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海へ

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 別荘に到着したのは午後二時。
 長距離ドライブを終えた全員が、車を降りるなり大きく伸びをした。体中の関節が音を立てる。
 桜田家の別荘があるこの土地は、よく名前を聞くリゾート地だった。
 けれど、最近は不景気の影響もあって少しずつ廃れてきているらしい。美しい海から目をそらせば「売家」や「売地」という看板も多く目についた。

「ほら見て、チッカ。こんなに近くに海があるよ」

 はしゃいだ瑞希が、私の肩を叩く。海面に反射する太陽の光がまぶしくて目を細めた。

――わー! すごいね、カー。私、海で泳ぐの初めてなんだ! プールと違うのかなぁ。

 あの日のチーも、すごく楽しそうだった。私もチーと一緒に海で遊ぶのが楽しみだった。本当に、楽しみだった。

「ほら、ぼーっと突っ立ってないで行くよ、ぴーちゃん」

 別荘の鍵を開けた瑛輔くんが私に叫んだ。
 中に入ると、ふわりと木の香りがした。無垢のフローリングが敷かれているせいかもしれない。吹き抜けの二階建てで、一階にはリビングとキッチン、二階には寝室が四部屋あった。
 リビングには巨大なグレーのソファと、シングルソファが二つ置かれ、キッチンのほうにはこれまた巨大な一枚板のダイニングテーブル、それに木製のチェアが六脚セットされている。私たちが来ることを連絡しておいたらしく、テーブルの上にはフルーツやお菓子が用意されていた。
 海に面する広いテラスには、バーベキュー用のグリルや、焚火スペース、ハンモックまである。

「やばーい! あたしここに住みたい!」
「こういうとこはたまに来るからいいんだよ――。うん、飲み物とかも買ってある。この辺、コンビニとかないから不便なんだよな」

 瑛輔くんが冷蔵庫をのぞき込みながら言った。

「……もしかして、食事って私たちが作るの?」

 私の言葉に、瑞希と遥、桐原先輩が顔を見合わせた。

「料理できる人ー?」

 桐原先輩が挙手を求めたけれど、手を挙げた者は一人もいない。
 ママは「怪我したら大変」と私がキッチンに立つことを禁止していたから、料理の経験なんて家庭科の調理実習だけだ。
 瑞希は「カップラーメンならプロ級」と胸を張っているし、遥も首を横に振った。
 もしかして、こんな優雅な別荘にいる間、カップラーメンしか食べられないかもしれない……と私たちが途方に暮れていると、瑛輔くんがチッチッと舌を鳴らした。

「最初からぴーちゃんたちをあてにしてないですから。ちゃんと考えてるから心配しないの」

 発表された部屋割りによって、私と瑞希、遥と桐原先輩がそれぞれ同室で、瑛輔くんは一人で一部屋を使うことになった。
 荷物を置いてベッドに横たわる。頬にあたるシーツの感触が気持ちいい。目を閉じたら一瞬で眠ってしまいそうだ。

「ねーねー、チッカ。なんか遥くんといい雰囲気じゃなかった? せっかくだし、この合宿で進展しちゃいなよ」
「……うるさい、エセ恋愛マスターのくせに」

 瑞希は弾けるように笑った。
 吉田さんたちとの一件があってから、瑞希は少し変わった。
 短かったスカートも常識的な長さになったし、髪は明るめのブラウンに、メイクもずいぶんと薄くなった。ピアスとネックレスは相変わらずだけど、私と並んで歩いていても振り返る人がいなくなるくらいに、私たちの距離は近くなっていた。
 なにより、どこか薄皮が一枚むけたような軽やかさがある。
 消してしまいたい過去が暴かれて、私たちに、そして瑞希自身がその過去を受け入れることができたから、なのかもしれない。
「本当」を手にした瑞希は、とても楽しそうに笑う。
 その笑顔を見るたび、私の胸の奥でなにかがざわりとうごめいた。
 突然ドアが開いて顔をのぞかせた瑛輔くんが、ベッドに寝転がる私たちを見て呆れたように笑った。

「こらこらお嬢さまがた、休憩はもう終わりだよ」
「レディーの部屋にノックも無しに入ってくるの、よくないと思いまーす」
「以後気を付けまーす。ほら動いた動いた」

 瑞希の抗議をさらりとかわして、瑛輔くんが急かすようにパンパンと手を叩く。

「それでは、これからみんなで勉強会です」

 のそのそと起き上がっていた私たちは、瑛輔くんの発言に動きを止めて顔を見合わせた。

「……勉強会?」
「当たり前だろ。君たちなんのためにここに来たの? 文芸部の合宿でしょうが。そして君たちが普段文芸部でやっているのは?」

 勉強会。桐原先輩は本を読んでいるだけだけど。

「おじさんとおばさんにも、ぴーちゃんのこと責任もって預かるって約束したからな。やることはちゃんとやらないと。自由時間はそれから」

 死にそうな顔をしている瑞希に、瑛輔くんがわざとらしくウインクした。

「頑張ったお嬢さまには、ご褒美に特別ディナーを用意してあるから」

 階段を下りながら、瑞希がこそこそと私に話しかけてくる。

「特別ディナーって、どっかにすてきなお店でもあるのかな」
「あんまり期待しないほうがいいんじゃない? 寂れたリゾート地にしぶとく残ってるだけのお店かもしれないんだから。それより、瑞希大丈夫? 瑛輔くんの授業って超スパルタだよ。しかも、出来が悪いとペナルティーがあるからディナーもきっとお預けだよ」

 嘘だけど。心の中で舌を出す。車の中でされたことのお返しだ。
 瑞希が再び死にそうな顔になったのを確認して、窓の外に広がる海に目をやった。
 嘘みたいに綺麗な海。
 だけど、きらいだ。海はきらい。
 チーを消してしまったから。
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