九尾の狐、監禁しました

八神響

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一章 大黒家争乱編

十話

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 音も無く酒呑童子の背後を取った人物は右手に持っていた刀を振り抜き、酒呑童子の背中に斜めに走る傷をつける。

「ってぇ!」

 痛みを口にし、酒呑童子は背後にいる人間に裏拳を繰り出そうと腕を振り回す。

 何者かはそれをひらりと躱すと、酒呑童子の脇をすり抜けて大黒の服を掴み、大黒ごと酒呑童子から距離をとった。

 大黒は急な展開に目を白黒させながらも、乱入者の実力に目を見張っていた。

(あの酒呑童子の皮膚に傷を付けたっ!)

 酒呑童子の力を利用しないことにはその体に一切の傷を付けることが出来なかった大黒、しかし乱入者は一太刀でそれを実現して見せた。

 それだけでも大黒は自分を酒呑童子から遠ざけてくれているこの人間が、自分とは隔絶した力を持っていることが理解できた。

 大黒は引き摺られながら、その人物の風貌を確認する。

 こんな場でなければ常に笑顔であろう柔和な顔つき、藍色の着物、腰には刀を納めていたであろう白鞘、それに草履。

 古い体質の人間が多い陰陽師でもここまで古式ゆかしい格好をしているのは珍しい。

 何故あえて戦いにくそうな服を着ているのだろうと大黒が不思議に思ったところで、乱入者は大黒からその手を放す。

 酒呑童子から十分に距離を取ったここでなら少しは話せると判断しての事だろう。

 そう考えた大黒は乱入者が何かを言う前に口早に話し出す。

「助けてくれたってことでいいんだよな? ありがとう。それから最低限の事だけ確認する、あんたの狙いは酒呑童子の首か?」

 人によっては無礼ともとられる大黒の物言いだが、緊急時だからか元からの性格か、乱入者は気にした様子もなく微笑を浮かべながら返事をする。

「ええ、ええ。その通りです旦那。無茶な依頼でしたが、協会直々の頼みじゃあ断ることも厳しくてですねぇ」

 その言葉から大黒は乱入者の立ち位置を推測する。

(依頼……ってことは、こいつは傭兵か)

 陰陽師には妖怪との接し方の違いから生じた二つの派閥がある。

 人に被害を及ぼす妖怪だけを退治し、それ以外の妖怪とは友好的に接しようとする共存派。

 全ての妖怪の存在を認めず、どんな小さい妖怪であろうと殺しにかかる排斥派。

 この二つの派閥は水と油であり、顔を合わして言葉を交わせば衝突するのは目に見えているため、互いに不可侵という暗黙の了解がある。

 しかしその二つの派閥に属さず、金を積まれて依頼があった時だけ妖怪退治をする、陰陽師を完全に職業として捉えている者たちがいる。

 その者たちは傭兵と呼ばれていた。

「他に増援はいないのか」
「あっしは仕事は一人でする流儀でしてねぇ、ほら人が増えるとその数だけ取り分が減っちまうじゃないですか」
「道理だな」

 傭兵の中にはチームを組んで依頼を受ける者もいる。だが、実力のある者にとって他人は足手まといにしかならない上に人数分報酬も減ってしまう、とデメリットしかない。

 大黒は目の前の人物もそういう類の奴だろうと判断した。

 そして自分も足手まといの自覚はありながらも、酒呑童子が死んだ所を確認しないと安心できないと思い、共闘を提案しようとする。

「俺は事情があって酒呑童子の討伐に加わってたことも秘密にしておきたいし、金も要らない。だけど酒呑童子はここで確実に殺しておきたいんだ。そのために共同戦線を、っ!」
「なあ、そろそろ俺も混ぜてくれよ」

 だが途中で口を挟んできた存在がいたことにより、大黒は共闘について最後まで口にすることが叶わなかった。

 会話に入ってきたのは酒呑童子。何があっても対応できるだけの距離はとっていたはずなのに、酒呑童子はその距離を一歩で詰め、二人へと拳を振り下ろした。

「やばっ……!」

 どおっ!!!! と地面に突き刺さる拳。

 大黒は紙一重でそれを避けたが、飛んできた石礫にまでは対応することが出来ず、小さな傷をいくつか負いながらその場をゴロゴロと転がった。

 しかし乱入者は酒呑童子の拳を避けるだけでなく、そのまま攻撃に転じていた。

 大黒は転がりながらも二人の戦いを必死に目に映そうとする。

 乱入者は酒呑童子の胴を左薙ぎに切ろうとするが、酒呑童子は左腕で刀を防ぎ、乱入者を蹴り上げた。酒呑童子の腕に食い込んだ刀が簡単には抜けなかったためか、乱入者は刀から一旦手を放し、酒呑童子の蹴りを避ける。

