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一章 大黒家争乱編
八話
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大黒のマンションからスーパーに続く道は二つある。
多少時間はかかるが人通りの多い道と近道ではあるが薄暗く人通りが少ない道。大黒は普段から気分次第でどちらの道から行くのかを変えている。そして今回大黒が選んだのは、
(災いが降りかかるといっても事故か事件か、はたまた妖怪に絡まれるか色んな可能性があるからなぁ……。いや、家を出ないのが一番なんだろうけど。まあ、とりあえず早く帰れるように近い方から行くか)
そしてマンションから降りると路地に入り、真っすぐスーパーを目指そうとした。
だが、路地に入って数メートルと歩かない所で闇夜に浮かぶ二つの赤い点を見つけその足を止めた。
(あ、これダメなやつだ)
大黒は身の危険を感じ、来た道を引き返そうとしたがどういうことか体が動かない。
目が合った事により、足が竦んでしまっているのだ。
大黒が動けないでいる間に、赤い瞳の持ち主はゆっくりとこちらに歩を進め、大黒の目の前にまで近づいてきた所で月明かりがその姿を照らし出す。
「よお、お前。俺が見えてるな」
(鬼、か)
大黒は凄惨に笑って見下ろしてくる相手から目を逸らさず、その場に無言で立ち尽くす。
二メートルを超す巨躯、人間ではありえないような筋肉の膨らみ、見るもの全てを射殺してしまいそうな赤い瞳、何よりも、額から生えている二本の角。
誰が見ても『鬼』と判断する相手を前に、大黒は頬をひくつかせてコミュニケーションを試みてみた。
「見えてるなぁ、見えちまってるよ。なぁ、こんなところで立ち話もなんだしもっと人が少ないとこに行かないか?」
「は、は、は。見た目と違って案外肝が据わってやがる。いいぜ、案内してくれよ」
鬼は笑いながら、大黒の誘いに無警戒ともいえる軽さで乗ってきた。
そのまま、大黒が先導して一人と一体で近くの河川敷へと向かう。
(交渉も無しについてきたがそれが逆に怖いな。無秩序に暴れまわるタイプじゃなかったことは幸いだが、この余裕と凄まじい威圧感……、俺よりも圧倒的に強いことは間違いない)
背後への警戒は怠らず、大黒は相手の性格と力量について分析する。
「さぞ名のある大妖怪とお見受けするが、名前を聞いても?」
大黒は事を少しでも有利に運ぶため、相手の情報を得ようと話しかけた。だがその正体を知った時、聞かなければよかったと後悔することになる。
「まあ有名っちゃ有名だな。お前も陰陽師みてぇだから知ってるだろうよ。俺の名前は酒呑童子、京を脅かせた鬼の頭領だ」
(酒呑……っ!)
酒呑童子。
平安時代の京において人を喰う等の悪行を働いた後、山伏に扮した源頼光率いる頼光四天王により毒酒を飲まされ、毒が体にまわっている内に首を切られたという逸話を持つ。
玉藻の前、崇徳天皇と並び日本三大悪妖怪の一体として数えられることもあるほどの有名な妖怪である。
大黒は相手の予想外の正体に戦慄し、出かける前に用意した武装を頭の中で確認する。
(持ってきたのは火行符五枚に木行符三枚に水行符四枚、それに護符二十五枚とハクが力注いでくれた木刀。くそっ! こんなんで勝てるかっ! 準備万全だったとしても勝てないけどっ! ハクの言う事聞いて家から出なきゃ良かったなぁ……。いや、でもまさかこんな所で酒呑童子に会うとか思って無かったし)
大黒とてハクの予言を信じていなかったわけではない。信じていたからこそ、普通の買い物に行くだけなら必要のないくらい過剰に札を携帯してきた。
