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魔女を継ぐ者
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お日様ぽっかぽか。
少年マルセルは家の周囲を、あちこち駆け回っている。今日も探索活動に余念が無い。青々と茂る大きな木を、くるりと一周しようとしたその時。
ドカッ
何かにつまずいた。
「痛たた」
振り向くと、そこにはフワフワのスカートに包まれたお尻。何故か少女がうずくまっている。死角になっていて気付かなかったのだ。
「もーっ、痛いじゃんかマリエル! そんな所で何してんだよ」
二人は従姉弟同士。少女マリエルは今、居候としてマルセルの家に同居中だ。
「はわ? あわわ。マルセル。そんな所で何をしているのですか?」
同じことをそのまま聞き返していては世話がない。まん丸メガネの下で目をパチクリ。寝ぼけまなこだ。
「寝てたのかよ!」
やんちゃ坊主と、おっとり娘。そこに近づく新な人影。
「マリエル。また癒しの力を使ったね。完全にコントロール出来るようになるまで、無理に使うなと言っただろ」
「あ。母ちゃん!」
「サササ、サンドラさん」
現れたのはマルセルの母サンドラ。彼女は魔女である。魔女と言っても物語の悪役といった印象は無い。長い髪の美女で、背も高くスレンダーだ。タートルネックのノースリーブに、パンツ姿。外見だけでは魔女かどうか分からない。
少女マリエルはサンドラの姪である。夫の兄の娘だ。マリエルの両親が亡くなった為、引き取ったのだ。サンドラは彼女を実の子同然に育て、魔法も少しだが教えていた。
木の下にうずくまる少女の手は、何かを大切そうに包んでいた。サンドラは溜め息をつくと、その『何か』をそっと受け取る。
小鳥の雛だった。どうやら巣から落ちたらしい。怪我を負った雛を、マリエルは癒しの魔法で救ったのだ。魔法に慣れていない彼女は疲れて、そのまま眠ってしまったのだろう。
元気になった雛を木の上の巣に帰すと、サンドラは子供達に声を投げた。
「二人とも部屋でお茶にしよう」
部屋に入ると、もう一人の居候クラウス青年が居た。彼はサンドラの弟であり、マルセルの叔父である。そしてマルセルの学校の教師でもあった。ソファーで本を読みながら、ゆったりと紅茶を飲んでいる。
サンドラに話し掛けられたのは少女マリエルだった。
「はわわ、は、はい。あっ熱っ」
カップを慌てて置いた為、中の紅茶を少しこぼしてしまった。サンドラは構わず話を続ける。
「あんた医術を学びたいと言っていたね。もう十五だし頃合いだろう。隣街で私の兄が医師をしているのは知ってたね。まず彼の所へ行くといい。力になってくれるそうだ」
「えええ? は、はいっ! あ、有り難うございます!」
パッと明るくなったマリエルの表情。だが直ぐにクシャクシャの泣き顔になった。メガネが濡れる。
突如舞い降りて来た夢への切っ掛け。やがて訪れる旅立ちと別れ。喜び、期待、感謝、不安。色々な思いが、ごちゃ混ぜになって溢れた。
マリエルが部屋を辞した後。それまで珍しく黙りこくっていた少年マルセルが、不意に挙手した。
「はいっ、はいっ、はいっ!」
「マルセルうるさい。学校じゃ手なんか挙げないくせに」
「んべー! クラウスに用はないもん」
「クラウス先生だ!」
サンドラは無言で息子に話を促す。
「俺も! 俺も何処か行きたい!」
テーブルに両手をつき、ピョンピョンと跳び跳ねる。
「何処に? 何をしに行きたい?」
「何処でも良いんだ。俺、冒険がしたい! 世界一の冒険家になりたい!」
そこで母サンドラは笑い出した。美女の笑い声とは思えぬほど豪快な笑い。息子はキョトンとなる。何か可笑しなことを言っただろうか。横でクラウスが、ニッと笑う。
「やはり男の子……と言うか義兄さんの子ですね」
笑いを抑えてサンドラが語り出す。
「語ったな夢を。いいよ、何処にでも行けばいい。ただし、まだだ。十歳になったら良い冒険家を紹介してやるよ」
マルセルは、意外にもあっさり下りた承諾に戸惑う。そして気になる疑問はもう一つ。
「何で十歳なんだよ?」
「あんたの父さんが帰って来るからさ」
