2 / 38
「再会」の入学式
1
しおりを挟む
星山高校の入学式は、四月のよく晴れた日に行われた。
まるで絵本の中みたいに平和で、穏やかで、柔らかで、希望と期待に満ちた、あたたかな日。
体育館にはかすかなざわめきと、まだ着慣れない藍色のブレザーが発する真新しいにおいが充満していた。壇上では、校長先生がありがたいお話を延々と続けている。ほどよく温められた空気と単調なリズムは、最高の子守唄だ。
「では、我が星山高校の生徒として、皆さんの今後の活躍を期待します」
みんなが待ちわびていた結びの言葉に、生真面目な拍手が起こった。司会役の先生が私に視線を送ってきたので小さくうなずいてみせる。
「――続きまして、答辞。新入生代表、澤野千佳」
「はい」
拍手の余韻の中でゆっくりと立ち上がり、ステージに向かって歩き出した。新品の上履きが鳴らす、キュッキュッ、という音がしんとした体育館に響く。たくさんの視線が私の動きを追っているのが分かる。
演台の前に立って深く息を吸った。手にした原稿の内容は完璧に暗記していたけれど、それでもこうして持っているのは、リハーサルのときに強く言われたからだ。過去に、途中で言葉が出なくなってしまった生徒が何人もいたから、らしい。
「暖かな春の訪れとともに、私たちは今日、星山高校の入学式を迎えることができました」
壇上から見下ろす体育館は、みんなが着ている制服のブレザーのせいで、藍色の絨毯が敷かれているようだった。その藍色にばらまかれた顔たちが私を見ている。いや「私」をではない。「新入生代表に選ばれた生徒」を見ているのだ。
この星山高校は県内でもトップクラスの進学校で、なによりも重要なのはテストの点数と順位、そして三年後に控えた大学受験の結果。当然、ここに集ってくるのは、それぞれの中学校で上位にいた生徒たちばかり。一番を狙う者たちだ。
「今日から星山高校の生徒として、仲間として協力し合い、切磋琢磨して――」
入学式で答辞を行うのは入試でトップの成績を修めた生徒、というのがこの高校の慣習だ。分かりやすい「ライバル」として全員に認識させ、競争心を煽るためだ。よくできた、あざといシステム。
現に、私に向けられる視線は敵意に満ちていた。パニックに陥ったという過去の代表者たちは、この視線に絡め取られてしまったのかもしれない。
最前列に座っている眼鏡の男子が、すごい目でにらみつけていた。きっと、私がいま立っているこの場所を狙っていたのだろう。
ごめんね、こんなことに君が情熱を燃やしているなんて知らなかったんだ。だけど、私にも目的がある。君を蹴落としてでもやらなくちゃいけないことが、ある。
「校長先生をはじめ、先生方、先輩方、そして来賓のみなさま。本日はありがとうございました。今後も温かいご指導をいただければ幸いです」
ネットの例文を繋ぎ合わせたスピーチを終えて、一旦原稿に目を落とす。後は名前を言って一礼すれば終わり、というところで間を置いたせいで、司会役の先生が心配そうな表情を浮かべていた。
藍色の絨毯に、かすかなざわめきが芽吹いた。それは、私の失態を期待する下卑た思いを含んだざわめきだった。
「私は」
マイクを通した声は、自分のものではないように聞こえた。
「入試で一番を取ったからここに立っています」
ざわめきの種類が変わる。
「そして、三年後の卒業式、私は卒業生代表を務めるつもりです」
新入生代表のスピーチが入試の勝者に与えられる権利なら、卒業生代表のスピーチは高校生活の勝者に与えられる権利だ。在学中の成績、素行、教師からの信頼、進学先。その全てにおいて二重三重にマルをもらえる生徒が選ばれる。未だかつてその両方を務めた者はいないと聞いていた。
「そっち側でただ座っているだけの、その他大勢になるつもりでこの高校へ来たわけじゃありませんから」
体育館に沈黙が落ちた。藍色の絨毯に咲いた怒りと敵意。それを確認して、私は自分の名を述べた。それは、この中にいるはずのたった一つの「特別」に向けたものだった。
「新入生代表、澤野千佳」
一礼すると、教員席から大きな拍手が聞こえた。さっきまで壇上にいた校長先生が立ち上がり、満足げな顔で手を叩いている。それにつられるようにみんなが手を叩き始め、次第に大きなうねりとなって体育館を満たした。
あの眼鏡の男子が、殺意すら感じさせる顔をしていた。
それでいい。どうせ誰かに憎まれるなら、その原因は自分でなければ意味がない。
そして何より、私はこの藍色の中からたった一つの「特別」と出会うために、ここ――星山高校に来た。その「特別」に気付いてもらうために、努力して新入生代表なんて面倒くさいものを勝ち取ったのだ。これくらいのインパクトを残さないと割に合わない。
戸惑いと怒りと敵意、私の思惑。その全てをハレの日特有のほのぼのした空気がうまくコーティングして、感動的な一場面に仕立て上げる。
なんてくだらない。この世界はどうせ嘘だらけだ。真新しい上履きを床に擦りつけるようにして、キュッと大きく鳴らして拍手の中に紛れ込ませてやった。