しかし、対峙しているのは酒呑童子。ハクの前身、玉藻の前と並び称されることもある大妖怪。最強の鬼と呼ばれることもある存在である。雑多な妖怪とは比べ物にならない力を持ち、名将と名高い頼光らも真正面からは戦わなかった。
そんな妖怪に対し、今の大黒の装備で勝てる確率は限りなく零に近い。
それではどうするかと考え終わる前に目的の河川敷へと着いてしまった。
とりあえずといった形で大黒は護符を一枚使って人避けの結界を周囲に張り、時間稼ぎのために再び会話を始めることにした。
「酒呑童子か、えらくビッグネームな妖怪だ。一生お目にかかる事なんてないと思ってたよ。まさか今の時代に転生してきてたとは。転生したのは最近か? 何年か前には酒呑童子が転生したなんて噂聞いたこともなかったし……」
「あー? ああ。確かに俺が転生したのはほんの二年くらい前だからな、至極最近だ」
大黒は苦し紛れに話しかけたのだが、意外にも酒呑童子は対話に応じてくれた。
そうして、ほんの少し時間が稼げそうなことに大黒は安堵する。しかし一切気は抜けない、なにせ相手は鬼。いつ気が変わってこちらに襲い掛かってくるか分からない。
(二年前か……、俺がもう陰陽師とは関係を断ってた時期だな。知らないわけだ、ハクと違って特に隠れる気なんて無さそうなこいつが転生したら一瞬で話が回るだろうし。ていうか二年もあったなら退治しとけよ、あの連中)
大黒は心の中で陰陽師たちに毒づきながら、酒呑童子との会話を続ける。
「一応聞いときたいんだが、あんたって転生してからも暴れまわってんのか?」
「はっ、昔ほどじゃない。今は喰ってもまずそうな人間ばかりだからなぁ。喰うのも美味そうな人間か陰陽師を一日一人、減らしすぎたらすぐ喰う奴がいなくなっちまう」
酒呑童子は残念そうに肩を竦めながら言う。
「良心的だな、じゃあ無駄な殺しもしないって事か?」
「ああ、そうだ。陰陽師に囲まれても一番強いやつだけ喰って、後は逃がしてやってる。いずれ力を蓄えてもっと美味くなるかもしれないしな。昔では考えられないくらい丸くなったもんだぜ、俺も」
酒呑童子から想像していたのと全く違う言葉ばかりが飛び出してくることに、大黒は驚きを隠せず目を丸くしていた。
大黒は酒呑童子という鬼に対して粗野で横暴なイメージを持っていたのだが、こうして話している限りはそんなことはなく、むしろ理性的にすら感じられた。
これならもしかして交渉でこの場を切り抜けることも出来るのではないかと思い、大黒は勝負に出てみることにした。
「そりゃあいい。酒呑童子、っていうか鬼に対する印象が百八十度変わっちまいそうだ」
「俺は喰うって事に関しては平安の時に満足してるからなぁ。今はそれより面白く闘うことの方が大事ってだけだ。他の鬼は食欲の権化みたいな奴ばっかだからこうもいかねぇだろうぜ」
「そういうもんなのか。……で、さ、物は頼みなんだけど、俺も見逃してくれないか? 面白い戦いをしたいってんなら俺じゃ力不足にも程がある。まだ今日が終わるまでも時間があるし、今からそこら辺を散策した方がよっぽどあんたの興味を惹く奴がいると思うんだよ」
大黒はへらへらしながら自分の身を守るための言葉を捲し立てる。
顔は笑っているが、限りなく本気の発言だ。大黒にとって、妖怪とは必ずしも滅さなければならないものではない。他の妖怪や人間に大きな被害をもたらすものなら可能な範囲で滅する努力もするが、節度を守っているものはその限りではない。
一日一殺、一日一膳。その程度なら相手が酒呑童子でなくとも放置する。自分や自分に近しい者を襲ってこなければ、だが。