マルセルの父は冒険家である。世界中を旅して、帰って来るのは数年に一度。次に帰って来る約束が、息子の十歳の誕生日と決まっていた。つまりサンドラは、夫が帰って来た後で共に旅に出れば良い……と言うのだ。
マルセルは顔をキラキラと輝かせて歓喜した。真っ直ぐに未来を見つめる綺麗な綺麗な少年の瞳。少年は居ても立っても居られず、再び外へと飛び出して行った。
「良いんですか姉さん。魔女を継ぐ者が居なくなりますよ? もっともマルセルは男だから魔女とは言いませんが……まあマルセルはさて置き、マリエルは素質が有ったでしょうに」
魔女サンドラは冷めきった紅茶を一気に飲み干すと、窓辺に立って空を仰ぐ。
「知ってるか? マリエルは癒しの魔法しか知りたがらなかった。マルセルは魔法には全く興味が無く、世界の様々なことを自分の目で見たがった。あの子達が持つ原石は、この家じゃ磨けないよ」
振り返ったその表情は、逆光でクラウスには見て取れなかった。
「良いじゃないか魔女が滅んでも。あの子達の夢を奪うことの方がよっぽど辛い」
するとクラウスは悪戯っ子の表情で。
「もう一人産んだらどうです?」
「余計なお世話だ」
言葉と同時にゲンコツをくらうクラウス。幾つになっても姉には敵わない。
不意にサンドラが魔法を使った。クラウスが女性の姿になる。
「な?! 何するんですか姉さん!」
「あんたを魔女として育ててやろうか?」
そしてまた豪快に笑った。
「冗談じゃない! 早く魔法を解いて……」
新しい紅茶を入れながら、今度は一変して冷めた表情のサンドラ。
「その姿、変だよクラウス」
「いや、あんたがやったんでしょ!」
すっかり姉に遊ばれている弟。魔法を解いてもらうと、もう嫌だとドアノブに手を掛けた。そこでふと立ち止まる。小さな反撃のつもりか、いたずらな質問を投げてみた。
「ところで、姉さんの夢は何ですか?」
「夢? ……そうだね。『世界一の魔女』ってところか」
クラウスは呆れ顔で部屋を出た。
*
時が経ち、世界から魔女の存在が忘れ去られて行く中。ある診療所の待合室には、古ぼけた冒険の書が置いてある。幼い患者が目を輝かせて読むその本の中には、世界一の魔女のことも書かれていると言う。
おしまい
少年マルセルは家の周囲を、あちこち駆け回っている。今日も探索活動に余念が無い。青々と茂る大きな木を、くるりと一周しようとしたその時。
ドカッ
何かにつまずいた。
「痛たた」
振り向くと、そこにはフワフワのスカートに包まれたお尻。何故か少女がうずくまっている。死角になっていて気付かなかったのだ。
「もーっ、痛いじゃんかマリエル! そんな所で何してんだよ」
二人は従姉弟同士。少女マリエルは今、居候としてマルセルの家に同居中だ。
「はわ? あわわ。マルセル。そんな所で何をしているのですか?」
同じことをそのまま聞き返していては世話がない。まん丸メガネの下で目をパチクリ。寝ぼけまなこだ。
「寝てたのかよ!」
やんちゃ坊主と、おっとり娘。そこに近づく新な人影。
「マリエル。また癒しの力を使ったね。完全にコントロール出来るようになるまで、無理に使うなと言っただろ」
「あ。母ちゃん!」
「サササ、サンドラさん」
現れたのはマルセルの母サンドラ。彼女は魔女である。魔女と言っても物語の悪役といった印象は無い。長い髪の美女で、背も高くスレンダーだ。タートルネックのノースリーブに、パンツ姿。外見だけでは魔女かどうか分からない。
少女マリエルはサンドラの姪である。夫の兄の娘だ。マリエルの両親が亡くなった為、引き取ったのだ。サンドラは彼女を実の子同然に育て、魔法も少しだが教えていた。
木の下にうずくまる少女の手は、何かを大切そうに包んでいた。サンドラは溜め息をつくと、その『何か』をそっと受け取る。
小鳥の雛だった。どうやら巣から落ちたらしい。怪我を負った雛を、マリエルは癒しの魔法で救ったのだ。魔法に慣れていない彼女は疲れて、そのまま眠ってしまったのだろう。
元気になった雛を木の上の巣に帰すと、サンドラは子供達に声を投げた。
「二人とも部屋でお茶にしよう」
部屋に入ると、もう一人の居候クラウス青年が居た。彼はサンドラの弟であり、マルセルの叔父である。そしてマルセルの学校の教師でもあった。ソファーで本を読みながら、ゆったりと紅茶を飲んでいる。
