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濡れ衣

協力

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 紗英とみちるというクラスの一軍女子がかもし出す険悪なオーラは、教室の雰囲気に多大な影響を与えた。
 二人は互いに無視し合い、みちるはわざとらしくため息をつくし、紗英は紗英で「ムカつく」や「やってらんない」などと大きな声で独り言を言うしで、私たちはぴりぴりと重たい空気を引きずったまま一日を終える羽目になった。
 放課後、一緒に遊びに行こうと誘って来た紗英を、日直の仕事があるから、用事があるからと、なんとか振り切った私は、一人で教室に残っていた。
 いつもならダラダラと残っている人が多いのだけれど、昼休みの騒動の余韻が残った教室は居心地が悪いのか、ホームルームが終わると、みんな速やかに帰ってしまったのだ。
 がらんとした教室にいると、いつも漠然と感じている所在なさが強くなるから苦手だった。
 いま目に映っている景色と、私が押し隠している記憶がじわじわと重なっていく。

『あんたみたいに正義感振りかざすやつってウザいんだよね』
『つーか、こいつ先生にチクったんだって。深山に謝っとけよーって言われたわ』
『うわ最悪』
『まじでいなくなってくんね?』
『消えろよ』
『ほら、飛べ』
『飛べ』

 私の中を黒く埋め尽くそうとしてくる声を追い払うように、大きく頭を振る。思い切り走ったときと同じくらい、心臓が激しく音を立てていた。
 違う。これは昔のこと。終わったこと。もう誰も私を傷付けたりしない。
 そのとき、がらり、と音を立てて教室の扉が開いた。

「あ、いたいた。お待たせぇ」

 教室に入ってきたのは、みちる――ではなく、日野円香だった。
 なんで円香が……?
 怪訝な顔をした私を見て、円香は相変わらずおかしなウェーブがついた髪を指先でもてあそびながら、くすくす笑った。その唇には、今日もみちるとお揃いのグロスが塗られている。

「みちるちゃんなら来ないよぉ。だって、教室に残ってっていう手紙、あたしが書いたんだもん」
「え、でもあのメモ用紙は……」

 言いかけて気付く。きっとグロスと同じように、円香はみちるが使っているのと同じものを探して買ったに違いない。

「今日のみちるちゃんと紗英ちゃんのケンカ、深山さんどう思う?」
「どうって言われても……それは二人の問題だし」
「えー、それって友達として冷たすぎじゃない? あたしだったら、もっと二人のために頑張るのになぁ」

 円香の口から漏れる息からは、人工的なミントの香りがした。

「あたしね、紗英ちゃんとみちるちゃんともーっと仲良くなって同じグループに入りたいんだぁ。だからこれってチャンスだと思うんだよね」
「チャンスって……そんな言いかた」
「ああもう、綺麗ごとは言いっこなしでいこうよ」

 円香は、うざったそうに顔をしかめて、手で何かを追い払うような動きをした。

「深山さんも――あ、莉愛でいいよね。あたしも円香でいーからさ。莉愛だって二人ともっと仲良くなりたいって思ってるでしょ? 一緒にいるくせに、なんかまだ距離ある感じだもんね」

 痛いところを突かれて、私はぐ、と詰まった。
 私の微妙な立ち位置を円香に悟られている。ということは、きっとクラスメイトも気付いているはず。教室とはそういう場所だ。

「だからさぁ、あたしたち協力して二人を仲直りさせようよ。そしたら四人で仲良しグループになれると思わない?」

 そんなの、簡単にできるわけない。第一、円香は二人に嫌われてるし。
 だけど……もし、円香が紗英とみちるを仲直りさせることができたとしたら……?
 可能性はゼロじゃない。
 そのとき、何もしなかった私は、二人と友達のままでいられるだろうか。今でさえ「友達」と「クラスメイト」のボーダーライン上にいるというのに。
 円香が私の居場所を奪って――いや、私を押しのけて二人の「親友」になってしまったら、私はどうなるんだろう。
 高校入学して二ヶ月。教室の関係図はもう完成している。
 今、紗英たちのグループから弾かれたら? 円香に協力しなかったせいで紗英たちに「ひどいやつ」とにらまれたら?
 不意に、井村くんの席に目が行った。毎日できる空席。教室にできる穴。そこから漂う不穏な空気。
 だめ。嫌だ。あんなのは、もう――。

「……分かった」

 私がうなずくと、円香は似合わないグロスを塗りたくった唇を歪めて笑った。
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