九尾の狐、監禁しました

八神響

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一章 大黒家争乱編

十一話

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「ありがとうございます旦那。なんとか間に合いましたぜ」

 その声に大黒も振り返ると、刀岐の前に五十枚にも及ぶ札が、それぞれ緑、赤、茶、金、青の色を放って、円を描いていた。

 符術は力を循環させればさせるほど力を増していく。しかし循環させる札を増やせば増やす程、それに応じた霊力の量と緻密なコントロールが必要になってくる。

 普通の陰陽師なら精々十枚が限界。大黒も今まで様々な陰陽師の符術を見てきたが、その最大数は二十枚程度だった。

 それを優に超えて五十枚、しかも札をめぐる霊力に一切の乱れが無い。

 その芸術的な光景に言葉を失った大黒だったが、今の状況を思い出し、すぐにその場から離れた。

 大黒が離れたのを見て刀岐は術を発動する最終段階に入った。

「火行符、浄火槍じょうかそう

 刀岐が投げた火行符が円の前方で止まり、循環していた霊力がそこに流れ込む。

 次々と形を変えていた霊力は最後に火行符を通ることで姿が完全に固定された。

 呪文とは術者が術を発動する時に、術のイメージを強固にするために唱えられるもの。

 酒呑童子を倒すために刀岐がイメージしたのは炎の槍。

 全てを貫き、それが通った後には影さえ残らない巨大な槍。

 呪文とともに放たれた槍は酒呑童子を正確に捉え、その体を蹂躙する。

「ぐ、ぐ、ぐ、が、ああああぁぁー!!」

 酒呑童子は自分に向かって走ってくる槍に抗おうとしたが、受け止めきれず、為す術もないままに体を貫かれた。

「すっげぇ……」 

 圧倒的な力を前に、大黒はそう呟くことしか出来なかった。

(あれの余波でそこら辺の石は溶けてるし、心なしか川の水位まで下がってる気がする。刀岐一人だけで地球の温暖化に貢献しそうな勢いだな……)

 刀岐の術が周りに与えた影響を見て戦慄する大黒。

 頑張れば一人で軍隊と戦えそうだ、とも思いながら刀岐の様子を横目で確認する。

「はぁっ、はぁっ」

 あれだけの術を出した後だとさすがに消耗が激しいようで、刀岐は息を乱しながら膝をついていた。

 帰りは肩を貸した方が良いかと考えた大黒の耳に激しい息遣いがもう一つ。


「かっ、は……、ふっ、ふぅっ」
「まだ、生きて……!」

 その息遣いはもちろん酒呑童子から発されたもの。

 酒呑童子は術を真正面から受けながらもまだ自分の足でそこに立っていた。

「は、は、は、はははははははは!」

 刀岐と同じく息も絶え絶えだったはずの酒呑童子は、次第に様子が変わっていった。


 腹には穴が開き内臓がこぼれ、刀岐の術を受け止めようとした左手は消滅し、足はかろうじて胴体に繋がっている、そんな状態でも酒呑童子は笑ったのだ。

「死ぬ! このまま何もしなかったら俺は死ぬだろうっ! だが、ここまで俺を追い詰めたお前を食えば今までに無い力が手に入るっ、これはそのための代償だった!」

 酒呑童子は臓物をまき散らしながらも歓喜の叫びを上げ、高速で刀岐の目の前まで跳躍した。

 刀岐はまだ動けない。酒呑童子に食われるのを歯を食いしばって見てることしか出来ない。

(どうするっ!? 護符はもう無いし、俺の符術じゃあ酒呑童子を止めることは出来ない! だったら俺に出来ることは……!)

 大黒は頭を素早く回転させながらこの状況を打破する方法を考えた。

 自分の装備、酒呑童子の性格、酒呑童子との会話。

 どんなことでもいい、と頭を巡らせた結果そこに一筋の光明が見えた。

(また、賭けになるな……。まあ酒呑童子を相手にしてるんだ、綱渡りのギャンブルくらい何度もこなさないと勝てないよなっ!)