人間が妖怪に食べられるのも食物連鎖の一環として考えているし、自分に関係の無いものなら殺されたとしても心が痛まない。それが大黒真の妖怪退治のスタンスだった。
「は! は! は!」
そんな大黒の言葉を聞き、酒呑童子は呵々大笑する。
「命乞いか、嫌いじゃないぜそういう生き汚いやつも。分かった、見逃してやるよ。ただ、一つ条件がある」
妖怪であろうと人間であろうと簡単な口約束は破られる危険性の方が高い。
しかしこの酒呑童子、自らの信念として鬼神に横道無し、と言ったという話がある。その時の性根が変わっていないのであれば、約束を交わしておいて後ろから不意打ちするなどの卑怯な真似はしないだろうと思い、大黒は酒呑童子の条件を聞くことに決めた。
「分かった、言ってくれ」
酒呑童子は大黒の言葉に満足そうに頷く。そして大黒が持っている竹刀袋を指差しながら、
「お前が肩に掛けてるその袋。その袋の中からよーく知ってる奴の気配がするんだよなぁ。なあ、そいつの所に案内してくれよ。居場所知ってるんだろ? 俺は凄くそいつに会いたいんだ、古い知り合いでよぉ。そいつに会わせてくれたら今日だけじゃねぇ、これから街中でお前を見かけても、しばらくは放っておいてやる」
そこで酒呑童子はグイッと顔を近づけ、大黒の瞳をのぞき込む。
「嬉しいぜ、転生したとは聞いてたがこんなに早く手がかり会えるなんてな。あいつが本気で身を隠したら見つけるのは至難の業だからなぁ」
至近距離から目を見られても大黒は微動だにせず、酒呑童子の言葉を聞いていた。
酒呑童子は明らかにハクの事を言っている。九尾の狐の居場所について知りたがっている。成程、確かに酒呑童子と玉藻の前は同じような時代を生きた妖怪だ。お互いに顔を知っていても不思議ではないし、木刀に込められた霊力からその存在を感じるのも可能だろう。
問題は酒呑童子がハクに会いたいという理由である。酒呑童子は古い知り合いと言うが、そんな良好な関係を築いていないことは明白だ。ハクの話と酒呑童子の話を総合するに、酒呑童子は九尾の狐と戦うために居場所を知りたがっているのだろう。
そんな酒呑童子の提案を聞き、大黒は一瞬悩んだ。
ハクの所に連れていくかどうかではなく、居場所など知らないと嘘をつくかどうか悩んだ。
しかし酒呑童子に嘘は通用しそうにない。こちらの瞳がほんの少しでも揺らいだら即座に襲ってくるだろう。いやたとえ通じたとしても、こいつは九尾の狐を狙っている。
それだけで、大黒の戦う理由としては十分だった。
「……ふぅっ!」
大黒は至近距離にあった酒呑童子の顎を蹴り上げ、すぐさま距離をとった。
蹴りは直撃したのだが、酒呑童子は少し仰け反っただけで大したダメージは見られない。
そうして、仰け反った姿勢のまま酒呑童子は口を開く。
「こりゃあ……、交渉決裂ってことでいいんだな」
大黒は酒呑童子の一挙手一投足に目を配りながら、木刀を構え戦闘態勢をとる。
「せっかく譲歩してくれたところ悪いがそれだけは聞けないんだ、それは俺の生きる意味そのものだからな」
覚悟を決めた大黒の宣言に酒呑童子は再び笑う。
「は、は、は。いいぜぇ、いい。さっきよりもずっと美味そうだ!」
そこでようやく酒呑童子は蹴り上げられた顔を元に戻し、大黒の方を見る。
爛々と光る目、横いっぱいに広げられた口、握りしめられた拳。
大黒に遅れて、酒呑童子も本格的な戦闘態勢になる。
(あーあー、凄いプレッシャーだ。間違いなく今まで遭ってきた妖怪や陰陽師の中で一番強いなこれ)
酒呑童子の迫力に絶望しながらも、退くという選択肢は出てこない。
(それでもやらなきゃな……、惚れた女を守れずに生き延びることに意味なんかない。どれだけ力の差があろうと、俺はここでこいつを殺す!)
