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第2章 御前試合と幸運を呼ぶ猫(6話)

【5】

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「あああ! 伝説の刀が折れたッス!」
「あああ! 店長、ウチの商品がっ!」

 茜と土産物屋のバイト娘が、別々の場所で同時に叫んだ。観客は英雄のピンチを、固唾を呑んで見守る。よろよろと倒れかけた姿は、もはや見ていられない。

紅燕べにつばめを咄嗟に受けたのは流石だよ。だけどそんな棒切れじゃぁねぇ。さあ、これでしまいだよ!」

 べには言い終えると同時に、銀河の懐へ飛び込む。いや、飛び込んだはずだった。仕込み扇子の切っ先は、誰も居ない空間を切り裂く。大きく空振りした紅の背後で、気配がした。

「いつの間に後ろへ!?」

 目にも止まらぬ速さで、泥棒女の背後に移動していた銀河。だが反転攻勢の様子は伺えない。咄嗟にガードの構えをした紅を余所に、ゆらゆらと歩いている。足下には、落ちた肩叩き棒の先端部分。肉球の形のそれを、おもむろに拾い上げた。

「なっ、何なんだい? 今更そんなもん拾ったって何も出来やしないさね……」

 紅は銀河の行動が全く読めない。銀河は肩叩き棒の先端を握り、大きく振りかぶる。野球のピッチャーの如く、垂直に上げた片足。少年の目が光ったかと思ったその瞬間、『肉球』が勢い良く投げ放たれた。

(投げたーー?!)

 バキョン!

「ほべっ!」

 ガシャン!

 だが投げられた肉球は、紅を通り過ぎた。

「あ、危ないねぇ! だけど残念だったね、投げたところで当たらなけりゃ無意味……ん? 『ほべっ!』?」

 冷や汗をかきつつ強がる紅だったが、何だか周りが騒々しいことに気付く。肩叩き棒の先端が当たったのは、場外に居たねず吉だった。

 そして弾みで『キミボシ』のケージにも当たる。ケージは地面に落ち、そのショックで蓋が開いてしまっていた。中から二匹のキミボシ達が飛び出す。

「あっ、キミボシちゃん達が逃げたッス!」

 試合場を縦横無尽に駆け回る二匹。呆気に取られる人々。このままでは試合にならないのではないか。進行役の水鏡が飼い主に問う。

「銀河、試合を中断して捕まえますか?」

「いや。俺の大事な家族が酷いことされたんだ……お仕置きしねぇとな」

 そう言うと少年は、イタズラっぽく笑った。銀河の良くみる表情だ。彼を良く知る水鏡は、「いつもの銀河」に戻り少し安堵した。

「行け! 昴! 流星!」

 銀河は厳しい口調で命じた。二匹は言葉が解るのか、主の指示に従う。泥棒女の周りをぐるぐる巡り始めた。

「ちょっ、何だい? ちょこまかと! しっしっ! 近寄るんじゃないよ」

 女の言葉とは逆に、足下に纏わり付く二匹。遂には彼女の足をよじ登り始めた。紅は思い切り足を蹴り上げて、振り払おうとしたが失敗。飛んで行ったのは、スポッと脱げたブーツだけだった。

