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第29話 リミット

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 川の傍でキャンプをしていた人たちが焚き火も食事も何もかも放り出して、大慌てで森の中に逃げ込んだ。 

 そりゃそうでしょ。何せ巨大なレッドドラゴンが自分たちに向かって飛んでくるのだから。

 そこへドラゴンが悠々と着地すると、わたしはその背から飛び降りた。
 敵意は無いとばかりにフレイチェが川岸に横たわる。

「皆さん、わたしです! エリンです! 大丈夫ですから出て来てください!!」

 森の中に逃げ込んだ人たちがわたしに気づいて恐る恐る出てくる。

「エリンさん? あぁ、本当だ、エリンさんだ。何が起きたかと思いましたよ」
「アランさん、指輪はちゃんと妹さんに渡しましたよ。それよりも皆さん、今から皆さんを一気に運びます。準備をしてもらえますか?」

 急いで荷物をまとめるよう指示したわたしは、次いで呪文をつぶやきながら円を描くように川岸を歩いた。
 歩きながら、懐から出した白く丸い石を撒いていく。
 すると、そこに薄っすらと光るフィールドが現れた。
 直径十メートルほどの円形の結界だ。
 本来は敵を近寄せないための結界だが、範囲を示すにはちょうどいい。
 
「この中に入ればいいのね?」
「えぇ。狭いですけど何とか入ってください」

 わたしが何らかの魔法を使うのだと悟った人々が、整然とフィールド内に集まり始めた。
 とはいえ、馬車もあるし馬もいる。これでもギリギリのサイズだ。
 皆がフィールドに入るのを確認すると、わたしは叫んだ。

「悪魔王ヴァル=アールよ。血の盟約に従い、我が力となれ!」
「おうともさ!」

 少し離れた位置から様子を見ていた二足歩行の白猫が華麗にジャンプすると、空中で魔導書――悪魔の書へと変化へんげし、わたしの左手にスポっと収まった。

 なめし革の真っ白で滑らかなハードカバーの表紙。金色に浮き出た悪魔王ヴァル=アールの紋様。ため息が出るほど美しい本だ。
 これこそ悪魔王ヴァル=アールの棲む地上最強の魔導書・蒼天のグリモワール。
 
「エグレーデレ ヴィルガン ヴィルトゥーティス(出でよ、力の杖)!」

 わたしの足元を中心に強烈な風が渦巻くと、左手に持っていた悪魔の書がパラパラっとめくれ、中からゆっくりと真っ白な短杖ワンドが出てきた。
 右手で杖を引き抜き、構える。

「悪魔王ヴァル=アールの名において、風の支配者エアリアルに願いたてまつる。此の地より彼の地へ、この者たちを運ばんことを。飛行領域フライマンタ!」

 光のフィールドがそっくりそのまま浮いていく。
 マンタだ。光る巨大マンタの背中に円形結界ごとそっくり乗っている。

「ななな、なんだこりゃぁぁあ! だ、大丈夫なのかね!?」
「あわわわわ、あんたぁぁぁぁ!!」
「皆さん、多少揺れますが落ちることはありません! わたしを信じてじっとしていてください!」

 皆を落ち着かせるよう叫ぶと、次いでフレイチェを呼んだ。 

「フレイチェ、フライマンタは一度に大量に運べるぶん、あまり高くは飛べないの。せいぜん五メートルくらい。だからフレイチェは頭上から誘導して!」
「分かりました!」

 フレイチェは一気に上昇すると、ミナスの街に向かって飛び始めた。

「よし、フライマンタ、行きなさい!」

 ドラゴン形態のフレイチェに遅れること数秒。
 ドラゴンを追いかけるように、人々を背中に乗せたフライマンタが飛んでいく。

 すんなり川を渡ったフライマンタは、フレイチェの誘導に従い、グルリと大回りした。
 なにせ、全長十五メートルのフライマンタが地上五メートルの高さで飛ぶのだ。
 森は狭すぎて通れないので、別の道を行くしかない。
 フライマンタを操るわたしの傍に、皆が戦々恐々としながら寄ってくる。

「し、信じているからね、エリンちゃん……」
「まかせてください、皆さん!」

 わたしは自信たっぷりに胸を叩くと、彼らにとびっきりの笑顔を見せた。
 超絶美少女の笑顔に、皆の顔が少し緩む。

 とはいえ、実際問題、そんな程度で恐怖が完全に消えるわけがない。
 フィールドを張って落ちないようにしているのだが、そんなの理屈じゃない。
 だって、人間は空を飛べるようにできていないんだもん。
 でもちょっとだけ我慢して。
 空を飛ぶくらいのことをしなきゃ結婚式に間に合わないの!

 そうしてきっかり三十分後、恐怖体験は終わり、わたしたちは無事ミナスの街の広場へと着陸したのであった。

 そこからは戦場だった。
 花嫁・アニエスの兄でもあるパン屋のアランは妹との久々の再会を祝ういとまさえなく、オデール夫妻から大量のタマゴを受け取ると、行商人ジャックの馬車に乗っていそいそと横町の食堂『ウミガメ亭』へと出かけていった。
 アランならケーキ作りの補佐ができるはずだ。

 ケーキはこれで何とかなる。次は……。
 わたしは、何が起きているのかとキョロキョロ辺りを見回しているデザイナーのエレーヌに声をかけた。

「エレーヌさん、この街でお店を開いたばかりの教え子さんって、ひょっとしてクラーラさんって名前だったりします?」
「えぇ、そうよ! あたしエリンちゃんにクラーラのこと話したっけ?」
「やっぱり! エレーヌさん、クラーラさんが手に怪我をしました。クラーラさんの代わりにウェディングドレスを仕上げてくれませんか?」
「何だって!? そりゃ大変だ。あたしに任せな! 誰か、クラーラの店まで案内を頼むよ!」
「あ、じゃあ私が行きますよ!」

 宿屋の女将・カリーナとエレーヌが連れ立って出かけていく。

『エリンお姉ちゃん、僕も来たよ!』

 ちょうどそこへ、チビドラゴン・ロヴィーとその背に乗った新郎・ディオンが到着する。

「エリンさん、ほら、桃を持ってきましたよ! これ、どうすればいいですか?」
「ディオンさんはその桃を横町の食堂に急いで届けて! その後すぐ服屋さんに向かうのよ。あなたのお母さん――女将さんが先に行ってるわ。そこでタキシードに着替えて待機! 急いで!!」
「は、はい!!」

 わたしの迫力に気圧けおされたか、ディオンが慌てて店から走って出ていく。
 人間形態に戻ったロヴィーが、同じく人間形態に戻ったフレイチェに抱き着きながら、わたしに向かって声をかける。

「ねね、僕は何をすればいいの?」
「ロヴィー君は時間までリングボーイの練習。フレイチェ、ロヴィー君の余所行よそいきのお洋服なんてある?」
「そんなこともあろうかと、うちの子供の小さい頃の服を持って来てあるよ。フレイチェさん、ロヴィー坊やと一緒に二階に来てくれるかい?」
「は、はい」

 手伝いに来ていたご近所さんがフレイチェ、ロヴィーを連れ立って、二階へと上がっていく。
 
「何とかなりそうかな?」

 いつの間にか隣に立っていた白猫アルが横目でわたしを見る。

「何とかなるわよ」

 わたしはアルに向かってウィンクしてみせた。
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