対酒呑童子。大黒真の命を賭した大勝負が開幕した。
多少時間はかかるが人通りの多い道と近道ではあるが薄暗く人通りが少ない道。大黒は普段から気分次第でどちらの道から行くのかを変えている。そして今回大黒が選んだのは、
(災いが降りかかるといっても事故か事件か、はたまた妖怪に絡まれるか色んな可能性があるからなぁ……。いや、家を出ないのが一番なんだろうけど。まあ、とりあえず早く帰れるように近い方から行くか)
そしてマンションから降りると路地に入り、真っすぐスーパーを目指そうとした。
だが、路地に入って数メートルと歩かない所で闇夜に浮かぶ二つの赤い点を見つけその足を止めた。
(あ、これダメなやつだ)
大黒は身の危険を感じ、来た道を引き返そうとしたがどういうことか体が動かない。
目が合った事により、足が竦んでしまっているのだ。
大黒が動けないでいる間に、赤い瞳の持ち主はゆっくりとこちらに歩を進め、大黒の目の前にまで近づいてきた所で月明かりがその姿を照らし出す。
「よお、お前。俺が見えてるな」
(鬼、か)
大黒は凄惨に笑って見下ろしてくる相手から目を逸らさず、その場に無言で立ち尽くす。
二メートルを超す巨躯、人間ではありえないような筋肉の膨らみ、見るもの全てを射殺してしまいそうな赤い瞳、何よりも、額から生えている二本の角。
誰が見ても『鬼』と判断する相手を前に、大黒は頬をひくつかせてコミュニケーションを試みてみた。
「見えてるなぁ、見えちまってるよ。なぁ、こんなところで立ち話もなんだしもっと人が少ないとこに行かないか?」
「は、は、は。見た目と違って案外肝が据わってやがる。いいぜ、案内してくれよ」
鬼は笑いながら、大黒の誘いに無警戒ともいえる軽さで乗ってきた。
そのまま、大黒が先導して一人と一体で近くの河川敷へと向かう。
(交渉も無しについてきたがそれが逆に怖いな。無秩序に暴れまわるタイプじゃなかったことは幸いだが、この余裕と凄まじい威圧感……、俺よりも圧倒的に強いことは間違いない)
背後への警戒は怠らず、大黒は相手の性格と力量について分析する。
「さぞ名のある大妖怪とお見受けするが、名前を聞いても?」
大黒は事を少しでも有利に運ぶため、相手の情報を得ようと話しかけた。だがその正体を知った時、聞かなければよかったと後悔することになる。
「まあ有名っちゃ有名だな。お前も陰陽師みてぇだから知ってるだろうよ。俺の名前は酒呑童子、京を脅かせた鬼の頭領だ」
(酒呑……っ!)
酒呑童子。
平安時代の京において人を喰う等の悪行を働いた後、山伏に扮した源頼光率いる頼光四天王により毒酒を飲まされ、毒が体にまわっている内に首を切られたという逸話を持つ。
玉藻の前、崇徳天皇と並び日本三大悪妖怪の一体として数えられることもあるほどの有名な妖怪である。
大黒は相手の予想外の正体に戦慄し、出かける前に用意した武装を頭の中で確認する。
(持ってきたのは火行符五枚に木行符三枚に水行符四枚、それに護符二十五枚とハクが力注いでくれた木刀。くそっ! こんなんで勝てるかっ! 準備万全だったとしても勝てないけどっ! ハクの言う事聞いて家から出なきゃ良かったなぁ……。いや、でもまさかこんな所で酒呑童子に会うとか思って無かったし)
大黒とてハクの予言を信じていなかったわけではない。信じていたからこそ、普通の買い物に行くだけなら必要のないくらい過剰に札を携帯してきた。
しかし、対峙しているのは酒呑童子。ハクの前身、玉藻の前と並び称されることもある大妖怪。最強の鬼と呼ばれることもある存在である。雑多な妖怪とは比べ物にならない力を持ち、名将と名高い頼光らも真正面からは戦わなかった。