 そのまま酒呑童子は乱入者に攻撃を続けるが、乱入者は酒呑童子の猛攻をかいくぐり、酒呑童子の顔へと札を投げつける。

「火行符」
「ぶっ、かはっ」

 呪文とともに発された術は、大黒が使ったそれの何十倍もの威力を持ち酒呑童子を怯ませた。

 乱入者はその隙に刀を掴み、刀身を滑らせて酒呑童子の腕から解放させた。そして酒呑童子の首を落とそうとするも、酒呑童子は角を使って刀を止める。

「ふっ!」

 角で刀と競り合っている酒呑童子はその状態のまま乱入者の首を掴もうと手を伸ばすが、乱入者はそれに気づくと角を軸にして宙へと舞い、凶腕から逃げおおせた。

 一瞬の間に何度も攻防が入れ替わる様を見て、大黒は開いた口が塞がらなくなっていた。

(酒呑童子と渡り合ってる……! あの体裁きといい、一枚の札であそこまで威力を発揮できることといい、並の陰陽師じゃないな……。いや、並じゃないどころか余裕でトップクラスの実力だ)

 大黒が渡り合っていると評した一番の要因は、酒呑童子の戦い方が自分の時とは全く違うところにあった。

 大黒の時は、大黒の攻撃の全てを受けながら戦っていた酒呑童子だったが、乱入者の攻撃に対しては回避行動を取っている。そうしなければ自分の命が危ういと肌で感じているのだろう。

(にしてもあいつどっかで見たことある気がするんだよなぁ。あんな印象的な格好一度見たら忘れないと思うんだけど……、って思い出した。あの着物にあの刀、確か最強の傭兵と謳われてる刀岐とき貞親さだちかじゃないか)

 その戦いぶりと服装を見て、大黒は乱入者の正体に思い当たる。

 刀岐貞親、二十歳の時に妖怪討伐数トップに躍り出た神童と呼ばれた男。

 高校を卒業してからすぐに傭兵の道に入り、実践の中で才能を磨き続け、たった二年でその頂点に立った逸材。

 大黒が中学生の時に傭兵のトップが刀岐に変わったことで、刀岐の実績と顔が大々的に発表された。大黒はその時のことをおぼろげながらも覚えていたのだ。

「どおりで強いわけだ……」

 陰陽師の中でも本当のトップが出てきたことにより、もはや自分が何かをする必要はないのでは、と大黒は気を緩めそうになった。

 しかし、

「は! は! は! は! いいなぁ! いいなぁ!! ここまで戦えるなんて人間じゃあ初めてだ!」
「くっ……!」

 互角に戦っていたはずの刀岐が酒呑童子に押され始めていた。

(おいおいマジかよ、あんたで勝てなきゃ誰がそいつに勝てるってんだ。……ん? あいつの体、なんか……)

 大黒はもう一度気を引き締め、二人の戦いを注視する。

 すると、戦況だけでなく別のものも変化していることに気付いた。

 いつの間にか酒呑童子の体が赤く変色していたのだ。それだけじゃない、体格も一回り大きくなっており、攻撃の力強さや速さも増していた。

 刀岐は変貌を遂げた酒呑童子の攻撃をなんとかいなしているが、それも長くは保たないことは刀岐の後ろで戦いを見ているだけの大黒でも分かることだった。

 そうなるともう大黒も外野のままではいられない。

(……タイミングを合わせろ。チャンスを逃さないようにしっかり見て、…………今っ!)

 大黒は酒呑童子が攻撃のため足を踏み込もうとした時を狙って、その足元に護符を投げた。

「生成!」
「うぉっ!?」

 足元に急に結界が出てきたことにより酒呑童子は体のバランスを崩してしまった。

 刀岐もその隙を見逃さず、何が起こったのか理解するより早く酒呑童子に向けて術を発動する。

「木行符!」

 刀岐が取り出した札から酒呑童子に向かって大きな樹木が走り、酒呑童子の体を拘束する。

 そこから攻撃に移るかと思ったが、酒呑童子に背を向けて大黒の方へと走ってきた。

「すいやせん、ちょっと付いてきてもらっていいですかい」

 そう言いながら刀岐は大黒の隣を通過していく。

 大黒もそれを追いかけて刀岐と並走しながら、行動の理由を問う。

「どうしたんだ」
「いえね。情けない話、酒呑童子の力が予想以上のものでして。今のままではあの相手にとどめを刺すのは難しいと感じてるんですよ」
「ああ、なんか赤くなってから余計に強くなってるよな」
「そうなんす、それにあの体になってから傷が回復してるんすよね」

 刀岐に大黒が気づいていなかった事実を告げられ、大黒はファックと叫びそうになった。

「うっそだろ、反則じゃねぇかそんなん」
「ちょっと酒呑童子舐めてましたよねぇ。まさかあれほどとは。ですがね、旦那がつけたであろう腕の傷、あれはまだ回復してないんすよ。つまり、」
「大きな損傷はすぐには回復しない?」