 それを思いつくと同時に大黒の体は駆け出しており、大黒は刀岐と酒呑童子の間に割って入ることに成功した。

 そして、大口を開けて今にも刀岐を食らおうとしていた酒呑童子の目を見て、大黒は自分の体を差し出すように、何も武器を持たずに腕を広げた。

「酒呑童子、お前を信じるよ」

 大黒が信じたのは酒呑童子の信条。一日一殺という酒呑童子が自身に課した掟の鎖。

 弱きものは生きるためなら自分の言葉などいくらでも覆すが、強きものはその強さゆえに自身の言葉に縛られる。

 この場面でも酒呑童子が自身の信条を守るかは分からなかったが、大黒はどこまでも真っすぐな戦い方をしてきた酒呑童子を信じて、賭けに出ることに決めた。

 酒呑童子の信条に則って考えると、ここで大黒を殺してしまったら刀岐を殺すことが出来なくなる。

 刀岐と酒呑童子、どちらも満身創痍ではあるが相手を殺してはいけないという制約が付いたら酒呑童子が刀岐に勝つ目は無くなる。仮に、大黒を食っていくらか体を回復したところでそれは変わらない。

 大黒の思惑通り、酒呑童子は目の前の状況にどう対応しようかと考え始め、一瞬体を硬直させてしまった。

 それは最強の傭兵、刀岐貞親の前では致命的な隙となる。

「旦那ぁ! しゃがんでくだせぇっ!」

 大黒は後ろから聞こえてきた声に反射的に従い、すぐさま身を屈める。

  頭上でヒュンっという風切り音が鳴り、大黒が顔を上げると、もう戦いは終わっていた。

「あ、首が……」

 大黒が顔を上げた先にある酒呑童子の体には首から上が無くなっていた。

 体への命令を下す脳と繋がりが切れたことにより、その体もどすん、と鈍い音を立てて地に伏す。 

「ふぅー……」

 刀岐はゆっくりと息を吐き、右手で振り抜いた刀を納刀する。

 居合切り。刀岐は最後の力を振り絞り、大黒がしゃがんだ瞬間に自身に出来る最速の攻撃で酒呑童子の首を斬り落とした。

 そうして動かなくなった酒呑童子の体を確認したことにより、大黒も全身から力が抜け、その場にへたり込んでしまった。

「や、やっと終わった。やっとこの夜を生き抜けた……」

 まだ信じられないといった顔で、大黒は現実を噛みしめるように言葉を吐き出した。

「終わりましたねぃ。さすがにあっしも死を覚悟しましたよ」

 刀岐の言葉を聞いて大黒が振り返ると、刀岐も地面に座り込んでいた。

「ほんとかよ。あんたならまだ何か奥の手とかあったんじゃないのか?」
「ご冗談を。もう霊力もすっからかんですし、旦那が間に入ってくれなけりゃあお陀仏でしたね」

 刀岐は朗らかに笑いながらそう言った後、顔から笑みを消し、拳を地面について大黒に向けて頭を下げた。

「旦那がいなけりゃ、酒呑童子の首を落とすことは出来ませんでした。あっしの急な要請にも応えてくれて酒呑童子討伐に協力してくれたこと、心より御礼申し上げます」
「い、いや、頭を上げてくれよ。そんなん言ったら俺の方があんたに助けられたんだ。こっちこそ……」

 刀岐の丁寧な礼にたじろぎながら、大黒も刀岐に礼を返そうとしたがその途中で何かが頭に引っかかり、言葉が止まる。

(首……、そういや酒呑童子の逸話では首がはねられた後どうなった? 確かその首は頼光に飛びかかって……)

 嫌な予感がして振り返ると、酒呑童子の首が大黒に噛みつこうとすんでの所まで迫ってきていた。

 首だけとなった酒呑童子に先ほどまでの思考能力は無い。首は闘争本能に従って、自身の敵を殺すためだけに、手近にいた大黒を襲おうとしている。

 そこに信条などが介在する余地は無い。

「ああっ、くそっ!」

 大黒は何よりも自分の命を守るため、咄嗟に左腕を突き出した。

 結果的にその判断は正しく、大黒は最小限の犠牲で窮地を脱することが出来た。

 酒呑童子の首は機械的に差し出された腕を噛みちぎった後、今度こそ完全に機能を停止し、体と共に消滅していった。

 残されたのは左腕を抑えてうずくまる大黒と、この展開を予想できなかった悔しさに歯噛みする刀岐。

「いってぇっ……!! 何だあの野郎っ、首だけになっても動きやがって……! か弱い人間の身にもなってみろってんだ!」

 左腕からとめどなく血を流しながら、痛みを誤魔化すために怒りをまき散らす大黒。

 その大黒の腕を、刀岐は応急処置として破った着物で止血している。

「すいやせんっ! ちゃんと止めを指しておけばこんなことには……! それに治癒符も持ち合わせがなくて……!」
「はぁっ……、はぁっ……、あんたのせいじゃない……、それより俺を家まで運んでくれないか……? 家に帰ったら、治癒、符もあるしな……」