まるで絵本の中みたいに平和で、穏やかで、柔らかで、希望と期待に満ちた、あたたかな日。
体育館にはかすかなざわめきと、まだ着慣れない藍色のブレザーが発する真新しいにおいが充満していた。壇上では、校長先生がありがたいお話を延々と続けている。ほどよく温められた空気と単調なリズムは、最高の子守唄だ。
「では、我が星山高校の生徒として、皆さんの今後の活躍を期待します」
みんなが待ちわびていた結びの言葉に、生真面目な拍手が起こった。司会役の先生が私に視線を送ってきたので小さくうなずいてみせる。
「――続きまして、答辞。新入生代表、澤野千佳」
「はい」
拍手の余韻の中でゆっくりと立ち上がり、ステージに向かって歩き出した。新品の上履きが鳴らす、キュッキュッ、という音がしんとした体育館に響く。たくさんの視線が私の動きを追っているのが分かる。
演台の前に立って深く息を吸った。手にした原稿の内容は完璧に暗記していたけれど、それでもこうして持っているのは、リハーサルのときに強く言われたからだ。過去に、途中で言葉が出なくなってしまった生徒が何人もいたから、らしい。
「暖かな春の訪れとともに、私たちは今日、星山高校の入学式を迎えることができました」
壇上から見下ろす体育館は、みんなが着ている制服のブレザーのせいで、藍色の絨毯が敷かれているようだった。その藍色にばらまかれた顔たちが私を見ている。いや「私」をではない。「新入生代表に選ばれた生徒」を見ているのだ。
この星山高校は県内でもトップクラスの進学校で、なによりも重要なのはテストの点数と順位、そして三年後に控えた大学受験の結果。当然、ここに集ってくるのは、それぞれの中学校で上位にいた生徒たちばかり。一番を狙う者たちだ。
「今日から星山高校の生徒として、仲間として協力し合い、切磋琢磨して――」
入学式で答辞を行うのは入試でトップの成績を修めた生徒、というのがこの高校の慣習だ。分かりやすい「ライバル」として全員に認識させ、競争心を煽るためだ。よくできた、あざといシステム。
現に、私に向けられる視線は敵意に満ちていた。パニックに陥ったという過去の代表者たちは、この視線に絡め取られてしまったのかもしれない。
最前列に座っている眼鏡の男子が、すごい目でにらみつけていた。きっと、私がいま立っているこの場所を狙っていたのだろう。
ごめんね、こんなことに君が情熱を燃やしているなんて知らなかったんだ。だけど、私にも目的がある。君を蹴落としてでもやらなくちゃいけないことが、ある。
「校長先生をはじめ、先生方、先輩方、そして来賓のみなさま。本日はありがとうございました。今後も温かいご指導をいただければ幸いです」
ネットの例文を繋ぎ合わせたスピーチを終えて、一旦原稿に目を落とす。後は名前を言って一礼すれば終わり、というところで間を置いたせいで、司会役の先生が心配そうな表情を浮かべていた。
藍色の絨毯に、かすかなざわめきが芽吹いた。それは、私の失態を期待する下卑た思いを含んだざわめきだった。
「私は」
マイクを通した声は、自分のものではないように聞こえた。
「入試で一番を取ったからここに立っています」
ざわめきの種類が変わる。
「そして、三年後の卒業式、私は卒業生代表を務めるつもりです」
新入生代表のスピーチが入試の勝者に与えられる権利なら、卒業生代表のスピーチは高校生活の勝者に与えられる権利だ。在学中の成績、素行、教師からの信頼、進学先。その全てにおいて二重三重にマルをもらえる生徒が選ばれる。未だかつてその両方を務めた者はいないと聞いていた。
「そっち側でただ座っているだけの、その他大勢になるつもりでこの高校へ来たわけじゃありませんから」
体育館に沈黙が落ちた。藍色の絨毯に咲いた怒りと敵意。それを確認して、私は自分の名を述べた。それは、この中にいるはずのたった一つの「特別」に向けたものだった。
「新入生代表、澤野千佳」
一礼すると、教員席から大きな拍手が聞こえた。さっきまで壇上にいた校長先生が立ち上がり、満足げな顔で手を叩いている。それにつられるようにみんなが手を叩き始め、次第に大きなうねりとなって体育館を満たした。
あの眼鏡の男子が、殺意すら感じさせる顔をしていた。
それでいい。どうせ誰かに憎まれるなら、その原因は自分でなければ意味がない。
そして何より、私はこの藍色の中からたった一つの「特別」と出会うために、ここ――星山高校に来た。その「特別」に気付いてもらうために、努力して新入生代表なんて面倒くさいものを勝ち取ったのだ。これくらいのインパクトを残さないと割に合わない。
戸惑いと怒りと敵意、私の思惑。その全てをハレの日特有のほのぼのした空気がうまくコーティングして、感動的な一場面に仕立て上げる。
なんてくだらない。この世界はどうせ嘘だらけだ。真新しい上履きを床に擦りつけるようにして、キュッと大きく鳴らして拍手の中に紛れ込ませてやった。
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる