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「再会」の入学式

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 近藤さんに連れていかれたのは、駅前のハンバーガーショップだった。こういう店に入るのはいつぶりだろう。促されるまま列に並び、カラフルで情報だらけの周囲をきょろきょろと見回す。

「次のお客様、どうぞ」

 一緒に並んでいた近藤さんは先に隣のレジに行ってしまったし、遥は店に入る直前に電話がかかってきて、まだ店内にいない。しぶしぶカウンターの前に進み出る。
 ずらりと並ぶメニューの写真はどれも同じように見えて区別がつかない。どれがどれでどの値段で、なにをどう選べば注文は完了するのかがちっとも分からない
 目の前の女性店員が、無表情にも似た笑顔でじっと見つめている。前からも後ろからも無言のプレッシャーを感じて、私はどんどん焦ってしまう。どうしてこうも分かりにくいんだ。
 もう、そっちで適当に決めてよ!
 そう叫んでやったらこの店員はどんな顔をするんだろう。そんな妄想に逃避し始めたとき、ぽん、と肩に手が置かれた。女性店員がハッとしたような表情で顔を赤らめ、周囲がどよめいた。

「俺は、これが好き」

 耳元でそんな声がして、綺麗な指がメニューの一点をさした。

「よかったら同じのにしよっか。一緒に頼んでいい?」

 うなずくのが精一杯だった。肩に乗せられたその手のわずかな重みと体温に全神経が集中して、脳がうまく働かない。

「じゃあ、このセット二つ。飲み物どーしよっか。俺はコーラにしよ。千佳は?」
「えっと……ホットコーヒー」
「それで」

 ぼうっと遥に見とれていた店員が慌ててレジを打つ。

「あ、私のぶん……」

 もたもたと財布を取り出していると、振り返った遥がニッと笑った。さっきまでとは違う、ちょっといたずらっぽい笑いかた。

「今日は俺に払わせて。その代わり、今度おごってもらうからさ。持ってくから先に座ってていいよ」
「……ありがとう」

 誰かに礼を言うのも、ずいぶんと久し振りな気がする。人の手を借りなければできないことはやらない。手を伸ばさない。そう決めていたから。でも……助けられるというのは、甘やかされるというのは、こんな感覚なのか。体がふわりと軽くなった気がする。

「見てたよー。チッカと遥くん、ラブラブじゃん」

 先に席に着いていた近藤さんがニヤニヤしながら私を待ち受けていた。

「ねえねえ、二人ってどういう関係? 幼稚園が一緒だったってことは、知り合ったのは子どものときでしょ。でもなんか、幼馴染っていうより恋人同士みたいな感じだし……。えー、ちょー気になる!」

 足をバタつかせながら、近藤さんがテーブルをバンバンと叩く。

「あんまり千佳をいじめないでやってよ。えっと……」

 二人分のセットを乗せたトレイを手にした遥が、当たり前のように私の隣に座った。かすかに触れ合ったブレザーに、思わず背筋が伸びた。

「あたし? 近藤瑞希でーす。チッカの親友」
「今日知り合ったばっかりでしょ」
「時間なんて関係ないよ。だってあたし、今日のチッカのスピーチ聞いて、絶対友達になろうって決めたんだもん。出席番号が前後してるのだって、神様が友達になれって言ってるようなもんじゃない」

 だとしたらロクな神様じゃないな、と胸の内で呟いた。

「近藤さんね、よろしく」
「瑞希でいいよ。あ、チッカ、やきもち焼かないでね」
「やきもちなんか焼かないし、親友じゃないし、その名前で呼ばないで」
「チッカは冷たいなぁもう。遥くんはチッカとどういう関係か教えてくれるよね?」

 遥はくすりと笑って、ちらっと私を見た。俺が答えていいの? とでも言うように、小さく首を傾げる。私は、気付かれないように唾を飲んでから、口を開いた。

「――私、小さいころ、この町にいたの。遥と知り合ったのは幼稚園だけど、半年くらいで引越しちゃったから、会うのはそれ以来」

 何度も練習した言葉は、いざ口にすると自分のものじゃないみたいだ。――そうか、これはチーの言葉。私はチー。「私」なんてもう、ひとかけらも残してちゃいけない。

「じゃあさ、さっき遥くんが言ってた約束って?」
「それは――」

 答えようとした私より先に、遥が話し始める。

「千佳がこの町から引越すとき、約束したんだ。高校生になったら絶対星山高校で再会しようって」
「えー、なんでこの高校?」
「私、この高校の制服が大好きだったから」

 ――とってもかわいいんだよ。わたし、その制服で、遥に会うの楽しみだなぁ。そのときはカーも一緒ね!

 藍色のブレザーに白と黒のチェックのスカート。ありふれた制服だけど、チーがこの話をするときはいつも目が輝いていた。

「この制服を着て遥に会うの、すっごく楽しみにしてた」

 右側に軽く首を傾けながら、遥に笑いかける。何度も練習したチーの癖。遥の頬が少し赤くなった気がした。

「えー! めちゃめちゃロマンチックじゃん! しかもその相手が遥くんだなんて羨ましすぎ。あーもう、あたしもどっかでイケメンと約束交わしてなかったかなぁ」

 近藤さんが再び足をバタつかせた。二人きりよりは気が楽かと思って、当然のようについてくる彼女を止めなかったけれど、そのせいでますます「ズッ友」が迫ってきている気がする。
 やたらと塩気の強いフライドポテトをかじりながら、横目で遥のことを盗み見る。今のところ、不審には思われてないみたい。
 さっき、オーダーに戸惑う私に気付いて助けてくれた。チーが好きになったこの人は、きっと優しい人なんだろう。私は、これからそんな人に嘘をついて、騙していかなくちゃいけない。
 胸に走った小さな痛みをごまかすようにハンバーガーを手に取った。
 バンズに二枚のパテとチーズ、それに細切れのレタスが申し訳程度に挟まっている。持ち上げて口元まで運ぶ間にレタスがぽろぽろとこぼれ落ちた。ぎゅっと握りしめたせいで、はみ出たソースが指先を汚した。
 ……これ、ちょっと大きすぎない? しかもなんて食べにくい……。
 隣から、ぷっと吹き出す音が聞こえた。

「下手くそ」

 遥がくすくすと笑っている。かぁっと顔が熱くなった。馬鹿にされる、と思った。こんなこともできないのかって。
 けれど、遥はとても大切なものを見るような目をしていた。その目が、私に錯覚を起こさせる。なにもかも許されているような、そんな錯覚を。

「ちまちま食うからだろ。もっと勢いよく、ガッといかなきゃ」

 見本でも見せるように、その繊細な見た目に似合わぬ豪快さで、遥はハンバーガーにかぶりついた。口の端についたソースをぺろりと舐め取る舌先の鮮やかな赤に、胸がどきりと音を立てる。

「こうやって食うの。やってみ?」

 促されるまま、見様見真似でハンバーガーにかぶりつく。こんなに大きく口を開けたのも、久し振りだ。
 咀嚼すると、肉とチーズの塩気と旨味、レタスや玉ねぎのしゃきしゃき感、マヨネーズソースのわずかな酸味、そして小麦の香りと素朴な味が、口の中で一つにまとまっていく。……あれ、美味しい、かも。

「やっぱり下手くそ」

 遥の指先が私の口元をなぞる。思わず体が強ばって、レタスがまたひとつこぼれ落ちた。

「口の周り、ベタベタ」
「え」

 慌てて口を拭うと、紙ナプキンがソースでべったりと汚れた。……つまり、これがついてたってこと? あり得ない。あり得ないでしょ。

「これは特訓が必要だな」

 ぺろりと指先を舐める。あの、それは、さっきまで私の口元についていたもので。それは、つまり、その、いわゆる――。

「あーもう! 目の前でいちゃいちゃしないでー!」

 その叫びに近藤さんの存在を思い出す。

「遥くんちょーイケメンだし、チッカも可愛いし、二人がいちゃついてるのぜんぜん見てられるけどでもやっぱり見てらんない。恥ずかしすぎてもうムリ限界許してお願い」

 なんだこの人。さすがの遥も支離滅裂な叫びにびっくりして固まっている。

「近藤さん、ちょっと声が大きすぎる――」
「近藤さんじゃなくて瑞希。み・ず・き。ほら、リピートアフターミー」
「み、瑞希」

 勢いに飲まれてつい従ってしまった。くそ、なんたる不覚……。

「よろしい。近藤さんなんて呼んだら絶交だからね、チッカ」

 絶交。その子どもじみたワードに思わず息をのんだ。

 ――カーはむずかしい言葉を知ってるんだねぇ。たくさん本を読んでるからかな。

「千佳の友達って面白いね」

 遥が笑った。友達じゃない、なんてもう言えない雰囲気だった。
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