 意図を察した大黒に刀岐は深く頷く。

「ええ。そこで酒呑童子にあれだけの傷を負わせた旦那を見込んでお願いがあるんです。あっしも一応大技と呼べる術は使えるんですが、いかんせん発動までに時間がかかっちまう類のものなんです」
「分かったよ、俺の仕事は時間稼ぎだな。何分稼げばいい、あまり長くは保たないぞ」
「話が早くて助かります。そうですねぇ……出来れば三分、三分時間を稼いでもらえれば何とか準備ができます」

 大黒と遊んでいた時とは違い、今の酒呑童子はその力を十全に発揮している。そんな本気の酒呑童子相手に三分の時間を稼ぐのは限りなく不可能に近い。ましてや大黒は体も装備もすでにぼろぼろの状態だ。それでも、大黒は刀岐の提案に迷わず答えた。

「三分か、分かった。何とかしてみる」
「頼んます」
「ただ、俺からも一つ頼みがある。術の準備は川の向こう岸でやってくれないか?」
「お安い御用で」

 刀岐も大黒の頼みに疑問を挟まずその頼みを快諾して、来た時と同様に川の向こう側まで一足で移動した。

(さすが傭兵ナンバー1、打開策を思いつく冷静さもそれを実行できるだけの技量も、会ったばっかの俺を信用する度胸も持ち合わせてる。最悪、俺がどうにも出来なかった時の次善策も用意してるんだろうな。ナンバー1のナンバー1足る所以が垣間見える、見習いたいもんだ)

 大黒は刀岐に尊敬の念を抱きながら、刀岐が術の準備をしている岸に向かうため、少しの細工をしてから川の中を横断する。

 ちらりと後ろを振り向くと、いつの間にか拘束から抜け出していた酒呑童子が自分と同じところからバシャバシャと音を立てながら川に入ってきているのが見えた。

 そして岸と岸のちょうど中間あたりで足を止め、酒呑童子と相対する。

 大黒が止まったのを見て、酒呑童子が先に話し出した。

「鬼ごっこはもう終わりか?」
「お前に追いかけられるのはもはや『ごっこ』じゃねぇだろ」
「は、違いない」

 笑いながら話しているが、二人の間にはとてつもない緊張感が走っている。

「俺の後ろで術の準備してるのには気づいてんだろ。なんで攻撃してこないんだ?」
「どうせお前が阻んでくるからな、その前に少し話しときたかっただけだ。お前もずいぶん楽しませてくれたからな」
「じゃあ後五分くらい話に付き合ってくれよ」
「は、は。そりゃあ駄目だな、俺もそろそろ我慢の限界、だっ!」

 言うや否や酒呑童子は大黒に突っ込んで来ようとした。

 しかし、それよりも早く大黒は動いた。

「解除!」
「っ!?」

 地面が突如消失したことにより酒呑童子は川の中へと沈んでいく。

 本来、ここの川の水深は五メートルある。そこまでの深さがあるならば大黒も酒呑童子も歩いて川を渡ることなどできない。

 では、二人は何の上に立っていたかと言うと大黒が地面に偽装した結界である。

 昼間ならそんな偽装はすぐに見破られていただろうが、大黒が結界に石に似せた凹凸を作っていたことと暗さで川の中が見えづらくなっていたこととが相まって酒呑童子は偽物の地面に気付くことが出来なかった。

 だがそれでも五メートル、酒呑童子はすぐに川底へと足がつき、地面を蹴って上に上がろうとするが大黒がそれを許さない。

「生成っ」

 大黒は自分の足元にだけ作っていた小さな結界を蹴って刀岐がいる岸へと飛び移った後、水面に結界を張り酒呑童子が中から出てこられないようにした。

 この罠のために使った護符は合計八枚。とうとう大黒は得意の護符を使い切ってしまい、今作った結界が破られると打つ手がなくなる。

「…………っ!」

 そのため水の中の酒呑童子が結界に頭突きをする度に結界が壊れそうになるが、次の手が無い大黒は死ぬ気で結界を維持する。

(まだ多分二分くらい……! ちょっと刀岐の方見る余裕も無いから分かんねぇけど術は完成してない気がする……! でもそろそろ限界が近いっ!)

 水の抵抗のおかげで地上ほどの威力は無いが、既に十回は攻撃を受けている。後二、三回も続けば結界は跡形も無く破壊されるだろう。

 大黒はそう判断したが、それは実に甘いものだった。

 中々結界が破壊出来ないことに業を煮やした酒呑童子は、確実に次の一撃で壊すために全身に今まで以上の力を入れ、水底がめくれ上がるくらいの勢いを持って結界に衝突した。

 すでにダメージが蓄積されていた結界は酒呑童子の突進に耐えきれず、パリィィィィンと音を立てて砕け散った。

「くっそ! もう壊されたか!」

 大黒は悔しげな声を出して、それでも諦めず時間を稼ごうと残りの札と折れた木刀を岸に降り立った酒呑童子に向けて構える。

「あん?」

 大黒は決死の覚悟で酒呑童子を迎え撃とうとしたのだが、酒呑童子は大黒には目もくれず、大黒の後方を見ていた。
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