 大黒は大黒の怪我に責任を負おうとする刀岐を制する。

 そして痛みと流血で頭を朦朧とさせながら刀岐に頼みごとをする。

 病院という選択肢は無い。妖怪や陰陽師に負わされた傷を治すのには、最初に傷口に残る相手の霊力を中和する作業が必要となる。そのため普通の病院に行っても適切な治療は受けられない。陰陽師専門の病院も存在するが、大黒たちが今いる場所からは遠すぎて、着くまでに失血死する可能性の方が高いだろう。

 そうなると選択肢は大黒の家に行って、大黒自身が怪我を治療する以外に無かった。

「分かりやした、場所を教えて貰っていいですか」

 刀岐は大黒の頼みを引き受け、すぐに実行に移る。

 刀岐の背におぶられながら、刀岐に住所を伝えて家に着くまでの間、大黒は強い精神力で意識を手放さないように持ちこたえていた。

 それもこれもハクの手を煩わせないためだった。気を失った状態で家に帰ったら、なんだかんだお人好しのハクは大黒を助けるために力を尽くすだろう。いや、その前に刀岐とハクが遭遇することにもなるだろうから、まずそこでひと悶着起こる可能性が高い。

 自分の勝手で外出しながら、ハクにそんな苦労をかけるのは大黒の本意ではない。

 この傷は自分で治療しないといけない、そんな思いから大黒は痛みを堪えて、意識を保っていた。

 時間にすると数分、しかし大黒にとっては気の遠くなるような時間が過ぎた後、刀岐は目的地に到着する。

「着きやした旦那、鍵はどちらに」

 大黒は返事をする余裕も無く、ポケットから鍵を取り出すと無言でオートロックのドアを開けた。

 刀岐はロビーに入ると、偶然一階に降りてきていたエレベーターに飛び乗り、上に上がる。

 そして大黒の家の前まで来ると、大黒を家に入れるために鍵を受け取ろうとする。

「だ、大丈、夫だ……。ここまで来た、ら後は自分で何とかする……」

 しかし、ハクと刀岐を会わせるわけにはいかない大黒は、刀岐の気遣いをやんわりと拒否する。

 刀岐はその理由を聞くことなく、

「分かりやした」

 とだけ言うと大黒のポケットに何やら紙を入れてその場を立ち去ろうとする。

「ズボンにあっしの名刺を入れときました。旦那の依頼なら無償で引き受けますのでいつでも連絡してください」

 大黒を玄関前に座らせた刀岐は別れ際にそんな言葉を残し、再びエレベーターに乗って階下へと降りて行った。

 刀岐が完全に去ったのを見送ってから大黒は壁を頼りにしながら立ち上がる。

(こんな形で傭兵のトップの連絡先を知れるなんてラッキーだな……)

 大黒はそんな事を考えながら、玄関の扉を開け、倒れこむような形で家の中に入った。

(ハクは恐らくいつも通りリビングか自室にいるはず。俺の姿を見られる前に部屋に行かないと)

 という大黒の予想は完全に外れることになる。


「あれ……、ハク……?」
「おかえりなさい。……酷い怪我をしていますね」

 ハクは玄関で正座をしながら大黒の帰りを待っていた。 

 ハクが大黒を見る目は険しく、それは大黒が無茶をしてきたことを怒っているようにも見えた。

 だが自分の怪我で一杯一杯な大黒はハクの視線に気づかない。

「かっこ、悪い……所見せ、ちまった、な。ハクの言う事、聞かなかった結果がこのざまだ……。でも、大丈夫だ、ハクに迷、惑はかけないから……」

 ハクに今の姿を見られてもなお、自分で治療しようと治癒符が置いてある自室に這っていこうとする大黒。 

 そんな自分を無視してその場からいなくなろうとする大黒を見て、ハクの怒りは臨界点に達した。

「ふんっ!」
「い、痛っ……、……?」

 頭に血が上ったハクは廊下を這いずる大黒をひっ捕らえると軽く頭突きをして、大黒の頭をそっと抱え込んだ。

 そして大黒を落ち着かせるために言葉を紡ぐ。

「迷惑? そんなものは一週間も前からずっとかけられ続けています。いいから貴方はそこで大人しく寝ていなさい。……大丈夫です、朝になったらいつものように私が起こしてあげますから」

 ハクの言葉が耳に響くたびに、大黒は張り詰めていた精神の糸が解かれていくのを感じた。

 自分でやらないと、ただでさえ普段から助けて貰ってる、そもそも忠告を聞き入れなかった自分が全部悪い。

 ハクの声は、大黒からそれらの葛藤を一つ一つ剥がしていく。

(もう……、いいのか、頑張らなくても……)

 とうとう全ての葛藤から解放され、大黒の意識はハクの優しさに包み込まれながら心地よい闇の中へと飲まれていった。
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