サンドラに話し掛けられたのは少女マリエルだった。
「はわわ、は、はい。あっ熱っ」
カップを慌てて置いた為、中の紅茶を少しこぼしてしまった。サンドラは構わず話を続ける。
「あんた医術を学びたいと言っていたね。もう十五だし頃合いだろう。隣街で私の兄が医師をしているのは知ってたね。まず彼の所へ行くといい。力になってくれるそうだ」
「えええ? は、はいっ! あ、有り難うございます!」
パッと明るくなったマリエルの表情。だが直ぐにクシャクシャの泣き顔になった。メガネが濡れる。
突如舞い降りて来た夢への切っ掛け。やがて訪れる旅立ちと別れ。喜び、期待、感謝、不安。色々な思いが、ごちゃ混ぜになって溢れた。
マリエルが部屋を辞した後。それまで珍しく黙りこくっていた少年マルセルが、不意に挙手した。
「はいっ、はいっ、はいっ!」
「マルセルうるさい。学校じゃ手なんか挙げないくせに」
「んべー! クラウスに用はないもん」
「クラウス先生だ!」
サンドラは無言で息子に話を促す。
「俺も! 俺も何処か行きたい!」
テーブルに両手をつき、ピョンピョンと跳び跳ねる。
「何処に? 何をしに行きたい?」
「何処でも良いんだ。俺、冒険がしたい! 世界一の冒険家になりたい!」
そこで母サンドラは笑い出した。美女の笑い声とは思えぬほど豪快な笑い。息子はキョトンとなる。何か可笑しなことを言っただろうか。横でクラウスが、ニッと笑う。
「やはり男の子……と言うか義兄さんの子ですね」
笑いを抑えてサンドラが語り出す。
「語ったな夢を。いいよ、何処にでも行けばいい。ただし、まだだ。十歳になったら良い冒険家を紹介してやるよ」
マルセルは、意外にもあっさり下りた承諾に戸惑う。そして気になる疑問はもう一つ。
「何で十歳なんだよ?」
「あんたの父さんが帰って来るからさ」
マルセルの父は冒険家である。世界中を旅して、帰って来るのは数年に一度。次に帰って来る約束が、息子の十歳の誕生日と決まっていた。つまりサンドラは、夫が帰って来た後で共に旅に出れば良い……と言うのだ。
マルセルは顔をキラキラと輝かせて歓喜した。真っ直ぐに未来を見つめる綺麗な綺麗な少年の瞳。少年は居ても立っても居られず、再び外へと飛び出して行った。
「良いんですか姉さん。魔女を継ぐ者が居なくなりますよ? もっともマルセルは男だから魔女とは言いませんが……まあマルセルはさて置き、マリエルは素質が有ったでしょうに」
魔女サンドラは冷めきった紅茶を一気に飲み干すと、窓辺に立って空を仰ぐ。
「知ってるか? マリエルは癒しの魔法しか知りたがらなかった。マルセルは魔法には全く興味が無く、世界の様々なことを自分の目で見たがった。あの子達が持つ原石は、この家じゃ磨けないよ」
振り返ったその表情は、逆光でクラウスには見て取れなかった。
「良いじゃないか魔女が滅んでも。あの子達の夢を奪うことの方がよっぽど辛い」
するとクラウスは悪戯っ子の表情で。
「もう一人産んだらどうです?」
「余計なお世話だ」
言葉と同時にゲンコツをくらうクラウス。幾つになっても姉には敵わない。
不意にサンドラが魔法を使った。クラウスが女性の姿になる。
「な?! 何するんですか姉さん!」
「あんたを魔女として育ててやろうか?」
そしてまた豪快に笑った。
「冗談じゃない! 早く魔法を解いて……」
新しい紅茶を入れながら、今度は一変して冷めた表情のサンドラ。
「その姿、変だよクラウス」
「いや、あんたがやったんでしょ!」
すっかり姉に遊ばれている弟。魔法を解いてもらうと、もう嫌だとドアノブに手を掛けた。そこでふと立ち止まる。小さな反撃のつもりか、いたずらな質問を投げてみた。
「ところで、姉さんの夢は何ですか?」
「夢? ……そうだね。『世界一の魔女』ってところか」
クラウスは呆れ顔で部屋を出た。
*
時が経ち、世界から魔女の存在が忘れ去られて行く中。ある診療所の待合室には、古ぼけた冒険の書が置いてある。幼い患者が目を輝かせて読むその本の中には、世界一の魔女のことも書かれていると言う。
おしまい
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