そんな妖怪に対し、今の大黒の装備で勝てる確率は限りなく零に近い。
それではどうするかと考え終わる前に目的の河川敷へと着いてしまった。
とりあえずといった形で大黒は護符を一枚使って人避けの結界を周囲に張り、時間稼ぎのために再び会話を始めることにした。
「酒呑童子か、えらくビッグネームな妖怪だ。一生お目にかかる事なんてないと思ってたよ。まさか今の時代に転生してきてたとは。転生したのは最近か? 何年か前には酒呑童子が転生したなんて噂聞いたこともなかったし……」
「あー? ああ。確かに俺が転生したのはほんの二年くらい前だからな、至極最近だ」
大黒は苦し紛れに話しかけたのだが、意外にも酒呑童子は対話に応じてくれた。
そうして、ほんの少し時間が稼げそうなことに大黒は安堵する。しかし一切気は抜けない、なにせ相手は鬼。いつ気が変わってこちらに襲い掛かってくるか分からない。
(二年前か……、俺がもう陰陽師とは関係を断ってた時期だな。知らないわけだ、ハクと違って特に隠れる気なんて無さそうなこいつが転生したら一瞬で話が回るだろうし。ていうか二年もあったなら退治しとけよ、あの連中)
大黒は心の中で陰陽師たちに毒づきながら、酒呑童子との会話を続ける。
「一応聞いときたいんだが、あんたって転生してからも暴れまわってんのか?」
「はっ、昔ほどじゃない。今は喰ってもまずそうな人間ばかりだからなぁ。喰うのも美味そうな人間か陰陽師を一日一人、減らしすぎたらすぐ喰う奴がいなくなっちまう」
酒呑童子は残念そうに肩を竦めながら言う。
「良心的だな、じゃあ無駄な殺しもしないって事か?」
「ああ、そうだ。陰陽師に囲まれても一番強いやつだけ喰って、後は逃がしてやってる。いずれ力を蓄えてもっと美味くなるかもしれないしな。昔では考えられないくらい丸くなったもんだぜ、俺も」
酒呑童子から想像していたのと全く違う言葉ばかりが飛び出してくることに、大黒は驚きを隠せず目を丸くしていた。
大黒は酒呑童子という鬼に対して粗野で横暴なイメージを持っていたのだが、こうして話している限りはそんなことはなく、むしろ理性的にすら感じられた。
これならもしかして交渉でこの場を切り抜けることも出来るのではないかと思い、大黒は勝負に出てみることにした。
「そりゃあいい。酒呑童子、っていうか鬼に対する印象が百八十度変わっちまいそうだ」
「俺は喰うって事に関しては平安の時に満足してるからなぁ。今はそれより面白く闘うことの方が大事ってだけだ。他の鬼は食欲の権化みたいな奴ばっかだからこうもいかねぇだろうぜ」
「そういうもんなのか。……で、さ、物は頼みなんだけど、俺も見逃してくれないか? 面白い戦いをしたいってんなら俺じゃ力不足にも程がある。まだ今日が終わるまでも時間があるし、今からそこら辺を散策した方がよっぽどあんたの興味を惹く奴がいると思うんだよ」
大黒はへらへらしながら自分の身を守るための言葉を捲し立てる。
顔は笑っているが、限りなく本気の発言だ。大黒にとって、妖怪とは必ずしも滅さなければならないものではない。他の妖怪や人間に大きな被害をもたらすものなら可能な範囲で滅する努力もするが、節度を守っているものはその限りではない。
一日一殺、一日一膳。その程度なら相手が酒呑童子でなくとも放置する。自分や自分に近しい者を襲ってこなければ、だが。
人間が妖怪に食べられるのも食物連鎖の一環として考えているし、自分に関係の無いものなら殺されたとしても心が痛まない。それが大黒真の妖怪退治のスタンスだった。
「は! は! は!」