「ぐふっ……むひひ……うほほ」

 紅が肩を揺らして笑い出した。何か良からぬ事でも思い付いたのだろうか。いや、そうではない。昴と流星が、紅の服の中に潜り込んだのだ。

「うひひ……あひゃひゃひゃ……ひー……どこだい、捕まえてやうひゃひゃ。きぃぃ! あたしゃ、くすぐられるのが大の苦手なんだひょひょ」

 銀河は先端が無くなった肩叩き棒を、指先で器用にぐるぐる回している。にんまり笑いながら、芝居染みたセリフを吐いた。

「は~はっはっは! どうやらこの『伝説の刀』の秘めた能力を、見せる時が来たみたいだな~!」

 そのセリフに直ぐに反応したのは草薙。

「秘めた能力だって? まさかその肩叩き棒にも刃が仕込まれてたりするんじゃ……?」

 少し離れた場所で、土産物屋のバイトちゃんは目をパチクリさせている。店長は楽しそうに揺れながら言う。

「仕込み肩叩き棒なのね!」

「……んな訳ないでしょ店長! あれウチの商品なんですから。何の変哲もない肩叩き棒ですよ。まあ、一つ強いて言うなら……」

 試合場には肩叩き棒を逆さに持ち、自慢気に掲げる銀河。

「あの肩叩き棒、反対側が『孫の手』になってる……って事くらいですかね。肩も叩けるし、痒い所にも手が届く……一つ二役の便利グッズ!」

「『孫の手』だとーーっ?!」

 草薙を含め、この場に居る多くの人々の目が点になっている。

『孫の手』とは、棒の先端が小さな手の様になっている物。自分の背中などを掻ける、古くからの道具である。

 銀河はその『孫の手』部分を構えると、紅の足首……しかもブーツが脱げた方の足首を掴んだ。

「痒い所は有りませんか~?」

 何とも楽しげな表情で問いかける銀河。返事も待たぬまま、孫の手で紅の足裏をコチョコチョとくすぐり始めた。

「げひゃひゃひゃひゃ、ひゃめろ……はひー……むひょひょひょひょ」

 会場中に紅の変な笑い声が響き渡った。つられて観客も笑い出す。

「がははっ、あー何かワシまで、こそばゆくなって来たぞい。おーい銀の字! もう勘弁してやったらどうじゃ?」

 金剛が髭を揺らしながら銀河に声をかける。昴と流星は、飼い主の元へ戻って来た。嬉しそうに銀河の全身を駆け巡る。髪に埋もれたり、ポケットに入ったり。

「すばる~! りゅ~せ~! よしよし、お前ら良く頑張ったな」

 銀河も喜びが爆発。無事に取り戻せた二匹を、これでもかと撫で回したり頬擦りしたり。デレた顔はギャップが凄い。水鏡は、ふと殿を思い出す。自作のカラクリを見ている時の殿と、表情が同じだ……と。

 金剛の横では草薙が、ねず吉を縄で縛り上げていた。「盗まれた殿のカラクリ人形は無事回収出来た」と、水鏡に目配せする。後は、ねず吉の仲間である紅もとらえねばなるまい。

「はひー、はひー」

 拷問の様な仕打ちから、ようやく解放された紅は息も絶え絶え。被っていた赤熊しゃぐまは、散々振り乱されてボサボサだ。ねず吉が縛られている様子を見ていた事も有り、既に闘う気力を失っていた。

 それでも盗っ人根性なのか、紅は最後の力を振り絞る。素早く移動したかと思うと、縛られているねず吉を「あっ」と言う間に奪還。そのまま引きずるように逃げて行った。悪党が使いがちな、捨て台詞を吐きながら。

「覚えてなよ~!」

 呆気に取られた水鏡だったが、軍配を掲げすかさず宣言する。

「紅殿、試合放棄につき、勝者……銀河殿!」

 銀河の勝利に湧く人々。泥棒達の逃げ足の速さに、草薙は慌てる。

「ま、待て! お前ら、銀河の刀も返せ!」

「あ、そうだ草薙。俺の刀、盗んだのあいつらじゃないぜ。匂いがまだ、この会場に残ってる」

 追いかけようとした草薙を止めたのは銀河。足下ではキミボシ達が、自由に遊び始めた。

「何!? 匂いって、お前の家に侵入した曲者の匂いだろ? だったら、あいつらもそうじゃないのか?」

「あー……たぶん、ネズミのおっさんが流星達を拐ったのは、草薙がウチに来た時よりも前だな。俺も気付かなかったし、あのおっさん結構やるぜ」

「確かに奴は、殿のカラクリ屋敷にも侵入してるからな。それはそうと……つまり刀泥棒は別の奴で、まだこの会場に居るって事だな?」

 次の試合も有るから……と、水鏡は茜と共にキミボシ達を再回収する。茜は流星の頬が膨らんでいることに気付いた。キミボシには、頬袋に物を詰め込む習性がある。

「ありゃ? 流ちゃんの口の中に何か入ってるッスよ?」

「それはいけませんね。ペットに拾い食いをさせては駄目です。吐き出させましょう」

 そう言うと水鏡は、流星の口の中から何かを取り出した。くしゃくしゃになった紙切れだ。文字が書いてあるように見えたので、開いてみる。

『本日の御前試合にて、殿のお命頂戴致す』

 !?

「銀河! 何ですかこれは!?」

 血相を変えて銀河に詰め寄る水鏡。草薙や金剛が、驚愕する。茜は混乱して変な事を言い出す始末。

「え? 流ちゃんが、殿のお命ちょ~だいッスか?」

 銀河はポケットを確認する。いれておいた紙切れが無くなっていた。

「あー……それな。今朝、俺んちに侵入した奴が置いてった」

「なぜ先に知らせないんです!?」

 水鏡に、同意する草薙と金剛。ただ事ではない雰囲気を察し、会場には不穏な空気が流れる。シンと静まり張り詰めた会場に、突如不気味な声が響き渡った。

《ふふふふ。そう……お楽しみはまだまだ此れから……。殿のお命……頂戴致す》

「何じゃ?! この声は!」

「く、曲者っ? どこッスか?!」

 キャー!

 響く不気味な声に、辺りが騒然となった。何だ何だとキョロキョロする青年。怖くなって逃げようとする少女。パニックになりかけている観客を、落ち着かせようとするスタッフ。

 ギギギンッ!

 何かの音がするのを、草薙は耳にした。

(今の音は……矢銃やじゅう?)

『矢銃』と言うのは、クロスボウと拳銃を合わせたような物。遠距離からでも攻撃出来る武器だ。

(矢銃に矢を充填した時の音だ!)

「いかん! と……殿、お逃げ下さい!」

 混乱する中、草薙の叫び声は掻き消された。草薙も水鏡も、殿が居る天幕に向かい走る。だが必死に伸ばした手は、虚しく空をかく。

 バシュッ!

 何処からか発射された矢は、真っ直ぐ殿に向かい飛んだ。

「殿ーーーっ!」


つづく
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