうに」
「それは相手によります。貴方に刃を向けることは私にとって矜持に反することでした。勝手な言い分ではありますが、けじめをつけないと私の気が晴れないのです」
「うーん……」

 引き下がる気配の無い純に刀岐は唸り声を上げる。

 助け舟を求めて大黒を見ても、大黒はどうしようもないとジェスチャーするだけだった。

「じゃあ……、そうですね。これから傭兵が必要な時は、優先的に仕事を回してもらうとかでどうでしょう。あっしも金が必要でしてねぇ、稼げるうちに稼いでおきたいんす」

 そして悩んだ刀岐が提案したのは仕事の斡旋だった。

 刀岐レベルにもなると依頼はひっきりなしに来るのだが一つでも多くの依頼先が欲しいのも事実で、そこに嘘は無かった。

 純もそれを感じ取り、刀岐の言葉を素直に受け取った。

「分かりました。それではこの先、依頼は全て刀岐さんに。依頼料も高額に設定するよう約束いたします」
「それは嬉しいですね。でも貰い過ぎても問題が発生しかねないので程々でお願いします」

 刀岐はそれだけ言うと、話を打ち切るように大黒たちに背を向けた。

「話は終わりですねぃ。これ以上兄妹の時間を邪魔するのも本意ではないですし、あっしはお暇させていただきます」

 そのまま公園の出口へと向かう刀岐に大黒は慌てて声をかける。

「あ、ありがとな! また会えるかは分かんねぇけど、もし会ったらその時はよろしく!」

 大黒の別れの言葉に刀岐は片手を上げることで答えて公園を出て行った。

 純はそれでもまだ頭を下げ続けていて、刀岐の姿が完全に見えなくなったところで大黒は純の頭に手を置いた。



「ほら、いつまでそうしてるつもりだ。俺達もそろそろ帰るぞ」
「……はい」

 純は頭を上げると、大黒と戦うために用意した道具を回収しに向かった。

 大黒も純について行き、後ろから純に話しかける。

「で、お前はこれからどうすんの? 大黒家に直帰?」
「いえ、まだあの女狐に言ってやりたいことが沢山ありますから、帰る前に兄さんの家によらせてもらいます」
「あー……、じゃあその前にやっとくか」

 大黒はポケットの中から式神契約に使用した契約書を取り出し、そこに霊力を込め始めた。

「大黒純、これよりお前には九尾の狐であるハクに悪意のある行動を取ることを禁ずる。……こんな感じで良かったんだっけ」

 契約書に霊力を込めながら、命じたい内容を口に出す。

 式神に対する命令はそれだけで絶大な効果を発揮する。実際は、命令を増やせば増やすほど式神も陰陽師も動きが取りづらくなるため、契約書を通じての命令をする機会はそれほどない。

 しかしこのためだけに純と契約を交わした大黒にとって、これは今の内にやっておかなければならない儀式の一つだった。

「それだけでいいんですか? もっと性的な命令を追加してもいいんですよ?」
「誰がするか。妹だぞ、妹」

 純は荷物を回収しながら自らの願望を口に出すが、大黒はにべもない。

 つれない兄に対し、純は口を曲げて抗議の意を示す。


「あまり表沙汰にしないだけで、近親相姦なんて陰陽師の世界では皆やってるじゃないですか。それに私たちは義理なんですから深く考える必要も無いんですよ?」
「俺はもう陰陽師じゃないんだよ。陰陽師のスキルを持ってるただの一般人。お前は知らないのかもしれないけど、現代日本じゃ近親相姦は普通にアウトだ」
「私だってそれぐらい知ってます。知っていながら提案してるんです」
「余計駄目じゃねぇか」

 倫理観がズレていることをどこか誇らしげに言う純に、大黒は嘆息する。

 陰陽師としても一般人としても普通ではない妹を見て、更生プログラムを考え始めた大黒だったが、考えがまとまる前に純が帰宅の準備を終わらせて立ち上がった。

「お待たせしました。それでは兄さんの家に参りましょう!」
「了解」

 そして二人で他愛のない話をしながら、大黒の家へと歩を進めていく。


 数分後、二人は無事に大黒の自宅に着いたのだが、そこにハクの姿は無かった。
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