そんな大黒の言葉を聞き、酒呑童子は呵々大笑する。
「命乞いか、嫌いじゃないぜそういう生き汚いやつも。分かった、見逃してやるよ。ただ、一つ条件がある」
妖怪であろうと人間であろうと簡単な口約束は破られる危険性の方が高い。
しかしこの酒呑童子、自らの信念として鬼神に横道無し、と言ったという話がある。その時の性根が変わっていないのであれば、約束を交わしておいて後ろから不意打ちするなどの卑怯な真似はしないだろうと思い、大黒は酒呑童子の条件を聞くことに決めた。
「分かった、言ってくれ」
酒呑童子は大黒の言葉に満足そうに頷く。そして大黒が持っている竹刀袋を指差しながら、
「お前が肩に掛けてるその袋。その袋の中からよーく知ってる奴の気配がするんだよなぁ。なあ、そいつの所に案内してくれよ。居場所知ってるんだろ? 俺は凄くそいつに会いたいんだ、古い知り合いでよぉ。そいつに会わせてくれたら今日だけじゃねぇ、これから街中でお前を見かけても、しばらくは放っておいてやる」
そこで酒呑童子はグイッと顔を近づけ、大黒の瞳をのぞき込む。
「嬉しいぜ、転生したとは聞いてたがこんなに早く手がかり会えるなんてな。あいつが本気で身を隠したら見つけるのは至難の業だからなぁ」
至近距離から目を見られても大黒は微動だにせず、酒呑童子の言葉を聞いていた。
酒呑童子は明らかにハクの事を言っている。九尾の狐の居場所について知りたがっている。成程、確かに酒呑童子と玉藻の前は同じような時代を生きた妖怪だ。お互いに顔を知っていても不思議ではないし、木刀に込められた霊力からその存在を感じるのも可能だろう。
問題は酒呑童子がハクに会いたいという理由である。酒呑童子は古い知り合いと言うが、そんな良好な関係を築いていないことは明白だ。ハクの話と酒呑童子の話を総合するに、酒呑童子は九尾の狐と戦うために居場所を知りたがっているのだろう。
そんな酒呑童子の提案を聞き、大黒は一瞬悩んだ。
ハクの所に連れていくかどうかではなく、居場所など知らないと嘘をつくかどうか悩んだ。
しかし酒呑童子に嘘は通用しそうにない。こちらの瞳がほんの少しでも揺らいだら即座に襲ってくるだろう。いやたとえ通じたとしても、こいつは九尾の狐を狙っている。
それだけで、大黒の戦う理由としては十分だった。
「……ふぅっ!」
大黒は至近距離にあった酒呑童子の顎を蹴り上げ、すぐさま距離をとった。
蹴りは直撃したのだが、酒呑童子は少し仰け反っただけで大したダメージは見られない。
そうして、仰け反った姿勢のまま酒呑童子は口を開く。
「こりゃあ……、交渉決裂ってことでいいんだな」
大黒は酒呑童子の一挙手一投足に目を配りながら、木刀を構え戦闘態勢をとる。
「せっかく譲歩してくれたところ悪いがそれだけは聞けないんだ、それは俺の生きる意味そのものだからな」
覚悟を決めた大黒の宣言に酒呑童子は再び笑う。
「は、は、は。いいぜぇ、いい。さっきよりもずっと美味そうだ!」
そこでようやく酒呑童子は蹴り上げられた顔を元に戻し、大黒の方を見る。
爛々と光る目、横いっぱいに広げられた口、握りしめられた拳。
大黒に遅れて、酒呑童子も本格的な戦闘態勢になる。
(あーあー、凄いプレッシャーだ。間違いなく今まで遭ってきた妖怪や陰陽師の中で一番強いなこれ)
酒呑童子の迫力に絶望しながらも、退くという選択肢は出てこない。
(それでもやらなきゃな……、惚れた女を守れずに生き延びることに意味なんかない。どれだけ力の差があろうと、俺はここでこいつを殺す!)
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